ふでのゆくまま

  • どくしょかんそうぶん,  ふでのゆくまま

    刃牙道->最終巻->読者層->圧倒的->低評価->大団円

    タイトルはちょうど三文字区切りになったので並べて遊んだ。

    実際に刃牙道22巻の評価をご覧になってはいかがかと思います。レビューなどそこまでアテにはしない性質ですが、自分も実際に読んで呆れたので、低評価は納得です。最低評価の「☆1」が7割近いです。真っ当な商品でこれは凄いことです。真っ当な商品というのは、印刷がおかしくて読めないとか返品対象ではなく、商品としてちゃんとしているのでクレーム入れて返品とかできないもの。商品として毀損無く販売できるもの。

    つまり作品の内容だけで低評価が7割。

    これ、雑誌の連載なんですよね。だから、最終話はそれ単体で読んだ人がそこそこ存在する筈です。どう思った事でしょう…単なる次作の構想メモみたいな内容でした。予告ですらない。次回作、読もうという気にならないなあ。どーせ、ノミノスクネが花山薫の血縁とかそんな話。

    あ、大団円って作中の話ではなく、読者みんなで( ゚Д゚)ハァ?って顔をしているってほどの意味です。

  • ううう,  えさのじかんだ,  ふでのゆくまま

    アンソニー・ボーデイン氏の訃報

    お気に入りの書籍に、「キッチン・コンフィデンシャル」がある。めんどくせえ人生の困難に、ゴリゴリと立ち向かっていく印象だった。ああ、細かい内容はもう覚えていない。若い男の、人生のモチベーションっつうやつ?読み直そう。

    No Reservationsもとても面白い。世界を旅して飯を食う。単にうめえ店で食って終わり、じゃなく、ちゃんと「会話」があったり、放映向けの「冒険」があったりする。そこいらの露店で現地のシェフと飯を食う。なんならご家庭にお邪魔する。また一方で、高級店にも訪れる。たしか東京ではすきやばし次郎に行っていたような記憶がある。日本人だって訪れないまま死ぬ人が殆どのお店じゃねえか。チキショー。

    残念なことに、ホテルの自室で首を吊って自殺したそうだ。この手の訃報が届くたびに、人は、他人の心の中まではわからないものだ、と噛みしめる事になる。ご冥福。

  • えさのじかんだ,  ふでのゆくまま

    迷いない日々

    非常用リュックを整理すると、賞味期限が三日ほど過ぎたマヨネーズが出てきた。ま…まあこれをすぐ使っても健康上に問題ないのは間違いない…はず…。これでは非常用の備えとはし難いので、新しいのを買ってきて交換する(A) ここに都合三本のマヨネーズがあるというのは私の人生において初の位相となる。では、まずその賞味期限の切れたマヨネーズ(B)を使ってしまおうと思えども、三本目たる既に現在使いかけのが一本(C)あって、さてどちらを先に消費するかという問題ですが、先に使いかけのもの(C)を使い切る選択をし、無事使い切った現在その賞味期限切れマヨネーズ(B)の発掘から実に一カ月とちょっとが経過。見た目に異変はないが果たして口に入れて平気かと。マヨネーズなんてそんな急激に減らないからなあ。まあポテトサラダでも作ればよかったんだけども。

    ポ テ ト サ ラ (D) !!

    2年ぐらい作ってないかもしれない。うーん、良くない食品だ。しかし頭の中のイメージがイメージをうをういいううじょい。賞味期限が一カ月すぎたマヨネーズ(B)はこれで消費してしまうことにする。勿論事前に調べた。インターネットにその知恵を求めたところ、たぶん食っても大丈夫だとゆーことだ。では、調子に乗ってがっつりつくってモリモリ食うことにする。一気に消費してしまえ。祭りだ祭りだ。それでも一応、食材を買いに行く前に、一口ペロッと舐めてみる(B) 味に異変はない。びびって、小一時間ほど家で様子を見て、体調は問題なさそう。深く深呼吸。

    まあそこまでして食うなという話。

    ポテトサラダは下手すれば一日分のカロリーを一食で取るので危険だ。素人が適当に作ったポテトサラダなんて時間たつと美味しくないし、美味そうな湯気が漂っているうちに、食っちゃえーとなる。温もりの残っているうちなら本当に美味いんだ。さて材料。玉ねぎは家にあった。スライスし、水につけて材料を買いに行く。おなかの調子もだいじょうぶだ。きゅうり、じゃがいも、人参(買ったのに入れるの忘れた)卵、かまぼこ、ついでにその他もお買い上げしまして帰宅。

    きゅうりをスライスし、塩振ってしばし放置。卵を5つほどホクホクに茹でて、剥いておく。かまぼこスライス。玉ねぎも水からあげて、塩振ってもみもみ。強く握って絞る。しんなりしたきゅうりは超全力で握って絞る。うおおおお。じゃがもを鍋に入るだけ入れて水差して30分ぐらい茹でる。茹で上がったら指先を水で冷やしながら素手にて皮剥きの気合、元の鍋に戻してマヨネーズ(B)ぶっかけながら潰す。ゆで卵をぶっこんで狂乱しながらしゃもじで突き崩し、キュウリ玉ねぎかまぼこを投入。錯乱しつつ撹拌して、塩胡椒を強めに効かせて鍋から直接、だいどこで立ったままハフハフ食う。マヨネーズ(B)が常温だからハフハフで食える。ちなみにジャガイモは中サイズ6つ。若いころは全部食えたけど、老いましたね、たったまま半分ぐらいまで減らして一旦休憩。流石に器に移して続きを食う。また小一時間の休憩して、完食。兎に角満腹になった。

    鍋の周りに飛び散ったゆで卵などを掃除し、賞味期限の切れたマヨネーズはまだ残り半分。流石にもうマヨいなく捨てた。このテンションの上がりようはどうしたことか、一緒にあたりめでも買ってくればチューブ一つのマヨネーズを一日で消費した可能性まである。ねえよ。

    桜が散るに任せた、花見にもいかないある美しい休日でございました―――。などと〆まで書いていたら、お披露目するにあたってもう梅雨が間近ということです。マヨネーズ(A)を次に交換するときには、またポテトサラダを食いましょう。

  • ふでのゆくまま

    栗城史多氏の死亡の知らせに関して

    そりゃそーですよね。

    彼の活動には多くの専門家が疑問を抱き、ついには野次馬からはプロの下山家とまで揶揄されてしまった。批判されるに値するような活動だったのだろうか。そういう情報はネットを探るにいくらでも出てくる。結局はまた無謀なんだか自棄なんだかという挑戦の最中に亡くなってしまった。亡くなってしまえば…というのも引っかかる言い回しだけども、まずはご冥福と手を合わせるしかない。

    素直に言って、なんかこう、美談になって欲しくないんだよね。寧ろ周りに彼を止める人は居なかったのかって思う。強くそれではダメだと言うような人が…。子供じゃないんだから本人がやると言えばやるんだろう。そりゃそうなんだろうけど。

    彼の活動歴はwikipediaにも、彼の活動い疑問を持つ人たちの間でも情報はまとめられている。挑戦は多いが失敗も多い。単独だとか無酸素だとか仰々しい宣伝文句も、誇張に満ちている。死亡を確認したのも現地シェルパだという。最後まで単独云々は嘘でしたって事になってしまうの?なんだろう…納得できない。挑戦したいならすれば良いじゃないか。なんでうそつき呼ばわりされるような設定までして挑むんだ?そうでもしないとスポンサーはつかないものなんだろうか。あるいはスポンサーがそういう”方針”を決めているとしたら、そのスポンサーは無責任でいられるか?

    ここまでが、「そりゃそーですよね。」という感想の根拠。彼について、何度か挑戦すればいつかは、というレベルではなかったようにしか読めないんだよね。もしかしてチャーリー・ゼレノフみたいな人なんじゃないかと思ってしまうんだ。(自分の別ブログで書いた記事)

    大きな目標に挑戦し続ける事は素晴らしいと世間は言います。そうでしょう。何事か成し遂げることが出来ることもあるでしょう。でも、資格というか、超えるべき壁を超えて進んできたという積み重ねが要るもんだとおもう。そんな壁を超えると、あるいは壁を超えることが出来ずに諦めかけた時、鍛錬とか経験という言葉では説明できない何か一つの、感情のようなものを得ることがある。

    栗城氏は自分を見つめただろうか。冷静に現状を分析したのだろうか。良くわからないけど次こそ行けそうだ、なんて毎回気軽に思っていただけなんだろうか。自分はそういう、兎に角挑戦の数を重ねようという心構えが、良いものだとは思えない。トレーニングだというならそれで良いのかもしれないけどね。

    彼の心境など彼でしか知り得ないものだし、どうこう論じようもないけど、どうしても想像してしまう。どうやら今度こそ命が危ないという時に、「何で無酸素とか言っちゃったんだろうなー」なんて後悔してなかっただろうか。「もっとトレーニングしておけばなー」とか。「あの人のいう事聞いておくべきだったなー」とか。

  • きかいじかけのかみ,  ふでのゆくまま

    審判の非

    スポーツ観るのは好きです。

    現地で観戦の面白さも分りますが、やはりわてくしは今時のインドア派ですから、おうちでインターネットで楽しみます。昨今はネットでも中継など当たり前のようにされますし、そういうネット配信環境は現地観戦に比べると競技の内容だとかが把握しやすかったり、解説が付いていたりで、大変に楽しめて良いです。内容把握できないもんを現地観戦には行きませんがね。ネット配信はどちらかと言うとマイナーなものも多く放映されています。ダーツとか、スヌーカーとか。どっちもメジャーだと?では、丸太を切ったりする大工の競技会とかどうでしょう。スポーツとは言わないかもしれませんが、ポーカーなんかもありますね。お家のPCだと、見ていて面白くない時に一瞬で他の事に切り替えられる、というネガティブだかポジティブだか怪しい特徴も良いです。例えば映画を見ている時だって、ツマンネやーめたって思えばすぐに他の事が出来る。

    そんなインドア観戦で楽しむ映像の質もだいぶ向上して、リプレイのスローモーションも被写体がブレブレのコマ送りなどではなく、その一瞬まできっちり映し出すことができるようになりました。こういった映像が見ている人すべてに伝わるとなると、現場で働く審判は大変ですね、という話です。スポーツの種目によっては、どうやっても人間の目にはリアルタイムで追えないようなものをジャッジする必要があるのですが、追えないんだからそら無理だよって。さてどうしましょう。サッカーなんかは選手以上に走りながらの仕事なので、現状でもとても良く仕事してると思うのですが、すべては見れませんからね。

    画質やら撮影技法の向上により、細かい挙動も確認できたりするのです。これによって、審判やプレイヤーを欺こうとするような選手の行為も我々はまざまざと目にすることになります。サッカーとか。サッカーは元来、現地よりも映像のほうが楽しめると思って観戦大好きだったのですが、正直、前述の行為のイメージが強くなりすぎてもうあまり好きではありません。どう見てもファールなのに両手広げて審判にナンデダヨーみたいなアピールとか。クッソはずい。そら選手や観客の思惑通りにはジャッジされないこともあります。だからって、どう見たって相手に肘を入れにいってカード貰ってるのに審判に悪態をつくとか、こういうの見てて興味失います。こちらはその証拠というか、判断に足る情報見えてるので。あなたバレてますよ?って。勿論、毎回毎回そういうことが行われているわけではないですよ。とはいえなんかね。プロのスポーツでこういうの見る気失せます。

    そこで昨今、人間に頼るのではなく、ジャッジも迅速で正確後から参照する証拠も残せる何かテクノロジーに替えたほうが良いのではないか、という事になります。話の方向性としては自然ですよね。ここ数十年はまさにそれこそが文明の証とでも言わんばかりの、人間の作業を何かしら半自動化する流れ。自分の身の回りでこれが実に上手くできたのではないか、と日常的に実感できるものに、お店のレジと駅の自動改札があります。もっといろいろ思い当たる人もいるでしょうが、日本の都市部に住んでいればまずはこの二つじゃないかなー。何かを読み取ってピッ。自分で写真が撮れる、なんてのもそれに含まれるのかしらん。

    ではスポーツでもそんな仕組みをうまく取り入れてなんとかできないか、となるんですけど。はたしてスポーツのそのシビアなスピードに追い付けるのかということ。明確性を満たせるのか。その設備は現実的に導入できるお値段になるのかということ。技術面については可能だろうと思う。例えば今でもドライブレコーダーの動画なんかを見たりするとそう思う。あれのプロ向けというか高性能品だったら…と想像すれば、余裕でいけそうだ。ご予算はシビアだろうけども…。少なくとも、世界のプロスポーツの何処も手が出ないなんて事にはならんよな?アメフトなんかドローン飛ばしたりしてんのに。だから、実際に審判を機械メインにしてみましたーってのを目の当たりにする日が来るのは、そう遠くないと思っている。

    おーできるじゃん、と。しかし、それでもまだ技術面で懸念している点がありんす。機械というかコンピューターの力で情報を取得し、後追いでなら、判断は明確にできるようになりました、と。でも、それを観客とプレイヤーに分りやすく表現できるのだろうかか。ジャッジはゲーム中に行われるもので、選手もそのジャッジを判断して次のプレーに移るわけですから、リアルタイム性とぱっと見の分りやすさが担保されねばなりません。スポーツによっては大袈裟なアクションに代替するものが必須になりますが、どうだろう。機械が得意そうな光と音で対応できる?もしかしたらゲームの演出をリアルに映し出す、ぐらいの大袈裟さが必要なんじゃないかなと思う。ボールがラインを割ったら芝の色が変わる、とかですよ。

    …そんなのは流石に難しそうじゃないかな?なるほど、そら現時点ではまだ人間と技術のハイブリッドになるわけですなあ。出来る所から導入していく。考えてみれば…NBAのブザーと、バックボードが光る仕組みを見た事あるでしょうか。バスケットボールには何秒以内にシュートしないとダメってルールがあります。その秒数を経過すると、バックボードが光ります。あれが光った後のシュートは得点になりません、ということですね。なので以下の動画のような見せ場も、一旦ジャッジのほうを確認する、みたいな必要がなくて観客の盛り上がりにもスピード感がでます。野球で言うと文句なしのサヨナラホームラン的な。

    自分は結構ゲーマーなので、人間のジャッジが居ない世界で遊んでいます。だから一発で全部テクノロジーに切り替えるには云々とか考えだしてしまう。そうじゃなくて、取り入れらるところから、仕組みとルールを調整していけばいいんですよね。あとから証拠参照で、ジャッジの結果を変えれますよって。野球でたまにあるチャレンジとかいうアレ。こういう仕組みの導入を何度か繰り返し、もろもろ足して引いてしていって、何処かでこれで良いんじゃないか?ってポイントが見つかって、その時点での解決策とすれば良いんですよねー。考えてみれば、みんなそうじゃないか。電光掲示板にリプレイが出る、選手の名前と背番号の一覧が出る…みたいなものも、昔はなかったじゃないか。先のバスケットの動画だって、そこまで高度じゃないテクノロジーを効果的に使うことで、秒数経過という客観的には分かりにくいルールを明確化に成功しているじゃないか。ど当たり前の話で御座いました。

    だけど、個人的にまだ懸念点があります。そんな素直にテクノロジーを信頼するもんだろうかという心配です。というのも、リアルタイムの映像加工なんて現時点の技術でもできてしまうじゃないですか。ちょっと線の外か内か、なんて…。テニスを例に出しますと、あの土じゃないコートでは、ボールの跡も残らないだろうし、そりゃ機械に頼る。サーブの速度なんて200Km超えてきますから人間の目には厳しい。ではリプレイ映像を参照しましょう、というこの映像が悪意で改竄されていないと言い切れないのではないか問題。これでは映像証拠を確たるものとする、という前提が揺らぎかねない。信憑性があるからこそ、ルール内の一定の範囲に於いては機械的な判断結果を人間のジャッジに優先するようにするってアイデアなんですから、本来。

    さてどうしましょう。これでは今の人間の審判と立場が一緒では?結局は納得のいかない立場の人が出てきて、すったもんだする。結局は人間同士での権限のぶつかり合いで決めるのでしょうか。ここに「この映像が加工されているんじゃないのかチャレンジ」が始まってしまいます。これは言うなれば、この電気審判は買収されているのではないかチャレンジ。八百長疑惑の追及をリアルタイムで。試合中という限られた時間でその尻尾を掴めるでしょうか!?…もはや新種のスポーツと言えましょう。

    そう、これがe-sportsの興りでありました。翼よあれが審判の灯だ…。

    本日の漫談ここまで。あまり実のある考察にはなりませんでしたね。ちなみにe-sportsはFPSのハードコアなのが好きです。

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    サッカーで例えたら本編におさまりきらなかったので。野球のように、ルール上ゲームが一旦停止的な扱いになる場面があり、それに当てはまる状況か否か。また、プレイヤーの次のプレイへの意思がどうかでジャッジが変わったりするようなものは、機械には難しいという感じもあります。そらサッカーだって意図してない衝突とかありますけどまあ。