• きかいじかけのかみ,  ふでのゆくまま

    ひかりより速く

    アインシュタインが生み出した相対性理論は、世の中の捉え方を劇的に変えた、らしい。実感することも検証することもないけど、そういうこと、らしい。ニュートンの生み出した理論では矛盾が生じた事象に、説明をつけた、らしい。時間は相対的なものだ、という考えなんですって。時空がゆがむんですって。そのような内容に関連する動画や記事をぼんやりと眺めていると、自分の知っている常識を置き去りにすることが、しれっと登場する。

    「宇宙は光速を超える速さで拡大している」

    人類がさわれる物理の世界で、光速を超えても良いんだっけ…?光の速さは具体的に算出されていると認識している。例えば、円周を求めるにあたり、円周率の「π」に結論が出ていないから、半径×πと表現する。学校では3.14などと教える。およそ3とか。光は具体的な速度が判明しているので、記号への置き換えしなくても、計算できる。算数の問題で、「時速50kmで30分走りました。移動距離はいくつでしょう」と同じ計算で、光の速さで30分進んだときの距離が有理数で具体的に出せる。そう思っている。

    んで。光速を越えて移動することはできないとかじゃなかった?100kmで走る車のヘッドライトは、光速に100km/h上乗せされているのかどうか、みたいな話もなかった?とりまググってどーん。wikipediaの「光速」のページ。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E9%80%9F

    その他関連ページもいくつか巡ってみましたが、正直よくわかりませんでした。テヘペロ。空間の広がる速度だから矛盾しないとか言われても「あっハイ」としかいえねーわ。

    自分のような一般人(下級)は、先端技術のトピックは雑学として取り扱う。ひと昔に流行った言い方だと、トリビアとでもいうのかな。例えば「馬の血液型は3兆種類」とかそういうのと同じ。ところが冥王星が惑星では無くなったり、自分の知る常識を覆すことが起こりうるものが。すいきんちかもくどってんかいめいが、すいきんちかもくどってんかいになった。2006年からってマジかよもっと最近だと思ってた。これほどの大きな変更は、義務教育レベルにも変更を及ぼす。

    光の速さは超えれませんというのが、どのレベルでは常識なのかわからないが、いつか変わるかもしれない。地球上で役に立つ発見ではないのかもしれないが、仮に光速の20倍の航行速度を持つ宇宙船なんて出来たら、そらあ人類は変化する。自分がテキトーに調べたところでは、光速の20倍だと、土星まで3分。加速と減速しているうちに到着しそうだ。東北新幹線で東京から上野までみたいな。冥王星まで15分ぐらい?近いんだから惑星に復帰させたれよ。

    実際そこまで人類が発展するのは不明だけども、とにかく雑学でも話のタネでもいいから、その先端を見つめていたほうが良いんだろうなあと思いましたとさ。

  • ふでのゆくまま

    ラップの芯、葱

    何か使えないかと取っておいたものが二本。

    さっそくググるといくつか実用的なアイデアもあるものの、ちょっとしたインテリアみたいなものが目立った。自分は実用性に重きを置きたいし、また、やたら手の込んだ工作も自分にはできないだろう…。都合の良いアイデアが紹介されていないか、ネットの情報を漁っていく。見つけた情報の中には、工作するぐらいなら本物買ったほうが良いんじゃないかなというアイデアも多かった。例えばケーブルをまとめるとか。ベルクロ使ったほうがいいように思う。結局はこれというアイデアを見つけることもできず、仕方なしにラップの芯をもって部屋の中をうろうろ、うろろろ。何かあるんじゃないかと思うねんけど。

    実は、使っていたことがある。長ネギ入れ。マグネット吸着したカゴに立てて、その中にネギを入れる。長さも太さもほど良く、収まりが良い。しかし、短くなったネギは隠れてしまい、忘れちゃう。アイデア自体は我ながら気に入ったのだけど。くだらない使い道とゆーのが素晴らしくないですか奥様。実用性はない。

    ここはいったん落ち着いて、手に持った筒のプロパティを検討しなおそう。紙であるからして、水にも火にも弱い。軽い。熱伝導率はあまりないと思う。芯自体で何かを傷つけてしまう可能性はほぼない。多少つくりはしっかりしているものの、しょせんは頑丈な紙レベル。円筒形で転がる。絶縁体。通気性。あな空いてるし。

    通気性か…。例えば衣類がごちゃっと入っている箱に忍ばせるのはどうだろう。折り重なる衣類の断層に紛れ込ませるように置く。これでは筒の中に空気が行き渡るだけだな。それに二本だけでは効果が出るのか怪しい。筒の中に中に除湿剤?いやいやそれには狭すぎる。では上下に段ボールを張り付けてはどうだろう。港に積んである貨物をフォークリフトで移動するときに、フォークを差し込む部品あるでしょうよ。あんなイメージ。しかしサイズも安定性も効果のほども中途半端な感じが半端ではない(叙述トリック)

    切断して高さ(=長さ)を調整することが出来るという特徴を活かす何かがないか。実際、ネットを漁った情報では、そうして出来上がった筒を、細々したものの整理という用途に使っておられる方も見受けられた。しかしこいつもうちには需要が無さそうだぞ。もっと山ほど数があればまた違ったアイデアが閃くかと思ったけど、何年かかるんだよって話。だからこの芯だけネットで売ってる人が居たりするわけで。結局、捨てた。いつでも捨てれるからいままで先送りにしてきたんだよな。阿呆らしい。

    と…いうわけで、いろんなものを捨てる算段。

  • どくしょかんそうぶん

    「美術館を手玉にとった男」を観た

    いつものようにAmazonプライムにて。原題は”Art and Craft”。邦題による印象のゆがみを観測できる。事件のあらましを知っている人からすれば、このタイトルはちょっと違うんじゃないの?と思うかもしれない。映画を観終わった自分も、おなじ感想でありんすが、日本のマーケット向けの戦略がございましょう。

    ともあれ、内容は良かった。

    美術館に偽物を売りつけて金をせしめたというような話ではない。彼は作ったものを無料で寄贈している。もちろん、自分が作ったとは明かさない。作中のやりとりでは、事実ではないストーリーを用いて入手経路やらを美術館の担当者に語る。そのようなストーリーを使ってまで、自分が作ったものを美術館に寄贈する動機とは一体なんだろうか。実に興味をそそるところだが、本作を見ていただければ。

    彼の制作作業の一部も作中で垣間見れる。贋作と気づかれず、事件が明らかになった後に個展まで開かれるほどのクオリティである筈なのに、素人目にはがさつな日曜大工のようである。彼によって生み出される絵画が”本物”の出来栄えであったので、美術館はすっかり”手玉に取られた”ということ。さらに、彼は”特別”である点もストーリーに彩りを持たせていると思う。「美術館に贋作送りつけてみた」などと、そこらの輩がやるような軽薄な動機ではないのだ。

    びみょ~~に持ち上げてみたのだが、物語はあくまで彼個人のものだ。彼に害意はないかもしれないが、贋作を作って寄贈する計画性があり、継続の意思もあった。刑事罰は受けなかったようだが、モラルに反するのでは?という主張が当然なされる。彼の”善意”と社会のモラル。原題のニュアンスはこの構図かな。絵を描くにあたって求められる倫理とは?博物館に展示されるに及んでの倫理とは?

    その間にキャンバス一枚挟み込んでしまった男の話。絵になるんですわ。

  • ふでのゆくまま

    昨今のコロナウイルス

    四月の初旬に緊急事態宣言が出されて、一か月。さらに延期の見込みという。そらそうだ。何も解決してないもの。

    おとなしく引きこもりの日々。ちょっとお散歩には一年で一番いい時期にテレワークがメインになり、それで問題なくこなせるので助かっている。それなりに設備も準備も必要なわけで、黙ってそれを使って仕事できることには感謝しかない。勿論こちらも、そういうことができるような自宅側の設備は保って備えてきた。備えあればなんたらと言うが、そうなんにでも備えが出来るものではないし、備えにはコストがかかる。当然限界がある。

    自分個人の状況は兎も角、社会を支えるべく尽力する人々には感謝するしかない。接触を避けましょう、そうしましょう、だけでは解決しないものだ。どこかで治療法の研究が行われているし、罹患した患者の対応に当たっている人々がいる。10万円配るぐらいならそっちに注力できないものかと思うのだが。

    近所の飲食店街も軒並み閉まっている。売り上げがないのであるから店舗のお家賃も払えず、従業員の給料も払えない。事業を完全に停止して清算してしまうと、そこからの再開はとても大変だろう。そこで、せめてこの騒動がおさまればすぐに営業が再開できる状態を保たねばならないというわけらしいのだが。話だけ聞いたらそんなものは無理だと思ってしまうが、地主というか家賃を受け取る側でもある程度免除をしたりするという動きが出ているらしい。政府の支援もあるらしい。これらの財源は来年以降の税金に上乗せされることになるかもしれない。東日本大震災の復興税は、国民は2037年まで払う。案外知らない人多いのではないかと思う。自分もフリーランスになる経験がなければ知らなかっただろう。これと同じことが起こるかなあ。

    「この騒動がおさまれば」

    汎用的な治療方法が出来るまでは、収まりはしないと思う。治療薬ということになると思うのだが。でも、徐々に店舗は営業を再開していくだろう。政府も自粛を要請なんて言わなくなるかもしれない。そういや5/1には営業しているお店がいっぱいあった。だからって簡単に客足がもとには戻らないと思う。そら行かねえよ。営業を再開するのも丁半ばくちみたいなところもあるだろうか。経営は厳しい状態が続くんだろうなあ。

    夏日になる日もあるようになった。マスクは暑くてしょうがないが、ただただ、こらえるしかない。

    インターネット回線も利用率が跳ね上がっているらしい。技術的に正しくはなんて言うんだろう。帯域がひっ迫している…?タイミング的には、5Gの技術がそろそろサービス開始に向けた動き、という矢先だった。遅れるだろうなあ。この現状は貴重なデータとなりそうだが、そんなデータにさほど意味ないほどに5Gは世の中を変えると思われている。車の自動運転、高性能ドローンなんかも接続が貧弱では実用性に乏しい。そして社会を変える役目がウイルスに先を越されたというハードな滑稽話。

    インターネット関連技術のみならず、社会のあらゆる場面で有用な経験を積んでいると思いたい。せめてそういう、ポジティブな副作用があってほしい。個人も社会も企業も政府も、学ぶことがあったろうがよ?そして、それら全てはこの事態を凌いでこそ活かせるもの。そんな希望が「BBQに出かけてコロナウイルス振りまいたなんて」ニュースがへなへな萎えるにあたっては、人類はダメそうですと謹んで申し上げる由。お客様に弥勒菩薩はいらっしゃいませんか?

    でも絶望的ではないと確信を持って言える。にんげんつよい。

  • ふでのゆくまま

    禿

    30になる手前ぐらいのころだったろうか。ぼんやり鏡を見て、「なんとなく薄くなってないか?」と不安になった。不安にはなったものの、特に医療的な処置を検討するわけでもなかった。親しい人に聞いてみてもまあ大丈夫じゃない?ぐらいしか言われないし、医療機関に相談してみることもなかった。そのまま何もなく今に至る。幸い髪はまだある。「毛量」という言い方があるようだけど、それが全体的に減ったか、髪が細くなったような気がする。人類全般的に加齢でそうなるんだし、我関せずのこころ。関せずのこころがブログに起こしたりするか阿呆。

    禿げる人とそうでない人の差は〇〇みたいなことを、育毛業界の広告がのたまっていたりする。生活習慣頭皮の汚れなんたら。でも結局は、禿げるの禿げないのは個人差が禿げしい激しいという結論で終わりだと思っている。例えばとある将棋の棋士の話。十代のころよりその才覚は高く評価され、実績はそれに恥じない堂々たるもの。健康面にも気を使い、食事運動睡眠は十分。気さくで解説に登場するときも人気。とうとう本人が漫画化されてしまった。若いころから薄いのは見て取れたけど、ここ数年、一層髪が薄くなっている。棋士の本懐である対局においては秒単位で時間を刻まれ、思考の極限まで追い込まれて戦う。これをずーーーっとやっているわけだ。その、ストレスによるものということだろうか。しかし羽生森内谷川といったあたりがふっさふさなので、ストレス=即座に禿げるわけでもないだろう。個人差が大きいのだろうか。

    確かに言われてみれば社会全体でストレス蔓延しておるし、ストレスが原因ですっていうなら大人はみんな禿げています、ぐらいの事例になってもおかしくない筈なんだ。だから、みんなストレスを感じつつも、そのストレスの「処理」に個人差があるのではないかと思う。まれにストレスを「スルー」できるような人が居たりもする。楽天家というだけでは表せない何かがあると自分は思う。これは一般的なイメージだと思うんだけど、細身で神経質の人に、髪の薄い人多いようなイメージがないだろうか。これはきっと受けたストレスを増幅させてしまうような人、処理がうまくいかず、さらにそれが髪に直撃してしまう人、いるんじゃないか。一方、ストレスなんぞ感じ入りませんなあという人もいると。ストレス自体が心身のいろんな不具合をもたらすというのは、事実だと思うけどね

    個体差がどこからやってくるか考えてみると、遺伝も大きそうだ。これは禿においても関心が高いようで、例えば祖父が剥げていると自分も禿げるとか。でも「隔世遺伝」なんて言葉、禿げのトピック以外で耳にしたことありますかね。訝しくない?

    あるいは、髪の未来は我々が思っているより遥か若いころに決まるんだったらどうだろう。あれっ?俺ヤバいんじゃね?なんて思い始めるよりもずーっと前。10歳とか。呑気にぎゃいぎゃい騒いでいるだけのキッズ時代に。そりゃー大人になってから対策しても無駄というわけである。でも、10歳の子供が何に影響受けるというのだろう。栄養状態?髪は毎日伸びて、生え変わるものなのに、数十年後の状態が決まるわけもないと思う。

    もう一つマッチする仮説を立てることが可能ではないかと思い当たった。禿はもっともっと短い期間の影響で不可逆的に決定してしまうとしたらどうだろう。数週間、数日、まさか数時間!日焼けしました、ぐらいの短い時間で決まるんだったら、日常の環境や性格や遺伝など関係ない。しかしこの場合、医薬品の研究などで原因があっさり判明しそうだ。一般的に言われている〇〇が悪影響というのはこの辺の研究から生まれたもんである筈。

    さて。これだ!という決定的な原因は発見できずとも、関連性の高い項目が研究により洗い出される。その結果世間に知られている予防策とされる習慣は、それ自体は決してハードルの高いものだったり、高額なコストが掛かるものではない。そんな策を講じて構えていても、あれ?っと薄くなってしまう人がいる。…これは、まさかの完全ランダム発生なんでは?(それを遺伝というのでは?と言われてしまえば、それまでなんだけど)

    もうそれだったらどうしようもない。とりあえず避けるべしということを形だけやって、あとは考えるのやーめぴっ♪という発想に至る人あまた。自分もそう。十分な睡眠適度な運動バランスの取れた食事。お題目のように唱えて過ごせば健康な体、だったら髪だって一緒に健康になるに決まってんだろう。十分な睡眠適度な運動バランスの取れた食事。十分な睡眠適度な運動バランスの取れた食事。地球で一番売れた歌のサビかよ。

    隠す、隠さない。

    考えたのをやめた人は隠さないのが主流なんじゃないかと思ってます。とはいえ禿が一瞬で進行するわけでもないもんで、うまく誤魔化しながら時間をかけて進行してくものと思います。男性はみんな、禿げてきたときにどう対応するか決めていると言っても過言ではない筈。で、多くの人がある程度髪型で誤魔化して、頃合いを見て坊主頭にするというパターンに落ち着くんだけども…自分もそのプラン。かつらにする人は度胸ありすぎて凄いと思ってしまう。でも、もし自分が十代から怪しくて、二十歳ですでに寂しいような感じだったなら…かつらとか考えたかなあ。

    神とか紙とかオチを考えたけど何もないので〆ますね。その辺は書き手の技量を加味してくださいまし。

    今日も雑でした。2点。