• ふでのゆくまま

    そんなに英会話って要るか?

    駅前留学が大騒ぎになったのはもうどのぐらい前ですかねえ・・・。英語は苦手ではなかったし、歌詞が英語の歌を良く聴いていたなんてだけでワリカシ親近感を持つ言語ではあったけど、差し迫って「必要だっ!」なんて思ったことは余り無い。ギターに夢中だった頃、金は無いのでライブ観戦は専ら新宿や渋谷の路上でってスタイルでした。ゆずや川嶋あいが人気になる前か、そのぐらいだったので、今みたいに一杯要る訳ではなかった。休日の昼とかに新宿をめぐると、昨夜御茶ノ水の駅前でみかけた外人さんが弾いてたりする、そんなぐらい。あるときあまりに見事な演奏に思い切って声をかけてCDを買った。

    24歳ぐらいのときか。実質的な英語デビューだ。当時既にインターネットも使っていたので、外人さんとちょっと英語のメールをやり取りしたりした。「今は台湾にいるよ!」なんてメールが来て、あれ、アメリカ人って台湾に入れるのか、なんて思ったりした(当時)その後、インターネットに深く降りて行くにつれ、英語の情報が増えた。所詮は情報であり、同じ内容の情報が日本語であればそちらを参照する。必要なんだが日本語では見つからない情報は、しょうがないから英語であたる。まあ、どの言語を使う人でも、インターネットの実情はそんな感じ。

    インターネットがさらに広まるにつれて、英語でメールをやり取りなんて機会もたまにあるようになった。youtubeが人気になった時、外人さんの家庭の様子とかスポーツイベントの様子とかで耳にする英語は、新宿の駅前でにーちゃんが歌ってたものとは多少毛色が違って感じられたよ。まあ日本語でも歌詞と日常会話は全然別だからそんなもんかもしれないが、自分は英語を良く知らないのになんでそんな風に思ったのか、全く謎でありますなあ。

    自分が海外へ足を向ける機会はいまだに無く、そんな風にそこいらの兄ちゃんに話しかけることもなくなったし、平日の昼間に新宿や渋谷にいるようなことも無くなったので乗換えなど訊かれる機会も殆どない。英会話などしなくなった。さて。英会話の出番はどこにある。発音?コミュニケーション?うーん。

  • ふでのゆくまま

    Money can buy me life.

    Beatlesも歌ってるじゃないか、そう、Money can’t buy me loveってね。愛は金じゃ買えないんだってね!まあ、愛を売ったら金になるけどな。つまり無尽蔵の愛は、無尽蔵の金なんだ!無尽蔵なら誰も買わないけどな!わはは!

    命はどうだ。

    生命保険は実にややこしいが、単純な原則が(自分がこのエントリの時点で知っている範囲では)存在して、怪我や病気の確率が低い人は保険料が安い。保険会社はそもそも掛け金を集めて、その掛け金から保険金を支払うってのが伝統的な根っこの仕組み。保険金が必要な人からはたくさん頂かないとね。会社が赤字になっちまう。例えば?事故が起こりやすい仕事とか?車に頻繁に乗る人?年齢が高い人?既に病気の人なんてどうだ?死んだら2000万円払う保険に入っている人が、支払い20回で死んだとしたら?一回のお支払いは100万円以上じゃないと会社は赤字だ!・・・そんなざる計算もありえないので、丁重に加入をお断りする。

    どうするんだ。保険金を稼ぐために命でも売るか?

    ネタなんだがネタじゃない。自分の話になりそうだよ。愛を売ったりはしてねえけどな!

  • ふでのゆくまま

    日記どころじゃない。

    大げさに言うのならば、インターネットはこの西洋文明が、いやいや、人間があるかぎり利用され続けるだろう。技術的な革新は当然今後も相当数見込まれる。インターネットという名前ではなくなるだろうし、現在の技術的な云々も『むかしの船乗りは北極星を目印にしました』みたいな太古のライフハック伝説の一節に収斂され、他愛の無い話になってしまう。

    しかしどうよ、オレゴン州の農家のオヤジの日記とか、地球の裏で爆撃され肉片になる人々とかを観察できる、場合によっては意見するなりなんなり、直接関わることができる。すげえな。先日、ustreamでGNRの曲を練習中・・・か単に見せびらかしたいだけ・・・の外人さんのチャンネルを見てた。見てるのは自分ひとりだったから軽くサシで話したようなもんだった。十分ほどだったけど、まあ楽しかった。んー。すげえな。お互いに誰かわかんないんだぜ?そりゃ調べればわかるけど、そのときそこではあんまり意味は無くて、「何か聴きたい曲あるかい?」「”Locomotive”とかどうよ?」「難し過ぎて無理だっつの!:(」なんてやり取りが成立したことがすげえ。ほんとすげーよなあ。

    と、ここまで。この自分の意見に賛同するには条件が二つある。インターネットと、日本語だ。この二つの条件をクリアした僅かな人の中から、さらにごくごく僅かの人が、これを読んでいるわけ。・・・ところが、これは、もしかしたら数千年残る文章になる。枕草子みたいになるかもしれない。聖書になるかもしれない!「おいおい、古代人、いろいろ入ってる財布落とすなんて何やってんだよ!」みたいに突っ込まれるかもしれない!!

    というわけで財布落として大変です。日記どころじゃない。

  • fuckyeahinternet

    祖国2009

    故郷であり実家であり祖国。今回は家族親戚以外にはお土産を買った店の店員しか口を利いていないほどの凱旋コンサバティブ。・・・だったんだけど、例年よりは濃ゆいお話もできましたか。21:00ごろに到着。まずは祖父母に挨拶。足を手術して入院してた祖母は、家の中なら一人で歩けるようになっていた。でもまた耳が遠くなったらしい。祖父も物忘れが増えたと。夏に帰省した時に、一人でぼんやりしている姿が目に付いたのでちょっとおかしいと思っていた。祖父の入院で気を落としているのは目に見えているんだけど、ウチの父はその辺は気付いていたのか疑問。父の苦手分野は「面倒見」で、理由は自分の思い通りにならないからだろう。それは自分が子供の頃から確信していた。・・・まあ、それはいいとして、自分は荷物置いて、軽く食事を取り、ちょっとまったりしたりなんだかんだ。

    後片付けも終わったら、もう23時近かった。父は早々に布団に入ってしまい、自分は持ってきたノートPCでLAN繋いでインターネットなど始めた。母と二人で今で夜更かし。あれやこれやと地域の話題など。同級生の話題も頻繁にでるけど、いや、正直興味ない。母お手製のはちみつゆず湯などすすりながら、一時位まで夜話。そしてぬくぬくの布団で就寝。風呂はいってねえ。翌朝は普通に起床。誰も起きてこないので台所で朝飯製作してたら母が起きてきた。

    夕べ寝る前に電話でアポとって、母の兄の家へ。従姉妹三名様が揃っていて、その長女の旦那と子供も居た。いやどうもおじゃましま。みんな子供をおもちゃにして可愛がるばかりで阿呆じゃなかろかと思ったけど、みんな血の繋がった親戚でありました、向こうが初対面で近寄ってくれないので母の後ろから怖い顔をしてみたら、もっと露骨に逃げ出した。わはは、ざまあみろw。

    従姉妹が保険屋なのでちょっと相談。しかし、前日に母に急に言われたもんだで、まったく考えずに話を聞く。うーん。月々一万円ぐらいなら、とか言ってみたが、自分の収入考えるとちょっと高いようだ。保険は兎に角複雑でわかんない。折角身内が相談相手なんだから、あれこれと話せばよかったんだが、なにせよくわからんかった。一通り話して、振り返れば窓の外には夕闇。あと某外資系IT企業で働いている従姉妹ともちょっと話す。UNIX系のスキルならパねえほどに高いはず。ちょっと教えてくれやー。名刺を三枚置いて撤収。もらったパンフレットを置いてきたのでもう一往復。すっかり真っ暗に。

    すき焼き的な晩飯。親父は仕切りが凄く下手で、仕切る振りして自分のやりたい様にやろうとして、周りに嗜められるというのを毎年やっている。昔は生意気で口達者な俺をずいぶんと嗜めたもんだけど、今となってはこのおやじは人の話きかない奴だな、と思う。おかげで毎年正月の帰省時に振舞われる鍋料理は、イマイチ美味しくない。鍋奉行なんてネタで言われるけど、素でやる人はあのように面倒なのですよ。困ったもんだ。

    叔父が帰ってくるらしい。もう十年以上も会ってない。叔父の長男はもう20ぐらいのはずだけど、最後に会ったのは自分が東京で住む部屋を決める時に、宿として使わせてもらった時。正直、三日の昼過ぎには東京に戻るつもりでいたけど、叔父に会うために伸ばす。が、結局何時に着くのかわからない。なんだよそれ。しょうがないから母に車を出してもらい、お土産を用意する。慌しい。叔父は来たら来たで小一時間で帰るらしい。おい、人数分蟹鍋用意したんだけどー。せかせかとしたまま食事をし、集合写真など取り、叔父の子、二人にお年玉を進呈して、見送る。渋滞には間違いなく捕まるだろうなー。そしてすぐに自分も出発する。大童で忘れものが怖いけど、コレを書いている時点ではなにもない・・・。父の車で新幹線の駅まで長躯。

    ところで、あまり考えずにお年玉渡したけど、自分の従姉妹なんだよな。歳は10歳以上離れてるし、相手は学生だし、そんな不自然なものでもないかと思うけど、どうなんだ。帰りの新幹線でちょっと考えてた。新幹線は混んでいたのでデッキに立っていた。それでもデッキに立つぐらいでおさまった感じ。座席の横まで人があふれることは無かったので想定よりはマシですか。立ったまま寝るなどしつつ、帰京。さて、明日は写真でも編集するかな。