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はじまり
カレンダー通り+大晦日の年末・正月休みはお散歩に出た。それ以外はインターネットにかかりっきりだったのはいつもの話。取り敢えず写真をはって簡単なコメントを。後で何か書くかもね。
四谷から少し歩き、荒木町へ。タモリ倶楽部に出てきたすり鉢状の地形、その名所と言われるところ。大みそかに一人で不審過ぎるのであまり長居はしなかった。そのため、いまいち全体的な地形が把握できなかったが、面白いところではあった。
妙法寺。初詣の雰囲気で、露天は多くにぎわっていた。落語の「堀之内」の舞台というか作中の目的地である。何となく足を運んでみたが、想像以上に賑わっており、長居できる雰囲気でもなかったので早々に退散。
大宮八幡宮。先の妙法寺もそうだけど、こんな都会の中にねえ…。あたり一面古代日本、みたいな場所も良いだろうけど、こうして人の意思により残されていく空間も面白い。まあ墓地はロッカールームみたいなもので済ますようになってしまったし、今後どうなるかわからんけども。ここも大賑わいで、ゆっくり出来そうになかったので早々に退散。
わしゃ厄か。
今年はお外にでましょう。外でもインターネットできますし!!
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隙間
大学生の頃までさかのぼる。
知人宅でだらだら麻雀などしているおり、なにか課題の提出の話になった。資料を集めるのだるいなあと、いう発言があったおり、面子の中に大学から帰る途中に寄った人間がいた。今持ってるので、コピーすれば?と。飯休憩でコンビニに赴き、10枚ほどの資料をコピー。自分も一応もらって帰ることにした。
資料にちょっとみんなで話しながら書き込みをして、あとはホチキスで止めるだけ、というところで、針がないと。コンビニに戻り、針を買う。あの消しゴムみたいな箱のやつね。しかし必要なのは二本。「これだけあったら、自分一生ホチキスの針は要らんやろうね」という発言にそんなことはないだろうと思った。しかし、以降、自分があのホチキスの替え針を使い切った記憶はない。
ガムテープもめっきり使わなくなった。段ボールで何かを宅急便で送るときに、補強というか封じるぐらいしか使い道がない。最近はそんな荷物を送る機会もほぼないので、数年にわたり使い切らない一巻きがある。先日、箱買いしたペットボトル飲料の段ボール箱が崩壊してしまい、久しぶりにペタペタと張り付けた。次に使うのはいつになるだろう。それでも少しづつ減っていき、どうせ必要な時には足りないようなことになるだろう。
では何かに積極的に利用するようなことはないかと考えてはみたのだが、特にないんだよねえ。うーん、と考えて、スチールラックの天板としてただ置いていただけのベニヤ板を固定した。雑誌を捨てるときにビニールひもで縛っていたのも、ガムテープで良いらしいので変えてみよう。隙間でもふさぐかと思ったが、そんなもんないわ。
となると今度はビニールひもの使い道…。
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ここんところ読んだ漫画など
もぐもぐ。
「孤独のグルメ2」をお買い上げ。○○のドラマ化とか実写映画化というともうその時点でファンの大半はがっかりするというのが良くある話で。デビルマンを極限の事例として残念な話は枚挙に暇がない。この孤独のグルメのドラマ化というか実写化シリーズはそれらとは別に、大変な大当たりだと思う。主演の松重豊なんて聞いたこともなかったけど、どハマリ役だと思う。最近だと名刺かなんかのCMで「はやく言ってよ~~」って言ってる人。
特に新しい展開があるわけでもない漫画なので、ぼんやーりと読了する。ごちそうさまでした。
たまたまだけどこちらも作者は同じ、谷口ジローによる、「神々の山嶺」を五巻まとめて大人買い。なかなか見つからなかったんだけど、映画化かなんかの話があるらしく、たまたま立ち寄った書店に置いてあった。棚に見つけてすぐに片手で一掴みにしてレジへ。途中でこぼして気まずい。主要人物に「羽生」という登山家が出てくるんだけど、羽生というだけでもう羽生善治の顔とキャラクターしか思い起こさないのでじつにムズムズしたのであります。映画の公式サイトのドメインはどうにかならなかったのか。まあこういう宣伝だけして終わり、みたいなサイトは使い捨てみたいなもんだからいいのか。
「刃牙道」という例の漫画の新シリーズも読んでいる。過去の刃牙シリーズにおいて、ジュラ紀?に生きたとされる原始人が登場した時点でもうこの漫画は何でもありだなあ、と思っていたけども、現在のシリーズに於いては宮本武蔵を現代に蘇らせるとかもう流石に失笑もの…なんだけど、過去のシリーズも含めて一番面白いと思う。今のところは。また「エア味噌汁の香り」とかやるんじゃねえだろうな。
毎日かあさんの12巻がそろそろ出る筈。サイバラ家が磯野家と同じような親しみで世間に受け入れられるとはねえ。
バスタードはどうなった。作品より先にリアル地球が終わるぞー。はぎわらー。
「いちえふ」の連載は終わってしまうようなので、単行本をまとめ買い。となるとついでに買っていたモーニングも買わなくなる。あのワインの作品はどうしても魅力が伝わってこなかったが、ワインが好きな人には面白いのかもしれない。
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WHIPSLASHを見たのス
何それ?という人が殆どだろう、買うまで自分も知らなかった。日本語題が「セッション」となっております。感想など。ネタバレ100%なのでご注意。コレクター版などとなっているのを買ったんだけど、日本語字幕で見たかったというだけです。
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アカデミー賞云々はわりとどうでも良い。毎年なにかしら受賞するわwwグラミー賞みたいなもんだと。新しい映画だから世間の高評価が長年積み重なってもない。既に高評価なのはご存知の通りつうわけではあるけども…。自分はなんで興味を持ったかというと、舞台が音楽ガチ勢の住処、音楽学校ということ。俳優さんは演奏どうするんだろうか、なんてところにも興味があった。学校という事は演奏する人も主人公だけじゃないよねって。そんなもの過去に何作もあっただろ、というツッコミはご尤もですが、映画には強くなくてねーごにょごにょ。日本の高校のブラスバンドの話で評判良いのあってねたしか(精いっぱいの知識)
で。
面白かったです。その作品の舞台となる世界には興味があるところだし、きっとこうなんだろうなあ。なんて思った通りの雰囲気があった。個人的には教官が「ハートマン軍曹」にしか見えなかった。それが嫌とか興ざめだということもないけど、まあ厳しい指導者はそうなんだろう。少なくともアメリカの感覚ではあれが一般的なんだろう。
114小節目からと言われてすぐに演奏が始まるの、凄いと思ったけどプロを目指すならそのぐらいは普通なんだろう。
なんだかんだ言って、成功を夢見る若者の物語なんだなあとは思う。家族の会話のシーンとか象徴的だと思う。最後嵌められるところも、そもそもその舞台に立った理由も偶然の再会から声をかけられたからだろう。気のあった女の子を誘ったりするあたりもそういう印象を受ける。
演奏シーンは見事なものだった。あれは俳優さんの訓練かハリウッドの魔法かは知らないけど、ドラムをたたいたこともない自分には申し分ない。ここがアレだと白けてしまうもんだけどそこいらのクオリティは流石に。別にあら探しをしようと思って見たわけでもないからまあ。まあ。演奏シーンの訓練が作中よりも厳しい、というレベルだったりしたら俳優って凄いなあと。実際どうなんだろう。俳優志望にも楽器弾ける人間はいくらでもいるだろうなあ。そう考えると、最初にこの作品を知った時に思いついた「俳優さんは演奏どうするんだろう」なんて疑問は的外れもいいところで、当然そういう訓練する、あるいは、最初から弾ける人材が転がっている、ということになる。凄い話だ。
話を映画に戻すと。ちょっと一ヵ所??のまま終わってしまった部分があった。椅子の上に置いた譜面が消えた場面。それを契機とした展開はこの映画の主軸なんじゃないかと思うんだけど、結局「何故か一瞬でなくなりましたー」のままで終わってしまった。オリジナルと比べて字幕版はカットでもされてるのか?スコアが一部ないぐらいでバックアップがないというのも…、そういうものなんだろうか。まああくまで学生と教官だからな、そんなところの面倒見るもんかという話か。自分が学生のころ、素人に産毛が生えた程度で部活の一環としてそういう演奏会に出たけども、確かにそんな予備なんて持って出かけてなかったわw。朝六時に寝過したのも全く何もなく終わってしまったように思うのだが、ま、伏線云々うるさい批評する人は好かないのでここいらで。
かなり評判が良いらしい最後のシーン。本当の最後の映画の終わり方からしても、さっき挙げたような余計は話はもうすっ飛ばしていくということなんだろうなと察した。誘った女?知らないわ。事故った車?しらねえわ。なぜ主人公は目をかけられたのか?知らねえわ。楽器が鳴っている間だけの煌めきに命を懸ける姿の美しさというありがちなテーマ、故に人の心をうつとしたものだろう。これもハリウッドの魔法かしら。
まとめ。面白いかった。しかしどこかで見たことのある、如何にも映画のストーリーだ、という展開が多いので、そういうのを嫌う人は眉をしかめる場面が多そう。遅れるなよ!→寝過す 遅れるなよ!→移動中にパンクとか。まあそういうので取り返しのつかないことになるのも人生よね。
以上。
見終わった後にチャーリーパーカーでググった奴は挙手。
ノ
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ギリヤーク尼ヶ崎 公演を見てきた
2015年10月某日、東京は新宿でギリヤーク尼ヶ崎のパフォーマンスがあるらしいので、見に行ってみることにした。
特にチケットも予約もない、普段休日にはフリーマーケットなど行われている、ビルの隙間の広場にて行われる…とある。爽やかな秋晴れの昼下がり、現地へ向かうとすでに人だかり。近くでは見れそうにないので、ステージ(なのかどうかもわからないが)横手の階段の手すりで始まるのを待つ。90歳に近いという。どんなパフォーマンスなんだろうか。予告通りの時刻に、ややざわついた空気があり、「まってました!」などと掛け声がかかる。寄席じゃねーんだからと思ったけど、大道芸とはそういうものなのだろう。いや、良く分からないが。
見ると…観客の合間を縫ってよたよたと細身の老人がステージにあがる。彼がギリヤーク尼ヶ崎のようである…。全く以て普通のいでたちで、代理の人が中止でも伝えに来たのかと思ったほどで。彼はゆるゆると荷物の開梱を始めた。静かに見守る観客。演出なのかどうかもわからないので眺めるしかないのだが、流石に退屈だ。着替えが終わるころになると、ステージの前のほうに座っていた人がメイクを始めた。演出なのかどうかもわからないので。白塗りになり、準備もできたというところでステージ中央に立つギリヤーク。観客から拍手。
ここまで20分ぐらいかかった気がする。もう集中力がなくなってしまい、端的に言うと飽きた。そりゃそうだ。もう細かいところは覚えてないのだけど、演目の書いてある札を掲げて何事か叫ぶ。音楽が流れ、「念仏じょんがら」が始まる。踊ると言うよりは練り歩くという感じであるあたり、流石にもう年齢がキツイよなあと思ってしまう。いや、若いころからこういう演目なのかもしれないけど、着替えだって手が震えてしまってままならないのを数分前に見たばかりではより一層こう、大丈夫なのかな、なんて気にしてしまう。ステージだってパフォーマンス専用なわけではないから、演者のすぐ後ろのカフェテラスの席にも人がおり、そもそもステージの脇にもカメラを抱えたアシスタント?のような人たちがいるという始末で、なかなか演者に集中するという気にもならず、いや大道芸ってそういうものなのだろう。
ステージを降り、客席へ練り歩く。観客の視線を追うに、どうも自分が立っている階段を登ってきているようだけど、螺旋階段になっていたため、見えなかった。「がんばれー!」などと声援が飛ぶ。ステージに戻り、バケツの水を被ったりして、終わった。次はやや陽気な曲で、観客をステージに上げて手をつないで練り歩く。同業者のようなものだろうか、妙に動きにキレがあるご老人が一人いた。
そういえば昔、ペルーの民族音楽を奏でる一座が都内各所を結構頻繁にめぐって演奏していた。新宿で見かけるとき、毎回のように一座のとなりで汗だくで踊っている老人がいたのを思い出した。あれは誰だったのだろう。
演目もいつの間にか終わってしまったようだ。舞台の上で何か話していたようだが、何を話しているのか全く聞こえなかったのは残念。花束などが贈られたあたりで帰路に着いた。見た場所が悪かったこともあり、イマイチでしたと言わざるを得ない。これが新幹線で二時間かけて見に来た、とかだったらきっとがっかりしてしまう。
あのような人生を歩んでいる人は、そら舞台にて死すことも厭わないものなのかもしれないが、着替えに手間取る様子まで見せられてはなんとも。演出なのかもしれないけど。遠目から見ていたから、カメラ持ってうろうろしていた人たちも目立って邪魔だった。近くで見れない時点で帰ればよかったなと。
ブログを認めるにもパフォーマンスの内容が全く印象に残ってない…。