ふでのゆくまま
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こころの声を繋ぐのが
人通りのない暗がりを歩く冬の夜、少し前にスマホに食い入りながらの先行者。
の
ほうから、声が聞こえてくる。ゲームの音でも漏れているのでしょう。広い道でもあったので、歩みを進めて抜かすと、その声の主がスマホの持ち主で戦慄する。心の声が漏れてるやないけ「うわー!」とか言ってるが、こっちがうわーだわクソ怖いい。
冬にしか着ないコートの袖口が擦れてきた。ちょっと触っただけでもなんか薄くなったとわかる。冬にしか着ないだけではなく、スーツ姿の時にしか着ない。ここ数年の在宅勤務もあって、年に20回も袖を通さないんだけど、もう長く着てるもんな。流石に寿命というやつか。ああそうだ、東日本大震災の時にもこのコートを着て歩いたっけ。
https://blog.mogari.jp/archives/1041
人通りのわんさかな駅前通りを歩く冬の夜そこまで遅くも無い時間、少し前にスマホに食い入りながらの列を為す大人また大人と大人。雨でもない深夜でもない、タクシー待ちの行列が伸びているとは思えないのだがこれは一体―――。すると、列の近くの雑居ビルからキッズが大量に吐き出されてきた。ああ塾のお迎えか。小学校低学年ぐらいの歳から、こんな時間までお勉強とは恐れ入ることで。本当に率直に言うと、そんな生活をする子供時代なんて信じられないって思う。しかしそれでもキッズはキッズだ。「っぎゃあああああああ^^」と喚きながら走り回る快活さ。心の声が爆心地。はぁ元気さが眩しいねえひれ伏せひれ伏せ:;(∩´﹏`∩);:もう少し年上のきょうだい(何故か変換できない)だとお受験だったりして、この時期は親御さんもご苦労様でござ。
当方はそんな苦労をせずに人生が終わることはほぼ確定。まけじと心の声を顔に出していきたくて顔ない😇😢
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それで、2024年は
いつものように暮れて2025年が厳かに転がり込んできたのです。ここ数年は正月に仕事が入る事もなく、平和に年を越しております、尤も、正確には2024のうちに寝てしまう。初日の出をこの目で確かめるべく暗がりの中、お外にでるのでありました。この試みはときおり目論見通りとはならない。日の出前に帰宅してしまう愚鈍さ、今年もそんな事態になり、留守番で拗ねている2025を横目に寝てしまう。
今年は都庁へ足を運んだ。非常に寒さは厳しく、滅多な事では身に着けないマフラーを首に巻いた。初詣のつもりなのだ。神仏に捧げるほどに清らかな祈りはもはや持ち合わせておらず、曰く、金が欲しい健康が欲しい不条理なラッキーが欲しい許しが欲しい煩悩も八百万抱えれば英雄なのだ。わははは。これが人の為ならば何かしら素直な心持ちで願をかけることもできるんだろうか。為政がうまくいきますように、とお祈りしてみた。
外人がなにやら賑々しく闊歩している。飲み屋の前で髪の長い女が土下座している。ホームレスの住まいが都庁への道に連なっている。まさか襲われはしないだろうとは思うが、新年早々、という気持ちが勝り、地上の道を歩く。正月では無かったと思うが、アメリカ大使館のあたりを早朝あるいたら屈強な若い警官が配備されていてびびった。一方で都庁にはポリスメンの気配もない。ああ武闘派の事ム所はやはり気合が違う。あるいは我が国のおもてなしか。
流石に歩きどおしで足腰がしんどくなってきた。服飾学校のビルがやはり目立っていていい塩梅だ。オフィスビルに仰々しく飾られる門松を横目で見るのが好きだ。竹の緑の鮮やかさに、あれは本物の竹なのかしらんと疑問が沸いてくる。老舗デパートの前で、法被姿の職人が梯子をかけて注連縄の準備をしているのを見かけた事がある。そうなると門松も本寸法のものだろう。
独自言語と思しき盛大な歌声が聞こえてきた。うわおっかねえ。こっちへ近づいてくる感じがあったので足をはやめ、駅へ。若い頃に何度も立ったホーム。同じ場所に立つも、電車の時刻と行先案内の表示がほぼ見えない。じじいであらせられる。
年に一回と決めている飲酒をする。スミノフアイスを一本。オロナミンCみたいにグビグビっと。そういや、ノンアルコールのチューハイをよく飲んだ。2024も麦茶と味なし炭酸水をガブガブと飲んだが、その次に多く飲んだのがノンアルチューハイかもしれない。特に麦茶の季節が終わってからは「よわない檸檬堂」と「のんある酒場 レモンサワー」どちらかの350mの缶を週に1本は飲んだかもしれない。箱買いしたらとめどなくいってしまいそうなのでやめた。体に良いものではないだろうし、良い判断だった。
風呂に湯を張ってそのまま溢れさせる、スープを煮込んでいて焦げ付かせる、という事があったので、キッチンタイマーを買った。もちろんスマホにもタイマー機能がついていて、それを利用していたんだけどそこの操作もしてないからこんな事が起こる。さらなる予防策というやつで、今のところ役に立っている。2024年一番良い買い物だったかもしれない。
「ベストバイ」って誰が最初に使ったんだろう。「マストバイ」というのも見かける。上記のキッチンタイマーの他には、ユニクロのフリースが安いのに暖かくてベスト候補だ。ググったらアメリカにbest buyという家電企業があった。Best by~で賞味期限の意味になる。消費期限はexpirationなのは知っていたけど、これは有用な学びであった。ベストスタディ2024候補…2024は終わったので2025の候補とする。…なんだそれ。思い付きで言ってるだけにしてもしょーもない。学びは全部ベストであれ。数が足りねえことが問題なのよ。
2025も良い学びでやっていきましょう。できてないからこんななんです。
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セメダイン:シューズドクターNで靴底補修をしてみる
捨てる予定の靴がある。
踵のほうが擦り切れて、穴が開いており、雨の日に歩けば水がしみ込んでくる。大変にお安い靴であったけど、幅とか自分の足にたいそうフィットするし、色も気に入っているため捨てきれず。晴れの日の短距離歩きでたまーに使っていた。そういえば山手線一周徒歩はこの靴だったなあ…。とは言え次の断捨離でお別れかなという所、靴底を補修するパテみたいなもんがあるとのことでお買い上げ。試すには良い機会。
信頼度の高い、セメダイン謹製でありますぞ。
https://www.cemedine.co.jp/home/products/shoesdr/shoesdr_n.html
そもそも捨ててもいい靴と割り切っているため、作業も準備も雑なものだ。ましてや作業者は自分である。処置前の画像を撮り忘れたため、なんとも情報量に乏しい。
付属のテープで零れないような枠を張り付けて、付属のへらでパテをぬりつけていく。
24hほど放置して乾燥。雑過ぎワロタ。公式説明動画はこちらですが、一切見ていません。テープの高さを元々の踵の位置に揃えて、埋め尽くすように流し込めば平らにするの簡単だったんだな…。
自分の雑な作業で、左右で少々高さが違う状態になってしまったが、このままちょっとだけ歩いてみることにした。雨上がりのアスファルトの上を10分ほどあるいて全く問題なし。踵が擦り切れるほど履いた靴なので、少々違和感があるのは当然のところ。水たまりにも侵入してみたが、水漏れは無し。靴としての機能は全うしていると言える。
しかしこれでは長期の使用に耐えるかは分からない。そもそも靴底なのだから、同じ人が使えばまた同じ場所がすり減っていく。その場合に再度このパテで重ねて補修できるだろうか。また靴底というのは一般的にはグリップを得るために溝が刻んであるわけで、このパテで補修すればツルツルになってしまう。大丈夫なんだろうか。こういったあたりが心配なので、近所のコンビニに行くような用途の靴で使うべきで、アウトドアとか登山用の靴を素人が補修して使うのはやめたほうがよさげだ。
そもそもが、かかとがちょっと削れてきた、ぐらいの段階で使うものではないだろうか?今回のケースのように靴底が擦り切れて中敷きの底が見えてます、なんて段階で持ち出すものではない可能性もある。
なお、本商品には「空気中の水分と結合して固まるので、開封後は早く使ってね」と注意書きがあるが、靴底二つの補修では半分近く余った。あまり細かく調べずに買ったので50mlをお買い上げしたが、20mlの商品もある。足りないと困るけど、余ってもそのうち使えなくなってしまいそうだし、これは難しいな。
ということで実用性はわかりません!
しっかり固まるのは確かなので、靴以外のDIY用途があるような気もする。しかし工作できるほど十分な容量とも思えず。半分ぐらい残っているので、何かしら使い道を考えてみたいが、本記事の投稿までには思いつきませんでした。
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隣の客はよく虫食う客だ
タイトルに意味はないんですけども、コオロギ原料の食料ベンチャーが倒産してしまった。ずいぶん騒動になったと記憶している。「グラリス」という徳島の企業だけど、ニュースを調べてみたら他にも倒産している同じような企業はあるらしい。
このような技術は、必要な時になって慌てても既に手遅れだって事がありえると思う。先をみて開発に着手してみるのは如何にも、本来の意味でもベンチャー企業っぽいやり方だと感じる。とはいえ民間企業であるからして、経営が回らないと活動を続けることは難しいです、と。
自分はイナゴの佃煮ぐらいなら口にした経験は何度かあるが、よろこんで昆虫を頂こうとは思わない。これを食わなきゃ死ぬとなったら、そら食うだろう…か?本当に?食べれる?命の危機においても理性が本能を抑えてしまうような事はあり得ると思う。極地で遭難した時に生魚を食えなかった人は助からなかったとか、高所から脱出するのにスカートをはいている女性は躊躇ってしまった、とか。だから、生でポキポキと頂くような迫力のシチュエーションではあるまいし、粉末が混ざっているぐらいなら…どうだろう…。
こんな大手で販売していて、いつでも買って食えるぜ、って状態でも未だに試してない。心の中では「なんかワーワー言うとりますけど、その時になったら食べますからね」と言い訳している。煎餅だぞ?でもなんか危なっかしくない?ご家庭レベルの衛生面で客観的に考えたら、そこらのスーパーの刺身のほうが危ないのかもしれないなんて思うけど、これはもう生産者を信頼できるかどうかなんじゃないか。本当に安心安全のコオロギか?って。御社の信頼ゲージの積み重ねを観てみたいと。ちょっとずつ世間の評価や好意的な事例が集まっていくかどうか、そのあとで判断んしたいと。そんな日和って様子見ているうちに経営破綻してしまった。こちら側に判断を急ぐ緊急性も一切ねえもんな。
いったんコオロギめしの事は忘れよう。
世の中には日本よりはもっと深刻に食糧難の地域がある筈。そういう場所でコオロギめしの配給が受け入れられるだろうか。どうなるかな。正直な話、そういうシビアな問題を解決しようとしてコオロギめしが出来たという印象は無い。冒頭に書いた通り、遠い将来のなんとなくの食糧難に備えたという立ち位置なんじゃないかと思っている。今ここで歩みだすことが先行ビジネスで大儲けしつつ人類の救済に繋がると―――ま、企業の発信している情報一個も読まずにこれ以上書いてもアレなので調べてみまs
たくさんあるやん
世の中にファッション的なニーズが希薄なのにこぞって取り組むのは、人類の未来をアットテキな会議名分としたうえで、商品の性能が良くて成功が見込めるってことなんだろ。サイトにもそこらの記事にも良い事しか書いてない。栄養分は良い、土地や水が今現在の家畜より少なくて済む、なんたらかんたら。
じゃあなんで今現在、主要な食べ物になってないんだ?食糧危機なんて何度もあったし、今現在だってあるし、なんで昆虫で解決しないんだ。その辺の理由が何かこう。結局は大きな資本が必要で、必要としているところに届かないんじゃねえの、って訝しんでしまう。…が、なんにせよ一撃で根底から問題が解決することはなし、少しづつでも改善が進んでいくのだと思います。思ったより企業の数は多く、想像以上に取り組んでいる人々も多そう。
「今まで本当にありがとうございました。おかげで我々の暮らしも安定しました。もうそろそろ昆虫をやめて、小麦を植えたりヤギや鶏を家畜できるようになります。私たちに人間らしい暮らしの扉を開いてくださった皆さんの事は代々忘れません。あなた方の勤労に感謝の意を表して。さようなら。」
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忘れもの忘れ
風呂でシャワーを浴び始めて、ふと視線を左に送るとオレンジの靴下が干してあった。
風呂に干していた靴下を取り込まぬままに、服を脱いでシャワーを浴び始めたということのようだ。なんというか、がっかりだ。がっかりすぎて10秒ほどそのまま眺めていた。確かに風呂に干した洗濯物を取り込んだ。取り込んだのだが、この一足だけが残されていた。先に他に干してあったものを取り込み、まだこの靴下が残っているにも関わらず何か他の事をして、そこで残ったこいつを取り込むのを忘れられたのだろう。自分の人生にはこれが多い。さっきまで持っていたのに、どこに置いたっけ?みたいなこと。そんなもんだから、鍵、スマホ、調理中の火といった取り返しのつかない事になりそうなものは特に気を付ける習慣ができた。
靴下なあ。例えばこの一足が自分の見ていないところで不可思議な穴に放り込まれて消え去ったとしても、気付かず過ごすだろう。風呂に干してある洗濯物なんぞ、注意を払う対象ですらないのであります。慣れた申し開きをしておりますが、それ以上に気付かないってところね。視界に入らないものだろうか。自分で再現してみたが、確かに案外目に入らない。FPSゲームみたいなクリアリングするわけじゃないからな。風呂の入り口の折り戸を開けて、正面にシャワーがある。一目散に浴びようとすれば気付かないもんな、いやあしょうがない、わけねえだろ😰大丈夫か俺。
なんでその一足だけ後回しにしたんだろうな。ミステリー小説だったら、謎解きの鍵になってしまう。「犠牲者はここで靴下を一足だけ干したまま、現場を離れた可能性が高いのです!」「馬鹿を言うな!やっぱりそんなことがあるわけないだろう!」「しかしそれ以外に考えられないでしょう。先ほどもその結論となったじゃないですか」
22:00を回った。薄明り。小部屋。沈黙が続く。一同がうろたえたまま泳がせた視線が徐々に自分に集められ、そこで終端していることがわかった。納得できない点はあるが、いったんはこの結論で前へ進めれか良いじゃないですか。そう言っている。全員がそうしましょう、そうしましょうとお互いを後押ししている。まずは一旦この部屋から出せよと謗りながら眉間にしわを寄せている。しぶしぶ口をひらいた。
「こちらにあるペットボトルのキャップのようなもの―――」ジップロックの中に雑に放り込まれた、まさにキャップのような黒い部品。椅子の真下に落ちていたものだ。しかし、椅子にはその”キャップ”をはめる場所が見当たらなかった。横から見ると凸形に絞られており、その狭くなった首の部分には何か液体が残っている。潤滑油だろうか。普通に考えれば椅子の部品だ。椅子のメーカーと商品の特定はできているので、明日の朝に問い合わせる事になっている。こっちの鑑識もこの時間では動いてはくれない。それにこの部品だけ渡してもどうしようもないだろう。あいつらはこういう部品に異常に詳しい。まさに職人のカンとでも言うべきものだろう。明日、現場で椅子と一緒にあれこれ調査してくれれば、案外すぐにわかるんじゃないかと期待している。その期待というのは、勿論、「この部屋にある家具の部品ではないですね」だ。そうすれば実行犯の手掛かりとなるに違いない。
しかし、俺はこの部屋に一人で住んでいるわけで、やっぱり椅子の部品だと思うんだよなあ。椅子は問題なく使えているけど、この部品が取れたことで何処かの接続というか、組み合わせがおかしくなって、普通なら壊れないような場所がある日突然ガッコンと外れたりするかもしれない。そう思ってもう二回ほど椅子をひっくり返してマグライトで照らして「🤔ふーむ」なんてやっているのだけどな~~。あるいは机か?机の部品だったら、猶の事すぐに影響が出るだろう。ドゴシャと崩れ落ちてもおかしくない。今日はちょっと念入りに調べてみるか。机の下に潜り込んで、こんな時だけでも体重半分にならんかねとひいひい言って足の部分とか隅っこの結合部を覗き込む。脱いだ靴下がゴミ箱の影から出てきて、床に顔を近づけたままため息ついていると、なんか風呂場のほうで何か落ちたような音がした。ああ、そうだ、洗濯物を取り込もうとしてたんだった。オレンジの靴下を握りしめて、いったん机の下から立ち上が―――
やれやれ。
知人が親が存命のうちに実家の断捨離をしておけと。ほんとその通りだけど、こちらから懇願してもやらないだろうなあ、めんどくせ。言う前に自分もやるかーという秋の一日。