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緑カレー
タイカレーと呼ばれる種類に、グリーンカレーというものがありますね。スーパーで売ってるレトルトカレーに、ひと際美味なものがあって時折いただくのです。ただ、残念なことにレトルトの宿命とでも言うんでしょうか、具材はいまいちなのです。しょぼい鶏肉の感じがなんとも。味は文句ないんですけどね。下記のリンク先商品になりますんで是非。
ほんで、先日「肉のハナマサ」に行った時のこと、ハナマサ謹製、グリーンカレーのルーが売られていたのを発見。これは作ってみるしかないですね。手に取ってパッケージに書いてある作り方を見ると、牛乳を入れるとある。ルーの材料にはココナッツミルクのパウダーを使っているようだ。ココナッツミルクを用意しろと言われても困るので、牛乳とパウダーで代用ということか、なるほど。牛乳嫌いなものですから、牛乳を少なめにしたほうが好みの味わいなんじゃないかなーと勝手な想像する。しかしながら、今回は初回なので冒険はやめておこう。なお、輸入物と思われる瓶締めのグリーンカレーペーストなんかも売っていました。
具材はどうしよう。当然スーパーで普通に売っているもので揃える…まずタケノコ細切りの水煮。あとは人参を入れてみようか。豚のロースのかたまりをぶつ切りにして入れよう…というのも、鶏もも肉がコチコチ冷凍のブラジル産しか残ってなかった。カレーで鶏肉→豚肉のチェンジは流石に大丈夫だろう。あとは何か香りの立つものを、と思ったけどこのへんでカスタマイズを自粛。オレガノとかああいう粉が瓶に入ってるの買っても、そんな使わないんだよな。生姜とかニンニクも相性が不明なので今回はやめておこう。どっちも大丈夫だとは思うんだけどね、正直。さー整いました。いつものように画像がないのは仕様です。
結果として、まずまず美味しい。豚肉も違和感ない。ただ、牛乳を好まない故か、どうしても乳臭い感じがある。次は牛乳なしで作ってみようか。その場合、水の分量はどう調整したものか。完全に目分量にはなるが、カレーであるからして、単純な水分量は作りながら調整が効くだろう。また、そこまで辛くなかったのは、これも単に牛乳のせいなのかもしれない。一度は牛乳なしで作ってみねばなるまい。
インスタントみそ汁の賞味期限は案外長くない。今年の一月からストックしている食品たちも、徐々に消化して減っていってるのだが、みそ汁の減りが良くなかった。自分で出汁とってみそ汁作ってるのに、インスタントみそ汁のストックが減るわけないじゃないか。在庫チェックで気づいたあるパッケージが、7月ぐらいで賞味期限が切れてた。大袋で三つ、全部まるっと。中の小分けの袋でカウントすれば、20食ぐらいか。捨てるのはもったいないので一つ作って食べてみたが、味噌の香りが微塵もない。具材のドライ野菜の味わいにもどこか違和感覚えたので、危険と判断して途中で食べるのやめた。結果、全部捨ててしまった。一方、卵スープとかは一年ぐらいはいけるみたいで、まだ平気だった。それでも12月までのものがあったし、意識して順に消費しよう。
「非常時に」という建前なので、缶詰も三か所ぐらいに分けておいてある。杞憂?これが杞憂で済んだら万々歳だわ。ストックの入れ替えもかねて、日常的に買って消費してってやってるけど、本来は1/3ぐらいずつの量でまとめて買って、まとめて消費して…とやるほうが正しいのではないかな。ストックの分け方も雑だから良くない。三か所に分かれたストックをABCとして、それぞれツナ缶がいくつ、サバ缶がいくつ、なんて決めて管理するほうがいいか。こんな風にちょっと真面目に考えると、実は保管場所に箸を一緒に置いてないとか、飲料水は2か所にしか置いてなかったとか雑なところが目立つのなんの。だったら医薬品も一緒に~~とかやると、キリがない。そうだ、俺が三人に分かれれば誰か一人は助かるな!?
そんなこと言うとりますけどー。
二回目のグリーンタイカレーを作る機会が早速やってきた。事前の検討通りに、牛乳を使わずにやってみるというのと、今回はお肉が鶏もも肉となりました。んでニンニクも加えよう。油多め弱火で、スライスしたニンニクをじゅわじゅわ。少し茶色くなったのを出して、小皿に放置。チップにして最後に振りかけて食う算段。そこにぶつ切り人参をなべ底に自由落下させて炒める。そのままニンニク油で炒めてしまったが、これ大丈夫か。人参を少し炒めたらもも肉入れて、1分もせずに水を足す。普通は良く炒めましょうなんて書いてあったりするけど、そういうのはサボる。サボって不味かったらカレーなんぞ好んで作らない。サボっても美味いから作って食う。
そんなこと言うとりますけどー。
水分量は調整するつもりなんで少なめ適当。しばしコトコト煮込んで放置、人参も火が通ったなというところで、細切りタケノコたくさん入れてすぐにグリーンカレーのルーを半分ぐらい投入。ちまちま水と残りのルーを足して完成。一口頂いたところ、だいぶ想像と違っていた。牛乳をいきなりゼロにしているんだから、前回作ったものと味わいが別物なのは当然としても…。いわゆる「本場の」グリーンカレーをしらないので客観的な評価は無いです。でも、先のリンクに挙げたヤマモリ製品と比べると、味が薄いといえばいいのかな。塩分は強烈に感じるし、若干のミルクっぽさもあり、カレーのコッテリもあります。そしてまあまあ辛い。でも、香りは弱く、なにやら全体的に中途半端。牛乳でまろやかさをマシマシにしたほうがそれっぽい味わいなのでは。また、今回作ったものに関して言えば、あれだけ強烈なニンニク油の香りはどこへいった。グリーンカレーと相殺してしまったか。誰かが部屋に訪れたら、強烈な香りに満ちているんだろう。
というわけで、ハナマサのグリーンカレーは、あれこれ考えず普通のカレーと全く同じように作ってもまあまあ美味しくいただけました。ただ、日本式カレーに馴染んだ自分には、ちょっと中途半端な感じ。強烈な体験を得るには、それなりに材料の用意が必要でしょうか。そんなのあたりまえだな。なんだよこれ。次はカブトガニでも入れてみるか。
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WordPressで予約投稿したときに、更新日時を表示させない
http://likiroku.com/kousinbi-koukaibi-yorimae-hihyouji/
検索してリンク先の記事を拝見し、そらそうだなと。予約投稿を設定した日が実際に編集した日ということで、正しい。予約投稿で公開された日が公開日ということで、正しい。ですが、公開された瞬間に「最終更新日」と別の日付が書いてあるのは、確かに違和感を覚えます。二つの日付を比べて云々という処理を足せば済むという話も納得いくところ、自分もやってみました。
自分の環境では、coraldarkテーマの中にあるファイルで、ダッシュボードからテーマエディターで編集できるファイルでした。template-tag.phpの中にある、以下の部分を編集。
if ( get_the_time( 'U' ) !== get_the_modified_time( 'U' ) ) {
$time_string = '<time class="published updated" datetime="%1$s">%2$s</time>';
$time_string = sprintf( $time_string,if文で日付が同じかどうか判定しているので、大小の比較をand条件で追加して…
if ( get_the_time( 'U' ) !== get_the_modified_time( 'U' ) && get_the_time( 'U' ) < get_the_modified_time( 'U' ) ) { $time_string = '<time class="published updated" datetime="%1$s">%2$s</time>'; $time_string = sprintf( $time_string,
雑だけどこれでおk。引用した部分は前後を大幅にカットしております。
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嫁のメシがまずい、を超えて
同じ話書いたことある気もするけど。
普段の食事を頂くにあたって、家族と同居とか、寮にでも長いこと住んでいないと、他の人と食べるものが一緒になることなんてほとんど無いでしょう。外食に行っても同じメニュー頼むってそんな多くないでしょうよ。特に子供の頃は一般的にはご家庭のごはんが多いですから、ご家庭ごとのユニークな料理の味で育つ。加えて地域の特産がなんたらとなれば、食べ物の好き嫌いとか味付けの嗜好の多様な事ったらないわけです。自分は寿司は好きですが、ウニ、イクラはダメだ。あと、卵は火を通せ。半熟トロトロなどくだらない。広く一般的な食べ物だと、親子丼、カルボナーラ、目玉焼きを使いそうなものが地雷になるので外食では選ばない。オムレツは地雷どころか見えているアレってえすんぽーで。
で、個人の事情以前にね?料理には本質的で絶対的な評価パラメータがあります。それに比べれば、味付けの好みなんて本来どうでもええねん。食べても健康を害さないかどうか。この点に重きを置かずして食は語れないのであります。水銀は白身魚と相性がいい、とか言うやついない。
「そらそうだろ」という意見が殆どだと思いたい。改めて書きしたためる気になったのは、嫁のメシがまずいの何のという書き込みとか読んでて、そこにあったとある印象深い事例に触れたからでした。といいますのも、「嫁」はそもそも料理経験がない人だったようです。たまにそういう人もおりますね、では済まなかった。料理の経験がないと、料理に取り掛かる以前の「食材」に触れる経験も当然に乏しいのだということに気づいたのです。読んだ事例では基本的な食材の見分けもできないようでした。そら当然、調理前→調理後のイメージが全くないのではないか。そしてそして、これは腐っているのかどうか、火が通っているのかどうか、これ生で食べて良いんだっけ?…そういう知識もない。これは例えば歩き始めぐらいの子供が、刃物や炎、高所の怖さをしらないがためにケガをしたり命を落としたりする。料理でそういう事が起こるというわけだ。うーん怖い。
もちろん、料理をいただくほうにも常識はあるわけで、これは食べてはダメなのではないかという判断ぐらいはできらあ!口にしなければ健康不安は回避できる。しかし悲しいかな、嫁に気を遣えばこそ、どストレートに言う事ができなかったりもするもので御座いますね。世界はそれは愛と呼ぶのかもしれませんけど間抜けだわ。大体、美味い不味いの問題ではないときにどう表現したらいいのだろう。「(自分の好みではなく、人類の)口に合わないかな~」そんな指摘だけでは変わらない。自発的にレシピを読むような人間なら最初からこんな料理は出てこないんだ。味見をしてもわからないんだ。
料理の経験がない、という状況自体は案外簡単に起こるらしい。親が料理しないご家庭なら誰だってそう育つかもしれない。料理をする必要性に迫られるということが無いままに大人になると、上記のような事態も。しかし料理の鉄人だろうと、最初はだれだって未経験で、卵が上手に割れるようになった、というような所から始めていくんです。個人的な経験からしても、料理をしてみるというのは実益を兼ねた健全な趣味としてお勧めなんだよね。子供の趣味にしてはお金はかかるけど、そこは親御さんがお財布ということでさ。無駄にならない暇つぶしぐらいに考えて気軽にいってみよう。一人暮らしになるとお財布にもシビアになり、食材の管理にも気が回るように。料理の経験積めば、自動的に衛生的面でアウトかセーフかの判断も身につくと考えているけど…この考えは甘いでしょうか。
レシピを読んでもその通りに仕上がらないという事案もあります。「メシがまずい」とは本来このこと。こんなの単なる経験値だと思う。場数を踏んで徐々にメシが不味くなっていくことなんてあるわけない。夫婦間の関係でいえば、単に味わいの好みが合わない事案のことも多々ある。これは夫婦二人で頑張ってとしか言えない。どっこい、ここが悲劇に繋がる分水嶺。夫は味わい以前の命を守るかどうかの問題だと思っており、嫁はアレンジが良くなかったかな次は違うアレンジしてみよう♪と思っている。逆のことも、もちろんあるよね。これは中立な立場の軍事介入が必要になる場面なんです。勝手に攻め込んでは問題だけど、ご家庭からヘルプを出されれば助けることができる。嫁の飯が不味い件が解決できない人は、マジな話、常識的な一般人にきっちり事情を説明したうえで介入を頼むと良いと思います。旦那が自分の飯を食べてくれない人もですよ?嫁は真っ当な飯を作るのに旦那が偏執的なこだわりがあってちょっとでも好みと違うと受け付けない、なんて事例も御座いますので。
重たいご家庭の問題に首を突っ込むわけだから、はたしてどれだけの人が助けてくれるかって話ではあるんですが。
現代の暮らしでは、料理が無理なら無理で外食だけでも暮らしていけるのは事実なんだけど。状況はいつ変わるかわからないし、お料理できて損になることはないんだよね。コロナ騒動で飯に困ったなんて人、いるのかもしれない。選択肢一つ増えるだけで得られる豊かさを知っておりましょう。レトルトだって暮らしていける。それはそう、そうなんだけれども、世代を繋ぐ負の連鎖になっちゃわない?自分だってくいしんぼキッズの頃に料理を作っているところ眺めたり、手伝ったりして覚えていったんだから。とんでもない失敗して家族の晩飯をぶち壊し、しょぼくれてふてくされて励まされて。
世界はそれをメシとよぶんだぜ。
裏陳家奥義!女死不味喫鎮!
ぬうっ…あれが世に聞くめしまずきっちん…っ!
何っ!知っているのか雷電!
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「肉」とはそもそも何なのか
下書きのまま二年放置されていたものを、修正して公開しております。
「肉」とは何かという話題がニュースサイトから流れてきたので読んでみました。これが思いのほか興味深いといいますか。ここでいう「肉」ってつまりは「食肉」のことですね。宗教とかベジタリアンとかの話は無視。何ができても後付けでなんとでも転がる。
https://wired.jp/2018/09/28/what-is-meat/
単純に話が面白い。「細胞から培養して増やした肉」と言っても、我々が普段食ってる豚肉もその成長過程で細胞が増えて肉になっているではないか。なるほど、そらそうだと思う。豚に餌をやるのと細胞に餌をやるのと、どう違うねーん。ってね。魚とか鶏ならなおのこと、卵から育ててますがな、同じですやんって。
もちろん同じですね、で解決しない。食肉であるからして、当然、何よりも安全性を求めたい。消費者への説明、また消費側からの理解。栄養価、味わい。一般的な商品になるにはまだ課題は多そうだという印象がある。生産コストの問題だけは解決している筈。豚を育てるためにどれだけの設備、時間、餌が昼用かを想像してみると…。二年前のこの記事以降では、特にニュースを耳にしていない(追っかけてもないけど)むしろ人工肉よりも、「昆虫を食べよう」って話のほうを耳にした気がする。実際、課題は多いんだろう。
野菜はどうだろう。野生の(?)野菜って食べたことありますか。子供の頃、そこらへんに生えてるフキノトウを集めて家に持って帰ったことがある。これ野生だな。野生の野菜は、いわゆる「山菜」って呼ばれているあいつらだけなんじゃないかな。家庭菜園だって野生とは言わんだろ。ただ、すべてお膳立てしたといえ、野菜自体のライフサイクルの仕組みは、地球にもたらされているシステムをそのまま使っている。日光が別の光源になったり、お水にちょっと栄養があったりしても良いだろう。と、考えてみると、豚に餌をやって育てるのは、野菜の取り扱いと同じだ。
人工肉をこの話に投入すると、スタートラインがずれていると気づく。人間が手掛ける食品生産は、大根のタネ、子豚、鶏卵あたりからサイクルが始まっていると考えられる。人工肉は、種にも豚にもなってない何かの細胞を育てて…育てて…?何にするんだ。そう、ゴールラインも違うな。前出のリンク先記事中にもあるけど、ソーセージみたいなものしか作れないらしい。豚のばら肉とか、鶏のモモ肉とか、動物の一部分としての仕組みを再現するのは難しいと。なるほど、ただ分裂する細胞に、体の駆動に応じて変化するような属性を持たせることができない。数が増えるだけということか?この比較を経て、「肉」も「人工肉」も同じですやんとは言い難くなったが、今度はソーセージと同じですやんと言いやすくやった。
じゃあ医薬品は?端的に飲み薬。医薬品開発と同じプロセスで肉が出来たらそれは人工肉?…あ、粉のプロテインってすでにそういうことなのか?原料がささみ肉だったりしないもんね?粉のプロテインに油分足して四角くして売ったら人工肉?…あ、カロリーメイトってそういう
肉とはなんだろうか。人工肉が目標としているもの。食用とする動物の筋肉。美味いタンパク質。肉屋で売ってるもの。29日にみんなが食うもの。ベジタリアンが食わないもの。食べると動物愛護マニアたちが襲い掛かってくるので人間≠動物の証明になるもの。これは皮肉。
4点。
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「昔々、アナトリアで」を観た
アナトリアってどこやねん。Amazonプライムで視聴。
カテゴリはサスペンスらしい。なるほど確かに、「メタノール」とか「湿地」みたいなえづらです。ド田舎でおっさんのポリスメンズの捜査風景から。一体何がどうなってこんな事になっているのか説明もないけど、見てれば簡単に察しがつく。埋めた場所はどこだ!ってね。察しがつくからこそ、そこからの展開の意味が分からない。ふーむ、と思いながらぼんやりと、ぼんやりと眺めていく。こういうの心地よくなったらおっさんだわ。おっさんだけど。
ふーむ?の疑問が、最後まで見ると察しがつくというお話のようです。自分も察しはついたけど、で?なんで?ってなった。ネタバレ的なレビューを見て納得できたから、いつものように何かを見逃していた。登場人物がやっていることはハッキリしているので、お話の筋についていくのが大変ってことはない。
こういう事書いても良い季節になった。秋の夜長にまったりどうでしょう。