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ざっき
背中をかくのにちょうどよい何かないかとごそごそしたら、鉛筆が出てきた。キャップの付いた芯のほうを手に取り、背中を左右にサリサリとかいてみると、すぐに芯が折れた。折れたなーなんて思いながらしばらくサリサリ。かゆみが落ち着いたところで鉛筆を確認してみると、折れてる。うちに鉛筆削りなんてないので、もはやゴミ。斬新なデザインの箸はどうか、それにはもう一本折らねばならん。自分が子供の事は小刀で鉛筆削るぐらいはしたもんだ。
なんで二本あるんだよって話。確かにコンビニで買った記憶がある。家にないけど必要だから買ったに決まってる。鉛筆が必要になったのはいつのことだ?何があったんだろう。鉛筆の臭いを暫し堪能して、折れたほうは燃えるゴミ。
音楽への興味も薄れてしまった、なんて何度か言っているが、去年のフジロックに平沢進が出演していたと知る。忘れていたのかもしれない。そのライブ中の「夢見る機械」のパフォーマンスがフジロック公式動画としてUPされているが、その再生数が他の動画に比べて傑出して伸びている。自分も大好きだ。
さすがにお年を召されたか。僕も馬の骨になれますか…
GWには手持ちのものを整理しよ。モノが多すぎるのは自覚ある。それでも捨てれなくて部屋に置いてある。
椅子を買い替えた話はまた後で。
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香川県の不審なゲーム条例騒動
香川県ネット・ゲーム依存症対策条例の問題について、ねとらぼというサイトが自身で検証した分かりやすいまとめを載せていました。
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2004/25/news034.html
読んでみて思ったことを簡単に書き記しておきたいと思います。送信元IPアドレスが同じであることが、直接不正の証拠とはならないという点には同意。そういう仕組みはそんな珍しいものではない。全く同じ誤字が、それも普通は間違えないようなものが何度も出てくるのはアウト。世間に周知してない投稿方法が圧倒的多数なのも個人的にはアウト。一個アウトなら残りが何であろうとアウトだと思うのであとはどうでも良いですが、このパブリックコメントはやっぱり捏造でしょうね、というのが一般的な結論かと思います。
この記事の作成だけではなく、原本をPDF化して公開しているというところが実に良いと思います。そんなことをしなくても記事には出来るので、あえてやるというところに心意気を感じますね。PDFにはもちろん、悪意のこもった粗雑な規制賛成のコピペではなく、真っ当で真摯な反対意見も含まれています。読んでみるのも良いのでしょう。
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こつぶのむ
買い物かご持ってスーパーをぼんやりうろうろしておると、カップヌードル味噌味というのがあった。初めて見たが、古くからある商品だろうか?調べると新しい。カレーにシーフードに始まり、多種多様な味があるけど、味噌味が今までなかったということ。ふむ?でも味噌味ってラーメン全般で言えばかなりメジャーだよな、たぶん。普段ラーメン食わないのでわからんですが…。食ってみたらこれがまた美味しかった。
インスタントの味噌汁を思い起こすと、ペースト状の味噌をカップに出して、かやくとお湯を注ぐ…。これ以外は記憶にない。このカップヌードル味噌は、同社の他の味わいと同様に、ふたを開けてお湯を注ぐだけ。味噌の味わい部分は粉末状になっている。ふーむ…なんで今までなかったんだ。他社に味噌味のインスタントラーメン、あるじゃないか?札幌いっちばん味噌ら~~めん♪…あれ?これ塩か?探したら塩だった。あれれれれ?
でも、どうしても味噌味の印象がある。最後に食ったの小学生とかそういうレベルなので、何も覚えてないな。こいつはスープのもとは粉だったろうか?下記サイトでは、「鍋の味付けは粉末スープで」とあるので、粉だ。きっと昔からそうだろう。
2020年にもなって、日清カップヌードルの味噌味が登場した事情は何だろうか。新商品のネタ切れか。よほど地震のあるクオリティになったか。競合他社の特許が切れたか。…あっ!!!つい最近このブログにCM動画貼ったばかりじゃないか!ジェームス・ブラウンのミソンバ言ってるやつ!!!食べた記憶はない。1992年の商品らしい。中学生。家族で暮らしていれば、カップ麺なんて食べないもんな。
でもこつぶは間違いなく飲んだことあるのよ。サンドウィッチマンのコントでは小島さん遊びの次ぐらいにおなじみの、こつぶを勧めるくだり。おじさんは、若人と「あのこつぶを飲んだことがある」という会話ができるんだ。偉大なヒット作には世代をつなぐ力があるってね、誰の発言だっけ。みんなで”Stand by me”を歌うようなあれよ。
スイカの早食いを真似して、怒られたこともあった。叔父の厄払いの余興が髭ダンスだった。その叔父も病床にある、若人はドリフターズを知らない。それがいい。知られないままに流れていくを由として、世代の継ぎ目はかくて滑らかに。
ひげだんす ひがしむらやま だっふんだ ぱいおつぽろりん おこっちゃやーよ
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ざっき
ネゴシエイターという映画を観た。学生の頃、バイト先で客のクレームを上手く捌いてついたあだ名がネゴシエイター、そんな知人がいたような気がする。内容はまあ普通のアクションというか、普通のハリウッド映画だ。普通。普通だった。
雪が降った。数日後、一日冷たい雨になった。この日も雪だったら出勤も大変だったところ、持ちこたえた。四月だというのにたまらん。帰路スーパーで買い物をして、自動で開く折り畳み傘をぽんっと開いたらコメディみたいにカチャカチャと部品が落ちた。取り合えず傘は開いているので大丈夫…なのか?暗くて何が落ちたか全くわからず、状況が把握できない。手に持った傘のほうを確認すると、自動で開くときに押すボタンが取れてた。閉じるときにもこいつを押してから畳むのであるからして、この傘はもう畳めないのではないか。店の入り口でまごついているわけにもいかないので、帰宅。様子をうかがうと…柄にくっついてる部品が割れている。触ると、カロンと落ちた。ダメだこりゃ。ばねのテンションが掛かりっぱなしの状態になり、力づくで閉じるのにも一苦労。ぐぬぬぬとすったもんだして、養生テープでぐるぐる巻きにして、燃えるゴミ。自分も玄関もびしょ濡れ。たまらんよな。
本当にたまらんのは、もう一本のビニール傘も時を同じくして壊れた。あの、畳んだ後にくるっとまとめるヒラヒラが切れた。あれが無いだけで、混んでる電車に持ち込む気にはならん。いやいや、電車に乗る時は折りたたみ傘にする。同時に壊れるかね…。折りたたみ傘をネットで発注、ビニ傘をどうしよう。コンビニで買うもんだろあれ。スペースの都合上、雨の時しか出てなかったりする。雨の日に、折りたたみ傘をさしてコンビニへ行って、ビニール傘を買って帰る。…別におかしくはないか。服を買うのに服を着るし、靴を買うのに靴はいて行くもんな。でも、達人は雨に濡れてコンビニへ行くのである!素人がそれをやると売り切れているときに即死する。だから、雨が落ちてきた!コンビニダッシュ!傘が出ていない!傘ありますかー?聞くなら晴れの日でもいいやん。恥ずかしい。素人がやると自殺してしまう。東京では傘を買うのに命が要る。
さてさて、靴下まで濡れているのは傘が壊れたせいではあるまい。なんと靴まで底に穴が開いた。靴はさすがに通勤靴も普段靴も二足はキープしているけどさ。洗濯機も壊れる前に買うか迷っているうちに、世相がこんなことになってしまった。前回も年末に壊れて、しばらくは風呂で踏み洗いとか面白いことする羽目になった。学びがない。
Forbesという雑誌を読んだのだけど、どういう人が読む本なんだろう。ビジネスマンになりたい人?「ロスチャイルド家系図」とかなんかのジョークかと思った。結局のところよくわからないが、人生にはこういう書籍に書かれていることが本当に助けになる、そんなシチュエーションもあるんじゃないですかね。難しいですね。西洋の(?)エリートビジネスマンは美術のたしなみがあるので、西洋美術史の知見があると会話のネタに良い、とかいう記事もあった。仲間に入れてもらう足掛かり的なことかな?そもそもこれはおそらく日本版だけの記事だろうけど、そのうち「クリスチャンに改宗するべき」とか言い出すんじゃないのか。一緒にXXを差別的用語で罵れとか始まらないか。
よのなかわからんことばかりですなあ。
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昨今のコロナウイルス
役に立つようなことは何も書いていないただの雑記。書き留めておくことに何か意味はあるかもしれません。
ヨーロッパ、特にイタリアの死者数、感染者数が急増しつづけている。政府の対応がどうとかそういう問題なのかは、わからない。ただ、人から人への感染なので、各々が対策をしないとどうにもならない。日本で騒ぎになり始めたときに、真面目に対策を考えたヨーロッパ諸国の人々がいたかは疑わしいと思っている。いまだにただの風邪だろというような人がいるらしいが、未知のウイルスであるので、凶悪なものに変異するやもしれない点が怖いと思うのだが。インフルエンザにしたって毎年微妙に違う型が流行っていたりする。
「ただのインフル」なんてことを言う人までいるらしい。俺は人生でインフルにかかっても良いと思ったことは一度たりともない。ふつうみんなそうだと思うんだけど、どうやったらインフルエンザならオッケーとか思うんだろう。正常さを失っている。パニックに陥っているのだろうか。こういう極限に追い詰められた人々がへんなものに縋りだすという場面は「ミスト」を思い起こす。ド傑作なので見ると宜しい。
幸いにして、今のところは通常の感染症対策が効果があるという結論に揺るぎはないようだ。しかしながら、防御一辺倒ではいずれ力尽きることは自明であり、端的に言えば治療薬のようなものが求められる。イギリスが、「防ぐのは無理だからみんなで緩やかに感染してワクチンを得よう」という趣旨の対策を発表をした。自分は仰天したが、合理的だという意見もあるようだ。その方針も変わったらしい。「ようだ」「らしい」なんて認識の情報を書く意味あるのか。イギリスの話なんぞに興味をそそられているような呑気さ、そんな余裕もなくなりつつあるのではないか。
個人的にこの状況に悲壮感はないが、乗り切れそうだという思いが徐々に掠れていくことが怖い。冷静に対応し続けるにも余力というか資源、リソースが要る。あれ、ダメなんじゃね?となった時にどうしたら良いんだろうか。先の震災の時に、ぎりぎりのところで生還するには日々の備えと共に個人の体力、身体能力が極めて重要なんだなと思い知った。あれ十年近くが経つが、デブのおっさんのままである。十年分衰えた。
あれ、ダメなんじゃね?