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侵緑の季節
排水溝から一本の草が伸びていた。
のに気付いたのは去年の夏。やがて寒くなるにつれて茶褐色になり、細くなってある日ついに折れた。2014年2月の大雪の時にはすでに折れていたと思う。封鎖した施設の、道路に面した駐車場があり、そこを横切るように伸びる一本の排水溝、その真ん中ほどに伸びていた。日当たり良好、人の立ち入りはなく、勿論動物も立ち入らない。このままわっさ~~~~と増えたら面白いなどと見つけた当初は思っていたのだが、育ちこそすれ、増えずに折れた。排水溝のわずかな泥に根を張っているのだろうけど、見えないのでわからない。周囲に木立もないので、どこからかやってきた落ち葉が溜まって土になる、ようなこともないのかもしれない。
のがまた伸びているのに気付いたのは四月の末ぐらいだったろうか。すくすくと育っていた。「東京幻想」という、廃墟と化した東京のイラストレーションがネットでは人気である。東京に住む人にとって、ああいった姿と成り果てた東京というのは、想像に難くない。兎にも角にも、建造物の姿、位置関係が特定のエリアの顔ではあるから、変わり果ててなおそのフィギュアが残っていれば通いなれたホームからの眺めとすぐにわかる…。
人類文明が滅びないとしても、東京が遺棄されることはあるかもしれない。そうなったときには先に挙げたようなイラストのような景色が実際に展開されるだろう。…排水溝の一本の草に世界の未来が見て取れた、夏日の休日で御座いました。
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蒼天を焼くこと能わず
鳴りやまないアラームはすでに30分を超えた。
時刻は24:00になろうかという所、連休中で不審火とか洒落にならない。外の様子を伺うに、特に煙や臭いもなく、通りの向かいのアパートから自分と同じように様子を伺う人の姿はあれど、火災の様子はない。そのうち止まるだろうと放っておいたが、どうにも止まない。まあそれもそれで面白いか、などと呑気な事を言っていたら、こうして30分が過ぎ、ドアの外に複数の人の気配があり、騒々しくなってきた。これではそ~~~っとドアを開けざるを得ない。
「あっ!?」
火災報知機に向かって何か作業をしていた人が驚いてこちらを見る。自分の部屋の蓮向かいの部屋、その入り口横の報知器が鳴っていたようだ。マジで。部屋の明かりは消していたし、この騒ぎで部屋に人がいるとは思わないだろう。警官もわらわら居て、こちらの姿を認めると近づいてきた。部屋に異常はないか、他の部屋の住人はいないか、などを聞かれた。他の部屋なんて知るかい。消防も到着して何やら大騒ぎになってきた。無線のやり取りを聞くに、報知器が鳴ってすぐに通報がいったのだが、通報者が住所を誤って伝えたため他の現場に行き、当然何事もないので引き上げたところに、「通報したのに何も来ない」と再度の通報があり、こちらにやってきたらしい。本気の火事ならだれか死んでないかそれ。
「ここに警察を呼ぶ」ボタンとか作ればいいのに。住所を口頭で伝える必要がある、というのは安定国家の社会インフラとして欠陥だろ。
この部屋に警官がやってくるのは四度目だが、毎回のように管理会社はどこ?といった質問をする。そんなもんググればわかると思うが、警察で調べることもできないというのは組織の機能としてしょぼすぎる。ただ、これは不審者をふるいにかける意味があるのかもしれない。部屋の中から出てきた自分が、この部屋の住人とは限らない。住人を殺害して一夜をやり過ごそうとしているのかもしれないし。非常ベルだって火災を目撃して鳴らしたとも限らんよ。管理会社を知らない、とでも言えば怪しいどころの話ではないだろう。
先ほどの作業員が(警察でも消防でも不動産と契約しているメンテ会社でもないようなのだが、こういう通報に対処する部門でもあるのだろうか)ペンチ貸してくれませんか、などと言ってきたので呆れつつ貸した。工具の準備もないとか大丈夫なのかこの人たち。ペンチを貸して作業員が姿をけし、しばらくすると警報が止まった。警察とのやり取りの間鳴りっぱなしであった。管理会社は連休中休みらしい。消防の作業員は各部屋のチェックをしたあとはぼんやりと佇んでいたが、取り敢えず誤作動のようだとわかると帰って行った。一人女性がいたのが印象深い。
気付くと誰もいなくなっていた。
休日、もはや夏空ともいえる空模様に、これ以上の平和と幸福もないよな、なんて思う。それだけで残りの人生を過ごせればいいのに、そうもいかないのが腹立たしい。うっかり裕福層にでもなったら、手に入れるべきものはそれだけ。奥ゆかしくもあり、くだらない妄言でもある。
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8/100
増税していた。わたくしの許可もなく!!
増税という話になると、おっさんになった俺は昔は消費税がなくて、みたいな話をしたくなる。周りには平成生まれはごろごろおるのだ。自販機が100円だったんですわー。2Lのペットボトルも売ってましたわー。(少なくとも地方では)今ほどコンビニもなくてねー。同時の子供のお使いの定番って、ご近所ではその2Lのでかいペットボトルを抱えて帰ってくること。道路を渡って二分歩くだけ。あの頃声をかけてくれたおばちゃんたちは、まだまだ元気で、祖母の葬儀で帰省したおりには親しくして頂いた。
物価は変わりゆくもんで、それでも恐らくは人類が栄える限りはなくならないであろう、そんな道具は残り続けて、それが昔はいくらだった、なんて話に花が咲くのは良くある話で。我々の仕事だと、コンピューターは相対的に安くなったと思える。でも昔の雑誌の広告などみると、金額というか価格帯にはそこまで変化がないように見える。コンピューターの性能が格段に上がったが故に、専門家が使うような用途のものでなければ安く買えるようになった、というのが事実だろう。だから、お買い求める商品は安くなったと思う。
大体のものが、安くなっていく。税金は上がり続ける、収入はどうだろうか。自分は上がらなかったわクソが。オリンピックまでこの国は存続できるの?一度そう思ってしまうと、心のどこかでそれを望んでしまう。3%の増税で干からびる人生。安くなった。安いものは粗雑に扱われる。実社会においてそれを釣り上げるのは詐欺に問われるし、死後の手間賃がまた。
260円の腿肉の煮込み、二つ買ったら500円と言われた。500円?って聞き返したけど500円と返ってきたのでそのまま500円払い、20円で人生の価値を高める方法を考えていたら夜が更けていく。
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京へ旅して帰り戻るは我が心であること
十五年ぶりの旅行と言っても差支えない。とあるイベントごとに参加する為に、京都へと一泊二日の旅に出た。国内一泊二日を旅と言うのはあまりにしょっぱい話ではあるけども、実際、旅行というものは大学を卒業してから個人では行ってない。前回行ったのは大学を卒業する直前の真冬で、兎に角すべてが素晴らしかったと記憶している。今回は如何にもな旅行シーズンで、しかも天気が悪そう。出かける直前、折り畳み傘が壊れていることに気付き、傘を持たずに出発。
京都までの往復は新幹線を選んだ。夜行バスはしんどいし、現地到着が早朝になる。とあるイベントごとというのは、19:00スタートであるので、ちょっと避けたい。平日の移動になるから、ラッシュアワーは避けたい。ということで、朝はゆっくり目に出発することにし、ホテルは15:00チェックインと早めの時間。行きの行程は余裕だった。この移動のために買った、マツコ・デラックスのエッセイなど読んで、適宜居眠りをしていると京都に着いたが、やはり二時間以上じっと座っているのも疲れるもんだ。現地は曇り。小一時間ほど時間があったので、そこらをぶらぶらするが、特に面白いこともない。15:00を待ってチェックイン。
昼飯にパンを食いながら、ここで目的地への詳細なルートを調べる。15年前はインターネットなど、なくはなかったけどもそこまで便利ではなかった。今ではホテルの部屋でスマホで詳細な地図の検討までできる。徒歩で二時間半と出た。あれそんな遠いの。電車でも最寄り駅から30分歩くらしい。バスは混んでそうだし、google先生は流石にバスの路線も把握していたようだけど、最寄り駅から徒歩のルートを選ぶ。結果、少々遅刻する。都内と同じ感覚で、適当にのって乗り換えれば着くだろう、ではダメだった。今回は旅行気分をブーストしようと、またスマホの頼りになるから、事前に細かい調べはしてこなかったんだけど、いざ当日という段になってこれは流石にやり過ぎた感があり、結果急いで移動するだけという時間になり、一番旅の気分を損ねるようなものだった。
とあるイベントは文句のつけようもなく素晴らしかった。けども、やはり遠く、床に座って二時間半で、足のしびれに耐えながらでこちらも旅気分には程遠い。確かにこの場所でしか体験しえない夜ではあったのだが。意地になって帰りもだいぶ歩いてから電車に乗り、日付が変わろうかという頃にホテルに着く。雨が降らなくて良かった。これで雨だったらずっとホテルで寝ていたかもしれないww …や、まあタクシー拾っただろうけどね。最初からタクシーで良かったんだよな、今思えば。最近散歩にはまっているからその勢いを持ち込んでしまったが、こら失敗だった。
適当に風呂入り、酒飲んで寝た。外人が廊下で大声で話しておりうるさい。観光都市だからな、まあしょうがない。街中に兎に角外国人の姿が目立った。15年前は真冬で雨の日だったから、何処に行っても観光客の姿はまばらで落ち着いて鑑賞できたもんだが、今回はシーズンど真ん中。明日は観光しようと思っているんだけど、天気はよさそうだし、賑わうだろう。疲れを取るべく夜更かしもしないで寝る。
zzzzz
翌朝6:30起床。だるい。寝起きに夕べ飲み残したスミノフアイスをごぶごぶと飲む。おお旅気分が蘇ってくる。髭剃り用のシェービングフォームを忘れたが、替え刃のローション部分をお湯で溶かして塗り、なんとかした。朝飯はホテルのビュッフェご飯。ビジネスホテルのそれは、ま、贅沢には程遠いけど、嬉しい味だ。京都風の何かがあっても良さそうなものだったが、味噌汁に至るまで東京で馴染みの味だった。
インスタントなんじゃねえの。ひじきの煮物も濃ゆい味付けで、薄い薄いカツがメインのおかずという感じ。マカロニサラダ、生野菜、ケチャップ味のスパゲッティに見せかけた何か(これはちょっと美味しくなかった)ご飯味噌汁ふりかけひじきの煮物オレンジジュースゆで卵。パンと牛乳以外は全部いただきました。げふー。沖縄のリゾートホテルの朝食は流石に今思えば格が違ったな。朝の8:00に開いてる場所もないし、ちょっとゆっくりして、9:00ぐらいに出発。京都駅のコインロッカーに荷物を放り込み、修学旅行生の列に紛れながら東本願寺へ。ここは前回に来た時も早朝から開いていて、よい時間つぶしになった記憶があったが、明らかに近代的な建物が建築されており、遠目にも何事かと焦る。どうも修復工事中らしい。本堂に上がり、天井を見上げながらうろうろ、あまり長居せずに移動。こういう建築物の端正のとれた佇まいと、でかい、というストレートな迫力が混ざった感じだ大好きだ。近代ビルではこうはいかないからな、通路にテナントの看板が置いてあったりしてな。
次は三十三間堂に移動。徒歩を選択したが、普通に街中の道をまっすぐ歩くだけになってしまい、退屈。まあしょうがない、京都だって2014年だし、羅生門におばばが住んでいるわけでもない。天気は素晴らしく申し分ないのだが。三十三間堂に到着する。十五年前と同じ印象、入り口が不自然というか、車も歩行者も同じところから入っていく。600円お支払して中へ。靴の脱ぎ場所を間違えておばばに怒られる。修学旅行生がぞろぞろぞろぞろぞろzろろろろろろろと入ってくる。ここは十五年前、初めて見たときほどの印象はなかった。まあ中学生の群れが、というのもあるけども、あの時は真冬の寒さからくる張りつめた空気が、鈍く光る仏像の存在感を引き立てていたのかもしれない。フランス人のお子様が柵を乗り越えようとして、お母さんに叱られ、泣き出した。やれやれ、という感じでいたのだが、それを見つめる視線に気づく。仏門の女性であろう、短髪で、作務衣といったら良いのか不明だが、グレーの着物に身を包んでいた。三人で行動しており、どうも日本の方ではなさそうだった。ミャンマーあたりだろうか。あの国の人にとって、600円という参拝量ははて如何ほどのものであろうか…。外に出て、天気が良いので散歩コースを歩く。午前11:00に近い事もあり、人が増えてきた。外人の姿も目立つ。
次は清水へ。実は行ったことがない。勢いでここへの徒歩で移動するが、五条坂で力尽きそうになる。家に帰ってから知ったんだけど、八坂からだと風情がって混んでなくてよいらしい。五条坂はお土産やが軒を連ね、修学旅行生と外人でもう休日の新宿原宿と大差ないわーい。もうムキになって坂をのぼっていく。売り子が「XXX中学校の人~見てって~」と声をかけている。うわあ鬱陶しい、これ前に来た時もいたなー。……。え?前に?もしかしたら初めてじゃないのか俺。高校生の時に、どこかでそんなのがいて、鬱陶しいなーあれなーなんてみんなで喋った記憶があった。うーん。
登りきると、想像以上に立派な門と、高いところに寺があった。参拝料払って、しょぼいしおりみたいなもの貰って…このしょぼいしおりも見覚えが…。ちなみにこれなくても逆ルートで入れる。阿呆か。新緑の季節、快晴。この上ないロケーションで、見晴らしも素晴らしい。風も心地よい。これは良かったが、やはり人が多すぎるなあ。「清水の舞台」ってここの事で、確かに京都が一望できる。何度か焼失しているようだから平安の都の頃に今と同じ眺めだったとは限らないけども、当時の眺めはどんなだったろうか…。階段を下りて、舞台を見上げると、ちょうど飛行機雲が横切っていた。今回のベストショットはこれか。
坂を下りて、さて、金閣寺、といったところでスケジュール的に時間が微妙なことに気付く。そこらの裏路地に入って京都っぽい街並みでもないものかと思うが、何とか製作所の倉庫に辿り着き、「こっち行き止まりよ~」などと言われてしまう。そんな調子でさらに20分ほどウロウロ。六波羅蜜寺なんて格好いい名前の寺もあったけど、横目にちょっとみて通り過ぎた。座って休める広場でもありそうな寺を目指す。googleMapで目に付いた一番大きな緑の四角に向かったというだけなんだが。それが建仁寺という寺だった。
素晴らしかった。実際のところ、横になれるベンチでもないかと期待したのだが、そんなもん無くてがっかりして適当な縁石にへたり込んでいたんだけど、なんとか竜公開とあったので、中に行ってみるかと窓口に。萌えキャラ系のお姉さんに「写真大丈夫ですので~」なんて言われたから時間調整の暇つぶしにはいいか、なんて思ったんだけど、いきなり教科書で見たことのある風神雷神図が置いてあったり(※高精度デジタル複製)、縁側に腰掛けて休憩もできたし、庭の風情も良く、畳に寝転ぶ人までいる。結局ここで一時間も過ごしてしまった。そして法堂にある天井の双龍画の迫力は圧巻であった。たまたま辿り着いたにしては大当たりで、いやー歩くとこういうことがあるんですよ、と一人ドヤ顔をして後にする。外の通りも相当な賑わいで、地元民とみられるおっちゃんがそこらで新聞を広げているあたり、現在の京都の中にある寺社の、…ってすぐ隣にウィンズがあった。いやー。東寺も通りの向かいにパチンコ屋があったりして、現代社会だねえって。建仁寺も祇園のど真ん中でもあり、四条の繁華街も近い。マチュピチュじゃねえんだからなあ、リアル都市の中に揉まれているんだなあって思った。
神戸へ移動。某氏と十年ぶりにお目通り叶った。お互いに十歳老けた筈なんだが、少なくとも自分は変わらないな、という印象。歩く速さも変わってねえわ。追いつけねえんだよwww彼が所用を済ます間、車の中で待っていた。外は冷たい風が吹いてきて、ボストンバッグの中のナイロンパーカを手持ちのバッグに移し替えた。ぼんやりと、外の眺めに目をやると、鳩と戯れている青年がいた。パンくずを風に乗せて高々と投げあげて、嬉しそうであった。この寒空に半袖のポロシャツ一枚だった。鳩がパンをついばむと満面の笑みでそれを見つめていた。すぐそばにフードをすっぽり被って寒そうにしている女性がいて、時折話しかけている。どういう間柄なんだろう。ちょっと前に某女優が精神を病んだとか皇居に突撃をしたとか噂され、野良猫に餌をやって過ごしているという記事を読んだ事がある。落ちぶれた、という内容であったが、「素晴らしい人生じゃないの」というコメントが印象深く心に残っている。人生とは…鳩に囲まれた二人を見て、物思いにふけった。女性は寒さに耐えかねてその場で足踏みをしている。親子だろうか…。
その後、「好平」というお店で晩飯をゴチになる。さらには新神戸まで送って頂き、おかげで想定より二本ぐらい早い新幹線に乗れた。疲れが溜まっていたし、来るときよりも長い時間の乗車で、酒も入っていたし、すぐに寝入ってしまった。という前にトイレに行った隙に席が取られていたりしたんだけど。名古屋を出たあたりで何度目かの目覚め。ちらりと横を見るとお姉さんも爆睡しておる。その向こうのおばちゃんも、その隣のイケメンのサラリーマン風も。首を振って見渡せる限りではみんなぐったりと寝ていた。悲劇の事故直後の画像が流出したといっても信じる。何もかもが疲弊している。まずは寝ていられるだけの安定と平和に感謝するべきなんだろう。家に帰っても家具がすっかりなくなっていた、なんてこともない。
やる気のない人生を過ごしている身には、久しぶりに濃い時間ばかりが流れた旅でありました。みんなありがとう。
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お散歩を再開した。もっと黙々と早足であるいてカロリー消費しないといけないが、やはりそこいらの路地裏に迷い込んで歩くというのは面白いもので、どうしてもキョロキョロとしてしまう。あんまり興味深くそこいらのお宅の様子を伺っていると本当に通報されてしまうので、横目にちらり、こんな家に住みたいもんだなーあー宝くじでも当たらねえかなーとしょぼくれる。
という
思いも強烈に引き摺りながらのお散歩。それでも歩き続けるからには前を向くし時が来ればお家へ帰る。雑念ばかりが多いこと、特に咎められる理由もなく、何一つお散歩を阻害しないものだが、思い悩んだ「てい」で歩くのではなく、もっとシンプルに時間と現在地だけ気にして歩けないものか。人々がジムに通う理由が分かった気がした。お金払うからサボらない、なんてもっともらしい言い訳は嘘だ。みんな雑念の薄れる所を求めているんじゃないのかな。
徐々に近づいてくる変電所の夜景は、そう、世にいるという「工場萌え」と呼ばれる謎の感性の存在を思い起こすには十分なインパクトがあった。変電所の周りは塀に囲われてはいるが、細い路地を挟んで普通に住宅地があり、塀の高さもどうってことはない。銀のプラントが夜景に映える。目を凝らすとグレーの電線が高架と何往復もしている。歩きながら何枚か写真を撮って歩くうち、公園に着く。アスレチック的な遊具があり、数メートルの高さがあったので登ってみることにした。
たいてい若いカップルが居たりするもので、そーっと様子を伺いながら登る。振り返ると通行人が怪訝に見ている。あっ。通報はやめて。驚きはしたものの、威風堂々とアスレチックの上から周囲を見れば、桜の咲くがあり、あとは静かな、静かな、住宅地であった。一時間ほど歩いたのでここで休憩とする、良く晴れた夜空に横田基地あたりの所属だろう、航空機が何度も旋回している。ああ…よい心地…というとこれが良くない。もっと直向きにというか、余計な時間を消費せずに散歩しないと。カロリー消費と言っても、確かに何の計算もなく歩いているだけなんだけど、楽しいからやっています、では続かない。いずれ飽きて、面倒くさい、には打ち勝てない。
ただ外を一人歩くだけでなにを大袈裟な。
時計はまだ20:00であった。もう二駅ぐらい歩いて電車で戻ろうとしていたのだが、Amazonさんからコンビニへ荷物が到達した通知メールがやってきた。先ほどから駅の案内放送が聞こえているので、すぐそこの駅から戻ることにする。月曜日の夜かな、などと思っていた荷物が土曜日の夜早い時間に届くとは助かる。増税前の勢いだけのお買いもの、テンションの高いうちに!アゲていかないと!
滑り台から落ちる。子供サイズに作られているに決まっており、螺旋の下りに合わせて体をちょっと外に預けたら、そこに支えるものがなく、んぬふごっと呻きながら落ちた。よいこらしょ、と立ち上がる、地面に着いた掌に、冷たさがなかった。