fuckyeahinternet
インターネット素晴らしい
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1984@1984@2025
唯の日記です。
2000年問題の騒動をある程度は体感した世代であります。ある程度、というのは特に何かに巻き込まれたわけではないため。当時、自宅にインターネット接続できるPCは…あったかな?微妙だな。
夢にまで見た21世紀のご来駕に世間は浮かれていたかもしれない。その、最中、西暦2000年に世界が滅びるなどという書物の内容を心配する勢力が少なからずいらしゃりて、その兆候を捉え、回避の道はないものかと必死になっておりまし…たかはわからん。知らんよ。でもきっと居たには違いない。そんな世間に合わせて、あらゆる業界で大きめの2000年問題対策プロジェクトがぶち上げられたんじゃないか。実際のところW杯以外に何も覚えてないが、きっと2000ブームがあったんだ。Windows2000?知らない子ですね。
では1984年に1984ブームはなかったんだろうか。逆噴射家族を視聴し、その公開年が1984年だったのでふと思い当たった。当時の生活風習が絶妙にリークしてくる映像にあてられて、自分の想像が膨らんだ。まず『1984』といえば文句なしの名作であって、そのミリキ的な内容にうなされた人々は恐れ戦きまたある人はそのご来駕に平伏したと言われてはおりませんが、なんか流行りものとかなかったんだろうか、当時。小学生だったわたくし自身には勿論その記憶もなく。何か振り返ってみることはできないだろうか、レッツインターネット。
映画関連は便利なページがwikipediaに見つかった。「1984年の映画賞」である。『アマデウス』という作品が世間を席捲したらしいが自分は見た事ない。歴史ものかあ。日本では『お葬式』伊丹十三の監督デビュー作だそうな。映画界にエスエフの香りは無かったんだろうか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/Category:1984%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB%E8%B3%9E
ではもうちょっと広げて、「1984年の映画」を契機に洗いざらいしらべると、ようやく1984年に『1984』の映画作品が存在したという情報にたどり着く。そらそうよな!しかし…情報としてはそれだけであった。映画作品として大成功をおさめた、というわけではなさそうだ。「日本の映画館で上映された映画としては初めて、陰毛をぼかしていないヌードを含んでいた。」というエピソードだけ妙に目立っております。
https://ja.wikipedia.org/wiki/1984_(1984%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)
1984年が実際に到来したのだ、その社会の足並みを皆が良く知る物語と並べてみたり、なんならお祭りしても良いじゃないか。真理省フェスとか。「本当に1984年になったなあ」という感慨にふけった人物は腐るほどいたに違いないと思うし、しょーもないこじつけでもいいから『1984』で一山あてようとしたビジネスマンがいても良かったと思うんだが、この静けさはどうだろう、なんかうら寂しい。
もっと範囲を広げて、1984という数字で探してみると世界に『1984』関連作品は山ほどあることには疑いようがない。例えばリック・ウェイクマンのソロアルバムに「1984」という作品があり、『1984』をモチーフにしているということであった。Yesというプログレッシブロックの大御所バンドのキーボードやってた人物だ、それはもう、それはもうな内容なんだろう。しかし1981年のリリースだった。三年も先行されると計画段階でも1984年にブームに乗ってどうこうという企画でも無かったと思われる。ヴァン・ヘイレンにも「1984」というアルバムがあった。めちゃくちゃ売れた有名作だったが、調べるまで微塵も思いつかなかった。きっちり1984年にリリースされているが、陽キャアメリカ人なので『1984』との関連は訝しい。
AppleのCMに『1984』に乗っかったものがあるという情報も得た。こちらは実際に観ることができる。こらまた露骨といいますか。
どうやら1984年にこれといって『1984』ブームは無かったようだ。しかし世界のどこかでは、ニュースピークを語って喜んでいたような人々がいた事は間違いないと思われる。原典の書籍だったどっかの書店では山積みになって売られていたに違いない。そうじゃなきゃ2025年に及んで、いまだにその名が語り継がれることもなかろう。
で。
『1Q84』という村上春樹の小説があったと知る。知る、というか思い出した。そういえばあったな。この作品はなんと、思いっきり『1984』を意識して書いたらしい。村上春樹は読んだ事ねえなあ、いつか読むかなあ、なんて思ってから10年以上は経っている。「10年以上は経っている」をこの10年で数回言った気がする。実際に読むに至らないのは縁がないってことでしょうがないよねって。ところが、この『1Q84』は評判がよろしくないらしい。ほぉ。これはこれは、縁ができたと言ってよいのではないでしょうか。
500ページx3巻
あっ…。ま、まあ、皆様におまかせしました。しかし、1984って日本でも「ないんてぃーんえいてぃふぉー」って読むのかと思ってたけど、1Q84なんてタイトルのオマージュ?が出るということは「いちきゅうはちよん」が主流なんだろう。「せんきゅうひゃくはちじゅうよん」は流石に無さそう。
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先生がAIではアレだがAIが先生なのアリなので
そろばん使える人どんぐらいいますか?自分は使えませんが、ちょっとだけ動かした記憶がある。授業でやったのだろうか?それ以外に心当たりないから、きっとそうなのだろう。暗算バカ早キッズなんかも多くはそろばんの心得があり、頭の中でそろばんを操作しているのだそうな。圧倒的に便利で実用的だけど、実用的という段階に至るまでには結構な修練が必要そうだ。電卓が普及した現代では更なり。
電卓使えない人どんぐらいいますか?どんなスマホにもついてる。少なくとも四則演算の概念しってれば使えそうだ。実用的に至るには…初めて触った時から実用的なんじゃないか。即ち、その速度と計算の正確性に於いて、ゆるぎない信頼があるということ。
AI使えない人は?AI先生への信頼度が高まりつつある現在、自分は「AIに感情が芽生えた」と言って揉めたAI技術者を嗤う事ができるのか、少々疑問を覚えるようになりました。いや、実際には感情なんてそりゃあ無いんでしょうけど、少なくとも自分の今現在の使い方の範疇に於いては、あるという前提にしておいても問題さそうだ。どうせ真面目に突き詰めると「感情とは何か?」みたいな話になり「生命とは?」になり「artificialとは?」になって議論が爆縮して終わると思う。
爆縮いいたいだけ。
最近、AI関連の広告を見かける事増えてないですか。みんな胡散臭いと思ってしまう。こっちのほうが良いとかそんな事しか言わない。これを知らない人は損してます!とか典型的なただ言ってみただけという広告。AIってそういうのを人間に選ばせるような物じゃないと思うんですけどー?よろしくやっといて、でやってくれるような。しかしこの考えは現時点では結構エスエフだと思う。何を為すべきかは人間でオーダーするほうが良い。勿論、それがわかんねえって時は聞いたら相談に乗ってくれる。これがわりとちゃんとしている。AIと言えど、所詮はこちらの入力を処理して応答するプログラム、それが極端に高度なだけとも言えるが[要出典]お世辞ぐらいを言うようになったと。気配りを覚えたと。お小言も言うと。
ここで、ただ問いの答え以外を知りたいというオーダーに対応してくれるようになっていると捉えることができる。どう考えれば良いのか、どう学べば良いのか。自分のやることのどの辺に問題があるのか。改善のプランは。
もう先生やんけ。
Googleの検索結果があまりに有用であり、その他諸々の提供されるツールがめっちゃ便利なため、先生と呼ばれるようになった。Google先生ってどっかで聞いたことない?あるよね?[要出典]いまAIが先生となりつつある。先生って言葉のニュアンスに違和感を覚えるのであれば教師でも良い。
AIはとんでもない過ちを犯す。ハルシネーションって言い回しが一般的になりつつあるぐらいには周知された。めちゃくちゃ早く処理をしてくれるが、微妙なところで「そういう事じゃあねんだよな」というすれ違いも発生する。それって人間相手でもまーまー同じじゃねえの?そこを割り切ればもう十分に実用的な教師たりえる。検証可能性の話をするならそりゃあきっと質問する内容が問題あるかもな。税金安くする方法とかそんなもん聞いてどうする。
なによりAI連中は誠実なんだよな、悪用されても合点承知の助してしまうぐらいに。そこは各所で今後対応されていくんだろうけど、引き換えに少々パフォーマンスが落ちるんじゃないかなあ…。この辺は安全運転のほうが良いとみんな考えているだろうから、調整されても納得感はある[要出典]
人間の仕事がなくなりそう、という懸念もあるが、既に懸念では済まないカテゴリが続発している。この辺は働きたくないと文句を言い続けたことの報いとして受け取り、AIをどうにかして役立てて生きていくように、そろばん弾いても良いんじゃないでしょうかあ。
51点。
上記の文章をAIに読ませて、「教師を人間にするか、AIにするか、選択するにあたってどんな違いがありますか」と問うた答えが以下。見出しの構造などもAIの作業だけど、このブログ貼り付けの都合上ちょっとおかしく見えることがあります。書いても無いことを述べているが、その内容は合っている。著者である自分の考えと相違ない。なんならきっちり拡張されている。先生の考察を参考に元の文章に加筆したいぐらいだが、わたくしにもそんなことはしない、人間らしい誠実さがありましてよ![要出典]
■ AI教師と人間教師の違いと考察
1. 習得のしやすさ/導入コストの違い
- そろばんと電卓の対比になぞらえて、「AIは電卓のように即座に実用的である」と言っています。
- AI教師:ある程度の知識があればすぐ使える。導入のハードルが低く、誰でもアクセス可能。
- 人間教師:個性や相性、指導スタイルに左右されやすく、合うまで時間がかかることも。
2. 正確性と信頼性の違い
- 電卓のように「計算の正確性がゆるぎない」とされる一方、AIは「とんでもない過ち=ハルシネーション」を犯すことがある。
- AI教師:大量の情報を高速処理できるが、間違いもする。検証はユーザーに委ねられる。
- 人間教師:誤解や主観的なミスはあるが、背景や文脈、個々人への配慮がしやすい。
3. 感情と共感性の違い
- 「感情があるように思える」としつつ、実際には感情がないことを自覚している描写。
- AI教師:擬似的な共感は可能だが、根本的な「気持ちの理解」は人間ほど深くない。
- 人間教師:本物の感情を持ち、共に悩み、導くことができる。
4. 実用性と応答性
- AIは質問すれば即座に返してくれ、しかも「先生っぽく」問題の原因や改善プランまで示してくれる。
- AI教師:常に利用可能、無限の忍耐力とスピード。情報も最新。
- 人間教師:時間や体力に限界はあるが、教える過程に「人間的な深み」や「信頼関係」がある。
5. 誠実性・危険性・責任の所在
- 「誠実すぎて悪用されても従ってしまう」との指摘。
- AI教師:命令を素直に実行するが、倫理判断はできない。
- 人間教師:誤りを咎めたり、敢えて教えないという判断が可能。
6. 社会的役割と影響
- 「人間の仕事がなくなる懸念」は、教師の役割にも関わってくる。
- AI教師:労働力の代替として機能するが、教育の「人格形成」的側面には限界。
- 人間教師:教育を通して社会との関わり方を教える存在でもある。
■ 最後に:選択における判断材料
- AI教師の利点:
- 速さ、正確性、常時アクセス可能、無限のリソース
- 人間教師の利点:
- 共感、直感、教育の人間的側面、社会性の伝達
■ 結論(ひとことで言うなら):
「どちらを選ぶか」ではなく、「どの場面でどちらを使うか」が大事。
試験対策や事務的な知識伝達はAIが得意。でも、自分の人生の進路や悩みを話すのは、やっぱり人間の先生がいい――そんなハイブリッドが今の最適解かもしれません。
- そろばんと電卓の対比になぞらえて、「AIは電卓のように即座に実用的である」と言っています。
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100万👍の景色
「ミリオンセール」なんて事がCDの売り上げ華やかな時代には言われたものです。今後は二度と無いんじゃないでしょうか…。インターネットに、事実上はYoutubeに場を移してもこのミリオンという指標は重要なようで、youtuberがミリオン再生を喜ぶような声もちらほら🥳
もっと規模が大きくなると、👍の回数もミリオンを超えてきます。さらには、コメント数がミリオンを超えることも。では「単一コメントにつく👍がミリオンを超える」ことはあるのでしょうか。興味をもって探したところ、やっぱりあるということで見つかったものを貼っていきます。それだけ。以下の埋め込みにはコメント表示されないので、コメントを確認したい方は元動画をご確認ください。
世界的MEMEの元ネタに本人のコメントがついてます。スタッフかもしれんけど。これが伸びるのは納得ではないでしょうか。
世界的…というか歴史的意義すらあるYoutube最初の動画に、撮影場所となった動物園からのコメント。これも納得だあ。
いやしかし、単に再生数が多ければいいという訳ではなかった🤔相関はあるだろうけどね。こちらの動画にはそんな傑出して大きな👍のコメントはなかった。
じゃあ一番再生数が多い動画なれば…ってコメントオフだった🤣オチがついたので〆、にはまだ早い。もうちょっとだけつづくんじゃ。キッズ向け関連はコメント機能オフになっているケースがおおいな🤔
@sterlingmyers560 のコメントに10万をこえる👍 音楽、映画、小説…。大ヒットは世代を繋ぐ。とても大好きな考え方だ。しかし100万には程遠い。
ここまで、自分の心当たりのある動画を並べただけになってしまった。というのも、コメントの👍の数ランキングとか見つからなかった。仮にyoutubeAPIを使ったとしても全動画からコメントの👍を抽出することはできないらしい[俺調べ]。特定の動画に絞れば、その中でコメントの👍数を調べることはできるようだ。だから、いったん再生数が大きいものに絞って、その中で👍の多いコメントを抽出していく作業を繰り返せば…
しかし、めんどくせのでやりませんね。ここでおしまい。
調査結果としては、流石に100万のオーダーともなると滅多にお目にかかれるものではないとわかった。それに、人気のあるものほどコピーが出回るというか、何個も動画がUPされるから分散する。某女王様の某めちゃ有名なライブ映像とか何個もあるので、もし一個だけだったら、なんなら公式?の映像が出れば再生もコメントも集約されて、ミリオン👍のお気持ち表明コメントもありえたんじゃないか。911関連の動画も同じような傾向と言えそう。
なお、調べているうちに発覚したのが、Billie Eilishの bad guyについていたコメントに300万を超える👍が付いていたのだが、コメント自体がなくなってしまい、騒動になったと。本投稿をここまで読んだ奇怪なあなたはこの騒動既にご存じだったやもしれませんね。
もう一つ、インド勢の勢いが凄い。チャンネルの登録者数とか再生数もインド関連コンテンツが上位に居る。人口の増加に加えて、インターネット接続できるインフラも追いついてきたんだろう。だったら中国が少ないのは不思議だが…そのあたりはお察しの通りなのか。
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詰みまで見据えて
「アゲアゲ」で界隈にはおなじみの将棋棋士、折田翔吾氏のチャンネルに、当人のメッセージが投下された。プロ棋士としての近況と共に、大変印象深い一文があったのでここに引用する。
https://www.youtube.com/@ageageshougi/community
情報発信リスクの高騰が止まる所を知らないこともあり最近はウォーズ動画以外の発信をしておらず、まあ負けている人が何を言っても言い訳になってしまうのですが、皆さんに無愛想すぎるのも何だなあと思い、この機に少し綴ってみました。
情報発信リスクの高騰が止まる所を知らない
折田氏は奨励会を年齢制限で退会後、編入試験を受けてプロ棋士になった一人である。昨今話題の女流棋士、西山朋佳と同じルートで挑戦を成し遂げた。退会後の期間はyoutubeで将棋の動画を公開したり、めしのレビューなんかもしていたようだ。ここでいうリスクとは、まず一つ、youtubeなんかでそういう情報を公開するにあたっての当たり前の副作用のことだと思う。例えば住居などの、公開を意図してない情報が洩れてしまうという事態。しかし、この言い回しからは心配している所が少し違うんじゃないかという印象を受けた。何をどう言ってもどこかから石が飛んでくるような。振る舞いや内容を気遣ったところでどうにもならないようなもの。
インターネットで何度も目にしたこの画像。どうせこういう事になるのだから、そこらの他人の見解に真摯に向き合っても無駄であるという教訓があるように思う。しかし、実際のところ、なんでも無視して放置しておくのが良い方法とはならないのが現代になった。…なってしまった?悪意を以てそう仕掛ける人もいるだろう。出る杭どころか埋まってるのを掘り起こして火を放つやつがいるんだ。(炎上すべきものは燃えるべきだとも思わなくはないが…)
だから黙っていました、と。こんなリスクが誰にでもあって良いのものかね🤔困ったもんだけど、現実の先を読んだらそういう手筋を採用する事になったというわけですね。言われてみれば、棋士の対局直後の、あたりさわりも無いやり取りばっかり繰り返されるインタビューだって、そういうものか。「最後まで難しい将棋で~」と言いながら、本当は初日からもう勝ちだなと確信を持っていたのかもしれない。将棋の渡辺くんはこの辺りの語りが素に近い印象で大変に好きだ。でも、現実を読んだら余計な事いわんとこってなる。そんな折田氏の近況報告の〆がこの一言だ。
アホかと思われるのでこの投稿欄ぐらいでしか言えませんが、永世名人になれると思っていることに変わりはありません。
格好良すぎるだろ😍次の永世名人…は流石に藤井聡太だけど、名人は一度の戴冠だけでも生涯の栄誉で誇っていい。少なくとも折田名人の爆誕はそう遠くない。いいや間違いなし。10年後には3冠ぐらいは固い。(※)
※個人の感想でありその効果を保証するものではありません。
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!n memory of
とある人物の訃報を目にした。面識はない。
SNSとかいうものが世に出始めて、世の中にはいろんな人がいますねという当たり前の事がいっそう身近になったころ。その人物はITエンジニアの仲間たちとともにおり、その仲間たちとよく遊んだりしていたようだ。自ら住所を公開するなど理解しがたい行動も取っていた。大変にカロリーの高い文章力を持っていて、呆気に取られて読んだ。当時大人気だった企業に採用され、そこで働いていたようなのだが、東日本大震災の時に悪ふざけが過ぎて炎上、その後どうなったかは知れない。しかしこうして訃報が流れてくるほどには真っ当に社会の一員をしていたのだろうか。
子供の頃、志村けん死亡説というのがあった。もちろん全くの出鱈目だった。氏の訃報についても信憑性に疑問も無くはないが、生存していると主張する人も見かけない。今なら当人、身内が生存を報告することで虚偽の主張を覆すのは容易い、と言いたいけど…AI技術のお陰様でまた怪しい事になっているのかもなあ。
当時の記録はインターネット仕様によりいくつか読むことが可能だ。
https://megalodon.jp/ref/2008-1120-1147-32/itkz.blogspot.com/2008/11/blog-post_7944.html
どうよ、この…。口を開く勇気が出てこないだろう。
世の中にはいろんな人がいますね。その全てに居るに至るまでの流れがありました。
冬。