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GeforceExperienceが0x0003エラーで起動しないとき
https://blog.mikisoft.jp/geforce-experience-error-something-went-wrong
上記サイトで解決。以下、その顛末と覚書。
GeforceExperienceからドライバのアップデートをしようとしたら、どうも半年近く放置していたことが判明。ドライバの更新を始める。時間がかかるかなとしばらく様子見をしていたが、待っている間にPCがフリーズしかかる。タスクマネージャーも起動しなくなる。あまり待つ時間もなかったので、電源長押しで強制シャットダウンしてから、PC起動。もう一度アップデートしようとGeforceExperienceを開こうとするも、0x0003のエラーコードで起動せず。アップデートをため込んだ事に関連性が深いかもしれない。こまめにアップデートしましょう。
上記サイトの手順で、15分程度で解決した。
試したが駄目だったこと
ググったら、OSのサービス設定画面から、NVIDIA Telemetry Containerの設定を変えるという方法があった。試そうとしたが、サービスにその項目自体がなかった。
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ラーメンハゲ
漫画って強烈な個性を持つキャラクターが出てくると思う。なんでかね。世に倣って「漫画の魔法」とか言えばいいのか。「ラーメンハゲ」もその一つで、特にグルメでも、ラーメン好きでもない人間でも知っていたりする。自分もその一人で、グルメでもないし、なんならラーメンもそんな好きではない。このたび、「ラーメンハゲ」本来の出演作を読んだ。「ラーメン発見伝」と「らーめん才遊記」の二つ。
ラーメンハゲとは。
画像検索すると納得いただけると思う。凄みのあるキャラクターだ。他作で例えるなら「至高と究極でメニュー対決している新聞社員が出てくるグルメ漫画」の先生。でも、あの先生と比べて、このラーメンハゲのほうが如何にも現代的な、野心に富んだ実力者という雰囲気があり、一見怪しい容貌に威厳すら漂っている。結果、「ラーメンハゲ」という作中にも登場しないあだ名が知れ渡ることになった。
どちらの作品も少年スポーツ漫画のような展開の作品で、とにかくただひたすらラーメン作って「勝負だ!」なんてやっているのだけど、そこそこの頻度でラーメンハゲは登場して印象的なセリフを残していく。「やはり、俺は…客を信じ切れなかった」という名セリフも生まれたりなんかして。「美味いラーメンを作る人」だけではなく、店主やオーナーとしてのビジネス観点がとても良い。美味いラーメン作って終わりなんてのはただのラーメンマニアであると。だからより一層「客を信じられなかった」というセリフが刺さる。なんで信じられないのか、というあたりは「ラーメン発見伝」をよんどくれ。
自分は前述の通りラーメンに興味はなくて、「家系」が何を意味するのか知らない。でも、日本全国の地名を冠したラーメンがたくさんあるというのは、流石に知っている。町おこし的な要素で生み出されたものもあるかもしれないが、そんなにもバリエーションがあるというのは面白い事だなと思う。どの地方にもある銘菓みたいなもんかー?連休明けにお土産に頂くことのあるようなやつ。だったら、ラーメンも実際に食ったらそんな変わりないんじゃねえのか、なんて思ってしまう。
ラーメンを外で、つまり飲食店で食べた経験が数えるほどしかない。子供の頃は覚えてないけど…東京に出てきてからは10回ぐらい?…試しに、覚えているのを紙に書き出したら本当に10回だった。25年で10回。旅先含む。仕事中の昼飯含む。法事含む。その全部が付き合いでラーメンになったもので、一人だったら外食でラーメン選ばない。…と、思っていたが、一回だけ、一人でラーメン食った記憶を思い出した。天下一品に一人で行ったことがある。
その数か月前に、誰かと一緒に食べた。夜だったと思う。じゃあバイト終わりか?こってりのドロドロスープにびっくりした。そして、「もう一回食ってみよう」なんて思ったんだろうか?一人の時、どの店舗で食べたかも思い出した。で、その時、「このドロドロスープにはXXXXXが入ってるんじゃないか?」なんて思いついた…ということも記憶している。もう15年以上前だ。その思いついたアイデア、今度試してみよう。まさか寸胴でスープを作るなんて出来ないので、カップ麺に足し算でやってみよう。誰に食わせるでもないものだ、客を信じる必要も、自分の舌を信じる必要すらない。
実際の回答は得ようがないが、万が一正解だったら面白いなあ。
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ひかりより速く
アインシュタインが生み出した相対性理論は、世の中の捉え方を劇的に変えた、らしい。実感することも検証することもないけど、そういうこと、らしい。ニュートンの生み出した理論では矛盾が生じた事象に、説明をつけた、らしい。時間は相対的なものだ、という考えなんですって。時空がゆがむんですって。そのような内容に関連する動画や記事をぼんやりと眺めていると、自分の知っている常識を置き去りにすることが、しれっと登場する。
「宇宙は光速を超える速さで拡大している」
人類がさわれる物理の世界で、光速を超えても良いんだっけ…?光の速さは具体的に算出されていると認識している。例えば、円周を求めるにあたり、円周率の「π」に結論が出ていないから、半径×πと表現する。学校では3.14などと教える。およそ3とか。光は具体的な速度が判明しているので、記号への置き換えしなくても、計算できる。算数の問題で、「時速50kmで30分走りました。移動距離はいくつでしょう」と同じ計算で、光の速さで30分進んだときの距離が有理数で具体的に出せる。そう思っている。
んで。光速を越えて移動することはできないとかじゃなかった?100kmで走る車のヘッドライトは、光速に100km/h上乗せされているのかどうか、みたいな話もなかった?とりまググってどーん。wikipediaの「光速」のページ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E9%80%9F
その他関連ページもいくつか巡ってみましたが、正直よくわかりませんでした。テヘペロ。空間の広がる速度だから矛盾しないとか言われても「あっハイ」としかいえねーわ。
自分のような一般人(下級)は、先端技術のトピックは雑学として取り扱う。ひと昔に流行った言い方だと、トリビアとでもいうのかな。例えば「馬の血液型は3兆種類」とかそういうのと同じ。ところが冥王星が惑星では無くなったり、自分の知る常識を覆すことが起こりうるものが。すいきんちかもくどってんかいめいが、すいきんちかもくどってんかいになった。2006年からってマジかよもっと最近だと思ってた。これほどの大きな変更は、義務教育レベルにも変更を及ぼす。
光の速さは超えれませんというのが、どのレベルでは常識なのかわからないが、いつか変わるかもしれない。地球上で役に立つ発見ではないのかもしれないが、仮に光速の20倍の航行速度を持つ宇宙船なんて出来たら、そらあ人類は変化する。自分がテキトーに調べたところでは、光速の20倍だと、土星まで3分。加速と減速しているうちに到着しそうだ。東北新幹線で東京から上野までみたいな。冥王星まで15分ぐらい?近いんだから惑星に復帰させたれよ。
実際そこまで人類が発展するのは不明だけども、とにかく雑学でも話のタネでもいいから、その先端を見つめていたほうが良いんだろうなあと思いましたとさ。
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ラップの芯、葱
何か使えないかと取っておいたものが二本。
さっそくググるといくつか実用的なアイデアもあるものの、ちょっとしたインテリアみたいなものが目立った。自分は実用性に重きを置きたいし、また、やたら手の込んだ工作も自分にはできないだろう…。都合の良いアイデアが紹介されていないか、ネットの情報を漁っていく。見つけた情報の中には、工作するぐらいなら本物買ったほうが良いんじゃないかなというアイデアも多かった。例えばケーブルをまとめるとか。ベルクロ使ったほうがいいように思う。結局はこれというアイデアを見つけることもできず、仕方なしにラップの芯をもって部屋の中をうろうろ、うろろろ。何かあるんじゃないかと思うねんけど。
実は、使っていたことがある。長ネギ入れ。マグネット吸着したカゴに立てて、その中にネギを入れる。長さも太さもほど良く、収まりが良い。しかし、短くなったネギは隠れてしまい、忘れちゃう。アイデア自体は我ながら気に入ったのだけど。くだらない使い道とゆーのが素晴らしくないですか奥様。実用性はない。
ここはいったん落ち着いて、手に持った筒のプロパティを検討しなおそう。紙であるからして、水にも火にも弱い。軽い。熱伝導率はあまりないと思う。芯自体で何かを傷つけてしまう可能性はほぼない。多少つくりはしっかりしているものの、しょせんは頑丈な紙レベル。円筒形で転がる。絶縁体。通気性。あな空いてるし。
通気性か…。例えば衣類がごちゃっと入っている箱に忍ばせるのはどうだろう。折り重なる衣類の断層に紛れ込ませるように置く。これでは筒の中に空気が行き渡るだけだな。それに二本だけでは効果が出るのか怪しい。筒の中に中に除湿剤?いやいやそれには狭すぎる。では上下に段ボールを張り付けてはどうだろう。港に積んである貨物をフォークリフトで移動するときに、フォークを差し込む部品あるでしょうよ。あんなイメージ。しかしサイズも安定性も効果のほども中途半端な感じが半端ではない(叙述トリック)
切断して高さ(=長さ)を調整することが出来るという特徴を活かす何かがないか。実際、ネットを漁った情報では、そうして出来上がった筒を、細々したものの整理という用途に使っておられる方も見受けられた。しかしこいつもうちには需要が無さそうだぞ。もっと山ほど数があればまた違ったアイデアが閃くかと思ったけど、何年かかるんだよって話。だからこの芯だけネットで売ってる人が居たりするわけで。結局、捨てた。いつでも捨てれるからいままで先送りにしてきたんだよな。阿呆らしい。
と…いうわけで、いろんなものを捨てる算段。
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「美術館を手玉にとった男」を観た
いつものようにAmazonプライムにて。原題は”Art and Craft”。邦題による印象のゆがみを観測できる。事件のあらましを知っている人からすれば、このタイトルはちょっと違うんじゃないの?と思うかもしれない。映画を観終わった自分も、おなじ感想でありんすが、日本のマーケット向けの戦略がございましょう。
ともあれ、内容は良かった。
美術館に偽物を売りつけて金をせしめたというような話ではない。彼は作ったものを無料で寄贈している。もちろん、自分が作ったとは明かさない。作中のやりとりでは、事実ではないストーリーを用いて入手経路やらを美術館の担当者に語る。そのようなストーリーを使ってまで、自分が作ったものを美術館に寄贈する動機とは一体なんだろうか。実に興味をそそるところだが、本作を見ていただければ。
彼の制作作業の一部も作中で垣間見れる。贋作と気づかれず、事件が明らかになった後に個展まで開かれるほどのクオリティである筈なのに、素人目にはがさつな日曜大工のようである。彼によって生み出される絵画が”本物”の出来栄えであったので、美術館はすっかり”手玉に取られた”ということ。さらに、彼は”特別”である点もストーリーに彩りを持たせていると思う。「美術館に贋作送りつけてみた」などと、そこらの輩がやるような軽薄な動機ではないのだ。
びみょ~~に持ち上げてみたのだが、物語はあくまで彼個人のものだ。彼に害意はないかもしれないが、贋作を作って寄贈する計画性があり、継続の意思もあった。刑事罰は受けなかったようだが、モラルに反するのでは?という主張が当然なされる。彼の”善意”と社会のモラル。原題のニュアンスはこの構図かな。絵を描くにあたって求められる倫理とは?博物館に展示されるに及んでの倫理とは?
その間にキャンバス一枚挟み込んでしまった男の話。絵になるんですわ。