どくしょかんそうぶん
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「戦争は女の顔をしていない」を読んだ
コミック版がある、という所から本作の存在を知ったものの、これは文章で読みたいかなと思って電子書籍でお買い上げ。
「戦場にいる間に背が伸びた」という一文のシンプルに強烈なメッセージ。育ち盛りだから軍服を変えなきゃ、そんな世界がある。もちろん本作で触れられた世界以外にもあるだろうということがすぐに連想できたことがまた、強烈だった。ブカブカの迷彩服に、辛うじてAKを抱えているアフリカの少年兵。
いまどき、戦争物の感想、印象は誰が読んでも同じようなもんだろう。…と思っている。戦争の体験談は何度だって読んだし、映像も見たし、なんなら直接耳にした。まあまあ同じだろうって。女性兵士の証言というのが本書の特徴ではあるんだが、実際それは「我が子を戦場に送り出した」とか「父は返ってきませんでした」とか、そんな母親の話ではなかった。10代後半で自ら兵士として志願して戦場に立ち、血と泥と血に塗れた話。当時のナチスドイツが迫ってくるのを撃退せんと奮闘した話。
本書に出てくる女性たちは、敵から祖国を守るため、進んで最前線への配置を希望したと述懐している。本書によれば、あの戦争を大祖国戦争と呼んだらしい。運ばれてくる負傷兵に備えるだけではなく、戦場から自ら担いで回収してくるようなこともやっていたと。自分よりデカイあのロシアの兵隊を、その装備まで含めて回収せねばならない。勿論、洗濯や料理に従事した人々も居たが、「重いものを運びすぎて脱腸になった」「三日三晩働き続けた」「生き延びた捕虜は裏切り者とされた」などどこまでもハードコアな話が続く。
最後まで読んだが、正直に言えば「ほんとかな?」という考えが時々頭に浮かんでしまった。これは当方が現代において積み重ねた経験のたまもの。あのソビエトロシアの話だというだけでアカい色眼鏡をかけてしまう。ただ、個々の事例に盛られた話があったとしても、嘘って事は無いのだろう。本書に曰く、人は戦争より大きい。その実体験は世界情勢などというもので希釈されるわけもなく。インタビューは1980年代~2000年にかけて行われたらしい。1989年、ベルリンの壁が無くなり、ソビエト連邦の解体は1991年の年末。世界の様子が変わり、年老いてしまって、言えなかった事を口にする決心がついた人が出てきた。
JFK。あれも真実が出てくる出てくる言われ続けて、一向に出てこない。真実というか結論というか、本当に存在するのかな。消息を絶った人物、飛行機、3301、そういったものの話も、どこかに真実を把握している人がいて、語ることができる日を待っているのかもしれない。あるいは常識的に考えてみれば、それはどこかに既に書き残されていると想像できる。かつて記憶にだけ残っていた真実がどこかで解き放たれるのを待っている。我々はどんな顔で臨めば良い?
余談。
本書を読んでいるころに、SNSのトレンドにBig Brother27というのが挙がっていて笑ってしまった。調べるとアメリカかどっかで人気のドラマのタイトルということだけど、トランプ政権下で真理省でもできたのかと思った。BigBrotherなんて単語が象徴的だったのも、一時期だけのイデオロギー。
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「ルポ 秀和幡ヶ谷レジデンス」を読んだ。
これは傑作。すぐ買おう→amazon
「事実は小説より奇なり」などと申しますが、読み終えた爽快感はなんといえばいいか。感動系の映画のような、ひいきのチームのスポーツ観戦のような、入れ込んだゲームで強いボスを倒したときのような!!!!うおおおおお!!
本書に興味を持った方の多くは、インターネットに染み出たその珍奇とすら言える管理組合のルールを目にしたのだと思う。詳細は本書を読んでねって話ですが、北朝鮮と揶揄されるに相応しい酷さという印象を受けた。ただ、管理組合いうても民間人だし同じ建物の住人だし、本当の北朝鮮みたいに銃を突きつけられるわけあるまい。そう思っていたんだけど、住まいに関する権限を握られるというのは過酷な話。騒動が大きくなるきっかけには管理費の大幅な増額があったようだ。住民からすれば当然なんでやねんって話にはなるけど、その疑問に誠実な対応がなければ揉めるに決まっている。こういう、総会が開催されるような大規模マンションに住んだことは無いけど、どこでもこんな住民による組合の管理体制で揉めたりするんだろうか。
問題となった管理組合の理事長は一体なんだったんだろう。本書では馬鹿正直すぎて融通も効かねえという知人の評があった。私が本書を読んで受けた印象も、まさにパラノイアっぽいというか、どこぞのヨットスクールや大ベテランの将棋棋士を連想させる。スラング的に言うなら思想が強い。さらに言えば、なんだかんだありながらこういう立場の首を民主的に変えることができる政治の仕組みというのは、まだ健全健全健全健全健全健全健全なんだなと思えた。
不健全な管理組織と対峙する主人公相当のチームの健闘っぷりが心に刺さる。熱い。人生とは、こうして不条理と戦っていく事が必要なんだと!!友情努力勝利。
なお。そんなどくさい管理体制により、マンション内に侵入する不審者などの心配が無かったという話と、建物自体の保存状態が良かったという話も付記されていた。ただ、後者については前述のように管理組合が計上した費用が不当に高いなどの疑惑もあったし、管理状態良好な物件なんぞ他にもあるだろうと思う。また前者についても、野次馬の立場で言ってしまえば管理組合自体が不審という印象を覚えた。そもそも、どちらも住民と揉めるような事が無くとも実践可能ではある。それでも何か決まり事を有耶無耶にするようでは成り立たないことも容易に想像がつく。まさに政治、まさに自治、まさにResidenceですなあ。本書を読書感想文の課題図書にでもしてみたらどうか。
ところで、住民側がDQNすぎるエピソードも山ほどあるだろう。そっち側(?)視点で作られたものにもどこかにはあるんじゃないかね、目を通してみたいもんだ。悪徳住人を成敗したような話も読んでみたいじゃないですか。
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「話を聞かない男、地図が読めない女」を読みかけた
男女の違いあるあるは生物としての雄雌の違いから生ずるものである。これに納得できればもう読む必要はない。そのあるあるが並べられている。科学的な根拠も添えて、というところだが添え方も簡素で、そんな気合入れて読むような書籍ではない。Amazonプライム枠だから途中でしれっと読むのをやめても勿体ない感がないという事情はさておき、3章ぐらいで読み終えた。
どえらい売れた本らしい。1998年だから、インターネットが日本で流行り始める前だ。どんなふうに流行ったのかなと過去の記憶をたどる。そうだ、携帯電話も一般的になりつつあったけど、電車では読書している人が多かった。多くはカバーをしていたけど、たまに表紙が見えていると、テレビで言ってたこの本は本当にはやt…あーテレビがあった。ううん大余談。
違いがあるという事実に納得できても、その結果もたらされるいさかいというか、諸々のすれ違いに納得してやっていけるかはひとつ話のレベルが違うと思う。わかってはいるけど我慢ならんのが人間でそれを我慢するのが人生。しかし。弱さも振りかざせば暴力であり、理解も求めすぎると恫喝だ。もうちょっとするっと歩みよれんもんかね?果たしてお隣りは、うちの部長サンは、どうやってやっていってるんだろうね?という疑問の答えが本書にはある。
途中までしか読んでねえけどな。別に良いだろ、俺は男性うまれ男性育ち話など聞かんし読書などせぬ。がはは。うるせえ殴るぞ。
で、終わりにしようと思ったんだけど、改めて考えると、疑問が残った。地図が読めない女。たしかに、方向音痴と言われる特性は女性に多いという印象がある。グーグルマップが人類標準装備になってなお、そんなイメージがある。地図という情報の表現方法が、テクノロジーそのものの形が変わっているんだ、個人レベルでは劇的に変化している人だっているだろう。長い期間多くの人が使い続ければそらあDNAレベルだっていつかは変わっていく事が、あるんだろうか。しかしテクノロジーは進んでいくのでありますから…当然…様相が変わってくる。例えば、
AI暴行男、UBER出来ない女。
納得感ない。デジタルネイティブみの濃ゆい世代はどうだろね。
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「夢をかなえるゾウ」を読んだ
読み終わってから何年たつねーーーん!!!五年ぐらいか???どうだろう。下書きの掘り起こしと供養となります。あまりこれといった良い文句が思いつかなかったのであります。南無。
自己啓発なんて書籍に興味の薄い自分が、本書のタイトルに覚えがあったということは、当時相当に売れて話題になってたんじゃないか?しかし読んだことは無かった。わたくしと同じく、最近になって本書を初めて読んだ方には、このように思われた方もいるかもしれない。
「ネットで目にしたようなことばっかり書いてある…」
自分もそう思った。この既視感の正体は、SNSだと思われる。いわゆるバズって「いいね!」がいっぱいついたような投稿。本書はそういうツイート(現ポスト)とかの言い分と内容が近いんじゃないだろうか。本書は2007年の刊行。2007年であれば、SNSはまだインターネット住民や若者だけのものだった時代だ。本書の内容がすぐにネットでバズることは少なかったかもしれない。でも、ことしに至るまでのあいだに、何度か似たような内容が広まったりした結果、本書の内容に既視感を覚えるに至ったと。そうであれば、内容は多くの人が共感できるもの。…と見せかけてあるいは?単に耳障りが良い言葉がぞろぞろ並んでいるなんてことも?さてさて。
本書は、「神様」と主人公?のダイアログをメインにした読みやすいつくり。ちょくちょく差し込まれる過去の人物のエピソードは(多分)客観的な事実を並べている。事実ってんだから異論も何もない。それを架空のキャラとはいえ「神様」に語らすのだからその御言葉の威光たるや絶後…っ!!しかし関西弁にすることで妙に人間臭くなるちゅうカラクリやな。神の言葉なんてものは神を信じる人あんちゃんたちの身内ネタだが、しかし人の言葉は時にあまねく人の胸に響く。子羊のラッパなんてものとは馬力が違いまんがな。こちとらほんまもんのMade in Japanやで。
つまりは、人間がかわってないから。人間の社会が。だから同じ事ばかり身に染みる。スマホもネットもできたけど、大枠は変わってない。例えば、202X年世界は核の炎に包まれた後の世界だったら「ライバルは家族ごと確実に殺すこと」なんて書いてあるかもしれへんのやで。
「そうでしょうか」
そやで自分まだわかっとらんのかいな。
やってしまえば取り返しがつかない、こともまた、真だと思う。この世の中、何をやっても「体験ができたから良かった。成長の糧だ!」で済むわけない。本書に倣って自分が今までやらなくて後悔していること、考えれば当然ながらいくつも思い当たるが、そのうちの一つは実行すれば刑務所にお世話になるだろう。仮にあした実行しても同じだし、このブログに訪れてくれたあなたと実行しても同じだ。実行しなかった理由は、「教育」とか「常識」という言葉で説明できる。体験したわけでもないのに、知っていた。
神様に感謝としか言いようのない本当の幸運は、成功を求める先にあるとは限らない。道理に背いた時に訪れることもあるだろうし、ほとんどは気づきもせずに享受しているのかもしれない。「日本に生まれ育っただけで大当たりだ」とか聞いたことあらへんか?
しかし、「最後の課題」何個出てくんねん。
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「スモールビジネスの教科書」を読んだ
サラリーマンという日常的な表現はいわゆる和製英語という事で、英語勢に通じない…らしい。ではサラリーマンは自己紹介する時に自分の職業をなんと説明すれば?一般的にはオフィスワーカーで良いらしい。ここで、ビジネスマンは(昨今の世相ではbusinesspersonというらしい)という表現だと、経営層や自営業のニュアンスになるらしい。そろばん弾いて利益を掴みにいく立場で職務にあたる人。本書はそのbusinesspersonにならんと一旗揚げようとする人への、先達の教科書。リンク先Amazon~。
しかしスモールとはなんだろうか。本書内にその意味するところも書かれているのだが、どうも言葉のイメージとは異なって、フリーランサーの一人営業みたいなものではなく、そこそこでっかい商取引も含むみたいだ。いや、その「でっかい」ってなんだよ。草。
こういう本をあまり読んだことは無いけど納得できることが書いてあった。経営実戦の経験はないが、それなりに生きてはいるので、本書の所々に同じ事あったな~なんなら同じ状態の企業さんあるな~って感心もあった。ざっくりというとこんな事かいてあった。
- 企業の経営というかビジネスの進め方というのは徐々に効率化されるので、大企業が支配しているようなサービスでもどこかに意図的に切り落とされる客とニーズがある。そのおこぼれをもらう。
- ユーザーに新たな課題を啓蒙するのは無理ゲーと割り切って、今コストをかけている課題に自分の商品を挿げ替える戦略で。
- 人間の欲望は無限なので、何かが解消するサービスを提供されてもそこでニーズが消失するということはない。
その他細かいこともちゃんと書いてあった。ちゃんと儲けを試算して挑めとか、属人性で勝負するので自身の能力を仕上げていけ、とか。でも、大本の、根本のビジネス運用の部分については、敢えて言えば「パクって儲けろ」「人の弱みに付け込め」を意識高い系で包んだように読める。いや、本当にそう書いてあったのではないか…?
こういう書籍を読むと、Amazonさんは類似書籍をお勧めしてくる。「スモールビジネス企業の教科書」「二番煎じを究める」←タイトルで言ってしもてるがな。草。
ビジネス書って実践しないとすぐに忘れてしまうな。いわゆるビジネスマンで生きてないから、生活の習慣にかすりもしない。例えば「issue driven」とか読んだのになんの話だったかすっかり覚えていない。geoguessrに出てきたタイの田舎道のほうがまだ記憶に残ってるかもしれん。これは書籍の内容が云々の話ではなく、自分の取り組みの問題だとは思うんだけど。あるいは課題が明確になっているから、か。geoguessrの場合、この画像はどこか解き明かすという課題が明確なので、フォーカスすべき点もまた定まってくる。あー…まあこれ余談ってことで。
しかし…。本書にはインターネットとAIが登場しない。そんな古い書籍ではないのにも関わらず。なるほど、それが本書自身で言及している取りこぼしを狙える部分ってことになるんですかね。うーむ。それとついでにもう一つ、「法に適っているか」という課題については触れられていなかった。最重要な気もするが、先行者がいる前提で語るならばそこは検証済みという考え方だろうか。