• どくしょかんそうぶん,  ふでのゆくまま

    Artificial Intelligence Quotient

    『ケーキの切れない非行少年たち』の10巻を読んだ。んで、たまたまこの動画をみた。

    動画に出てくる藤川という人物については、「令和の虎」というyoutubeの企画でネガティブに名前が知れた過去がある。持参した模擬試験の結果が捏造だろうというものだ。その後どういう経緯か把握してないけど、その「令和の虎」に出演していた英語講師の元で大学受験や英検に挑んでいるという事のようだ。

    4級。

    英検4級て。自分が中学生の頃でも持っているやついた。30年も前の話なので、当時と傾向や難易度とかはだいぶ違うのだろう。でも、経緯や理由はともかく、プロの講師がついて大学受験を志す人間が躓いてよいレベルの課題ではないと思うのだが。過去問あったわ。

    https://www.eiken.or.jp/eiken/exam/grade_4

    この人物の関連動画も山ほどあった。そして冒頭の書籍の内容が頭を過る。

    受験産業と言われる業界は縁がない。自分自身も無かったし、自分には子どもが居ない。まるでわからないのだけど、結局はサービスを利用した分のお代金を頂くわけだ。合格の見込みが無かろうが不真面目だろうがなんなら虚偽の情報で応対してこようが、お客様(の御子息)なんだから適度に転がしておくといいますかあ。これだと冒頭の動画に関する皮肉に読めてしまうかもしれないけど、他の予備校だろうが大学だろうが、山ほどある話だと思うんだよね。やるだけ無駄ですよ、で門前払いしてては稼ぎにならん。レベルに応じた教育内容というものは様々なレベルで対応できると思う。そのレベルに応じた目標を受け入れるかは、最終的に当人だろうから「絶対にあきらめません(`・ω・´)」とか言われればあとはじゃあまあ頑張って、としか言えない…のか?実情はわからんが、想像はできる。

    教育”側”から「IQが低いから無駄です」なんて言葉が出てくることはあるんだろうか。自分の身の回りにおいて、心当たりも無くはない。冷静にそういう判断がされるから養護学校みたいなものが存在すると言えるのかもしれない。子供のころ仲の良かった同級生にそういうクラスの子がいた。子供の頃の話だからなあ…会話は普通に出来ていたと記憶している。しかし、なにかおかしいところがあるという認識はなかった。んんん…小学生の頃だからそんなこと考えながら話していたわけはないか。

    本書の内容は問題行動を起こした少年少女が送致されてくる施設の話だから、受験に挑む学力のレベルという話とはフィルターが少し違う気がする。課題に対する問いを実践できるか、克服できるかという点では同じ評価ができるのかもしれない。脳科学という分野が進めば、IQテストを受けるみたいな事ではなく、もっと医学的にストレートな診断をするのかな。骨が丈夫とか血管が太いとか腸が弱いとかと同じように、頭が悪いと。

    このへんの話が飛躍すると『アルジャーノンに花束を』の世界みたいな事になると思う。IQが低くたってそれなりの人生でそれなりの幸せがある…ある筈だろう。だからってあなたはそれを受け入れるべきだ、と他人が押しつけがましく言えるもんだろうか。現状ではそんなアプデが簡単ではなさそうという理由で、真剣に考えてみた事は無い。それに脳みそに手動アプデをかけることには、なんとなくまだ抵抗を覚えてしまう。なんでだろか。脳腫瘍とかの外科的な治療となにか違うのか。もし「事故でIQが下がったけど、治療で元に戻りますよ」だったら抵抗感がなくなる。これはどういう価値観だ。我ながらわからん。ただ、IQの計測値という価値観を、”それまでの何か”の価値観よりも重視すれば、理屈は成り立りそうじゃないか?IQが高まるっつうならそれが正しいよって。将棋でいう評価値みたいなもんか?

    既に本エントリも話が飛躍しているけど…。「反省がない」「良心に欠ける」「自分を制御できない」といった振る舞いに対して、境界知能と呼ばれるIQの低さが深く関わっているのではないかという『ケーキの切れない非行少年たち』シリーズの主張は考えさせられる。なんでこのテの連中はいつまでも変わらないのか、みたいな疑問に対するひとつ明確な答えでもある。その一方で、新たな火種たり得る。計り方もようわからんIQなんてものでこうも明確に区分され得る事に対して、新たに不安を抱いてしまう。自分のIQ把握してる人ってどのぐらいいるの?いつどこで測っても信頼できる数値になるの?

    年収、BMI、もらったチョコの数、フォロワー数…。いろんな場面でいろんな数字が個人の指標として用いられるけど、そこにIQを加えてみようというならば、どうしても不安を覚える。なんでだろうな。俺のIQが低いからか?🤣🤣案外笑いごとではないかもしれない。自分のIQなんてシラネって人がおそらく多いと思うんだけど、みんながその数字をぶら下げると世の中に新たな基準が生まれて、新たな境界が出来上がるに決まっとるじゃないか。

    本書では生活や幸福の基準という所とはまた別の、犯罪の処罰や行政による保護の対象という境界の話だ。だから、この人(少年少女)はIQが~~と語られても今の自分の状況には直接結びつかない話として飲み込んでいる。これが、年収、健康状態、社会との関りなんたらと、IQを紐づけられてみたら、どうやら自分も――。数字は嘘をつかないが噓つきは数字を使う。自分が報われる指標は、自分は世間に害を及ぼさないと表明できる指標は何処にある?

    なお、教会知能と変換されたのを見て、筒井康隆ファンの俺は信仰性xxxxなどと思いついたがこういうのはやめておくのがIQ仕草ですわのよさ。

  • どくしょかんそうぶん

    なんかいろいろ観たり読んだり

    2023年の後半、ぐらいの広い時間軸でまとめていろいろと。

    週刊少年ジャンプ

    2,3年に一回買う。自分の目にする範囲では、ネット上のSNSアカウントというような知人とも言えない人々でも、週刊少年ジャンプ読んでいるという人は見かけない。今回読んだのは2023の9月18日号。巻頭カラーが全部自社コンテンツの広告でシビれる。以上。作品の感想は特にない。ここに掲載されているってことは、当代一流(見込み)の漫画家の作品ってことになるんだろうけど、普段から漫画に興味の薄いおっさんが読んで面白い筈もない。内容なんて自分が読んでた小学生~高校生の頃と、さほど変わっている印象もなかった。まだ友情努力勝利の世界か。

    「巨大数入門」

    以前、「寿司虚空編」を読んで大変に面白かったが、巨大数の部分については数学、それどころか算数の知識が付いていけず、良く分からなかった。数の定義だったらどこまででも行けるぞ!という話で、神話の世界みたいなことかな、と解釈した。…俺は何を言っているんだ?

    本書は入門編ということで易しい内容かと思えども、さすがに「数学は得意」ぐらいの前提がないと厳しそうだ。少なくとも、高校の数学の授業は真面目に受けていましたぐらいの素養は必要だと思う。logとか言われてもそんなの私が学生時代を過ごした20世紀には無かったんじゃない?と思われる。それでも読み進めると、数がデカいというだけで本当に神話のレベルまでぶっ飛んでいるという事を察せられる内容で、とりわけ「数が巨大すぎて10進数で表記するには宇宙の全物質をインクにしても足りない」という例えはシビれる。大きな桁数の呼称シリーズで人気の「那由多」は1の後にゼロが68個続く。100000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000となる。簡単に表現できる。手書きだって余裕だ。じゃあ仮に百万桁だったら。ゼロがひゃくまんこ。流石に手書きは厳しいが、仮に印刷したとしても、自分の部屋には収まるサイズなんじゃないか。…計算したら1文字を0.25cmで書いても学校の校庭にギリ収まるかどうかってサイズでしたああああ数学センスがネガティブインフィニティ。

    ここから宇宙の全物質でも足りないまで飛躍するサイズ感。神話だわ。良くわからんけどそういうのが存在するって事で進めますよ!おー神話だ。人は数を発見するはるか以前から、広さ眩しさ重さ大きさ魚型の生き物に畏れをなし神を発見したのだ。何を言っているんだ。巨大数の話も何を言っているかわからんと思うので皆さんも体感を感じメヴー。

    「ケーキの切れない非行少年たち」

    持ってない巻を買い足し拝読。作品の印象は変わらない。人生の事情は各自様々だが、世の中には物事がうまくいかないパターンというのが客観的に存在する。「成功する理由はこれだ!」と言い切れなくても、その逆の失敗パターンは過去の歴史やノウハウが雄弁に語りだす事がある。本書の場合、当人が選ぶこともできない生まれながらの境遇や能力と、世間との軋轢がその失敗パターンということになっている。それを支える立場と、どうにかあがなおうとする当人の物語。

    本人も能力や環境がゆえにしょうがなくて、助けたい側も結局は本人の問題なのでしょうがなくて。これでは書籍の物語として考えても救われないなあって思うんだけど、現実はそんなもんなのかね。…うん?自分は同じ事を拙ブログで書いた気がするけど…ものぐさなので調べない。失敗パターン。呑気なもんだ、しびれますね。

    ラーメンハゲ

    作品タイトルで語られないというのは、出版や編集は兎も角、著者としてはどんな気分なんだろう。申し訳ないので「ラーメン再遊記 8巻」とタイトルを記しておきましょ。とはいえやはりラーメンハゲ物語である。私は、ラーメンというものはお店に食べに行くよりも、家で手軽にお湯を注いだりフライパンで麺を茹でて食うもの、という派閥に属する。だから、本書の次巻へ続く展開でインスタントラーメンが登場するのは、じつに興味深い。でも流石にインスタントラーメン編は、話がすぐ終わりそうな感じもあるな。まさか開発するまで話広げないよな。…広げそうだな…。ラーメンハゲの後を継いだ天才社長の出番か。

    新訂版 タモリのTOKYO坂道美学入門

    東京都内の坂道を鑑賞し堪能するという一冊。いかにもタモリらしい。タモリ倶楽部でも地形がどうのという蘊蓄の回ありますね。

    ここで自分語り。自分も大使館巡りなどをしている時に、港区の坂にはなかなか苦労した。その日にどこを訪れるか事前に計画を立てて行動していたので、横道など目もくれずに目論見を立てたルートを踏破するばかり。基本的には薄暗い時間帯、季節によっては夜明け前と言う中を歩いていたので、本書のような情緒もへったくれもなかった。

    本書では港区以外も紹介されているが、案外知っているような、通った記憶のあるような場所も出てくる。この坂は、さまぁ~ずと大江麻理子がサイコロ転がした坂では?なんて。そういえば、ネットでこうした都内のおすすめ散歩道みたいなを情報あつめて出かけたりした。最初にそんなことをしたのはまだ20代だったんじゃないか…?その当時から行ってみようと思っていて、まだ訪れていない場所もあるな。はてさて。

    せいすうたん

    881円かと思って買ったけど1881円だった。1881円の漫画て。電話帳みたいなAKIRAだってもっと安そう。数学書としてのお値段なのかなあ。自分にはちょっとついていけない数学の話だったけど、まあそこは想定内。ボキャブラリーを増やす、ぐらいの感覚で流し読み。しかし自分もエントロピー相関がついたのでしょうか、数がたくさん並んでいるとか判読が難しい数式で薄ら笑いが出るようになりましたッピー。

    ましたッピー。

    自分の好きな漫画家に鈴木みそという人物がおりますが、本書の著者である小林銅蟲にも同じバイブスを覚えます。奔放な爆散が許されない時代ではありますが、後発のアドバンテージでうまく対応してやっていけば面白い事に収束するんじゃないでしょうか[要検証]

    ジパング

    アニメ版がYoutubeで無料公開されていた。ネットで調べたところではこれで物語の半分ぐらいまで公開されているようだ。面白かった。作中の「資料室」のくだりは、これは進撃の巨人の「地下室」とおなじだと思いました…。あれも確か、父の(表向きの?)生い立ちと世界の姿を知ることに繋がったと…。なんなら未来も?船の名前が「みらい」というのも格好いい。自衛隊の船の名前は流石にこう、日本のバイブスを感じるものであってほしいと思う。なんなら「もがり」…は縁起が悪いか。リンク先は船のリスト。

    https://www.mod.go.jp/msdf/equipment/ships/

    火葬場で働く僕の日常

    火葬場は殆どの人が人生で何度かは訪問することになり、最後には自分もお世話になる施設。しかしながら、顔が火照るほどの熱と灰にうずもれた骨ばかり印象に残って、その仕事内容は存じ上げない。その仕事内容にフォーカスしており、シンプルに大変参考になる。墓地でたまに無縁仏の墓など見かけるが、墓があるからには人が死んでおるわけで、死んだからには亡骸がある。火葬場で焼かれた骨はそこでストックされるんだそうな。確かに丁寧に弔おうにも、無縁仏では段取りする人もいないわけだ。こんなご時世だからコロナの話もある。ううむ…。

    ゴミ清掃員の日常

    売れない芸人が肉体労働に精を出して食つなぐというのは、たまに耳にするストーリー。本作の著者は何故かベテラン限定の漫才賞レースで注目を集めたマシンガンズの滝沢氏。少し前からゴミ清掃員としての活動で知られている。漫画を描いているのは奥様だそう。ゴミの分別は人間が持つ最低限の良心の一つだと思っている。偉そうに言うけど、洗い物面倒だからお弁当のパッケージを燃えるゴミで出すこともある。PETになってる調味料とか洗剤の容器をプラごみで出してしまったことも、きっとあるだろう。流石にビンと生ごみ一緒に出したことはねえなあ。

    「親の手伝いで子供が燃えるゴミを渡してきたことがあったが、ビンが混じっていてなんだか悲しい気持ちになった」

    作中のとある一コマ。良心は生まれつき持っているものでも、勝手に芽吹くものでもない。教育の一つでゴミの分別教えてやらないとダメなんだよね。あるいは「子供だったら受け取るだろう」と悪意を持って親に利用されているのかもしれない。自分も相当に物ぐさだし、ゴミの捨て方なんてもので人間を値踏みされてはたまらないと思う。だけど身なりとか話し言葉とかで判断される人間性は、だいたいあってるんだ。

  • どくしょかんそうぶん

    まんがいろいろ読んだ

    「懲役339年」

    昔遊んだRPGのストーリーみたいな感じ。例えば…ロマンシングサガとか?王道の感じと言えばいいのかしら。思い切って言えば、王道そのものやんけ~。タイトルだけ見たときは「華氏451度」のオマージュみたいなものかなーと思ったら多分ちがった。”多分”ちがったというのは、「華氏451度」の内容をもう覚えてないから。

    考えてみれば、ロマンシングサガ本当に成り立ちそうだな。代替わりして懲役の年数が減るのが皇位継承イベントの代わりで。ああ、でも敵側も千年ぐらいは生きるっていう設定じゃないと代替わりしてしまうなあ。時が流れれば世の中も変わる。人間関係も変わり、ひとの心も。懲役刑による時の経過は、その変化に寄り添うのか贖うのか。

    田代まさしが出所したってよ。

    「野原ひろしの昼飯の流儀」

    野原ひろしとは誰だろうかと思ったら、クレヨンしんちゃんに出てくる父親だった。面白くなかった。孤独のグルメの大ヒットの後で、メシを食う漫画は山ほど登場した。そんな二匹目のどじょうの中の一つというわけですけども、面白くない。wikipediaによると、連載は長く続いているらしい。「孤独のグルメ」の井之頭五郎のように、外を回る機会の多い職種は、昼飯をその日いる場所で取ることも多かろう。野原ひろしもそういう職業という設定なわけで、数ある漫画の中からキャラクターを選ぶという点では良い選択だったのかもしれない。個人的にはAKIRA君とかがやっても面白いと思う。何故か成人して会社にお勤めしているAKIRA君。炒飯作るところを見つめて、象徴としての炎…とか呟いてみてほしい。

    「エリア88」

    とりあえず一巻だけ。ゲームはゲーセンで遊んだっけな。漫画を読むのは初めてだ。ゲームはわりと硬派なシューティングだったと記憶しているが、漫画のほうは詩情を湛えたメランコリックミリタリー。Battlefield4とかのキャンペーンモードみたいな。ロシアとウクライナの戦争の様子がばんばんネットに流れてくるご時世…願わくはこれを最後としたいが、今後もいつかどこかで起こるだろう。何か大切なもののために、勇敢に立ち向かうも力及ばず、運も味方せず、悲劇的に死んでいった人たちの物語。この先の世代には、どんな形で伝えられていくものだろうか。

    「ケーキの切れない非行少年たち」

    聞いたことあるけど漫画だっけ?と思ったら同名の書籍が既にあったようだ。犯罪を犯してしまった少年たちのうち、障害を持っている(かもしれない)少年が送られる施設での物語。原作者は少年たちと面談する医師。少年たちは、通常なら身に着けることのできる常識・良識が身につかない。そのため、空気が読めないとかキモイとか使えないとか疎まれることが多い。その原因の一つには知能(作中ではIQ)に問題があって、家族など周囲との関係や自己のコントロールに悪循環が起こり、「非行」のトリガーになってしまう。本作にはそんなケースのエピソードが幾つか収められている。

    施設を無事に出た後にも、やはり悪循環が始まってしまい、犯罪に走ることがある。正直に言えば、耳タコですらあるシビアな現実だ。どうにかならんものかね?作品では、少年院へ入る事が、当人の更生というか…現実社会に無難についていく能力に手が届くためのチャンスとまで言っている。反省しろと言っても反省の概念が分からなかったり、学習で何かを身に着けることが難しいのであれば…特別な環境に置かれるのも良い方針なんじゃないかと思う…。自分の世代では、戸塚ヨットスクールみたいなものも連想しないことはないが、本作によれば少年院では、もっと世の中に寄り添った取り組みになっていると感じた。

    原作は読んでないけど、この漫画版では少年たちに同情的な観点で書かれているような印象を受けた。犯罪を犯す前に何とか対処できないもんだろうか、という訴えでもあるかな。IQが低いとかなんとかで、犯罪行為が理解できないとか他者の気持ちがとか云々。そういう人もいます、という多様性を受け入れるには寛容さが必要だと思います。しかしここで出てくるケースは暴力とか放火とか…罪を憎んで人を憎まずと言ってみても、寛容さには限度がある。あーあ、どうすんのー…。そこで綺麗ごとでは片付かない事態の解決のために、

    「「子供を殺してください」という親たち」

    現場の腕っぷしがふるわれるというわけです。

    「なっとうぼうや」

    児童向け絵本なんてものにも手を出したりして。こういうのって、キッズ向けに親御さんが読んだりするんだろうけど、本作は歌が出てくる。どうすんだろ。アドリブで歌うんだろうか。さて…Amazonであるからには商品ページでレビューがついているのですが、当然親御さんが書いてる。やはり子供の食いつきが良いと、高評価のようだ。中には「子供に一緒に歌いました♪」などというのもあった。「どう歌えというのか」なんて首を傾げた自分の人間の小ささを恥じるばかりであります。いやほんと。

    なお、本作は話のオチというか終わり方が衝撃過ぎて、風呂で読んでて「はっ?」ってなりました。ううむ凄いな。

    「だいこんのじんせい」

    こちらもなんというか味があるというか…しばらく絵本読み漁ろうかしら。つい最近、新刊が出た某人気漫画みたいに、ち密に文字が書いてあったりしない。説明は少なく、場面の切り取り方も豪快。とても斬新に思えて良い。落語みたいなテイストがあるんじゃないか。


    ここまで全部を電子書籍という形でお買い上げ(Amazonプライムの無料枠含む)したんだけど、ブックオフの105円棚からごそっと買っていた学生時代のような感覚で買っている。こんなことをしていると、実に高くつく。書籍自体の定価って当時とそんな変わらないと思う。古本屋に足しげく通っていた頃は、新刊でも人気作でも、一年ぐらい経ってから古本屋さんで半額ぐらいで買うのが当たり前という感覚だった。そんなころと比べると定価で買う、電子書籍は高いなあと思う。読んだら終わり、という漫画などでは特にそういう感覚になってしまう。当然ながら、こんなぽんぽんお買い上げするのは非常にお財布に良くない。お金のほうも電子化されているわけです。一冊買うとその勢いでクリックポチポチしてしまう事が多い。良くないな。