どくしょかんそうぶん

「寄生獣」を読んだ

懐かしい。以下、ネタバレです。

Amazonプライムで無料枠で3巻まで読んで、知っている場面と記憶にない場面があった。多分、以前読んだ時には立ち読みでもしたんだろうなと思う。床屋で待ってる時とか?4巻以降を電子書籍でお買い上げ。やはり所々知っている場面があったりした。

連載は1990年から、1995年。当時はやっていたタイプの漫画のように、すごいパワーを得た主人公が格闘アクションする。連載時期はドラゴンボールで言えばナメック星に向かう~連載終了までの期間。本作は強敵と戦うだけではなく、地球と人類のありかたについての疑問を呈するというシリアスなテーマがある。最終巻、作者の後書きも載っているんだけど、印象深い一文がある。

「寄生獣の開始・第一話を描いた頃、世間は現在ほどエコロジー流行りではなく、環境問題についてもさほど騒がれてはいなかった。つまり、『愚かな人間どもよ』と言う人間が滅多やたらにはいなかったのだ。」

寄生獣 10巻あとがき

作者のいう「エコロジー流行り」というのが具体的に何かはわからない。ただ、この作品が連載されていた当時の自分は中学生、高校生だった。自然環境への取り組みがされていなかった、なんて記憶はない。ダイオキシン問題で、そこいらの庭の焼却炉でゴミを燃やして処分することなんてできなくなった。フロンガスの件もこの頃じゃねえかな。人類がなんとかする必要がある、という認識はだれしも持っていた。それこそ「人類が悪い!」みたいなのはモチベこそ違えど似たようなことが聖書関連にもあるとかないとかあるとか。

適当な事いうておりますが。

で。

最後まで一気に堪能したんだけど、物語の最後のほうで少し首を傾げるところがあった。市長を名乗る寄生生物を射殺したところ、実は市長は普通の人間であったことが判明する。なんとビックリ…ところが、その人物はミギーにより寄生されたものと判断されている。5巻ぐらいかな、街中で演説しているとき、ミギーによって壇上に六人いるとカウントされていた。その六人に含まれている。ミギーは「私もこの距離では見分けにくい」と言っているから、確かに彼が寄生されていると断定はしていないが、壇上には彼を含めて六人しかいない。おやおや?

こういうのが伏線っていうのか?(どうも、伏線が伏線がって読書感想文ばかり目について辟易するんですがー)

こいつが寄生生物組織のボスであると、一部の隙もなく読者に思い込ませるためのフリなんだろう。作中では、街頭演説の場面の後すぐに、ミギーがこの”人物”の事を評している。「人間に成りすまして勉強しているうちに、本当に政治に関心をもつようになったのではないか」とか、「案外立派な市長になるかもしれん」とか、「戦っても勝ち目もないし」など。これで人間であると思って読んでいた読者はいないんじゃないかなあ。

ところが、人間だと判明したときの「あれ、こいつ人間だ」で済まされてしまうのもまた見事な展開だと思う。こいつが人間だったという事は、どういうことか。読者に投げかけているわけだ。演説の場面は、正体不明の敵を偵察に行ったら想定以上に大人数でマズイ、という緊迫した場面。この場面ではト書きでしかない彼の演説の部分だけあらためて読み返してみれば、割と普通の政治的主張に読める。実際は、連載当時では尖っていたのかもしれない。

どうも人類の存在自体が災いであるという発想を人間自身が持つということ…そういう発想に至ること自体が、そういう目的の”生物”が誕生すること自体も、生命の大きな仕組み、流れの中にあるというなら?

あほくさ。

なお、本作はイエローモンキー種以外の人類は登場しない。地球と生命という大きなテーマがありながら、地方都市の騒動で畳んだのも、見事なもんだなあと思いました。本当にそういう処理をしそうじゃないすか。

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