ふでのゆくまま

  • F.U.C.K.,  ふでのゆくまま

    ^jade

    深夜から夜明け。週末の、とりわけ土曜日。

    この時間に、都心部まで続く道沿いにいると、あの緑のキックボードに乗った人の姿が都心のほうからやってくる。多くはスーツ姿の若い男性だ。終電で帰れなかったのか、朝まで遊んでいたのか。車幅灯に相当するあの緑の光が、音もなくススススと近いづいてくる様はなかなかに幻想的ですらある。蛍でもイメージした色なんだろうか。バッテリー切れたらどうすんだろうな?どこの置き場所でも雑に立て掛けられているけど、いつ充電してんだ?調べたらスタッフが巡回しているらしい。当り前の結論ではあった。だけど見たこと無いのは不思議な感じがある。普通の賃貸アパートの入り口にあったりするので、深夜にガチャガチャって作業するわけにもいかんだろうし、すっごい込み入った裏道にもあったりするから作業にはそれなりに時間がかかると思うんだよなあ。自販機の入れ替えぐらいの頻度では目にしてもおかしくないと思うのだが。

    「死刑囚に会い続ける男」というドキュメンタリー(?)を観た。制作著作はTBSで、監督はTBS記者なんだから、映画という枠にはなっているが、テレビ番組だ。道徳の教科書じゃねえんだから、メディアの人間がやっているという観点の何か、鋭いものがないんかーーーい、と思ってしまった。犯人かどうか疑わしい状況ならともかく、刑まで確定した加害者の情緒についてどうこう言われてもな。いわゆる死刑確定囚って、事実関係とかがひっくり返らないので特定の観点で話を進めたり取材しやすい、なんて理由で選ばれてないか?とすら疑ってしまった。坂本弁護士の事件反省した結果ですかー?なんて皮肉も言いたくなるわい。

    とはいえ、突撃系のユーチューバーがやっているような事ではなく、こういうった事例の取材など経験が豊富な記者の仕事である。それでも、加害者の人となりとか育ちとか調べていくのが、わからない。それで?って。タレントの色恋沙汰を追うのとかとどう違うんだ。刑事政策的には意味あるんだろうか。

    本作の記者は「反省を促すことができれば」との思いで、死刑囚と面会を重ねている。言葉を選べば、反省してから死ねと。あまり具体的な”促し”は分からない。面会を重ねて、手紙でやり取りをしているようだ。こういう思想の人には一般的な方法だと思う。…ま、他に方法ないか。18歳の時に殺人を実行した死刑囚の当時の顔写真に対して、「まだあどけなさが残る」などというが、実際は道ですれ違うなら距離を保ちたい見た目をしている。可哀そうだとか、そういう結論ありきで作られてないか。社会のせいだ、なんて言いだしたら最悪の部類に入る結論だとすら思う。

    作者は「罪を犯した人間に社会が刑罰を与えることは当然だ」としたうえで、以下のように結んだ。「犯罪を繰り返さないためには、加害者が事件に及んだ背景を探り、人間としての償いの在り方に眼差しを向ける。社会はそうした努力も必要なのではないか」

    あー…😥😡

    玉虫の 色が翡翠に 見えただけ

    梅雨入りでございます。

  • ふでのゆくまま

    おつかれ

    浄水器を久しぶりに取り付けてみるか、と思った。東京に出てきてすぐの頃、蛇口になんか被せる程度のフィルターを付けた記憶もある。しかし今回はもうちょっとちゃんとしたやつを使ってみたいと思ったのですが、当然そこそこ大きさがある。今はシンクが狭いので、蛇口にこんなもの取りつけては洗い物も何もかもやりにくくなるんじゃないかと思い当たって買うのはやめた。しょうがないか。

    段ボールを捨てるときに使う、ぐるぐる巻きのビニールひも。うっかり末端のほうからも引き出してしまったようで、収拾がつかなくなってしまった。全部引き延ばしてからもう一回巻き取ったほうが良いんじゃないかと思うが、なんせ200mの商品であるからして途方もない。しかたなし、誤魔化しながら必要なだけ引っ張り出して使うことにする。一番安い(と思われる)ほうとうみたいな平たい貧弱なやつだからこうなんだろうか。もうちょっと編み込んだロープみたいな形状のあるよな、こんごはあっちにせねば。

    たまに深夜の勤務があるときに、幸いに前後の日がまったり休日していると仮眠とれる。どのぐらい取るのが良いのか。仮眠3~4時間→深夜勤務で朝を迎える→仮眠3~4時間→その日を通常に過ごす…という感じが普通なんじゃないのかなと思った。やってみるとしんどい。いまさら「もう若くない」なんて言いたくはないんだけど。

    白い服って殆ど着ない。スーツに合わせるシャツは寧ろ白ばかりなんだけど、私服に殆どない。春秋の寝間着として買った服が白い。寝間着のままで調理など家事をこなす機会も多く、既にところどころ汚れている。普段エプロン替わりにしているパーカーなんて年に一回も洗わないが、実に汚れているんだろう。そこいらの街中華のおやじの割烹着は薄汚れているものが多いが、あれはあれ、仕事の証なんでしょうな。医者なんかだと染みがちょっとでもあると不安になってしまうが。めんどくさがらずにエプロンパーカーを羽織れってこと。…なんなら本物のエプロンでもいいのでは、とも何回か考えたけどな~。

    風呂のお湯を溢れさせてしまった。二晩連続。おつかれでごんす。恐ろしいのは、どのぐらいの時間溢れさせ続けたのか、はっきりしない点にある。お湯を張り始めたのが何時ぐらいかうろ覚えなのだ。料理する時なんかはスマホのタイマー機能を使うのだから、風呂もそれで良いんだけど、あまり使わない。うっかりしても火事の心配もなく、仮にお湯が溢れたとて風呂に入れなくなるわけでもないから、油断している。舐めている。清浄なお湯なんて、本来は石油なんかよりも貴重なんだろう。酷い話だ。

    シャワーならそんな心配がありません!けど、湯船でうあ”あ”~とか唸りながら本を読んだり、ぼさっと考えごとしたり、したくなりませんか。回復効果は高いと思ってるんだけどなあ。そこで、シンプルタイマーを買う事に。お湯を出し始める瞬間にタイマーセットしないからこうなる。常にスマホ持って風呂にいくわけではないので、風呂内あるいは近辺、手の届くところに置けるタイマーが良いんですねえ。マグネットつき防水なら、風呂の壁、洗濯機とかでOKでっしゃろ。

    持ち物をいくつか処分した。はっきりとゴミとセルフ鑑定できるものは、やり遂げた感があって宜しい。1年使わないものは処分して良い、なんて生活に余裕のある人の言いぐさだと思って耳を貸さないけど、これが10年だったら流石にどうなんだよって。何かの備えだというならそりゃあ気合いれて保持しますけどもね。

  • ふでのゆくまま

    へり

    梅雨のころもさらなり😡 

    単に雨が多い時期というだけではなく、「梅雨」と名付けることで何ができるかというと直接文句を言う事ができる。くそだる天気のせいで除湿器の電気代もかかる。梅雨ファックオフ。そういった利器がお手元にない時期の私は、コインランドリーをよく利用した。都市生活の需要によるものだろう、よる23:00ぐらいまでは営業しており、大変に助かったものだ。しかし長居する気にもならず。人数分の椅子もない店内で見知らぬ人と時間を過ごすのは婦女子ならずともああああああという心地になる。この時間を埋めるために近場に一人で入れる喫茶店を探して、なんてことはなくて、23:00だっつてんだろ、バーを探して、なんてことはなくて、寝間着にサンダル、ランドリー分の小銭じゃらじゃらと――。

    六月頭のとある休日、曇天、昼下がり。通りかかったコインランドリーを横目に覗き込むとわりあい盛況だった。あったか~い排気は洗剤の香りがした。強い香りは苦手だが、洗剤の香りはそうでもない。具体的に何の成分の臭いなんだ。中では4人ほどが洗濯物を出し入れしたり、椅子でぼさっと座って待っていた。少し前、ちょっと贅沢な造りのコインランドリーが流行った…ううん、流行りかけた?イスとテーブルがあって小奇麗で。使った事ねえなあ。

    ところでコインランドリーの狭い店内に4人もいたので、その4人が利用者じゃなくて従業員みたいに見えてしまった。書き入れ時のこの季節さぞ忙しかろう。ボーナスも出ないのにやってらんねえよな。ちょっと何勝手に座って休憩してんのよぉ~😡

    眼鏡をかけてみた。特に理由はない。視界に枠があるの斬新だなと毎度毎度思う。ブルーライトをカットするとか言ってますが、ほんとに意味あるのかね?ある程度の時間使ってみないとわからないんじゃないかと思って、たまにかけてみて、やっぱわからんのでわりとすぐ外す。今回は視力矯正の眼鏡もかけてみて、かけた瞬間に度があってないのが自認できた。こんなの初めてのことで驚く。周囲を見渡して、PCディスプレイの距離だと裸眼よりぼやけるが、遠めだと眼鏡のほうが多少はっきり見える。老眼ってこうなるのだっけ。

    もうちょっといろいろ試してみるか、って、とりあえずそのまま部屋の掃除とかしていて、メシを食い、歯磨きの時に…。なんか歯ブラシがフレームに当たりそうに思えてちょっと戸惑う。そんなわけないんだけど、フレームがきっちりと視界を横切っているから、気になるんだろう…。箸でメシ食う時に何も思わなかったやないかーーーい!!ああもうわからん。この眼鏡を作ってから30年近いわけで、今後の人生考えたらここらで眼鏡屋に駆け込むのがセオリーなんだろう。この30年、免許更新以外で眼鏡を使う事はなかった。はぁ老化だ老化。老化ファックオフ。

  • ふでのゆくまま

    富士山マウント

    登った事ないですし、年齢とか自分の体型とか考えても、気軽に「トライしてみようか?」とは思えない。それなりに鍛錬しないと危険が危ない。まずは高尾山あたりから頑張ってみるか、なんて気軽に言うと山を舐めるなと怒られるのかしらん。坂なら何度も登頂したけど、これじゃだめ?神楽坂とか。

    いろいろあって、富士登山に制限かかかるかも、みたいなニュースを目にした。これでは猶の事登る機会はないだろう。「えっ!?ずっと東京に住んでて富士山登った事ないんですか?」なんて言われるような日がいつか…えー…いや実は既に言われた事ありますが。「見た事はあります!」とか「食べたことはあります!」とか「〇〇山ならあります!」とかくだらない抗弁をすることになるだろう。ううむ。身を切る覚悟やよし。

    ネットで見事な富士山の画像を見ることがちょくちょくある。アウトドア派の人とか、海外からの観光客なんかが撮ったものが多いように思われる。だから大体同じような画像ばかりではあるのだが、今回はたまたま、今までに見た事がないような画像に出会った。真ん中にどーんと見事な富士山なんだけど、その手前側には町並みが続いている。橋の上、歩道から撮られた画像だった。こちら。

    場所の特定を試みる遊びも好むところではありますが、google画像検索を試してみる。画像ファイルのURLを抽出して検索すると「富士山夢の大橋」という検索結果が応答された。富士市にあるらしい。なんなら、近くを東海道新幹線も通っていて、なぜ今までこんな見事な画像を見た覚えがないのか不思議な気もするけど、確かに、富士山の画像を自発的に探したことなんてない。

    グーグルマップのレビューによると遠くて駅から歩けませんなどと書いてあるが、徒歩30分ほどの距離で、どうってことない。うーん、これは実際に行ってみようじゃないですか、となったんだけど、今年のGWはお仕事が少し入ってしまって、お出かけの気力がなかった。終わってから考えてみれば慌ただしい予定にはなるけど行くことはできた、勿体ない。

    画像を見ての通り、この辺にお住いの方々には日常的な景色。この辺りもおそらくは戦国時代ぐらいにはある程度人口あっただろうと…見込んだけど、どうやら湿地だったようだ。歌川広重の東海道五十三次「吉原」に描かれているところでは、街道一本だけ辛うじて原っぱの真ん中に通っているような印象。宿場の周りは流石に賑わいがあったことだろうと思う。江戸時代ぐらいになると、当時の人も富士山登った事あるのないのと話したりしたんだろうか。江戸のころには富士登山ブームが何度かあったと聞く。伊勢参りの旅とかも一つの憧れだったとかあるらしいし。こんな裾野に住んでいる人々は当時どうだったんだろう。噴火の時も無事では済まなかったと想像するが。

    はい。行けるはずだった小旅行に行けなかったという愚痴であります😡😢

  • ふでのゆくまま

    $helter 111

    東京都が配布している防災の小冊子。目を通すだけ通す。いかにもご尤もです、という内容が書いてあった。「東京防災」というタイトルだが、内容はほぼ全編が地震災害のものだ。地震というものはそれだけはっきりと、特定のリスクとして計上されているんだろう。過去の歴史を見てもまあその通りか。これは行政の立場だけではなく、我々一般市民の立場でも同じことで、都民は建物がひっくり返るような地震が絶対に起こると確信を持ったまま暮らしている。そしてどんな備えをしようとも、いつ起こるのかはわからない。もし外にいる時だったらその瞬間に適切な行動をする必要があるが、とてもできる気がしない。こういう冊子に載っているような情報を駆使して生き延びる必要があるのだ…が。地震のリスクを思う時に「生き延びる」なんてことまで真剣に考えるぐらいなら、住まいを移すことを真剣に考えたほうがいいんじゃないのか。移すって…どこに?

    3Dプリンターで建てる家のニュースを初めて見たとき、これに興味を持ったとしも実際に買う人がどれだけいるだろうと思った。単に金銭の問題なら、買うだけの予算がある人はいくらでもいるだろうな。しかし本当に住居として選択することは無いんじゃないか。例えば広い広い庭をお持ちで、片隅に来客用の離れを作るとか?自分にこういう家を買う機会があるだろうか、というのは以前にも考えた事があった。まずは土地が必要。これについて心当たりは全くない。土地の広さはあのプリンターハウスが収まる広さで十分。それだってとんでもないお値段。土地は借地でも良いからあのハウスに住みたい!とまでは思わない。じゃあ賃貸で良くない?そもそもが持ち家なんて真面目に検討したことないんだよな。

    今のところは「早かろう安かろう」というだけかもな。このプリンターハウスの起業した人の意見には賛同できる。なんで必死に稼いだおちんぎんが家の借金に消えるだけなんだ。そんな人生で良いのかって。一方で、まともに家を建てればそれなりに時間と予算がかかるのが当然である、とも思う。結局のところはお金があれば済むだけの話だ。はぁ資本主義。災害の備えだってそうだ。うちには地下シェルターがあります、というご家庭どのぐらいあるのかな。

    つうか家の本質はシェルターやろがい。コスパどうこうの話を進めていったら、住まいを持たないか地下シェルター(あるいは地下とは限らなくて良いのかもしれないけど)に住むのが良いのではないか。採光、眺望などいろいろ付け足していった結果、みんなの家は地上に生えているのだ。…実際は地下シェルターの工事のほうが家より高いのかなあ?

    こんな馬鹿話を書き綴っているうちに、調べもの始めてしまう。すると、自宅の1部屋をシェルター化するという方法なんかもあるらしい。「シェルター」設備の内訳もいろいろあって、毒ガスや放射性物質を浄化するフィルターとかずいぶんガチものの設備も。あるいは地球に人を乗せて戻ってくる小さなPODみたいなものから、浄化装置などに乏しいどっちかというと防空壕とか金庫みたいなものまで。思ったよりバリエーションがある。国際的なルールがあるわけでもないだろうし、例えば宇宙ロケットの設備みたいな物理的にこう作らないとそもそも成り立たないという縛りもないだろう。そして幸いなことに人類はまだ本当にシェルターが必要になる事態を経験してないから、どこに最適なバランスがあるのか把握しかねている…のかな?

    ところで記事タイトルはfallout4というゲームに出てくるシェルター設備、vault 111から拝借しております。あのゲームでは冒頭、(ネタバレ)が起こって近隣住民と一緒にvault 111まで避難する場面がありました。裏山まで駆け抜けるというぐらいの距離。あんな風に、普段の住まいと避難場所両方が十分に存在するのが良いんだろう。各個人がバラバラに生き延びるよりは、ある程度の社会丸ごと生き延びたほうが未来に繋がる気がする。わたくしのように生き延びる価値に乏しい人間もおりますけどもーーー😢

    それっていわゆる国家では。レンガの家よりも、狼が襲ってこない村のほうが必要なんだろう。しかしまあ…流石に夢物語か。世界が平和でも呑気に散歩しているときでも地面は揺れるってんだからな。杞憂の故事成語にもあるとおり、心配しててもキリがない。どこかの段階で、これは諦めるとか、ほどほどにしておくという判断が要る。結局現実的に必要なのは知識とお金と健康体。

    というわけで、シェルター住まいは諦めて非常持ち出しリュックのメンテ。何年も大まかな構成が変わってないが、確実に自分の体力が落ちている。以前も当ブログで書いた気がするけど、冒頭に出てきたような防災系の情報源では、15Kgの重さにしましょうってガイドを見た事がある。このリュックも大体それぐらいの重さの筈なのだが、これを背負って避難できる気がしねえぞ…これもメンテの度にぼやいている。水と食料もいくらか入っているとはいえ、やはり重すぎるなあ。実際に背負って1kmほど歩いたこともあるには、あるんだけど。

    知識と備品のアップデートもしないとなあ。モバイルバッテリーはこの10年でずいぶん軽く、容量も増えた。これは助かる。でも水や食物は宇宙が閉じるまで同じような重さだろう。水1Lは1Kgだ。軽量化しすぎて必要なものが荷物に無いと、結果としては命のほうが軽くなってしまいまんがな🤣🤣笑えないわ。

    家やシェルター建てるなんてレベルではなくても、何かしら「今の備えが破綻したあとのバックアップ」も考えておくべきなのかな。それこそ杞憂か。