• ふでのゆくまま

    年に一度も難しく

    例年なら、というかここ数年だけど、ブログのカバー画像更新の時期となった。

    幸いにもほどよく休日がやってきた。やっては来たものの、この夏からの多忙のせいでいろいろ積み重なったままの感があり、意気込んで写真集めをするような気分にもならず。去年と比べるとiphoneに収めた写真の量はかなり減った。とは言えゼロでもない。何枚かめぼしいのから選び、トリミングする作業もまた楽しからずや。…というところで、まずはバックアップ用のHDDに保存しようとしたらフリーズしてしまった。まーー数が多すぎるんだよな。

    どうしようもないのでこうして書き留めてみる。手元のiphoneで画像を眺めるに、良い写真はあるにはあるんだ。去年の11月から今年の7月までゼロ枚というのに呆れつつも。これにしよう、というところまで作業して、続きは後日。

    …という一日の昼下がり。少し前に書いた空き室が目立って強烈な印象があったアパートへ赴いた。某社の社宅であった。近くに来てしまえば当然ながら空き室が目立っているという景色を見ることはできない。ある程度の距離、高さが必要で、電車の中からというのは絶好だったわけだ。しかしながら近くに来てみると随分と古いものだなと実感する。フェンスに囲まれたスペースがあったら、テニスコートだとは思うのだが判別もできないほどに放置されている。その奥にジャングルジムも見えたが、雑草に囲まれていて、錆も目立つ。安心して遊ばせることが出来る遊具かと言われると、親御さんたちにも少々不安があるだろうなこれ。立ち入りを禁ズ、と書いてあるので深入りはしなかったが…。特に建て替えますとかの告知もでてないので、単に入居者がいないだけなんだろうか。そら建物自体は古いだろうが、高架の下の通路まで近いし、雨の日でも買い物など苦にならないように見えた。駐車場はない?ようにも見えた。周囲の道路も狭く、そこいらはいまいちかもしれない。

    そんな感じ。

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    佐野研二郎氏のオリンピックデザインのアレ

    始めにお断りしておくと自分はオリンピックというイベントにそんな大きな期待を寄せていないのです。別に非難もしませんけどそりゃ。

    で。ま。

    まだ開催まで時間があるうちにカタがついたと思えば良いんじゃないですかね。スポンサー企業にはいい迷惑だろうけど、どうせ商売しようとしてたんだからまあ。デザインと言えど要するにまあデータ。パクるにしてもその元ネタの入手がctrl+cとctrl+vで済んでしまうケースがあるでしょう。この手軽さは罪悪感をマヒさせるんじゃないかね。子供の万引きじゃないんだから罪悪感とかここで持ち出してもなあ。でもゲームでのチートを中学生ぐらいの、賢いつもりのお子様が平気でやるのもこんな感じだろう。

    しかしこの人実績のあるデザイナーじゃないか。どんなデザイナーでもなにかしら”拝借”して成果物に組み込むもんだろうけど、こんな露骨にねえ。大きな仕事でねえ。

    もっと堂々とCCとかのご自由にお使いください素材を使ってたら世間はどんな反応したのだろうか。今回の件はわかりやすく「コピーライトの部分をカット」という事例があったから悪意モリモリに映ったような気もする。少し前に、漫画の新人賞的なもので、すべてのコマの絵が他作品からのコピー(を加工した物)で構成されたものが受賞してしまったことがある。今回のは程度が一緒の事案だと思っているけどどうだろか。

    「メガバカ」でググると事例が見れます。

    デザインとか音楽とか、どういじってももう何処かで見聞きした物しか出てこないと思う。意地になって類似したものを避けるとこれは前衛アートにでも辿り着くのだろうか。可聴域を越えた音域、音量での表現、視覚で認識できないブライトネスの差異とかそういうのか?まさに人間などお構いなし、データではきっちり表現できているという次元。なんだかそれもまた、コピペより嘘っぽいと思ってしまうんだよな。

    また何か思う事があったら追記でもするかしらん。

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    Another Brick In The Wall

    路上にチラシが散らかされていた。

    雨に濡れてしまってべっとり路面に張り付いている。大抵は燃えるゴミの回収時にこぼれたとか、配ってる途中に散らかしたものだろう。自分あての大事な通知など混ざってないかと一応チェックする。集合住宅住まいの人はこれやるよね。結果、ピザ屋と不用品回収とマンション。ポスティング広告ド定番と言えるラインナップ。となれば同じようなものがわが部屋の郵便受けにも。こんな貧乏アパートでマンションの広告なんぞ配っても無駄じゃわ、もっとマーケティングせえよと思ったけど、ちょっと考えれば一軒家にお住いの方々に配っても絶対に効果がないわけで、家のない人に配ってもさらに無駄で、アパート住人に配るのは正解ではあった。

    普段使っている鉄道の路線から見えるアパートに異変を認めたのはGWごろであったか。ちらっと見た時に、部屋の中が見えた。カーテンが取り払われており、どうも空き部屋になっているようだ。異変、というのは、その空き部屋数が随分と多い。空き部屋の中は暗いので、日光の加減もあるとはいえど、まるでアパートに穴でも開いた風に見えてしまう。たまに報道で見る、中東あたりの戦時下のビル。RPGぶち込まれた焦げた穴。あんな感じ。煉瓦の壁から数個がポコッと抜けたような印象も受ける。いつも出勤時にこのアパートに目を遣ると、祭りのお面屋台のように色とりどり、賑やかにはためく洗濯物の鮮やかに映えたものだったがどういうことか。おそらく建て替えなんだろう。そうなればみんな出ていかざるを得まい。

    思えば今の自分が住まいとしている部屋も随分と古い筈で、このまま住んでいればあのアパートのように追い出される日が来る。幸い普通の収入があれば住む場所に困らない社会ではあるものの、例によって毎度毎度いつもの如くに、面倒くさいことは嫌いということを主張。…あんまりこれを主張しておると、やむなくお誘いを断るようなシチュエーションでも、面倒くさがって断ったと思われがちなんだよな。そんなことになると一個捨てても大差ないわいと捨てられてしまう。煉瓦の代わりなんぞいくつでもあるわいと。それは寂しい。

    まあだからって引っ越しを強いられて嬉々とするシチュエーションもないもんだ。あのアパート、如何にもクラシックな、昭和のアパート然としているが、そんな古いのだろうか。ネットでちょっと調べてもあのアパートの情報に辿り着くことすらなかった。

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    空の青さも懐かしく

    梅雨、そして盛夏というイベントに、お外に出る機会が滞りがちなのは例年の事。ではあるのだけど特に理由もなく一カ月も間が空くというのはなんだかなあ。もとよりお外でどうこうしたつう日記に重きを置いたブログでもねえわけで。

    そうこうしているうちに、梅雨が明けたという。七夕も過ぎ、一般的にもうお盆休み、いわゆる社会人の夏休みの予定は決定しているものだけど、今年は初版事情があってそれもままならない。ここでいう予定とは夏休み期間中の行動ではなくて、夏休み自体の日取りの話です。つまり夏休みが来ないかもしれない。あゝ。まあどうせ、どうせ今年もすることは同じ、郷里へ帰って墓に手を合わせ、s東京にもどってグダグダするだけ。ほれ、もう線香と酒と盃の準備はしてあるんだ。

    しかしながら、ちょっとだけ何か違う事でもと思った。郷里に帰る時間って人生であとどれだけあるだろうか。ちょっと故郷のそこいらを旅でもするかと思ったが、なんというかアシがない。田舎をバス電車で気ままに旅するにはもっと時間が要るし、しかし自分には車がない。もっとも、黄金色に輝くペーパードライバーでもあって一人で旅など絶対にできない。ならば自転車で、しかし実家にはそれに使えそうなものはないという。物置にある筈だけど?なんて自転車に乗るのは怖い。自分の体重的な意味でも。

    じゃあ買う?んで使う?帰省の足に。

    というわけで簡単に調べたら移動距離の目安は健脚でも一日100kmぐらいなものなんだと。これではダメだな。新幹線で二時間の距離を体力フルに使って自転車で往復するだけの休みになってしまう。峠も越えなくてはならないしなー。乗り慣れる時間もないし移動は断念。しかし走ったら気持ち良かろう。買って送るか。んで郷里で乗って、帰りにまた送り返すか。どうせ面倒くさがってやらないくせに、さてどういう自転車が良いだろうかとお見積りしている。

    このこころがまえ、既に夏休み。…新幹線の切符の買い方を調べる小学生か。

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    かごめかごめ

    かごめ
    かごめ

    かごのなかのとりは

    いついつであう

    よあけのばんに

    つるとかめがすべった

    うしろのしょうめん

    だあれ

    自分の記憶ではこう。調べると、「いついつでやる」が正しい…というかよく歌われるらしい。女の子たちがこの歌を歌いながら手をつないで円を描くように歩く。中央の子はその言葉の通りにうしろの正面に居る人物を声を頼りに当てる。その意味するところ、というのは諸説ある。ま、これも良くある話で…。口語に漢字をあてることが出来るから、日本のこういうのはいくらでも関連付けできるんじゃないかな。wikipediaにその辺もいろいろ書いてあるわ。

    かごめかごめ – Wikipedia

    こういうわらべ歌、動揺、と言われるもの、もちろん郷愁もあるのだけど、どうしても背筋の寒くなる感じがある。こういう日本の習慣をテーマにした怖い話や映画の類があるという影響かもしれないけど、何かこう切ない残酷さを連想してしまう。実際、こういう歌の中には、鎮魂歌というか、例えば何かその村の悲劇を歌にしたものが近隣から徐々に広まったようなケースもあるんじゃないかな。今も昔も、まつりごとは重要視するのがこの国の風土であり、国民性だろう。

    最近カゴメのトマトジュース、ペットボトルがほっそりとしてしまった。この私の恨みはどこにぶつければいいのか。味わいも変わってしまった。でろでろどろどろしたのが好きだったのに…好きだったのに…。変えてしまおう。後ろの正面、デルモンテちゃん。