ふでのゆくまま

雑記

蕎麦を茹でている傍ら、となりで洗い物をマターリ執り行う。差し水を用意していなかった。マグカップに水を、しかし、冬のあらいもん、蛇口から出ているのはお湯である。たぶん40度ぐらいか。しかたなしとお湯でマグカップを満たす。こりゃ差し湯だな。効果のほどは如何なものであろう。

麺を茹でて吹きこぼれてしまうそのメカニズムは、なんでも、お湯に澱粉が溶け出すことで、泡が壊れにくくなり、沸騰により増え続ける泡がいずれ鍋の積を超えてこぼれるとのことであります。差し水は、水を入れることで沸騰を一時的にとめて、零れるのを防ぐというからくり。ということは、もし、ぐらぐらと煮えているお湯を差し水、もとい差し湯にしても、鍋は沸騰し続けたままだろう。これは効果がなさそう…かな?では40度のお湯はどうなのだろう。確実に効果はあると言い切れる。でも、水とお湯で鍋のリアクションに差がないとも思われない。

実行してみた結果として、体感では全く差がなかったです。沸騰したお湯は試してないので、好奇心が吹きこぼれた方はやってみたらどうでしょう。以上です。

(二晩経過)

前の段落は何か駄洒落にでもならんかなと考えていた。差し水なんだから、「水をさす」という言い回しと、実際に鍋に水を入れる行為そのまま同じ。これはすぐ思いついたけど、一方のお湯を使った言葉を思いつかなかった。蕎麦も絡めると…さらにわからん。蕎麦なのにスパゲティコードだ…だめだな。はたして、二晩経過して、今考えなおすに、「ぬるま湯につかる」というのを思いついた。差し水をじゃんじゃん放り込んだら、鍋の中身はぬるま湯にはなる。実際にぬるま湯が登場するから何かストリーになる。

さらにぐぐったら「煮え湯を飲まされる」とか「湯水のように使う」とか出てきて、ほうほう、何かできそうやないかい、と。「煮え湯」に「水を差す」と「ぬるま湯」になる。この科学的事実には説明が要らないから、そこに何か人類文化的な文脈をぶち込めばよいのだ。そのような文脈が良いだろう。水と煮え湯の違いは物理的に明白ながら、人間の認知においては、錯誤があり得る。例えば、湯気の有無というのは明白に違いではあるが、これが水とぬるま湯ぐらいなら湯気がはっきりとは出ない状況もありえる。それなら見た目は変わらない。何が水で何がお湯かの認識の違いを叙述トリックにすればいいからー。えーーーと???

湯と思っているものが水であったとか。客観的にも水と湯を間違える可能性がある状況で、無理のない状況。真っ暗だとかそういう事じゃない。また、触れれば間違えようがないので、見た目だけで判断する状況を考える。あるいは、見た目のほうからポジティブに錯誤を誘ってくるパターン。例えば、水から湯気のようなものが出ることはあり得るか?気温が低い早朝にあるよね。その状況に事前に置かれるシチュエーション。…そうだな、寒冷地の温泉のようなところならどうだろう。見た目が同じ液体が、実際にお湯のことも、水のこともあるかと思う。本当のところは、湯気の量が全然違うんじゃないかとは思うけどな…そこはええやろ。

冬のロシアに飛んだ。Нападение!!

YouTubeで、「Усть-Кут」という街のストリート配信カメラにたどり着いた。そこはソビエトロシア、バイカル湖の北、レナ川沿いに広がる街である。wikipediaには日本語で沿革が載っているほどの規模だが、都会というほどではない。かつてはシベリア開拓の拠点として物流が栄えたとのことだ。シベリアの街なんて全部そうなんじゃないのかとも思うが…このレナ川沿いで、バム鉄道も伸びてきている立地というのが重要らしい。川沿いにはクレーンが並び、広い倉庫やコンテナ?が並んでいるのが、グーグルマップなどで確認できる。そこそこ大規模だ。町並みは古臭く、如何にもロシア、あえて言えばソ連の雰囲気が色濃い。古びた集合住宅の壁面に大きな広告などが書かれていると、いかにもソ連だ。かつてはここにフルシチョフの姿でも描かれていたのだろうか?

川の両岸から少し離れていくと、住宅地の後ろはもう森林である。山というほどでもないが、小高い丘が木々に埋め尽くされてその峰が続く。こういう場所に街がぽつん、とできているイメージは、日本のやまあいの街と似ているように思う。これらの景色には親しみを覚えるが、やはり先ほど見かけたクレーンの姿が異質である。日本人の感覚で見てもそう大きいとは思えない川に、ずいぶん大規模な設備に思えてならない。これは現在も稼働しているんだろうか。

この街の、街角配信カメラの数がやたら数が多い。YouTubeの関連動画で勝手に並べられるだけでも、20か所近く見つかる。映る範囲もまちまち。中には、夜間にはまったく映らず、ただの闇が広がっているアングルもある。ただ公園のアスレチックが映っていたりする。キッズが雪の上をそりで滑っていきよる。日本とは時差が一時間だからとてもリアル感があってよい。それにしてもこのカメラは、一体なんなのだろうか、と考えてみた。観光PRかな…?渋谷や歌舞伎町みたいにただ街の様子を映すだけ。ただの路地が映っていたりするので、エンターテインメント目的ではないように思われる。なにか実用性を目的に公開されている可能性はあるか。実にシンプルに、街の様子がわかるということには実用性があると言われれば、それはそうだ。治安目的にしても然り。

ドローン空撮もあるやん。

おそらくは今後も足を運ぶことなど無い街に、親しみを覚えてしまう。ちょっとした景色の美しさに情が揺らぐ。言葉も通じない、文化も馴染みがない土地を慈しむ。換気扇から立ち上る湯気の、空の重さへ落ちていく様を眺めていると、空に発散する音が聞こえてくる。凍てた川面からも、雪の稜線からも遠くかすかに響いてくる。寒さが感情と風景を結び付けようとする。

0℃

それは情緒が吹きこぼれる温度。ある冬の一日でございました。

(二晩経過)

水とお湯の漫談は思いつかなかった。アイデア溢れる温度くれよ。

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