ふでのゆくまま
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もしもあなたの車が勝手に動いて安全に目的地に着くならば
中で寝ますよね?
一定の条件下で自動運転モードになるような機能のついた自動車の宣伝がながれておりました。そのような機能が発動したあとは、運転に集中する必要がなくなるため、車内で精神の病を発症したようなテンションで大盛り上がりではしゃいでいる家族というような描画がされていて、そんなわけねえだろと思いました。自力で運転しなくても移動できる状態が、それそのままタクシーや電車のようなものだと考えると、まずは寝るのでは。
人は仕事に間に合うように目覚め、勤務地へ移動します。寝ながら移動ができないためです。勤務地の隣に住めないからです。おうちを勤務地にするという手法で解決を成し遂げた人もおりますがまだまだ少数派。人間は寝ないと病み、やがて死にますね。寝ましょう。
中では眠っている人が横たわっている車が大量に走っている世界。どうでしょうか…。駐車場が看板をモーテルに変えたら当局から消火設備がないと指導を受けたとか、電車で寝るホームレスが「専用個室とは豪勢」だねえと感心したとか、帰るのが億劫だから車に住んでたら住所不定になってクレカの審査落ちたとか、一切の凸凹のない安眠道路が建設中だとか、販売店のオプションに枕があったとか。まあこんな小噺ぐらいになるな。いや、枕か。わはははははははは。爆笑の渦。
ま、渦を巻くぐらいの人数だったら、ぐーすか寝てないで何をしましょうかという話なんでしょうけども。車の作りって、みんな同じ向きに座って前に二人後ろに三人とかで…その座席で何しましょうね?どうあってもピンと来ないCMに眠くなる春の一日でございまし。
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せとうちフェア
近場のスーパーでやけ食いの依代を漁っていたところ、店内放送が耳に入った。
「とうてんではただいま、せとうちふぇあをじっししています」
瀬戸内フェア。なんとなしに見当がつくが、ふと寂聴のほうを想起してしまった。ボンカレーのパッケージが目に入ってしまい、それを脳内で寂聴に変換したところ実に愉快な買い物ができた。ボンカレーは買わなかったすけど。
こんな一言を書くために瀬戸内寂聴についてネットで調べると、実に豪快な人である。出所が怪しいような情報もあるものの、ちょっとイメージと違っていた。こういう味わいを人間味と言うのだろうか。故事に言う、英雄色を好む。談志が言う、業の肯定。それでいて清らかで純であるという雰囲気を称すならば…例えば「徳」とか?
まあ寂聴さんのケースでは法曹に属していないとまた色眼鏡の色が変わるかもね。西原理恵子みたいな扱いになったら楽しかろう。具体例は書かねえ。徳が下がるし。
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「memento」を観た。
これは面白かった。
時系列にトリックを仕込んだミステリーなんだけど、こういう症例は実在するらしい、ということを聞いたことがあるので、とてもスリリングな感じになった。筋書きでずーっとストーリーを追うんではなく、短時間ぶつ切りの構成になっているのが上手い演出。ちょっと複雑すぎる作中の設定から置いけぼりにならないようになっている…のは副作用…まあ作品を見ての感想なので見ないと意味が分からない文章なのはご勘弁したれ。
「パルプフィクション」をさらにぶつ切りにした、みたいな言い方は流石に乱暴なんだけども確かに雰囲気はあんな感じがある。見終わった後もいかようにも解釈の仕方がある謎が残り、興味があるなら映画のネタバレ情報をまとめたようなサイトに答えを求めてもよし、もう一度見てみるのもよし。映画のストーリーとして表現された前後の時間にも、凄いことが起こってそうな。そしてこの物語はどういうふうに終わりを迎えるのか。
また一つ。もし自分だったら?自分だったらこの状態にどう対処することが出来るか?と想像するのも実に楽しい。そら本当のリアルのマジのガチで起こったら気楽に楽しめるようなシチュエーションではないけど、もしの話で想像する分にはとても面白い。今あなたはこの文章を読んでいる。PCか?スマホか?紙だったらサイン書いてあげる。視線をあげてみよう。その瞬間に映画と同じことが起こる。そういう症例は実在するらしい、ということを聞いたことがあるので、とてもスリリングな感じになった。筋書きでずーっとストーリーを追うんではなく、短時間ぶつ切りの構成になっているのが致命的。ちょっと複雑すぎる世の中から置いけぼりにならないようになっている…のはあなたの必死さの故…まあ作品を見ての妄想なので見ないと意味が分からない文章なのはご勘弁したれ。
「パルプフィクション」をさらにぶつ切りにした、みたいな言い方は流石に乱暴なんだけども確かに雰囲気はあんな感じがある。見終わった後もいかようにも解釈の仕方がある謎が残り、興味があるなら映画のネタバレ情報をまとめたようなサイトに答えを求めてもよし、もう一度見てみるのもよし。映画のストーリーとして表現された前後の時間にも、凄いことが起こってそうな。そしてこの物語はどういうふうに終わりを迎えるのか。
また一つ。もし自分だったら?自分だったらこの状態にどう対処することが出来るか?と想像するのも実に楽しい。そら本当のリアルのマジのガチで起こったら気楽に楽しめるようなシチュエーションではないけど、もしの話で想像する分にはとても面白い。今あなたはこの文章を読んでいる。PCか?スマホか?紙だったらサイン書いてあげる。視線をあげてみよう。その瞬間に映画と同じことが起こる。そういう症例は実在するらしい、ということを聞いたことがあるので、とてもスリリングな感じになった。筋書きでずーっとストーリーを追うんではなく、短時間ぶつ切りの構成になっているのが致命的。ちょっと複雑すぎる世の中から置いけぼりにならないようになっている…のはあなたの必死さの故…まあ作品を見ての妄想なので見ないと意味が分からない文章なのはご勘弁したれ。
こういう症例は実在するらしい、ということを聞いたことがあるので、とてもスリリングな感じになった。筋書きでずーっとストーリーを追うんではなく、短時間ぶつ切りの構成になっているのが上手い演出。ちょっと複雑すぎる作中の設定から置いけぼりにならないようになっている…のは副作用…まあ作品を見ての感想なので見ないと意味が分からない文章なのはご勘弁したれ。
もし自分だったら?自分だったらこの状態にどう対処することが出来るか?と想像するのも実に楽しい。今あなたはこの文章を読んでいる。PCか?スマホか?見終わった後もいかようにも解釈の仕方がある謎が残り、興味があるなら映画のネタバレ情報をまとめたようなサイトに答えを求めてもよし、もう一度見てみるのもよし。視線をあげてみよう。その瞬間に映画と同じことが起こる。この物語はどういうふうに終わりを迎えるのか。まあ作品を見ての妄想なので見ないと意味が分からない文章なのはご勘弁したれ。
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ネタにするなら雑にはやるなって話です。映画が面白いのは本当。 -
銀翼の再発明
正月休みのうちから今年は始まった。24:00を回ろうかという時刻、駅に向かう道すがら、通りには人っ子一人いない、と言いたいところで、思いがけず、電動車いすに乗った方とすれ違ったのだった。
そのようなシチュエーションであるからには通りは大変に静か。見慣れる様子で近づいてくるそれが車いすだと認識してすぐに、車いすのモーター音も耳へ届く。だいぶ距離があるが、モーターの音だなと把握できる程度にはっきりと聞こえてくる。人も車も少ない、どころか自分とその方以外にはいないような状況のためだろうか、結構な速さで走らせているようにも思われた…なればこそあのようなモーター音もいっそう響いていたんだろう。こちらとすれ違う時にはややスピードを落としたようだ。振り返り見送ると、速度を落としたまま角を曲がり、住宅街の暗がりへ消えていった。走行音はもう届かない。
一月三日の深夜24:00近くに車いすの方が一人で走っているという、非日常な感じは感慨深く。今年はどうなるだろうか、なんて思ってみた。これから出勤である。翌日、というか当日の夜は運が悪ければ20:00ぐらいまでのお仕事だ。そのこと自体は一カ月も前から決まっていたことなので今更不平は言うまい。しかしながら、悪い予感ばかりしていた。結局その悪い予感は大当たりしてしまい、一週間ほどなかなかハードだったのだが。こっちもモーターが鳴りっぱなしでおま。ギュンギュン。
はたして振り返るに、今年の冬は雪が多かった。ふとあのような雪の日には車いすの方々はどうされているのだろうかと疑問に思う。車いすにスノータイヤなんて聞いたこともないが、どんなタイヤだろうと車いすでは雪の中では移動など出来そうにない。雪を掻き分けて進む様なパワーが普通の車いすに備わっているものだろうか。パワーが足りなすぎるんじゃないかと。
「車輪の再発明」って、よく耳にする例え。既に出来上がっているものを積極的に利用していくべきである、という考え方の一環で、わざわざ車輪を発明するようなコストをかけるなというような戒めである…あってます?雪の日に車いすはどうするのか、という点でもなにかこう簡素な発想で対応ができたら良いのだが。
ネットで検索すると、そりに載せてそのそりを他の人が引いていた。そりゃそうだよな。水の上を進もうとすれば車いすごと船に乗せる。そりゃあそうだよ。でも一人ではいかんともしがたい。タイヤの付け替えもちょっと一人ではできそうにないもんなあ。そんなことを考えて、雪どころか雨の日でも厳しくないか?って思い当たった。
車いすの方が雨の日に傘さして移動している所を見たことがない。カッパ羽織っているのは見たことがあるが、着るのも畳むのも大変そうだ。もちろんいろいろ工夫の余地はあるんだろう。
車いすでバスケとかテニスとか、正直無茶な事するなあって。スポーツだから無茶が出来るけど、ああいう競技をこなす人だって階段とか絶対むりでしょう。
では、車いすのほうを新しくするのでは。例えば風防付ければ雨は平気だろうか。でも乗り降りが大変そうだ。では、街を新しくするのはどうだ。車いす専用のインフラに溢れた街…というのもどうなんだ。街を一歩も出ることが出来ない、なんて状態では住みたくないだろう。では、人間の体のほうを新しくするのはどうだ。地球を変えれば都市部に雨や雪がなくなるな。水源にだけ降るとかいうこt
いつものくだらない話の流れになってしまった。こういう下書きを2カ月も放置しているから、本当に雨の中車いすで移動中の方を目撃する。寒さも緩んだ夜に、しとしとと雨の降る通りを静かに進んでいる。自分の手でタイヤを回して進むタイプだ。こちらも仕事からの帰路なので、夜の闇に紛れているが、カッパを着てはいるように見えた。髪と耳が見える。フードを被ってはいないようだ。首から上はかなり濡れているに相違ない。そのままゆるゆると暗い歩道を進み、角を曲がり、住宅街の暗がりへ消えていった。ん?もしかしたら年明けにすれ違った人と、同じ人だったのではなかろうか。
足を失った分、手でも増えればいろいろ捗るだろうか。なんなら銀の翼でも12枚ほど?そんな筈ないんだよね。経験ないからわからないけど、叶うならばもう一度足を、ってなるものではないだろうか。…生物は進化する、という考えでは、人類も遠い未来にその姿かたちが変わっているらしい。宇宙人みたいなデカい頭に退化した足、みたいなイメージ図を見たことがある。いわゆる原始人とか、そういうのと比べたら、今の我々も姿かたち、骨格は変化したと言えるのではないか。何かのアクシデントや長い時間を経て、魚は海から陸にあがったらしい。だったら同じだけの時を経れば未来の我々のすがたかたちもあるいは。
いつか自然の摂理がそういう変化をもたらす。変化が間に合わなくて死滅なんてことになる前に、文明でもろもろカバーしてきたし、しつつあるというのが現代で…例えば気象条件が著しく異なる場所でも衣類でカバーするとか船を浮かべて水の上に暮らすとか…。次なるフロンティアの宇宙での生活が始まったらどうなるだろう。今のところ、地球を模した環境を宇宙に用意しているけども、ある時に宇宙に適合した進化を遂げるんだろうか。空間で生きるのは如何にも無理だろうけど、重力が地球とは異なる世界に生を受ければどうなるか…。何世代も何世代も。そうなればどこかで人間は再発明されたことになるんだろうか?
何年も前から、宇宙へのあるいは特定の惑星への移住ってSF草子に花を添えるストーリーであった。技術的な観点で実現できそうになりつつある気もするが、地上の現実は、足の機能が喪失してしまえば雨雪に対応するのも難しいってわけで。これははっきりと格差だよなあ。次の人間の居住地では、こういうのもっとえげつなく広がるのだろうか。ゼロから都市を作ろうというのだからそれはもう文明と歴史の再発明になるし、差別と戦争の再発明にもなるんだろう。
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何が書いてあるのか読み返してもイマイチ意味がわからないが、再発明って言いたかったらしい。頭の悪さがここまで出てしまうのも個人的には面白い…。なんかオチを思いついた筈なんだけど完全に忘れている。まあ車いすのくだりが事実なので印象深く、ボツにせず記録に残しておきま。ギュンギュン。 -
「砂の器」を観た
えっ。あれ森田健作なんだ。一応ネタバレあります。
1974年の映画のデジタルリマスターというやつ。amazonさんにて視聴。原作は本格的推理小説らしいが、本作はむしろ人情ものとでも言ったらいいのか。俳優をやっている丹波さんはあまり見たことがないので新鮮。自分には大霊界おじさんというイメージがありますねえ。(敢えてマニアックに言えば、ブリーフ4というお笑いのバカ騒ぎ企画で丹波邸に突入するという物があって、あまりにアレな伝説級の出来事だったのでその時の丹波さんの印象が強い。見たい人は各動画サイトなど)この映画発表年は1974年。自分生まれてません。昭和で言うと49年ぐらい?作中に存命の人物として登場するひとびとのプロフィールが、普通に大正うまれとかそういう時代。
技術の介入により画質はとても綺麗だけど、作中にでてくる役所にもパソコンなどあるわけもなく、みんなそこらじゅうでタバコ吸うし。街並みも車も古い!車に詳しくない自分でも知ってる、ミラーが車のフロント近くについてるのが昭和の車。ドアの部分についてるのが平成以降の車。情報集めも、今なら座ったままパソコンで調べてわかりそうなことを、二泊して現地にいって調査したりしている。刑事が訪れるのは如何にもな日本の田舎。田園風景は自分の故郷の景色に重なってそこが一番涙腺が緩んでしまった。
クライマックスを演奏シーンに重ねたのは格好いい演出だなあと思いつつも、ちょっと指揮の動きがぎこちないかなと。全体的に、一つ一つの出来事を、つぶさに描画を重ねていった作品で、作中の刑事たちの行動もしらみつぶしに探し求めて…まあその、隙がない。推理というかミステリーというか、原作がこういう物なんだろうと思うけど(読んでません)、それをとても丁寧に作り込んでいるんだろうなあという印象を受ける。そら二時間も超えますね。
全体的に、自分のギリギリ体感している昭和の感じが色濃い。先に挙げた車もそうだけど、首振り扇風機だとか、どこでもタバコを吸う人々だとか、みんな白いシャツをきて汗ばんでいる夏の日…。物語が進むにつれ、ねっとりと、人生の重みがねっとりと…。何か奇怪なことが起こったわけでもない、一件の殺人事件から明らかになる一人とそれに関連する人々の人生の重み。これは堪能いたしました。
「砂の器」ってどういう意味なんだろう。映画の中では、まさに「砂」で「器」らしきものをこさえる場面が出てくる。1分ほどしかない。水を注いでいかようにも作り上げることができるが、乾けば脆く崩れて風に吹かれてしまう。人生とはそんなものですよ、的な。
名作で御座いました。