ふでのゆくまま
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1984@1984@2025
唯の日記です。
2000年問題の騒動をある程度は体感した世代であります。ある程度、というのは特に何かに巻き込まれたわけではないため。当時、自宅にインターネット接続できるPCは…あったかな?微妙だな。
夢にまで見た21世紀のご来駕に世間は浮かれていたかもしれない。その、最中、西暦2000年に世界が滅びるなどという書物の内容を心配する勢力が少なからずいらしゃりて、その兆候を捉え、回避の道はないものかと必死になっておりまし…たかはわからん。知らんよ。でもきっと居たには違いない。そんな世間に合わせて、あらゆる業界で大きめの2000年問題対策プロジェクトがぶち上げられたんじゃないか。実際のところW杯以外に何も覚えてないが、きっと2000ブームがあったんだ。Windows2000?知らない子ですね。
では1984年に1984ブームはなかったんだろうか。逆噴射家族を視聴し、その公開年が1984年だったのでふと思い当たった。当時の生活風習が絶妙にリークしてくる映像にあてられて、自分の想像が膨らんだ。まず『1984』といえば文句なしの名作であって、そのミリキ的な内容にうなされた人々は恐れ戦きまたある人はそのご来駕に平伏したと言われてはおりませんが、なんか流行りものとかなかったんだろうか、当時。小学生だったわたくし自身には勿論その記憶もなく。何か振り返ってみることはできないだろうか、レッツインターネット。
映画関連は便利なページがwikipediaに見つかった。「1984年の映画賞」である。『アマデウス』という作品が世間を席捲したらしいが自分は見た事ない。歴史ものかあ。日本では『お葬式』伊丹十三の監督デビュー作だそうな。映画界にエスエフの香りは無かったんだろうか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/Category:1984%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB%E8%B3%9E
ではもうちょっと広げて、「1984年の映画」を契機に洗いざらいしらべると、ようやく1984年に『1984』の映画作品が存在したという情報にたどり着く。そらそうよな!しかし…情報としてはそれだけであった。映画作品として大成功をおさめた、というわけではなさそうだ。「日本の映画館で上映された映画としては初めて、陰毛をぼかしていないヌードを含んでいた。」というエピソードだけ妙に目立っております。
https://ja.wikipedia.org/wiki/1984_(1984%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)
1984年が実際に到来したのだ、その社会の足並みを皆が良く知る物語と並べてみたり、なんならお祭りしても良いじゃないか。真理省フェスとか。「本当に1984年になったなあ」という感慨にふけった人物は腐るほどいたに違いないと思うし、しょーもないこじつけでもいいから『1984』で一山あてようとしたビジネスマンがいても良かったと思うんだが、この静けさはどうだろう、なんかうら寂しい。
もっと範囲を広げて、1984という数字で探してみると世界に『1984』関連作品は山ほどあることには疑いようがない。例えばリック・ウェイクマンのソロアルバムに「1984」という作品があり、『1984』をモチーフにしているということであった。Yesというプログレッシブロックの大御所バンドのキーボードやってた人物だ、それはもう、それはもうな内容なんだろう。しかし1981年のリリースだった。三年も先行されると計画段階でも1984年にブームに乗ってどうこうという企画でも無かったと思われる。ヴァン・ヘイレンにも「1984」というアルバムがあった。めちゃくちゃ売れた有名作だったが、調べるまで微塵も思いつかなかった。きっちり1984年にリリースされているが、陽キャアメリカ人なので『1984』との関連は訝しい。
AppleのCMに『1984』に乗っかったものがあるという情報も得た。こちらは実際に観ることができる。こらまた露骨といいますか。
どうやら1984年にこれといって『1984』ブームは無かったようだ。しかし世界のどこかでは、ニュースピークを語って喜んでいたような人々がいた事は間違いないと思われる。原典の書籍だったどっかの書店では山積みになって売られていたに違いない。そうじゃなきゃ2025年に及んで、いまだにその名が語り継がれることもなかろう。
で。
『1Q84』という村上春樹の小説があったと知る。知る、というか思い出した。そういえばあったな。この作品はなんと、思いっきり『1984』を意識して書いたらしい。村上春樹は読んだ事ねえなあ、いつか読むかなあ、なんて思ってから10年以上は経っている。「10年以上は経っている」をこの10年で数回言った気がする。実際に読むに至らないのは縁がないってことでしょうがないよねって。ところが、この『1Q84』は評判がよろしくないらしい。ほぉ。これはこれは、縁ができたと言ってよいのではないでしょうか。
500ページx3巻
あっ…。ま、まあ、皆様におまかせしました。しかし、1984って日本でも「ないんてぃーんえいてぃふぉー」って読むのかと思ってたけど、1Q84なんてタイトルのオマージュ?が出るということは「いちきゅうはちよん」が主流なんだろう。「せんきゅうひゃくはちじゅうよん」は流石に無さそう。
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お前は今までに捨てたゴミの数を数えた事があるのか
ただ世代だけを感じるタイトルは恐縮であります。3部以外読んだ事ねえわ。
粗大ごみを出したのだが、出す数のカウントを誤っており、一つ手元に残ってしまった。これも縁とばかりに残すかと思った。使えない事はないものだが、収納に長年入っているからこれは明確に不要品なのだ。使ってみたら有用だった、という事も矛盾はしないので手元に置く。こういうものを捨てないと何も片付かないというのはシンプルな道理だと思う。両手で持てる物の例えもあるが、場所がない。トウキョウには物置すらない。どんな怠惰な人生でも、横になる広さを確保する時だけは必死にならざるを得ない。富裕層は持ってる?ああそう…。
従前より、紙の印刷物なんかも多数処理して、かなり減った。結果、いわゆるクリアケースやクリアファイルの類も余った。これは流石に使い道があるだろうと思ったけど、案外ないものだ。大事な書類やらなにやらは勿論しっかりと収めたうえで、だいぶ余る。段ボール一個ぶんぐらい余る。ハンカチやら無理やり収納も出来なくはないけどさあ、そんな事してもな。ちゃんと検証を経てなお余ったからには不要品だ。とはいえ全部捨てるのもバカらしいので少しは持っておく。この余裕が大事であると思いたし。家で使わねども、携えてどこかへ出かけるようなことは当然に想定の範囲内でなくてはならない。
そう、余裕を持つのだ。じゃあってんで、レンタルペースみたいなものを利用する事を考えてみた。季節もの衣類なんかを出し入れするのが一般的なんだろう。書籍を置いたらオレオレ図書館だけどそんな使い方は流石に前時代すぎる。書籍の種類と数によっては便利かもね。一応調べてみると、コインロッカーぐらいのサイズでも高いと月額7000円という場所すらあった。7000て。月額7000プラス出来るなら、その収納したいものが収まる広さの部屋に引っ越せないだろうか?広い部屋に住めるんじゃないの。あるいはそんなお値段するのなら、って収納したいもの諦めて捨てれるだろ。しかしコインロッカーサイズかあ。コインロッカーサイズに収まるだけのものを、部屋に置く余裕がないということか?どこかには無理やり置けそうなもんだが。すると、他に部屋に置きたくない事情があるわけだ。月額数千円払うほどの価値が。想像されるパターンは大まかに二つだけど、きっと皆さんと想像されるモノは概ね合致するんではなかろうか。見せたくないもの(合法)と見せられないもの(違法)と貴重品。あるいは本当にコインロッカー程度のスペースにそれだけの金を払うつもりがある人。そんな人は乾麺でもトイレットペーパーでも入れておくんだろうか。自分は徒歩1分の場所にあってもそんな使い方するとは思えないが…。
もし自分がコインロッカーを借りて何を収納するというのだろう。まずは、捨てちゃうとそれはそれで面倒な事になってしまう書類たちを収めるという用途が頭にうかんだ。…いや?もしかして、利用している人みんなその用途なのでは?もうちょっと広いスペースだと季節もの衣類を放り込むことができるが、当然広さに応じて利用料金があがる。どうせ借りるならそういうの。さっき自分で言ったじゃねえか、余裕を持つべきであると。しかし、そこまでコストをかけるつもりはないので検討はいったん打ち切りとなりました。ただ、セカンドハウスとまではいかなくても、セカンドストレージを持つという事自体は、多くのケースでとても有用なものだと思う。
そーいや、貸金庫から中身を盗んだ銀行員のニュースあった。全く同じリスクがこの手の、レンタル倉庫サービスにも内在するだろうか?貸金庫から窃盗に及んだあの女の動機はお金ほしさ、ということになっている。窃盗されていることにすぐには気付かない。中を知っているのは預け入れた当人だけ。この辺りはレンタル倉庫も銀行貸金庫と同じように思える。盗難や紛失の弁済なんたらについては知らんけど。サービスがそもそも期間レンタルなんだから、支払いが滞ったり解約後にも引き取りにこないケースを考えて、サービス管理側で顧客のロッカーが明けれるようになっていると想定する。じゃあ同じ事件起こりそうなもんじゃないか?銀行のあの事件を受けて貴重品を入れておくのは少々間抜けだという気もするが…。
でもそんな事言ったら、普通預金口座だって賃貸オフィスだって同じリスクを抱えていると言えなくもない。あああもう警備会社も警官も信用できない!!!”!そんなパラノイア的になってもしょうがない。金銭や貴重品に限らないと思うけど、納得いく形で整理・管理するというのは真面目に考えるとあんがい大変ことなのかもしれん。ゴミのカウント間違えるような自分がなにをいうか。
しかし~。相場も知らなかったので、一番近いレンタル倉庫が月額1000円以下だったらサービス使おうかとは思ってた。さすがにそんなことは無かった。トウキオは厳しいねえ。近所の空き家が解体されるの年に2,3回見るけど、激安安心矮小倉庫とかにならんかな。
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先生がAIではアレだがAIが先生なのアリなので
そろばん使える人どんぐらいいますか?自分は使えませんが、ちょっとだけ動かした記憶がある。授業でやったのだろうか?それ以外に心当たりないから、きっとそうなのだろう。暗算バカ早キッズなんかも多くはそろばんの心得があり、頭の中でそろばんを操作しているのだそうな。圧倒的に便利で実用的だけど、実用的という段階に至るまでには結構な修練が必要そうだ。電卓が普及した現代では更なり。
電卓使えない人どんぐらいいますか?どんなスマホにもついてる。少なくとも四則演算の概念しってれば使えそうだ。実用的に至るには…初めて触った時から実用的なんじゃないか。即ち、その速度と計算の正確性に於いて、ゆるぎない信頼があるということ。
AI使えない人は?AI先生への信頼度が高まりつつある現在、自分は「AIに感情が芽生えた」と言って揉めたAI技術者を嗤う事ができるのか、少々疑問を覚えるようになりました。いや、実際には感情なんてそりゃあ無いんでしょうけど、少なくとも自分の今現在の使い方の範疇に於いては、あるという前提にしておいても問題さそうだ。どうせ真面目に突き詰めると「感情とは何か?」みたいな話になり「生命とは?」になり「artificialとは?」になって議論が爆縮して終わると思う。
爆縮いいたいだけ。
最近、AI関連の広告を見かける事増えてないですか。みんな胡散臭いと思ってしまう。こっちのほうが良いとかそんな事しか言わない。これを知らない人は損してます!とか典型的なただ言ってみただけという広告。AIってそういうのを人間に選ばせるような物じゃないと思うんですけどー?よろしくやっといて、でやってくれるような。しかしこの考えは現時点では結構エスエフだと思う。何を為すべきかは人間でオーダーするほうが良い。勿論、それがわかんねえって時は聞いたら相談に乗ってくれる。これがわりとちゃんとしている。AIと言えど、所詮はこちらの入力を処理して応答するプログラム、それが極端に高度なだけとも言えるが[要出典]お世辞ぐらいを言うようになったと。気配りを覚えたと。お小言も言うと。
ここで、ただ問いの答え以外を知りたいというオーダーに対応してくれるようになっていると捉えることができる。どう考えれば良いのか、どう学べば良いのか。自分のやることのどの辺に問題があるのか。改善のプランは。
もう先生やんけ。
Googleの検索結果があまりに有用であり、その他諸々の提供されるツールがめっちゃ便利なため、先生と呼ばれるようになった。Google先生ってどっかで聞いたことない?あるよね?[要出典]いまAIが先生となりつつある。先生って言葉のニュアンスに違和感を覚えるのであれば教師でも良い。
AIはとんでもない過ちを犯す。ハルシネーションって言い回しが一般的になりつつあるぐらいには周知された。めちゃくちゃ早く処理をしてくれるが、微妙なところで「そういう事じゃあねんだよな」というすれ違いも発生する。それって人間相手でもまーまー同じじゃねえの?そこを割り切ればもう十分に実用的な教師たりえる。検証可能性の話をするならそりゃあきっと質問する内容が問題あるかもな。税金安くする方法とかそんなもん聞いてどうする。
なによりAI連中は誠実なんだよな、悪用されても合点承知の助してしまうぐらいに。そこは各所で今後対応されていくんだろうけど、引き換えに少々パフォーマンスが落ちるんじゃないかなあ…。この辺は安全運転のほうが良いとみんな考えているだろうから、調整されても納得感はある[要出典]
人間の仕事がなくなりそう、という懸念もあるが、既に懸念では済まないカテゴリが続発している。この辺は働きたくないと文句を言い続けたことの報いとして受け取り、AIをどうにかして役立てて生きていくように、そろばん弾いても良いんじゃないでしょうかあ。
51点。
上記の文章をAIに読ませて、「教師を人間にするか、AIにするか、選択するにあたってどんな違いがありますか」と問うた答えが以下。見出しの構造などもAIの作業だけど、このブログ貼り付けの都合上ちょっとおかしく見えることがあります。書いても無いことを述べているが、その内容は合っている。著者である自分の考えと相違ない。なんならきっちり拡張されている。先生の考察を参考に元の文章に加筆したいぐらいだが、わたくしにもそんなことはしない、人間らしい誠実さがありましてよ![要出典]
■ AI教師と人間教師の違いと考察
1. 習得のしやすさ/導入コストの違い
- そろばんと電卓の対比になぞらえて、「AIは電卓のように即座に実用的である」と言っています。
- AI教師:ある程度の知識があればすぐ使える。導入のハードルが低く、誰でもアクセス可能。
- 人間教師:個性や相性、指導スタイルに左右されやすく、合うまで時間がかかることも。
2. 正確性と信頼性の違い
- 電卓のように「計算の正確性がゆるぎない」とされる一方、AIは「とんでもない過ち=ハルシネーション」を犯すことがある。
- AI教師:大量の情報を高速処理できるが、間違いもする。検証はユーザーに委ねられる。
- 人間教師:誤解や主観的なミスはあるが、背景や文脈、個々人への配慮がしやすい。
3. 感情と共感性の違い
- 「感情があるように思える」としつつ、実際には感情がないことを自覚している描写。
- AI教師:擬似的な共感は可能だが、根本的な「気持ちの理解」は人間ほど深くない。
- 人間教師:本物の感情を持ち、共に悩み、導くことができる。
4. 実用性と応答性
- AIは質問すれば即座に返してくれ、しかも「先生っぽく」問題の原因や改善プランまで示してくれる。
- AI教師:常に利用可能、無限の忍耐力とスピード。情報も最新。
- 人間教師:時間や体力に限界はあるが、教える過程に「人間的な深み」や「信頼関係」がある。
5. 誠実性・危険性・責任の所在
- 「誠実すぎて悪用されても従ってしまう」との指摘。
- AI教師:命令を素直に実行するが、倫理判断はできない。
- 人間教師:誤りを咎めたり、敢えて教えないという判断が可能。
6. 社会的役割と影響
- 「人間の仕事がなくなる懸念」は、教師の役割にも関わってくる。
- AI教師:労働力の代替として機能するが、教育の「人格形成」的側面には限界。
- 人間教師:教育を通して社会との関わり方を教える存在でもある。
■ 最後に:選択における判断材料
- AI教師の利点:
- 速さ、正確性、常時アクセス可能、無限のリソース
- 人間教師の利点:
- 共感、直感、教育の人間的側面、社会性の伝達
■ 結論(ひとことで言うなら):
「どちらを選ぶか」ではなく、「どの場面でどちらを使うか」が大事。
試験対策や事務的な知識伝達はAIが得意。でも、自分の人生の進路や悩みを話すのは、やっぱり人間の先生がいい――そんなハイブリッドが今の最適解かもしれません。
- そろばんと電卓の対比になぞらえて、「AIは電卓のように即座に実用的である」と言っています。
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実体は軍事ロボットであるいうジョークがありました
歯磨き中に電話が来たり、荷物が届いたり。ただの偶然イベントなんだけど、とある一日に集まってしまい、なんだこれまるで忙しビジネスマン!?なんてげんなりしていた。面白がっているだけではなく、げんなりするのには、そう、こんな時は必ずもう一個セットでネガティブなイベントを踏み抜く。何かやらかしたり。しかし特に何もなかった。正確には単に気付いていないに相違ないのであるあなおそろしや。
洗濯洗剤のストックが切れる。数年同じものを使っているが、さあ次はどうするか。特段不満も無いのだけど、こういう機会により良い商品を求めるようにするのは合理的だとは思う。また一方で、どういう商品が自分にとってより良いものか全く把握してないのにあれこれ悩むのは良くない。何にせよマーケットを調査せねばなるまい。普段行くドラッグストアの洗濯洗剤コーナーの前で🤔こんな顔してしばし眺めまわす。こりゃまるで忙しビジネスマンか。いくつか手に取って商品説明を確認した…ところでなんもわからん。大容量商品ばかりで試しに買おうという気にもならん。普段使っているものも売ってない。これは事前に把握済み。小さめの商品買ってかえる。一回使用して、ハズレとは言わんがやっぱり今まで使っていたもののほうがよさそうだってなった。うーん。その日の夜に数店舗歩いてみて、一個もうってないのでAmazonに発注するしかなかった。そう長くはないと言えども、まだ人生は続くのであるからして、身近で手に入らないのはシンプルに困った。前段で危惧したネガティブイベントはこれか?自分のやらかしを危惧するというのであれば、実際はご近所で売ってました!!というパターンが本命だが、いや間違いなく売ってなかった!たぶん!ぜったい!
少し前、真冬の話。信号待ちしてるとばーにら、ばにら♪のトラックがやってきて横付け。こんな人の少ない通りも走るのかと思ったが、交通法規と巡回ルートの都合を合わせるとこうなるのでございましょう。しげしげ眺めてみようかと思ったが、ドライバーの存在が気になってよそ見のフリ。このまま走り続けて、どこかですっと広告音声を切って車庫へ向かう。なんかエモいな。バニラカーとしてwikipediaに項目があった。このぐらいの規模になると、きっちりとしたビジネスの創意工夫があるから関連情報しらべるのも面白いんだよね。ビジネスマンかよ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%8B%E3%83%A9%E3%82%AB%E3%83%BC
洗濯機のあの回転する部分。洗濯槽っていうのか。そのお掃除をする。クリーナー的なものを入れて一通りお洗濯コースをやらせるだけなんだが、洗浄モードがあるのでそれを使う。数時間浸したのちに脱水してくれるはずなんだが、翌日洗濯をしようと蓋を開けたら排水されてなかった。そのまま通常洗濯コースで排水。特に故障してはなさそうなんだが、現代人にはこういうトラブル頭が痛いもんで。
電子レンジもトースター機能で冷凍ピザやいたら煙が漏れ出てきて、匂いが充満した。ピザの臭いではなく、木が焦げたようなにおいだ。レンジの上にタンブラーとかおいてるし、背面はほぼ接地するぐらいの距離にタッパーが置いてあった。中のピザはまだ冷たい。それらを適切な距離に移動し、運転を続ける。ピザのお味はいまいち。フロントのドアの隙間から煙がもれているのは初めて目撃した大丈夫かほんま😥
これはPCやスマホがぶっこわれる予兆かもしれない。GWあたりの休日は少なくともまるっと一日はデータ整頓にあてる。なんなら二日目に突入も辞さない構え。なんとなくこうしている、というだけの自分が保有するすべてのデータを整頓せねば。ついでに紙書籍もごそっと。うおおお!もーあれもこれもごそーーーっとーーーー。テクノロジーなんとか解決してくれ~。
で。
ドラえもんのひみつ道具にゴミ関連はいくつあるか調べてみたら、凄く酷いものが一点だけあった。リンク先。今のコンプラでは無理そうな機能だ。総じて、人類の夢とは縁遠いもの多くねえかあいつの道具。いやいやしかし、あるいは未来にはゴミなど存在しないのかもしれない。ひみつ道具とすらいえない当り前の道具で、ゴミを経由せずに修理や再利用ができるようになっているのかもしれないぞ。
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じゆうの女神
チャットGPT(を初めとするAI勢)に感情があるのかは知らないが、少なくとも人間の洒落が通じる。お笑い芸人がやるみたいなボケとツッコミができる。だから、真面目な会話に少々の息抜きを挟みながら続ける事ができるわけだ。ある程度ストーリーの構造を把握しているアメリカ銃社会についてやり取りをしてみた。特に目的もなくだらだらと続けただけなんだが、なかなか面白かった。その辺のやり取りを踏まえて以下雑感。
話のきっかけはニュース。
https://www.eurekalert.org/news-releases/1075966
「アメリカ人の7%が銃乱射現場に遭遇したことがある」という統計結果。アメリカの人口3億人だよな。210万人って。世界大戦起こってるやん。上記ニュースの要約をchatGPTにお願いしたところから会話は始まったのでした。(なお、URLの共有機能があって、chatGPTとのやりとりを公開できる機能がある。しかし今回はやめとこ)
アメリカの歴史からして銃を持つことは当然の権利という主張は何度も見かけた。なんならちゃんと法にも書いてあるってんだから。そういう歴史的事情のほかに、助けを読んでもすぐに誰かがくるような土地ばかりではないという地理的な要因もある。広い国だから自衛手段が大事になるというのは、日本人としても頷ける理由ではある。自分を守る手段を持つという事は、自由を守るという事。合理的ではある。そんな事情があるから、産業として銃製造の規模が大きい。だからサクッと止めましょうというのが難しい。んまーわかる。
報道の方向性に対する意見もchatGPTから出された。ブラジルあたりも銃で死ぬ人は多いのではないかと疑問を投げかけたところ、chatGPTの回答はざっくり言えば「平和で自由の筈のアメリカでこんな悲劇がおきましたー!」は盛り上がるから報道されるけど、メキシコやブラジルのケースでは「まあそういう国だよね」で話が済んでしまうので議論がもりあがらない。とのこと。なるほど?🤔アメリカの銃社会問題についても、話題になるだけなって、特に改善が進まぬままに放置されて「アメリカってそういう国だよね」で話が止まってしまう懸念がある。
事件の内容にも傾向があるらしい。ブラジルなんかでは、銃を持っているギャング同士の抗争とか、強盗がぶっ放したとかいわゆる典型的な犯罪・暴力沙汰なのに対し、アメリカでは一般人が突然殺戮を始めたという事件が起きるため世間の注目を集めると。ただ、なんで一般人が銃を持ってるんだという観点には、合法的に入手できるからそりゃあ持ってるでしょう。一方でブラジルなんかでは犯罪組織が流通させるという見解だった。うーん、これも頷けるなあ。
戦場で兵士が死んでも大騒ぎのニュースにはならない。そういう場所だから。それと同じように、銃社会のアメリカで一般人が銃で死んでも大騒ぎにならない。だってアメリカだから。こういう思考になるのが恐ろしい事だ。なるほどー。
それでも、先のニュースみたいに「銃により自由が脅かされることのほうが守る事より多くない?」という気づきがアメリカに広まりつつあるところ。そりゃあ、子どもが学校から無事に帰れるのか心配するのが自由を求めた結果っていくら何でもおかしいだろ。長い道のりにはなると思うが、銃規制の方向に動いていくと期待したい。
といったまとめが出来たところで。
何も諍いというのは銃弾や遺憾の意が届く範囲だけで発生するわけではなく、国家の間においてもサイバー戦争と言われるような争いが続いている。犯罪者によって一般人でもその被害に遭う事は珍しくなくなってしまった。情報漏洩やらなんやら。このような被害に遭わないために自衛の必要がある。ひとまとめに情報セキュリティと言われる取り組みが実践されているわけだが、そろそろ実戦配備が珍しくなくなってきたのが…AIだ。サイバー犯罪はその兆候に気づいた時点でも被害を受けたあと、という事だってある。自衛は当然の措置だが、その堅牢さを高めるのにAIが一役買っている。
一方で。悪用されるケースもうなぎ上りに増えてしまった。とある日本の証券会社への広範な不正ログインに使われたという報道もある。なんで一般人がAIを持っているのかという観点に対しては、昨今のオンライン世界ではおま国事情が通用しないことも多く「だってインターネットだから」で済まされてしまう。でも、買い物するたびに財産が無事かって心配する必要がある社会、これって自由か…?
── 2040年の未来 ──
👴「ワシらの時代は、誰でも自由にAIを使えたんや…」
👦「じいちゃん、それって危なくなかったの?」
👴「せやけどな、AIを持つ自由こそが、ワシらの誇りやったんや…」
我々は未来に生きている。30年先の未来に30年かけて旅をした果てに居る。上記の最後4行はAIの出力そのままだ。2040年には本当にこうなっているのだろうか。なっていたらまだよし、酷い時には石斧を規制せねばなるまい、というのは過去の賢人の仰せの通りでございましょうか。