どくしょかんそうぶん
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“シベリア超特急”を観た
曰く、「B級映画ではカルト的な人気を誇る」のだそうだ。
そういうのを目にすると、ああ、よくあるアレね、と。ツウ向けとかそういうの。なんかこう、ネガティブな心象なんだよね、その言い回しだけで。若いころは好んだもんだけどもどういうわけか、しっくりこない。例えば隠れた名店とか言いながらも、堂々と紹介していくグルメTV番組を見たときみたいな。大声を出しているのはそっちではないか、何が隠れた云々だと。
そんな鼻息荒くすることでもねえんだけども。これら宣伝文句のいじくりまわしが言い訳に聞こえてしまう。そしてどこか嘘くさい。そら見る価値無しです!とは宣言しないわけで、なんだって微妙に嘘ではあるんだが。そういう意味では…「スタッフロール終わった後に起こったことは友達に話さないでください」などと冒頭に書いてるこの「シベ超」は正直なのか。
実際、「商業的には滑ったが作品としては傑作」というのはちょくちょくある話。この「シベ超」もタイトルが記憶に残っているほど何度も耳にしている。ツウじゃなくても見る価値十分。前書き以上~。
結局、見れば確かに納得の出来であった。間違いなく「B級」であり、カルト的な人気と言われる何がしかの「ツボ」の存在を確信できる。人に勧めるなら自分もこういう言い回しになる。いやこれ面白いよ!ってまた、嘘くさい…。
この映画にはいくつものバージョンが存在するようだ。見たのは「劇場公開完全版」となる。作品のカテゴリーとしてはミステリーになるらしい。ならばいつも通りにネタバレ注意と書いておきますが、まあ20年前の映画だし…。
B級である所以。明確に安っぽいセットで撮影されていることがすぐにわかる。監督も兼ねる水野晴郎の芝居の素人っぷり。これには誰も異論はないでしょ。調度品まで安いのが良く分かる。個室のドアなんかぺらっぺらで押し倒せそうである。…まあ実際の当時のシベリア鉄道もそんなものだったかもしれない。ベニヤ板の仕切り。
ミステリーとしての出来栄えはどうだろうか。特にミステリーが好きでもないもので良く分からない。ミステリーであるからには作中でその「謎」の部分の解決が為されるんだけど、個人的にはトリック自体には納得がいった。まあシンプルな謎解き。もし何度か見直せば何か不自然だったりするのかもしれないけども、ここにB級の空気はなかった。
この作品で何よりも一番印象に残ったのは、唐突ともとれる「反戦」の主張だろうか。作中の展開で表現するならばミステリーの解決後、明確にストレートに「反戦」というメッセージが主演の水野春郎の口から語られ始める。この発言が出るまでの映画中のストーリーの流れは不自然でも何でもないんだけど、なんだろうこの違和感というか。こういうのも演技力のせいか、あるいはこの違和感がB級の所以なのか。エンドロールに至っては何かドキュメンタリーを見たかのような印象。ああこれがテーマなのね、と納得はできる。見始めの時には思ってもみなかった。「シベリア超特急」というタイトルではなんとも想像しがたく、驚きであった。
そもそもこの作品の舞台は、実際に、欧州でヒトラーと面会後、シベリア鉄道で帰国したという山下奉文の行動を基にしている。事実、この後、世界は戦争に突入していく。世界大戦前夜という時世にあり、戦争が作品のテーマに絡むことは自然なこと、あるいはもう本命と言っても良いのではなかろか。それが何でこんなにも奇異な主張に映るのだろう???これだけ印象に残るのだからテーマを伝える事には見事に成功していると言って良いのかな。
数日に渡る否応なしの行程。様々な事情、思惑を抱えた人間が、同じ場所に押し込められての旅。壁一枚の向こうで何を考えているのか。そうこうしているうちに、列車は否応なしに目的地に着いてしまう。降り立たねばならない。あゝ人生とは、世界とはそんなものなんだろう。ゆらゆら揺られて長い長い旅をしているのだと…。そしてどこかで放り出されて散り散りになって歩いていくのだ。ちなみに、走行中の列車の中が舞台に関わらず、画面が揺れる演出がないこともB級としてのツッコミどころ、らしい。
作品は冒頭に予告されたどんでん返しを迎える。パターンとしてはあるんだろうな、という展開だけど、あまりのことに脳みそ止まるかと思った。一応のテーマの繋がりはある。さらにもう一回のどんでん返しで、もう好き放題だな、と顔がにやけてしまう。ここで、映画に入ってからの冒頭の場面が何だったか判明するのだが、もう本当にびっくりしてしまった。もしかしたら、映画のハードコアなファンからしたら「ベタ」でサムイのかもしれないけど、自分はすでに見たことがない展開に脳みそ発熱している状態だったので、これはもうね。( ゚д゚)ポカーン
やがて映画は、映像の再生が止まるという意味での、本当の最後の場面を迎える。満面の笑みでカメラ目線で語られる、「やっている事と現実は別か」という台詞。やっている事とは?現実とは?
以前デビルマンを見た時にも、ニヤニヤしながら見るつもりであまりにも露骨に酷いのでなんだか却ってシリアスに見てしまった。本作もそういう心持ちでいたものの、予想以上に、というか全く予想してない方向から衝撃を受けて、これまたニヤニヤなどできなかった。上記の文章もそんなノリでは書かれておりますが、実際、B級たるツッコミどころは多い筈だ。自分がガサツでおおらかなので、気付きもしない点も多かろうなあ。それを乗り越えてきたデビルマンは格が違げふんげふん。
本作、水野春郎の壮絶に濃い情念と愛情を感じざるを得ない一作。もうこれは、魂に染み入る傑作である、と言わせていただきます。なお、このレビューを書くにあたりネットをごそごそしていたら、下記リンクの「ファミコンみたい」という表現が実にしっくりときたことも合わせてお伝えいたします由。
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The mistを見たのス
最近映画見てないな、ということで。それ以外に見る動機はないのか。「後味が悪い」という評判だけで見てみた。具体的な評価は果たしてその通りか否か、という反応が書けるのでやりやすいですかね。
うーん…。以下ネタバレなどありますが、なるべくは隠す感じで。
個人的に「後味が悪い」とは思えなかったけど、いわゆるバッドエンド系。鬱になる系。
極限状態の人間関係をうんぬんという映画。その状態で人々が取る行動が、まあテンプレなのかこれがリアリティなのか。田舎町という設定が何かこう、人物像に絶妙に効いていた気がする。お約束のようい聖書を振りかざすキチガイの仰々しい演説は、自分はキリスト教と深いかかわりなく生きているのにも関わらず、それっぽいなあと理解できるあたり、ゲームや映画の見過ぎだろうか、あるいは世間の常識か。これが映画を見る嗜みか。
どろんどろんの人間描写でくたびれるかと思っていたんだけど、もっとパニックムービーっぽいというか。思ったよりもSFチックなのは原作者がスティーブン・キングだから?。実は見た時点では原作が彼だと知らずに見ていたけども、出てくる「敵方」がどれもキモく、ゲームみたい。その姿が割と序盤で明らかになったのは意外というか、映画の設定上最後まで謎なのかと思っていた。だからこそゲームみたいなのが出てきて、ちょっと拍子抜けしたというか。正直ね。
最後のシーンの一連はちょっと説明がつかないかなと思っている。確かに見ていてリアルに背筋の寒くなった稀代の名シーンと思う。「彼ら」が突然登場してちんたらと歩みを進めているが、あの敵方の見上げる様な、モンハンに出てくるような「アレ」はどう処理したんだろう?そこの理不尽さもまた味わいか。
作中に出てくる台詞で、「人は恐怖にかられると何でもしてしまう」というのは、エンディングの場面に繋がるのだろうか。エンディングの登場人物は、「アレ」を目撃するにあたり、もはや恐怖からは遠いところにいて、達観か諦観か、実に「理性的に」行動を決めたかに思えた。しかし実はあれは恐怖に駆られていたと。来るべき結果から、恐ろしさのあまり逃げ出したに過ぎないと。倉庫に並んでいた二人もきっと。狙ったものだとは思うけど、構成が家庭だよな。母と子、父親、祖父母。
我々も日々恐怖に駆られて生きています。大袈裟な、という人には不安から逃げつづけて生きるといえばよいかしら。求めるものは安堵なのです…。さあ何に縋って戦いますか、逃げますか。ああ、霧に囲まれた小売店こそ我が人生の全て、乾物の棚の裏で倒れる人を救えない、恐怖のうちに飲み干すお茶は美味いか?昆虫を踏みつぶした靴底を洗おう。
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さて次は何にしようか。
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筒井康隆 「聖痕」
当然ながらネタバレ満載なので未読の方は…と言いたいところなんだが。以下、男性器官のことをちんこと表記しています。
小説と言われるカテゴリの読書は久しぶりだった。前に読んだ”小説”はなんだったろう…?
華氏451だった。三年も前だ。あまり面白くなかったと記憶しているが、上記の自分の文章の投げやりっぷりは一体どうしたことか。いつものことじゃねーかと思われた貴方はツウですね。一杯お付き合いを。葉月という店が良いでしょう。
主人公は幼少時にちんこを切り取られるという目に遭う。という事件が作中そんな重大な要素だったのかわからなかった。この件に関して、特にアクシデントが起こらず物語は終わる。もちろん何一つ起こらないというわけではないんだけども。作品のタイトルにするほど何かあったか?絵はサザエさんでもいけるような、どこかほのぼのした世界を感じてしまったのだが、はたして。
ちんこがない故に形成される性格、あるいは何か医学的根拠のある特質というものが実在するのかは知らないが、作中では声変わりしない、ヒゲが薄い、性欲がないといったあたりが具体的に書かれている。葉月の従業員室を知人のセクロス部屋としてあてがってしまうのは、そういう性格によるものだろうか?だからといって、それに関したアクシデントも特に起こらずに物語がすすんだ印象だ。平穏である。さも当然とばかり。磯野家だな。カツオは波平に歯向かわないし、マスオさんは酒場で酔客に滞空時間の非常に長いドロップキックをくらわしたりはしない。
知人達がご自慢のレストラン葉月で逢瀬をしててもへのかっぱ。これはではちんこの有無による人格云々ではなく単なる阿呆だと思うのだが。
最後の台詞も「ちんこがないからこれまで好き勝手出来ました」という意味にとれるだろうか。順調な人生の物語でした、という印象だけが残った。うーん。なんだこれ。氏の「旅のラゴス」という作品を確か読んだ事がある筈で、特に何も覚えてないけど良い雰囲気だったと記憶している。そういうなんとなしに心に引っかかる現象となるの、面白いもんだと思うのだけど、この作品は何とも感想文を書くのに困る。残らなかった。
あるいはどこかに記述トリックのようなものでも仕込まれていたのではないか、と勘繰ってしまう。読み直す気力も時間もねえわーい。
書くことに困ったから嘘でも書くか。主人公は異星人に襲われて失ったちんこを取り戻すため、銀河の彼方へ復讐の旅にでる。全世界待望の沈黙シリーズ最新作。沈黙の陰茎。May f#$k be with you.
わははははははは。面白くない。以上でーす。
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ここんところ読んだ漫画など
もぐもぐ。
「孤独のグルメ2」をお買い上げ。○○のドラマ化とか実写映画化というともうその時点でファンの大半はがっかりするというのが良くある話で。デビルマンを極限の事例として残念な話は枚挙に暇がない。この孤独のグルメのドラマ化というか実写化シリーズはそれらとは別に、大変な大当たりだと思う。主演の松重豊なんて聞いたこともなかったけど、どハマリ役だと思う。最近だと名刺かなんかのCMで「はやく言ってよ~~」って言ってる人。
特に新しい展開があるわけでもない漫画なので、ぼんやーりと読了する。ごちそうさまでした。
たまたまだけどこちらも作者は同じ、谷口ジローによる、「神々の山嶺」を五巻まとめて大人買い。なかなか見つからなかったんだけど、映画化かなんかの話があるらしく、たまたま立ち寄った書店に置いてあった。棚に見つけてすぐに片手で一掴みにしてレジへ。途中でこぼして気まずい。主要人物に「羽生」という登山家が出てくるんだけど、羽生というだけでもう羽生善治の顔とキャラクターしか思い起こさないのでじつにムズムズしたのであります。映画の公式サイトのドメインはどうにかならなかったのか。まあこういう宣伝だけして終わり、みたいなサイトは使い捨てみたいなもんだからいいのか。
「刃牙道」という例の漫画の新シリーズも読んでいる。過去の刃牙シリーズにおいて、ジュラ紀?に生きたとされる原始人が登場した時点でもうこの漫画は何でもありだなあ、と思っていたけども、現在のシリーズに於いては宮本武蔵を現代に蘇らせるとかもう流石に失笑もの…なんだけど、過去のシリーズも含めて一番面白いと思う。今のところは。また「エア味噌汁の香り」とかやるんじゃねえだろうな。
毎日かあさんの12巻がそろそろ出る筈。サイバラ家が磯野家と同じような親しみで世間に受け入れられるとはねえ。
バスタードはどうなった。作品より先にリアル地球が終わるぞー。はぎわらー。
「いちえふ」の連載は終わってしまうようなので、単行本をまとめ買い。となるとついでに買っていたモーニングも買わなくなる。あのワインの作品はどうしても魅力が伝わってこなかったが、ワインが好きな人には面白いのかもしれない。
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WHIPSLASHを見たのス
何それ?という人が殆どだろう、買うまで自分も知らなかった。日本語題が「セッション」となっております。感想など。ネタバレ100%なのでご注意。コレクター版などとなっているのを買ったんだけど、日本語字幕で見たかったというだけです。
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アカデミー賞云々はわりとどうでも良い。毎年なにかしら受賞するわwwグラミー賞みたいなもんだと。新しい映画だから世間の高評価が長年積み重なってもない。既に高評価なのはご存知の通りつうわけではあるけども…。自分はなんで興味を持ったかというと、舞台が音楽ガチ勢の住処、音楽学校ということ。俳優さんは演奏どうするんだろうか、なんてところにも興味があった。学校という事は演奏する人も主人公だけじゃないよねって。そんなもの過去に何作もあっただろ、というツッコミはご尤もですが、映画には強くなくてねーごにょごにょ。日本の高校のブラスバンドの話で評判良いのあってねたしか(精いっぱいの知識)
で。
面白かったです。その作品の舞台となる世界には興味があるところだし、きっとこうなんだろうなあ。なんて思った通りの雰囲気があった。個人的には教官が「ハートマン軍曹」にしか見えなかった。それが嫌とか興ざめだということもないけど、まあ厳しい指導者はそうなんだろう。少なくともアメリカの感覚ではあれが一般的なんだろう。
114小節目からと言われてすぐに演奏が始まるの、凄いと思ったけどプロを目指すならそのぐらいは普通なんだろう。
なんだかんだ言って、成功を夢見る若者の物語なんだなあとは思う。家族の会話のシーンとか象徴的だと思う。最後嵌められるところも、そもそもその舞台に立った理由も偶然の再会から声をかけられたからだろう。気のあった女の子を誘ったりするあたりもそういう印象を受ける。
演奏シーンは見事なものだった。あれは俳優さんの訓練かハリウッドの魔法かは知らないけど、ドラムをたたいたこともない自分には申し分ない。ここがアレだと白けてしまうもんだけどそこいらのクオリティは流石に。別にあら探しをしようと思って見たわけでもないからまあ。まあ。演奏シーンの訓練が作中よりも厳しい、というレベルだったりしたら俳優って凄いなあと。実際どうなんだろう。俳優志望にも楽器弾ける人間はいくらでもいるだろうなあ。そう考えると、最初にこの作品を知った時に思いついた「俳優さんは演奏どうするんだろう」なんて疑問は的外れもいいところで、当然そういう訓練する、あるいは、最初から弾ける人材が転がっている、ということになる。凄い話だ。
話を映画に戻すと。ちょっと一ヵ所??のまま終わってしまった部分があった。椅子の上に置いた譜面が消えた場面。それを契機とした展開はこの映画の主軸なんじゃないかと思うんだけど、結局「何故か一瞬でなくなりましたー」のままで終わってしまった。オリジナルと比べて字幕版はカットでもされてるのか?スコアが一部ないぐらいでバックアップがないというのも…、そういうものなんだろうか。まああくまで学生と教官だからな、そんなところの面倒見るもんかという話か。自分が学生のころ、素人に産毛が生えた程度で部活の一環としてそういう演奏会に出たけども、確かにそんな予備なんて持って出かけてなかったわw。朝六時に寝過したのも全く何もなく終わってしまったように思うのだが、ま、伏線云々うるさい批評する人は好かないのでここいらで。
かなり評判が良いらしい最後のシーン。本当の最後の映画の終わり方からしても、さっき挙げたような余計は話はもうすっ飛ばしていくということなんだろうなと察した。誘った女?知らないわ。事故った車?しらねえわ。なぜ主人公は目をかけられたのか?知らねえわ。楽器が鳴っている間だけの煌めきに命を懸ける姿の美しさというありがちなテーマ、故に人の心をうつとしたものだろう。これもハリウッドの魔法かしら。
まとめ。面白いかった。しかしどこかで見たことのある、如何にも映画のストーリーだ、という展開が多いので、そういうのを嫌う人は眉をしかめる場面が多そう。遅れるなよ!→寝過す 遅れるなよ!→移動中にパンクとか。まあそういうので取り返しのつかないことになるのも人生よね。
以上。
見終わった後にチャーリーパーカーでググった奴は挙手。
ノ