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七草粥に砂糖を入れる風習があるらしい
自分は七草粥自体を楽しみません。つーか食べたことない。お粥それ自体が苦手なので…しかし正月休み余韻の頃、ぼんやり七草粥のwikipediaをその情報量に圧倒されながら読んでいると、とても興味深い記述がありました。
七草のうち手に入るものを入れた粥に、白砂糖をかけて食べる
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E8%8D%89%E3%81%8C%E3%82%86東京は品川の風習と紹介されています。この情報の出どころは、「日本の食生活全集」という日本各地の食生活を網羅した大変なボリュームのありそうな書籍のようです。実際には読んでないので不明。
で。おはぎやおしるこだってありますので、米や餅に砂糖というのはそこまで奇抜だとも思いません。しかし七草粥に砂糖とは🤔この記述だと、出来上がった七草粥の仕上げに砂糖を振りかけるような印象。
裏を取るべくインターネットで調べてみると、この話がいくらでも出てきました。
https://hisakobaab.exblog.jp/238970504
https://kosuzume2.exblog.jp/7798239
https://ameblo.jp/rumieimur/entry-11746341325.html
https://www.hinode-net.com/weblog/?p=4712
https://www.instagram.com/reel/DTNIhLuAS1a
https://www.navi-tomo.com/user/blog/diary_detail768954.html
特にはっきりと書かれているのはこちら。これまでのリンクの情報から考えてみると、江戸である程度生計に余裕があるような家庭では、砂糖をまぶした七草粥というのは、当時そこそこ一般的な頂き方だったのではなかろか。
https://www.museum.city.katsushika.lg.jp/blog/2021/12/post-20.php
で、ここまでダラダラとネット徘徊したところでふと思いついたんですが、最初から砂糖だったんだろうかということ。関東で「たぬきそば」っていうと揚げ玉が乗ってますが、もともとはかき揚げとかの具材が乗った「天ぷらそば」があった。そこからの、揚げ玉を使ってみたというのがたぬきそばってわけでしょう。だから、最初から七草粥に白い砂糖をまぶしたのではなく、当初は砂糖に関連した何かを乗せていたという説はどうか。
例えば金平糖とかどうだろう。そこから、江戸っ子の気性で気が短けえんだてやんでい、いうて砂糖をぶっかけたとか。羊羹、氷砂糖とか。まかさ落雁ってことは…どうだろな。
ううむ推論が雑ぅ!冒頭に挙げた通りそもそも食べたくもないので、実践もせず、この辺で匙投げます。実際に食べた事あるかたいらっしゃいますかね。
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市中引き回しの刑
お散歩ルートは各自何パターンかお持ちだと思うのですが、特定のコンセプトや名所を巡るような広く知られたコースというのも、御座いますね。私が実践したのは、山手線一周。あと一直線道路。新たに、市中引き回しされてまいりました。キリキリ歩けいっ!
結論から申しますと、江戸ではなく東京2023を歩くので、そんな風情があるわけもなく。もうちょっと由来のある場所やら、寄り道すべき場所やら調べれば、楽しみもあったかもしれません。ただ、距離も長いし時間的な都合もあるので、難しかったかも。淡々と歩いた。具体的なコースについては、デーリーポータルでやっていたものと同じです。ネットで拾えた地図も、その時に参照されたものらしい。改めて読んでみたら自転車やんけ!なんだよ!
ルート図
※なお、2023年5月時点では、江戸橋から日本橋のあたりが大規模な開発工事をしており、地図通りに進めませんでした。
先人の企画
https://dailyportalz.jp/kiji/130416160338
行程と雑文
真面目に蘊蓄読みたい方は上記のリンク先をどうぞ。以下、おっさんの散歩メモでしかない。いつものように写真とか無いです。
1日で28kmは不可能ではないけども、ちょっと気軽にやってみるという距離ではないので、デイリーポータルを参考に2日に分割。初日は小伝馬町を出発して、四谷まで目指してみます。マップ上では赤のルート。全行程通して言えることですが、大通りを通ることが多いので、結構な頻度で信号待ちが発生。また、大使館巡りの時も感じましたが、都心部であるために坂が多い区間があります。
初日。十思公園スタート。徒歩で浅草方面へ。大通りを浅草寺までただただ歩く。スカイツリー近くで見るとバカでかくておもろいが、これでも1kmほどの距離がある。いったん、雷門を通り過ぎて待乳山という所へ。太鼓がドコドコ鳴っているのに耳を傾けて、折り返して雷門へ戻る。大きい通りを上野へ。流石にこの辺は歩いたことがない。お店の屋号に古そうなのが多いあたりが、江戸の雰囲気を残している…ような気もするが、別に令和にそんな屋号で開くこともできるもんなあ、と思うとやはり白けてしまった。
上野アメ横周りに屯する隣国の人たちからも距離をとりつつ、湯島天神方面へ上り坂。東京ドームへ下り坂。親子連れなどに揉まれながら飯田橋へ。神楽坂を上り、住宅地をうねうねとあるいて、DNP帝国のビル群を眺め、市ヶ谷へ出る。ここ市ヶ谷でゴールの予定ですが、勘違いしていたため四ツ谷まで歩いた。次を四ツ谷から始めれば問題ないので、電車にのって帰宅。疲れた。
後日、青のルートに取り掛かります。四谷より、迎賓館の脇を通って赤坂見附へ向かいます。ここで警備の圧に負けて反対側へ渡った結果、道を間違えます。赤坂見附からしばらくは飲み屋街を真っすぐ。夜遊びを終えた人々で、まだ朝なのに思ったより賑わい。日枝神社のごっつい鳥居と階段を横目に進み、大きな通りを渡る。警官がぞろぞろいて、わざわざ来たのに進路変えるのめんどいからそのまま進むと、付いてくるやつはいるし声かけてくるやつはいるし、なんならにらんでくる。アメリカ大使館でした。坂の上から通った事はあるけど逆なので気づかなかった。
虎ノ門ヒルズあたりから、国道1号線を進む。延々進む。全く面白くも無い…。この先2時間ぐらいは休憩できる場所にも乏しいので試される方はお気をつけて。第一京浜に突き当たったら、左折。また道なりに真っすぐ。山手線一周の時に歩いた道。当時は高輪ゲートウェイ駅が無かった。
しかし、江戸の頃もこんなに道幅が広かったんだろうか?新橋を超えて、まだ真っすぐ道なり。銀座に出る。自分のここまでの人生では縁の薄いブランドショップが並んでいて興味深い。まだ開店前なので人通りも殆どなく、店員が大童でディスプレイの準備などしていた。鍛治屋橋通…の一本北の路地を右折。所々、裏路地的な場所を通るが、何か意味があるのか地図データの都合なのか。宝町付近では横断できないところを通過しているので、適当にアレンジして合流。ここから先は妙にカクカクと曲がる。当時の江戸では必然だったんだろうか。何かでっかいお屋敷でもあったかな?
ここから先、ゴールまでは知っている道もあり、個人的には懐かしさもあった。だいぶ疲労がたまっていたので、どんよりとした足取りで公園に到着。電車乗って帰る。
退屈だったような文章になったけど、いつものお散歩って感じでした。距離が長いので疲れた。歩いた時間帯は休日の朝早く、商店などが開く前のなので、人通りは控えめだった。もっと人通りがあったらさらに疲れていたことでしょう。
以上です。
