ふでのゆくまま

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    忘れもの忘れ

    風呂でシャワーを浴び始めて、ふと視線を左に送るとオレンジの靴下が干してあった。

    風呂に干していた靴下を取り込まぬままに、服を脱いでシャワーを浴び始めたということのようだ。なんというか、がっかりだ。がっかりすぎて10秒ほどそのまま眺めていた。確かに風呂に干した洗濯物を取り込んだ。取り込んだのだが、この一足だけが残されていた。先に他に干してあったものを取り込み、まだこの靴下が残っているにも関わらず何か他の事をして、そこで残ったこいつを取り込むのを忘れられたのだろう。自分の人生にはこれが多い。さっきまで持っていたのに、どこに置いたっけ?みたいなこと。そんなもんだから、鍵、スマホ、調理中の火といった取り返しのつかない事になりそうなものは特に気を付ける習慣ができた。

    靴下なあ。例えばこの一足が自分の見ていないところで不可思議な穴に放り込まれて消え去ったとしても、気付かず過ごすだろう。風呂に干してある洗濯物なんぞ、注意を払う対象ですらないのであります。慣れた申し開きをしておりますが、それ以上に気付かないってところね。視界に入らないものだろうか。自分で再現してみたが、確かに案外目に入らない。FPSゲームみたいなクリアリングするわけじゃないからな。風呂の入り口の折り戸を開けて、正面にシャワーがある。一目散に浴びようとすれば気付かないもんな、いやあしょうがない、わけねえだろ😰大丈夫か俺。

    なんでその一足だけ後回しにしたんだろうな。ミステリー小説だったら、謎解きの鍵になってしまう。「犠牲者はここで靴下を一足だけ干したまま、現場を離れた可能性が高いのです!」「馬鹿を言うな!やっぱりそんなことがあるわけないだろう!」「しかしそれ以外に考えられないでしょう。先ほどもその結論となったじゃないですか」

    22:00を回った。薄明り。小部屋。沈黙が続く。一同がうろたえたまま泳がせた視線が徐々に自分に集められ、そこで終端していることがわかった。納得できない点はあるが、いったんはこの結論で前へ進めれか良いじゃないですか。そう言っている。全員がそうしましょう、そうしましょうとお互いを後押ししている。まずは一旦この部屋から出せよと謗りながら眉間にしわを寄せている。しぶしぶ口をひらいた。

    「こちらにあるペットボトルのキャップのようなもの―――」ジップロックの中に雑に放り込まれた、まさにキャップのような黒い部品。椅子の真下に落ちていたものだ。しかし、椅子にはその”キャップ”をはめる場所が見当たらなかった。横から見ると凸形に絞られており、その狭くなった首の部分には何か液体が残っている。潤滑油だろうか。普通に考えれば椅子の部品だ。椅子のメーカーと商品の特定はできているので、明日の朝に問い合わせる事になっている。こっちの鑑識もこの時間では動いてはくれない。それにこの部品だけ渡してもどうしようもないだろう。あいつらはこういう部品に異常に詳しい。まさに職人のカンとでも言うべきものだろう。明日、現場で椅子と一緒にあれこれ調査してくれれば、案外すぐにわかるんじゃないかと期待している。その期待というのは、勿論、「この部屋にある家具の部品ではないですね」だ。そうすれば実行犯の手掛かりとなるに違いない。

    しかし、俺はこの部屋に一人で住んでいるわけで、やっぱり椅子の部品だと思うんだよなあ。椅子は問題なく使えているけど、この部品が取れたことで何処かの接続というか、組み合わせがおかしくなって、普通なら壊れないような場所がある日突然ガッコンと外れたりするかもしれない。そう思ってもう二回ほど椅子をひっくり返してマグライトで照らして「🤔ふーむ」なんてやっているのだけどな~~。あるいは机か?机の部品だったら、猶の事すぐに影響が出るだろう。ドゴシャと崩れ落ちてもおかしくない。今日はちょっと念入りに調べてみるか。机の下に潜り込んで、こんな時だけでも体重半分にならんかねとひいひい言って足の部分とか隅っこの結合部を覗き込む。脱いだ靴下がゴミ箱の影から出てきて、床に顔を近づけたままため息ついていると、なんか風呂場のほうで何か落ちたような音がした。ああ、そうだ、洗濯物を取り込もうとしてたんだった。オレンジの靴下を握りしめて、いったん机の下から立ち上が―――

    やれやれ。

    知人が親が存命のうちに実家の断捨離をしておけと。ほんとその通りだけど、こちらから懇願してもやらないだろうなあ、めんどくせ。言う前に自分もやるかーという秋の一日。

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    電線に蔦が絡まっている。と…傍らのお宅からにゅっと高枝切りばさみが伸びて、ぎこちなく蔦のカットを試みているのだがどうもフラフラと安定しない。見上げながら通り過ぎると、老婦人が一人で二階のバルコニーから身を乗り出し、なんとか切除しようとしていた。危なっかしいなあとは思えど、脚立の上とか不安定な足場じゃないので、落下して大けがなんてことには至るまい…。しかしあのぎこちなさでは電線を切ってしまいそうじゃないか?こういうものは何処に頼めば良いのだろう。植木職人?便利屋?ひと月ほど過ぎて同じ場所を通ると、蔦は絡まったままだが枯れていた。

    暑い。旧体育の日あたりの連休でも最高気温が26~7度に及び、衣替えなどとてもとても。それでも空気は秋。夜は確実に寒さを積んでいる。きのこやカボチャが店頭に並ぶ。ここ数年同じように秋の暑さを嘆いている気がするが、本当に暑いんだろうか。過去のデータが気象庁のwebサイトで見れるのでチェックしてきたものなり。以下リンク先は2000年10月東京のデータ。

    https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/nml_sfc_d.php?prec_no=44&block_no=47662&year=2000&month=10&day=&view=

    うーん。今よりちょっとは涼しいか?サイトの造りが分かりにくくて調べにくいんだけど、快晴であれば25℃を超えてくるというのは、実はここ20年ぐらいで見てもさほど珍しくも無い。リンクはりなおす。観測地点は府中市。左上のほうの前年とか翌年のボタンを押して比べてみよう。

    https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/daily_a1.php?prec_no=44&block_no=1133&year=2022&month=10&day=&view=p1

    じゃあ暑い暑い言ってるのはわたくし個人の事情か?10年まえ、20年まえ、30年まえはどうだったかなあ、なんて思いを巡らせてみるも、流石に空模様なんてまるで何もわからないのでありました。ハロウィンは確かに無かった。

    妙に救急車止まってることがおおい場所があるのに気が付いた。スペースに余裕がある駐車場前で、駐車しやすいのだろうか。半径50mぐらいをその駐車場所でカバーしているとか。それにしたって出動要請が無ければ駐車もしないわけでして、もしかしたら最後は自宅で迎えましょうという人とか精神がアレでアレな人なんかが近場にいるのかもしれない。

    サンマが高いと。「そういえば食べてないなあ」ってことを毎年言ってる気がするぞ。サンマのフライが売られていたので有難くおかいあげ。(´~`)モグモグ。それこそサンマの塩焼きなんてものは何年も食べてないなあ…ってこれも毎年言ってる気がして、実際どうなのか記憶にない。どうせ年に一回ぐらいは食ってんじゃないのか?そーいやAKIRAに出てきた人口サンマはどんな味わいだろうか。骨の形をしたものをたくさんぶら下げて培養液にざぶん。しばし時間をかけると身が付いていく。そんな様子を想像する。

    いや、サンマ味だろ。何言ってんだ。

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    かたいたい

    夜風が涼しくなりました。しかし東京の夜風なんて考えてみれば好んで浴びるほど清らかとも思われず~。

    洗面所に置くコップをどれが良いか迷って、結局三つ買った。一つ500円もしませんですし。で、どれも一長一短で満足できてない。とほほ。今ではこういう実用的なグッズを3Dプリンターで作る人もいるんだよなあ。さぞや良いものをお持ちだろうか。つうか売ってくれ800円で買うぞ。

    にせ鰻を食べたい。鰻の養殖が可能になったご時世だけど、鰻っぽい味と食感を出したにせ鰻が存在する。にせカニカマだってあのクオリティなんだからにせ鰻だって美味いに相違ない。自分で製作するレシピも眺めてみるが、要するに「大豆のお肉」的な発想で鰻っぽくすればいいのか。ちくわなど魚肉を使うレシピもありますな。しかしここは自分で手間暇かけて遊ぶのではなく、企業努力を突破してきた商品を求めたい。面構えが違う。ネットに情報を求めると、そんなに種類は多くないし、近所にも売ってない。一旦保留だ。なんなら本物のほうをポチろうとしてしまった。

    肩が痛い。我慢しながら日常はこなせているが、両肩とも可動域が狭くなった。体の左右バランスが悪いのはなんとなく自覚もあるし診断で言われたこともあるが、加齢とともに表立ってあたたたたた。今回は利き腕のほうが痛み、背中を洗うのにも影響が出ている。以前に買ったボディブラシが長すぎて使うのやめたんだけど、あれ捨てずにとっておけば良かったな。こういう物も、3Dプリンターで?🤔というか医療系の方面で調べれば特殊な形状とかあったりするか?ひとまず、長いタオルに鞍替えで済むんじゃないかな。はよ治さないとなあ…。うんこの後も大変なのよあたたたた。

    通称「袴田事件」が無罪判決となったらしい。事件の内容については知らんかったのでざっくり調べると証拠の捏造が疑われる事件との事。同じことが自分の身に起こることを想像すれば恐怖でしかない。しかし野次馬の立場では、証拠について実感に乏しい。仮に現物を見たとて「これは捏造だっ!」なんてなるわけもない。ここ何年か…5年?10年?はドライブレコーダーが付いているのが当たり前ぐらいの世の中で、交通事故があっても、例えば「相手が信号を無視した」みたいな虚偽の言い逃れが通じなくなっている。そうでなくても、そこらを歩いている歩行者がスマホを出せばすぐに証拠映像が残り得る。リードをドアに挟まれて引き摺られてしまった人の映像見た?映画かよ、って映像だった。日大の「悪質タックル」の件もそうだ。アメフトなんだからラフプレーぐらいあるでしょ?なんて認識だと、実際の映像を見て驚愕する。傷害事件をスポーツで隠ぺいしようとしたようなもんだ。肩が痛いでは済まんぞ。

    耳が痛いにつなげようと思ったがここで断念。肩が痛いのは本当なので困る。

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    愛は地球を救うのか?

    年に一回放送されている24時間テレビに、とんでもない不祥事が明るみに出た。10年にわたって募金を着服していたという。これは番組打ち切りも止む無しだろうなあ、と思ったらシレっと今年も放送したらしい。ただし、テーマ?キャッチコピー?に小細工を施して。

    「愛は地球を救う」→「愛は地球を救うのか?」

    なんだこれwww

    不祥事云々の背景を抜きにしても、もともと変える予定だったのかもしれない。文面だけを読めば、ただポリシーに疑問を抱いたと読み取れる変更内容じゃないか?本当のところは、もう指さして笑いたいぐらいに愉快だ。ただ、本来はチャリティーってことだし、本当にこの企画で助かった人だって居ないとも限らない。続けるんであれば、ンまあ、頑張って頂きたい。やはり企画としては打ち切るべきだとは思う。こんな企画がなくても募金も慈愛も世の中にあるし、金銭の話なら日テレの売り上げから放り込んでも同じじゃないの。

    そもそも「地球」を救うってなんだか曖昧模糊としてないかな。困っている人々を救ってほしいもんだ。調べてみると、番組開始当初はそのテーマは採用されていなかったらしい。チャリティーイベントという主旨は開始以来ずっと同じなので、後付けのテーマにそこまで大きな意味はないと思う。でも今回の変更では、ネガティブな意味を付け足してしまった。「愛は地球を救うとは限りません」と言っている。あーーやっぱり救えませんでしたーー!番組終了します!とか言い出さないだろうな。今回の件でも手を引かなったんだ。意地でも地球に救済をもたらしてくれよ。

    調べてみると、この番組は1978年から放送が始まっていた。世界的に名の知られているチャリティー規格の、”Live aid” と “We are the world”が共に1985年だからそれよりもだいぶ早い。へええ。自分が24時間テレビを見た記憶があるのは、サライが作曲された時。こんなサクサクと曲が出来上がっていくんだと感心したもんだ。調べると1992年。その他にも何回か見た事はあると思うけど…。明石家さんまの車をボコボコにしたのもその頃の24時間テレビだったと記憶していたが、これはフジテレビの企画だった。

    2024年、長崎原爆の日の記念式典に、イスラエルを招待しない方針だという。その理由は明らかにされてないが、中東事情をみればおさっし。ロシアでもイスラエルでも中国でも招待して、形だけでも平和のために尽力すると誓うか、問うてみれば良いのに。

    日テレは尽力するんですって。すごいね😊

  • F.U.C.K.,  ふでのゆくまま

    ^jade

    深夜から夜明け。週末の、とりわけ土曜日。

    この時間に、都心部まで続く道沿いにいると、あの緑のキックボードに乗った人の姿が都心のほうからやってくる。多くはスーツ姿の若い男性だ。終電で帰れなかったのか、朝まで遊んでいたのか。車幅灯に相当するあの緑の光が、音もなくススススと近いづいてくる様はなかなかに幻想的ですらある。蛍でもイメージした色なんだろうか。バッテリー切れたらどうすんだろうな?どこの置き場所でも雑に立て掛けられているけど、いつ充電してんだ?調べたらスタッフが巡回しているらしい。当り前の結論ではあった。だけど見たこと無いのは不思議な感じがある。普通の賃貸アパートの入り口にあったりするので、深夜にガチャガチャって作業するわけにもいかんだろうし、すっごい込み入った裏道にもあったりするから作業にはそれなりに時間がかかると思うんだよなあ。自販機の入れ替えぐらいの頻度では目にしてもおかしくないと思うのだが。

    「死刑囚に会い続ける男」というドキュメンタリー(?)を観た。制作著作はTBSで、監督はTBS記者なんだから、映画という枠にはなっているが、テレビ番組だ。道徳の教科書じゃねえんだから、メディアの人間がやっているという観点の何か、鋭いものがないんかーーーい、と思ってしまった。犯人かどうか疑わしい状況ならともかく、刑まで確定した加害者の情緒についてどうこう言われてもな。いわゆる死刑確定囚って、事実関係とかがひっくり返らないので特定の観点で話を進めたり取材しやすい、なんて理由で選ばれてないか?とすら疑ってしまった。坂本弁護士の事件反省した結果ですかー?なんて皮肉も言いたくなるわい。

    とはいえ、突撃系のユーチューバーがやっているような事ではなく、こういうった事例の取材など経験が豊富な記者の仕事である。それでも、加害者の人となりとか育ちとか調べていくのが、わからない。それで?って。タレントの色恋沙汰を追うのとかとどう違うんだ。刑事政策的には意味あるんだろうか。

    本作の記者は「反省を促すことができれば」との思いで、死刑囚と面会を重ねている。言葉を選べば、反省してから死ねと。あまり具体的な”促し”は分からない。面会を重ねて、手紙でやり取りをしているようだ。こういう思想の人には一般的な方法だと思う。…ま、他に方法ないか。18歳の時に殺人を実行した死刑囚の当時の顔写真に対して、「まだあどけなさが残る」などというが、実際は道ですれ違うなら距離を保ちたい見た目をしている。可哀そうだとか、そういう結論ありきで作られてないか。社会のせいだ、なんて言いだしたら最悪の部類に入る結論だとすら思う。

    作者は「罪を犯した人間に社会が刑罰を与えることは当然だ」としたうえで、以下のように結んだ。「犯罪を繰り返さないためには、加害者が事件に及んだ背景を探り、人間としての償いの在り方に眼差しを向ける。社会はそうした努力も必要なのではないか」

    あー…😥😡

    玉虫の 色が翡翠に 見えただけ

    梅雨入りでございます。