どくしょかんそうぶん

  • どくしょかんそうぶん,  ふでのゆくまま

    りえことたまきち

    西原理恵子と桜玉吉。共に漫画家。前者は2013年ベストマザーなどといろんな方面で話題の豊富な方であります。サイバラと書いた方が知ってる人多いのかもしれない。漫画を読むともっとアレでとても楽しいです。昔から読んでいた人は結婚で吹いてアニメ化や映画化で噴いてベストマザーで昇天する。いや、無鉄砲もののイメージだったのよ最初ーーー。ここのあたり、今となっても包み隠さず作中で触れていくあたりが素晴らしい。今となってはいい「かあさん」に異論はない。あのサイバラがねえ…。なんて古参ぶるといった感じで続きましてー。

    後者はちょっと知らない人の方が多いかもしれないけど、古くはASCIIの「ファミコン通信」で愉快なキャラクター漫画を書いていたが、日記風の作風になり、さらには作者の価値観と精神状態により暗澹たる人生を薄墨で塗り絵するようなーーー。という一連の流れが熱い支持を得ている。篤いというか。近年は細々とどうにかこうにか食いつないで暮らしている、という印象。

    どちらも大好きな漫画家で、また、とてもお勧めできる。途中で読むのを止めたりしてもすぐに続きを楽しめるのが良い。一ヶ月ほど読むのを止めた後、また読み返してなんだっけ?というのが実に煩わしく、小説の類は読まなくなってしまった。一話完結(というわけでもないけど)のタイプは途中で読むのを止めても再開が楽だ。そういう漫画が好きだ。何度目だろうかこの主張。

    ここまで書いてなんだけど、後者はまだ届いてないから読んでない。桜玉吉の作品がまた読める日が来るとはねえ…。

  • どくしょかんそうぶん

    失踪日記2を読んだ。

    「失踪日記」という漫画があって、これは間違いなく傑作なのです。漫画家の吾妻ひでお氏の作品で、失踪してホームレス暮らし→警察に保護される、とか、失踪後ガス関係の設備会社で現場作業員として働いたり、といったエクストリーム日記である…。公式サイトによると30万部売れたらしい。自分も作者の素性など全く知らないがお勧めされるままによんだ一人であり、その暮らしを堪能した。

    で…この、続編がこの「失踪日記2」というわけなんだけど、副題に「アル中病棟」とある。著者がアルコール中毒で入院していた時の体験記という内容。絵柄はのほほんとしているが、登場人物は病人と医療スタッフばかり。バラエティ豊かな登場人物で、半閉鎖病棟の身近な異世界を見事に描画しており…うっと真面目な内容検討はしねえんだった。面白かったです^^

    「完全失踪マニュアル」なんて本が流行ったのは、自分が高校生の頃だったと思う。同級生がおもしろいよ、とかさらりと言ってのけてビックリしたものだ。当時、筒井康隆を読んで、読書感想文以外で「字の」本を初めて真面目に読んだ、などという自分にはその「失踪」「マニュアル」なんてタイトルの本を読んでみるというのは途方もない発想に思えたのだ。

    え、だって、失踪とかしたくならない?

    そう言われても「何を言っているんだこいつは」ぐらいの感想だった。しかし呑気だった子供の時代が終わる。こうしておっさんになってしまうまでの間に、そしてこれからもずっと、ある日静かに椅子から立ち上がりそれ以来行方がしれません、と、いったような幕引きに、なんかこう魅力を感じつづけるのがわかる。大事にしていたものを裏切りたくなる…というのとは多分違う。愛着も責務も、すうーっと自分の手からこぼれ落ちたらどんなにか軽くなるだろうかって、夢を見てしまう…。自我とは世界との連結点である。いなくなったことにするだけで、どうにか新しい扉を、とか言い出すとこれは宗教チックになる。

    もうちょっとだけ愚鈍というか。はあめんどくせえ、で逃げ出せる、捨てるという私利私欲。セーフティネットなどという議論に注目が集まったりするのは、社会をよりよくするとか、そういう話よりも、自分がそこに身を投じてみたいという関心の方が強いのではないかと思っている。それが簡単にできないから酒や薬で身を滅ばす人が出る。たが、誰もが簡単に投げ出すことでメリットを教授できるというのはまた誤りであろう。

    山を降りてもいいというのは、次にまたトライするから。一度しかないなら死ぬもまた…?そこに必要なのはただ、ただ、体を休めて留まれるだけの小屋なのに、人生にそれを得ることができるのは果たしてどれだけの割合なんだろうか。

    難しいね。

  • どくしょかんそうぶん

    ハウス加賀谷・松本キック「統合失調症がやってきた」を読んだ

    懐かしい。彼らの名前が全国的に有名になったのは「ボキャブラ天国」というテレビ番組だったかと思う。もう20年前じゃあないか、そら俺も年をとったわいふぇふぇふぇ。その後、自分もテレビを見ることがあまりなくなったので、彼らのことなど全く知らずにいた。耳にしないということは売れずにフェードアウトしたのだろうと。ところが思いも寄らぬ所で「ハウス加賀谷」という名前を目にすることになった、というのがこの書籍である。彼は統合失調症の治療をしていたのだ。当時、素っ頓狂な芸風であったのは記憶に残っている。既に発症していたというなら、あれは芸風+人格だったんだろう…というのは勘ぐりすぎか。

    んで。

    書籍の内容は、少年~芸能界デビュー~入院~再デビューあたりまでの思い出を綴りながら、症状と治療について綴っていくというもの。わりとのほほんとした感じであり、凄惨な精神医療の実態云々みたいなものとは無縁で、眉をしかめて読むような書籍ではない。また、入院後、治療を受けてデビューへの道のりはポジティブなバイブスであふれている。

    霊が見えるとか主張する人おるよな。全く相手にしない。なぜなら霊は存在しない。そこに理解など微塵もない。議論も検証も要らん。だけどもし、自分が霊に出くわし怖い思いでも良いし心温まる話でも良いけども、実在するとの確証を得てしまえばすぐに掌を翻すことになる。そらそうだ。いたんだもの。

    統合失調症のような病状も、まあ誰からも理解はされないだろう。ただ、ま、この書籍のようなものを通じて、実体験が広まれば、そういうこともあるのね、程度の認知は得られよう。皆々様がご存知であるところの「現実世界」に生きることはかくも煩雑で危うい。いつか世界がぶっ壊れたときに、新小岩駅へ突撃する前に歩みを止めるきっかけが要る。あなたの、あなたの愛する人の歩みを一旦止めて体を預けてみたり、また支えてみたりする、そういう方法も効果がありますと。

    良き一冊でございました。

  • どくしょかんそうぶん

    「Football under cover」を見た

    「football under cover」は、ドイツとイランの女子サッカーチームが対戦するまでをドキュメンタリーで描いたもの。文化、政治の違いによるギャップを埋めながらイランでの試合の実現に向けて進んでいく…といったストーリー。撮影は2005年あたりです。なお、国内で入手は困難のようで、ドイツのamazonから輸入しました。英語の字幕があります。画面は16:9でした。自分が手に入れたのにはコメンタリーとかouttakesとかありましたが、全てについているかは不明です。あまり見ないで買ったからな・・・(´・ω・`)再生はPCでOKでした。DVDプレイヤーは自分は良く分からないので、リージョン云々は不明です。

    さて、内容。当然ながらというか、政治的な、制度的な主張は作品に含まれていますし、一部シーンではその主張が極めてストレートにカメラに収められていますが、いわゆるフェミニズムってもんではないので、そゆうの嫌う人でも大丈夫かと思います。ケレン味の無い、というか、至って普通のドキュメンタリーという印象でした。

    もっとも印象深かったのは、映画本編とは関係ありませんでした。ドイツのチームのメンバーが、イランのサッカー協会と会議のテーブルについた場面。ドイツ側は二名(ドイツ人+シリア人(?))とイランの人々十名ぐらい。みんな英語で話してました。当たり前だろ、といえばそれまでなのですが、海外で暮らした経験のない俺には、日々インターネットで感じている「英語が公用語」状態が、より一層印象に残りましてん。いやいや、映像として残っている場面だけだろっていう指摘があればそりゃそうかとも思いますが、しかし、実際のところ、母国語+英語は、もはや必須なんだなーって。

    良い作品で御座いました。

  • どくしょかんそうぶん,  ふでのゆくまま

    それは#$%&が燃える温度

    収支、などというけど、平凡民、昨今の社会事情では貧民層に分類されるワテクシ、お給料しか稼ぎがございませんで、そら、計算も、引き算だけになるっつ塩梅で、どうもね、定期的に増額されるものの、計算上は減ることばっか考えてるってえ塩梅で、どうもね、穴の開いたバケツ、鼠の暮らす蔵って塩梅で、どうもね。しかしながらそのバケツ、どこに漏らすかをこの手で動かして選べるって塩梅で、どうもね、世界はそれを自由と呼ぶって塩梅で、どうもね。

    その穴がちょろちょろだから、どこに撒こうか、なんて心配もしていられるつううもんで。この世界にはもっとでけえ穴を抱えながら右往左往する人がいて。会社経営なんかそうなのでしょうね。ずごごごごごごごごと水が入って、どばばばばばばばばばと水が流れ出ていく。もはや動かすこと叶わず、溺れる覚悟で潜って穴修理するなり、そんなもん脇目もふらずにもっと水を!!水を!!みずーーーーーーーってまあ。

    これが落語なら穴の無いバケツに喜んでたらすっかり干上がった、というのがいかにもなオチ(サゲって言うんでしたっけ)なんだけどなー。怠けてねえで働けってな。ああちょっと書いてみたいな。だれか書く人いねえか。安敦誌の人とか一筆どうですか。

    みんな水の漏れてるバケツを抱えて走っているとしたら、現代社会はビョーキだろうか。しかし世界は乾いている。漏れた水こそが、我々の生きる糧を育む。燦。水が漏れねば世界は燃え上がる。どばばばばばばと垂れ流しのたうち回って暮らすことこそ、是としなければならぬ。ビョーキなのはこの世界のほうなんだと認めることを、ある人は「神は死んだ」と表現しました。落語なら没だクソが。

    遠く我々の祖先が陸に上がって以来。そういう機関でしかない我々。安いSF。士農工商犬エスエフ。筒井康隆。水筒。出納。ほら話がつながった。お前の札束が燃えたら、水をかけるの?もっと札束持ってくるの?

    それはお金が燃える温度。

    というわけで。華氏451を読んだ。自分は華氏911の方を先に知ったので、いつか読んでみるかなんて思っていたんだけどようやくここで。感想文。この本に限らず、事前にあらすじとかどういう作品か、とはそんな情報は充実しているもんだ。「昔のエスエフ」という視点が抜けぬままに読み終えた。焚書とか検閲とかそのテが好きそうな人が好みそうな紹介ばかりされているが、その部分がそんなにキモだったとも思わないというか。書籍の内容を有害として焼くというのが国家によりもたらされた世界とみるならそれはそれで良いし、作中に出てくる壁テレビの思惑というならそれでも良いし、まあ足しても良い。人間は自由を求めて戦うものだ!という文学の世界の鉄板ネタ、一昔前のIE6でも崩れないCSSみたいな感じ。どうでもいいね!

    で。やはり昔のSFだなあと。当たり前だけど作中の「本がなくなってしまう!」みたいな危機感にリアリティない。今は「電子書籍の世の中が来るぜよ!」詐欺からちょっと歩み出た感じ。それでも紙という素材のメリットは一切失われていないのがすごいなと思う。燃やせば消えることが圧倒的な利便性なのだ。インターネットにより、各種『思惑』の保全はとても簡単になり、また一方で、廃棄は不可能になった。(ああ統制とは甘美。エアーズロックにノミを打ち込め)また、「テレビによる文化の破壊」は成功したかはわからないけど、ターンは終わっていて、(日本だけかもしれないけど)死にかけている。廃棄は有料になった。

    インターネットが何もかもぶっ壊している。自由の筈のインターネットが、華氏451の世界になぞらえると、どうも本を焼く側にいるようじゃないかと思える。インターネットは、捨てるという自由を奪った!!無かったことにする、人類の知恵を。猿のメディア。いいねボタンを一億回おせば英雄!

    Favorit 10000000+ それはブログが燃える温度。

    空のバケツ被って窒息死ぬしかない。穴の開いてないバケツで。