ふでのゆくまま
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サンダガ75
入道が西の背凍らし茜色かみなりさまの心意気かと。
雷予報なるものが発表されているのを始めて知った。気象予報士が75%などと言っている。となればこれは…降水確率と同じような考えで判断して良いのだろうか。帰路に空を見上げると、確かに北の空に大きい入道雲が。足元は栃木のあたりなんだろうか。あの辺は竜巻とか雹なんかも発生するエリアというイメージだ。調べてみるとイメージに留まらず、実際に多いらしい。ネットで見慣れる落雷の映像も大迫力なものが多い。そら東京だって雷はあるが、映像の迫力は視界に入る空の広さにも左右されていると思う。複数の雷の「筋」が映像一杯に広がる様などはビルだらけの東京ではなかなか目にすることはないと思う。地方から東京に来て暮らしている人はこの広さの違いが、みんなわかると思うがどうだろうか。
しかしながら一方で、東京など都市部では、着弾地点の近くに人間が多い可能性が高い。するとまた、このような映像も収められるというわけですなあ。
おうちにはパソコンがあるので、雷サージタップなど使用しているものの、本当に大丈夫なのかという懸念はある。試してみるわけにもいかず、これもま、祈るばかり。
などと下書きを放置していたら、とんでもない荒天に見舞われた。降りる駅の数個手前を走行中、突如物凄い雨が車体を叩き、乗客みんな心配そうに外を伺うも、既に日は落ちて真っ暗。目を凝らすその先に、稲光。次の駅に着くと、ホームに居る人がみんな傘をさしている。雨は勿論、風も横殴りで凄い。さらに次の駅に着くと、全身ずぶ濡れの人がちらほら。これだけ一気に降ればこうなってしまう。
お家のある駅につくと、改札を出てもごった返している。前へ進むと、みんな恨めしそうに横殴りの雨を見つめている。しかしながらここで立ってても貴方たち邪魔でんがな。こちとら傘があるわい、意気揚々と外に出るも、一瞬で腿から下は濡れ雑巾、戻るのあまりにもダサいので見栄張って次の軒下まで頑張ると、先客の群れにどうしたんだこいつは、みたいな顔でしげしげと眺められて、顔をそむけるように空を見上げたという次第です。
子供の頃、キャンプ中に台風がやってきて自衛隊のトラックで帰ったという経験がありますが、それでもこれが人生最悪の荒天と言い切れる。雨風雷、全てが今まで最大級の激しさ。気温もだいぶ下がった感じがあった。後追いでこの情報を漁ると、前後数日に渡り、同じ時間帯に90%の降水確率となっている。夕立というには遅すぎる時間帯にやってくるこれは、ゲリラ豪雨なんて言い方ではもう生ぬるい。きっとあの突風がダウンバーストとか言われるものだったんだろうな。
75%の予報は見事に当たった。しかしこれ、例えば100%だからって個人ではどうにもならないよね。雨がセットになりやすいのは勿論なので傘を持つか、ぐらいの行動はとれるものの…。「電車が止まるかも」とか「雨天決行のイベントでも中止になるかも」とか、そういう心構えだけでもしておけってことだろうか。
そしていつの日か、地震も予報されるんだろう。今日は震度4だけどどうしようか?なんて会話がされるような日が来るだろうか。揺れる前にはみんなが公園なんかに集まり、ござを広げて茶を啜る。揺れ始めると「おーきたきた」なんて賑やかになり、収まるとぞろぞろお家へ帰る。近未来のジョークのつもりが、なんか却って野性っぽくないですかね。
大鯰 よちよち揺れては はづかしく
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ポケットを叩くと
本日もお疲れ様でした。
帰路、広い道の横断歩道を渡り終えるにあと数歩、何かが踵に当たり、ちゃりんと音を立てた…気がする。あまり気にもならなかったが、一応振り返ってみる。安い合皮の靴…いわゆるビジネスシューズとか言われるようなものを履いている。どうやったら踵に物が当たるんだよ?見ると、アスファルトの上に、長さ10cmにも満たないだろう、くすんだ銀色の金属片が転がっているのがすぐに分かった。例えるなら鍵みたいな。
少し身を屈めて近づくと、実際に鍵だった。こいつは俺の部屋の鍵だエウレカ。信号が青に変わり、車が動き始めていたがこれはスルーできない。急いで拾い上げる。手に取って眺めると、間違いなく自分の部屋の鍵だった。スラックスのケツポケットに入れているんだが、落ちたか。しかしどうやって。まあ取り敢えず逆のポケットに入れて、帰宅。ふ~じこちゃ~ん~~みたいな勢いでスラックスを脱いでポケットをまさぐると、そら落ちるわ、内側に穴が開いている。辛うじて鍵がするっと通り抜けるほどの穴だ。落ちたその場ですぐに気付いてよかった。もし音楽聴きながら歩いていたら、雨の日だったら、スルーしたかもしれない。あんな交通量の多い車道の上では、駅で気付いて戻っても気付くことはなさそうだ。助かった。
その穴が鍵により開いた穴であろうというその証左に、他に一切ものを入れたことがないポケットだ。そしてまたその鍵はと言えば、キーホルダーに繋いで剥きだしでポケットに入れていた…。それで鍵と布が擦れて穴が開いたのだろう。厳密に言えば、穴はだいぶ前から開いていて、通り抜けるほどのサイズになったのがここ数日、と言ったところだろうか?常に持ち歩く必要がある鍵が一つだけなので、運ぶに関してはケースに入れる様な発想はなかった。しかしこんな事故が起きてしまうと、キーケースに入れたほうが良いかなと考える。検索に寄れば、キーケースというのは鍵が複数個しまえるサイズのものが主だったラインナップのようだ。それはスラックスのケツポケットに入れるにはあまりに大きい。じゃあ鞄に格納する運用にするか。じゃあケース要らないんじゃね、という疑問は一旦脇へよけて…そのかばんを持たないで外に出る時に、鍵を家に忘れそうだ。ところがオートロックドアじゃないので、うっかり持たずに外に出ても締め出される事はない…あ、鍵持ってないわって部屋に戻ればいいだけ。
鞄を持ち出して、鞄を持たずに帰ってくることはない。しかし、盗難に遭うかも、あるいはどこかに忘れるという可能性はある。そんな時でも家には入れるように、というのがケツポケット運用なのだ。だってズボンを忘れて帰宅することもズボンが盗難に遭うこともない。しかし落とすかもしれない。実際に落とした。何より取り出すのも簡単だ!みたいな主張は日に1,2回の出番で主張するものでもないな。
ポケットを叩いても鍵のチャリチャリ音はなく、おっさんの肉でパフパフが返ってくる。いまだに左のポケットをパフパフして、あ、こっちだったって右をチャリチャリしている。運用変えて鞄にしたら、本当にあるかなーって確認するのは面倒臭くなる。世間の鞄運用の人は、確認面倒くさくないのか。あるいは確認自体しないのかな。
鞄に穴開いたりしない?(しません)
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ちくたく
アナログ時計が動くと、その機構のカチコチ音がする。PCと空調を止め、お布団に入って照明から伸ばしたビニールひもを二回引く。
闇。
聞こえてくる。秋には虫の声が楽しめる部屋だ、静かなもんでとても良い。耳をすませば秒針のコッ…コッ…と音がする。普通のご家庭では、時計はやや高い壁に掛けてあるものだろう、ふつう。目に付く場所に置くんだから必然、そうなる。自分は机のすぐ横、のスチールラックにひっかけて、ぶらさげている。布団に入って、ラック時計と耳の直線距離はおおよそ1.5mといった所だ。そら良く聞こえもする。
スマホにPCがありながらにして壁掛け時計の需要があるとも思ってなかった。仕事も私生活もどっぷりとスマホにPCだ。時刻が分からなくなるタイミングなど、ない。そう思ってはいたのだが…案外役に立っているものだ。この狭い部屋に一人、しかしPCからもスマホからも離れるタイミングというのがある。朝の出勤前に身支度をしている時間帯がそれにあたる。寝間着でだらしなくヒゲ剃ったり冷蔵庫から飯を漁ったりする時間帯。PCはよほどの事がないかぎりは前夜からのスリープモードのままで、スマホはまた別の場所に置いてある。朝の身支度なんて一日で一番時間を気にする時間帯に、なんたること、時刻が分からない!
このラック掛け時計が、玄関周り、つまり1Kの間取りでいうキッチンからも見えるのが良くて。歯磨きしながら時計を見て、時間がないから燃えないゴミをまとめるのは次回にするか~、などと役立っている。其のアングルから見えることを要件とするならば、この賃貸すまいでは、ここのラックのこの面に引っ掛ける以外にない。玄関から見てこのラックの奥側はベランダに出入りする大きいスライド窓。窓の上の壁面に引っ掛けても、台所からでは鴨居の裏になり、見えないのだ。
しかしそれならば、台所に設置しても同じことではないのか?そう、地震で落っこちるその日までは。鴨居のあたりにあるブレーカーのハコに載せていたっけな…?
現在の場所に時計を落ち着けてから、目線より低い所にあるその非日常な感じが面白い。見やすいように敢えて大きめのサイズにしたのも良い。パソコンのラックであるので、プリンターが隣にあったり、何かケーブルが周りを走っているのがとてもフォトジェニック。スチームパンクでなんたら映え。ずれ。闇と音の話だった。
針が薄緑色に蛍光発色するアナログ時計を見つめていて、音はない。秒針は光らないがそこに動いているであろう針に合わせて頭の中でリズムを刻む。60,70と進めても分針が動く様子がなく、とても不安になり、布団を頭から被った。これは一体何の記憶だろう。
おふとぅんに積んだ夜の底、蛍で削いだ白の粉。
スマホが震えて喚く頃には、ビニル紐から仕込み針。朝。
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サンデー
生まれて初めて、サンデーという漫画誌を買った。(一カ月ほど前の話です)
知っている作品というと、毎回のように人が死ぬ著名な少年探偵作品だけかな。巻頭から読み進めると、そのコナンとは別の少年探偵めいた作品があり、冒頭から死体が転がってて失笑する。飯を食いながら、その他の作品を適当に読み進めると、やがてそのコナンも掲載されている。
冒頭から死体が転がっており、これには本気で大笑いする。死体が起き上がって「あれ、寝ちゃった」と言い出した所でひきつる。サンデーは表紙を死体にするべきだなあ。そしてデアゴスティーニが週刊他殺体を発売する。
コナンのファン層はどこなんだろう。わからん。
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せいか
新たな勤務地への通勤に関して。「あゝ一日が23時間になってしまった」など18世紀の詩人みたいな嘆き方[要出典]をしてみたものだが、思いのほか苦になっていない。
何日か通勤してみて気付いたが、住宅地と大きなマンションの近くを通ることで、ここ数年の日常ではあまり目にしなかった光景が目に入る。遅刻ギリギリで学校に全力の疾走をする中学生、小学校を終えた子供らが家の周りでぎゃいぎゃいの騒いで遊んでいる様、まるで市場のセリのように一斉に保育園から子供を引き取って散っていく親御さんたち。例年にない早さの梅雨明けにより、不安視していた天候にも恵まれ、何か楽しんでいる。
何よりも、空が明るい。見上げれば、空がある。長い残業が無ければ、夕暮れにうっすらと染まっていく空を見ながらの帰路。これだけの事が新鮮に思えるとは。通勤時にも全力の青空。たったこれだけの事が…。歩きながら何かが効率的にできるものでもないので、毎日のように音楽を聴きながら歩いている…というのも15年ぶりぐらいなんじゃないか。楽しいなあ。仕事は炎上しかk…..
とは言え、やはり、「今のところは」といった言い回しになる。例えばちょっと体調が良くないな、なんていう時に何にせよ距離があるというのは不安ではある。いや、そんな何キロもあるわけではないんですけども。
飽きたらまた遠くてだるいふざけんな、しか言わなくなる。クッソ暑いし。今までより早起き必要だし。これが少しでも楽しいと思える期間が長い事を願う。通うだけで電車に飛び込みたくなんるなんてまっぴらごめんだ。そして今度はもっと近い場所になることを強く願う。あーでも、乗り換えが一回で済むのは遠くても苦にならない主要な要因かもなー。
今年はグレープフルーツ不作なんだろうか、まだ美味しいのが見つからない。
