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隣のではない芝生を刈って家具でも出てこねえかと勘繰ること
冬の間お散歩をサボっていたら体重が徐々に増加していって、やばい。まだ朝晩寒いけども、お散歩に出ることにした。せっかくそういうことする時間あったのに寒い理由で全くおさぼりしてしまうのは勿体ないの一言だが、まあ性格なので、と人として最低の言い訳に逃げる。
お隣が朝からガリガリと工事の音がうるさい。数名ほどで作業しているようで、何やら指示の声が飛び交い、結構大がかりな改装でもしているのかと思ったが、賃貸アパートの一室で住人がそんなことやるのか?と思っていたら、ふと昼過ぎにみると、もぬけの殻になっていた。いまどき都内の賃貸でご挨拶も珍しいし、すれ違ったら挨拶するぐらいしか交流もなかったからなーまあこんなものかと。お子様二人の夫婦では手狭になったのだろう。間取り的に自分が住んでいる部屋の単純に二倍ほど広い上に駐車場付、お値段によってはいい物件なんじゃないかね。ああ、この隙にお隣との境界でどうしたらよいか迷っていた草むらをどうにかしよう。鉢植えもなくなっていたから、残っているものは即ち雑草であり、勝手に処分してもよいだろ。まさか大家も不動産も文句は言うまい。
何か家具でも残していってくれないかなって期待するのはいつもの事なんだけど、きれいさっぱりなかった。惜しい。別の部屋の人は粗大ごみとしていろいろ置いていったけど、あれなんかの手続きミスとかで回収されなかったらどうなるんだろうか。引っ越した後で引っ越し前の住所で粗大ごみ処分できる?まあお役所の業務だからできなそうではあるよね。
毎年見かける、いかにも「地方から来てアパート探してます」という親子の姿を見かけなかった。たまたま、なんだろうけど、今時は一人で探すもんだろうし、ルームメイトという選択肢も自分が東京に来たころに比べたら格段に広まった筈。おとーちゃんが厳しい顔をしながら物件定めている、なんてもう古い。
次の夏ぐらいになれば、人生の半分を故郷で、残りの半分をここ東京で過ごした計算になる。…もう何回か書いた気がする。あゝ思い起こすことがもういつも同じような事ばかり。何も解決せずに生きている。よろしくないとはわかっているのだが、なにぶん怠惰なものでして。文章書くのも集中してできなくなったなー。劣化ばかりしている、そういうお年頃になったというものです。
惨めであります。
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感傷的とでもいうか
もうちょっとこう、雰囲気のある文章を書けないものかね、と思う。なかなか思うようにはいかないが。思いを「馳せる」という表現がある。夢に見た景色でも現実の景色でもいい、その「場所」へ入り込み、気温だとか匂いだとかそういうものを感じ取るように、現実には存在しないその日その時そのシチュエーションを歩き回る。単なる妄想。だけど、どうにもそーゆう手法で何かを思いおこすことが「出来た」という記憶だけがある。なにそれ分裂症かwwww
これ以上書いても自分でもなんのことやらわからないが、まー年取ったつうことで。
ところでフェースブックのプロフィールの項目、もっと自由度がねえかなと思う。嫌いな食い物とかそういうの。ネット知人も取り込んだりしているがいかんせん人付き合いには乏しいのであまり増えたり減ったりしない。誰か新規でいねえかな。
非常食の賞味期限をチェックしたら、まだ一年以上あった。一方、いまいち好みの味でないバジルとチーズドレッシングが一週間で賞味期限が切れる、まだ700mlほど残っており、賞味期限で即座に食品を捨てたりはしないほうだけど、しかしこのドレッシングを積極的に消費しようという心づもりには全くならないので…最後には捨ててしまうんだろう。
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エクストリームスポーツとして雪を掻き銃を撃つ
毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年梅年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年言ってることだけど、三月だというのにまだ寒い。確かに三月の終わりにもなれば確実に暖かいために、「もう三月なのに寒いねえ」などとのたまう。
オリンピックが終わっていた。山梨は大雪の災害だったというのに、冬季オリンピックのせいでマスコミはあまり騒がなかったようだ。クソが。よかったなおい、東日本大震災のときにサーフィンの大会とかやってなくて。ここでもインターネットは素晴らしい働きを見せた、ように見えるのは、まあ雪の中をモフモフ歩いて喜ぶ程度には自分が野次馬でいられたから。ほへー大変な事になってるなあ、ぐらいだからなあ。もしかしてインターネットに疎い人、かつオリンピックが好きな人は山梨の災害を知らなかったのではないか?とすら思える。まあこれも実際のテレビ報道を一個も知らずに言ってますんがー。
パラリンピックと戦争が始まっていた。呑気な話だと思う。世が世ならあれ全員ロシアの人質でしなかったのではないか。なんでオリンピックって開催地持ち回りでやるんだろうな。いまさら神事めいた意味などなく、完全に興行なのはわかるけど、そこまで現地に利益が落ちるものかね?参加することに意義がある、なんっつて、現地に利益あがらないようになったらどこだってやりたがらないよねきっと。そういえば北京の時の聖火リレーは酷かったが、中国のことを考えれば当然といえる世界の反応だったよな。そう。あの時はXXXXだったねーなんて思い出すのに便利かオリンピック。
そんなことよりワールドカップだろ。今回はブラジルでの開催。サッカー王国ブラジル、サッカーに詳しくない人でもそのイメージがあると思うが、ここ数年、ナショナルチームの成績を見れば王国たり得るのはスペイン。その認識はその開幕戦6/13日(金)、おそらくこれは現地時間?で、通例通り開催国ブラジルのゲームで幕を開ける。その相手というのが…クロアチアなんだよ。
そして今回、ボスニア・ヘルツェゴビナが初参加する。旧ユーゴスラビアはそこそこ強かった。国際政治的に不遇の立場にあり、思うように活動が出来ない時期も長かったが、あのピクシーことストイコビッチがJリーグに来る前後ぐらいの選手たちはすべて輝いていたと思う。ストイコビッチは勿論、ミヤトビッチ、ミハイロビッチ、サビチェビッチ、ユーゴビッチ…はああああすげええええ。ヨーロッパのトップクラスのクラブチームで活躍した選手も少なくない。当時の活躍を見てみたかったなー。ミハイロビッチのフリーキックでハットトリックはサッカー史上最大のハイライトの一つだろう。
綺麗ごとにも限界がある。それを承知の上でせめぎ合うスポーツの姿にスリルがあるというのは、リアル戦禍にある国家の選手に対して不謹慎だろうか。ストイコビッチが脱いだユニフォームの下から、NATO STOP STRIKESの文字が出てきたとき、どうしたら良かった?
もう夏が来る。
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Hope,it’s gonna never fade away.
取り壊された跡地の瓦礫はすっかりと取り払われ、更地になった。道路から更地に向かって右のお宅。その軒先から、動作感応式の、たぶんは防犯用の照明が、更地を挟んで反対側のお宅の壁に照射されている。不思議な眺めだと思って、通りがかりにしばし見つめてしまう。ここには教会があった。教会の建物は左右にほぼ隙間もなく、その間この照明はどうしていたのだろうか。明かりが点ることもある筈がない。仮に点っても照明から30cmもなく教会の壁といった状態だった筈だ。教会ができる前からあったと考えることもできるが、どれだけ少なく見積もっても15年になる。こんなもの教会の建築中に外しそうなものだが、この状態を15年放置したのか。それ以前に、ここが更地だろうが公園だろうが意味あるのかあれ。
この照明、どこを照らしてんねん?というだけで雨の中、足を止めるだけの違和感を覚える。照明なんて無造作にそこいら中に並んでいるのにね。そういえば光の量というかまぶしさの変化って人間が完治できる閾値がもっとも小さいんじゃなかったかな。その次ぐらいに音程変化だった気がする。
日本において街中の教会という施設は実に不思議な感じのするものだ。その性質上、たいていは西洋人がいる。牧師や宣教師といった類なんだろうね。日々の暮らしに於いては縁のない人が殆どだろう。祈りを捧げる神はここにはいない。そういえば初めてカメラのついた携帯で撮った写真が、当時出来たばかりのこの教会の扉だったのを覚えている。藍色の扉に赤い文字でHOPEと書かれていた。いつしかその扉もデザインが変わっていたのだが、いつのことだったか覚えていない。
ここに日曜日に集っていた人たちはどうするのだろう。
その画像がどこかにあった筈と思って探したが、それもまた、どこかに行ってしまった。藍色のドアに緋色と白で書かれた、好みの色遣いでありました。
希望はありました。
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もっと雪の降る街を
流石に二週連続となるともういいよ、となる。子供のころは毎日でも楽しかったもんだ、と書いてみたが、やはり毎日雪というほどの土地ではなかった筈だ、という結論になった。
しかして、先週よりも酷い降りだった。のみならず、週末の帰宅時間に直撃され、だいぶ急いで定時上がりしたものの、乗り換え駅のホームでちょっと押したらみんな線路に落ちそうな状況で吹雪に晒されること30分。忍耐とは。まあ、こういうのは諦めるしかない。ニュースを漁ってみると、山梨方面はさらに酷く、照明も暖房も止まった状態で車中で一泊した人たちもいたらしいので、年に10回ぐらいは巻き込まれる程度の揉みくちゃで済んだのだから良かった。
良くねえよ。こんな時、午前で仕事終わりで退社でもするのが現代人の暮らしだと思う。みんな天気を知っている、あゝこれを文明と呼ばずして。しかしながら勤務先顧客のオフィスからは「業務に支障がないように」「天候状況をみて早めの帰宅を」というクソの塊のような通知メールが飛んできた。気を使っているというスタンスだけ見せて、実際はなにもしない。これでは災害時にみんな助からないということがお分かりではないようだ。
そして誰かが死なないと改善されない。日本文化素晴らしいね。憲法でも読んで途中で燃やそう。都知事選なんて興味あるわけないだろ。前任者はなんでやめたんだ。リコールでもあった?選挙無効の訴えでも?本人が辞めるって言っただけなんじゃないの。(辞意を議会が承認した、という手続きはあっただろうけど)それで前の選挙結果はなかったことになって?で?そんなもんに我々投票してどうするの?税金払うみたいなもんだから、ウダウダ言ってないで投票しろと。ほお。ご立派なご高説で目からうんこでますね。まーそのー何か新しい政治の仕組みが要るんだろう、なんてことはきっと数十年も前から言われているんだろうな。
風刺とは正論でありますか?
春に関西へ赴く予定ができた。
しばらく店主の体調により休業していた理髪店が復活していた。新しい店探すの億劫で三か月半ほど放置してしまった頭髪は…うーん。ヘアスタイルに拘りは皆無だけど、伸びるに任せて放置しているだけというのが素人目にもよくわかる感じだ。ふと考えると大学生のころはこの位の長さでも平気だったなと。髪の長いのはNGというバイトをすることになって定期的に切るようになった。あの頃より前髪が薄くはなってるかなー。志村けんみたいにハゲる。