私がオジサンになっても
兄夫婦に待望のご子息が、ではなく、わたくしオジサンになりました。技術用語では生誕40年というやつです。現世の魂も半減期、萎れて奈落へ落ちるまで。…まあ日付を見れば生誕日は一カ月もずれていますが。
20になった時も30になった時もこれといって感慨はなかったのですが、今回もまあないです。これもひとえにはどちらかと言えば平穏な選択肢に縋った人生故の奥ゆかしさ。おほほのほ。感慨もないなどと言っている本当の所は、例えば20歳までにはXXXを達成するとかそういう目標もなくただ歳を取ったというようなことの。
こんな調子だと、死ぬまでにはXXXXXみたいな目標も持たずに終わるんじゃないの自分。行きたい場所、食いたいもの、全くない筈がないんだけど、執着してないんだろうか、そういう機会があってもはてなんだっけ?と呆けて風呂でうたた寝する。死んじゃうわ。
執着してないのは目標の達成ではなく、人生自体なんではないか。身勝手な目標に情熱を傾けるのも、自分の魂の住処にすら横着を働くのもまた自分一人のこと。しかしこんなものをフワフワと認めていては仙人気取りで格好つけてる腐れインテリではないか。それは違う。20代の頃は格好良いのかもしれないが、40にもなればそんなアートを哂って業に浸らねばならんよ。怠惰の見返りが違ってくるんだ。
つまり皆様におかれましては、今後も宜しゅうとかそういう事です。