えさのじかんだ

  • えさのじかんだ,  ふでのゆくまま

    ウニ is not

    ウニ不味い。

    多分30年ぶりぐらいに口にする機会があった。結構な高級店でしかも他人のお財布という有難い機会でありましたが…美味しくなかった。なんというか…何味なんだあれ。いやウニ味なんだろうけどもさ。味も香りも特にこう、訴えるものがなかった。一緒に食した人々はおおむね好評だったので、こういう味なんだろう。あゝこれは決まってしまった、ぼくはウニを好んで食べることは生涯ない。結論が出て、粗末な人生がまた一歩前へ進むことが出来たのでありんす。

    しかしもう一つ発見があった。ウニはウッペッペッペと吐き出すものでもなく、食後に気分が悪くなるものでもなかった。しっかりと味わい、そして美味しくないと思った。ノーリアクションという表現が一番近いか。いや伝わらねえよ。この現象はきっと、高級嗜好品あつかいしている世間が誤っているんだろう。こんな事言ったらお財布の人は塩水噴いて怒りかねないが、ちゃんとご配慮もしましたよ。その場でカラスミ初体験もしようと思えばできたが、ご配慮によりご遠慮。これも高いんでしょ?

    他に食べた事ない高級品で、しかし世間で比較的馴染みのあるもの…というと、スッポンとフグ。どちらも「それ用」のお店があるから食べようと思えば食べれるんだろう。しかし食べようと思わない。高いし。なんというか、グルメじゃないんですよねー自分。

  • えさのじかんだ

    お前が揚げ物を覗き込んでいるとき、揚げ物もまたお前を覗き込んでいる

    油のストックをタブらせてしまったため、調子にのって揚げ物をしようと思いつきました。以下実践。画像がないのはいつもの通りです。ブログに載せないだけで撮ってあるパターンもあるのですが、今回は撮ってもいません。

    一人暮らしの経験がある人ならお分かりかと思いますが、揚げ物ってほぼ絶対しません。一人分でも結構な量の油が必要になりますし、使用済みの油を使いまわすにしてもその消費にはなかなか時間がかかります。そもそも油が用意できれば後は放り込むだけなんで、大量に作るのが簡単。だからって作り置きしても美味しくはない。作り置きならそこいらで売っているという話です。どうせやるなら揚げたてをすぐ食べたい。そして、煮物じゃないのでその場を離れるのは危ない。などとそれっぽい理由を引っ提げて大量に作ってそのまま食うという所業に。緻密に演算すれば理論上は一週間分ぐらいのカロリー採れますね。浮動小数点とは揚げ玉のことです。

    勿論、今まで一回も揚げるという事をしたことが無いわけではないのです。酢豚をレシピ通りに作るかーと片栗粉付けて揚げましたし。でもあれは、揚げる分量も豚ロースのブロックを数切れ程度です。油もロース肉がぎりぎり油が被るぐらいの量で済ませました。今回やろうとしているのは本当の揚げ物です。天ぷらです。勢いでモリモリ食べます。では何を揚げましょうか。大体なんでも食えるという話なんですから、スーパーで適当にそろえた材料はというと、いんげん、ちりめんじゃこ、玉ねぎ、銀たら。まーチョイスは適当。一番簡単であろういんげんから行きました。洗ってヘタを取って衣付けて油にポイ。

    IH調理器は温度が指定できる揚げ物モードがあるんですね。キャノーラ油を過去にない分量片手鍋に満たします。油が入った鍋の重さよ…背徳感に眩暈を覚える。しかし温度計もないのに具材の入れるタイミングはどうすれば。適当に衣を油に落として、ジュワと揚げ玉が生成されたので頃合と判断しました。細長いいんげんを菜箸でつまんで衣に浸し、鍋に滑らせるように入れます。静かにシュワシュワと音を立てて油に気泡が認められます。どのぐらい揚げればよいのかも謎なので、まずは一本で様子見る。どう考えても1分ぐらいで良いよね。

    拾い上げて、ちょっとフリフリして油を落とし、キッチンペーパーにダイレクトに載せる。ふーふーしてやや冷まし、塩振って食ったらうわなにこれやばい。喜びがあふれてくる。美味いというのは感情なのだ。感嘆の深くて甘いため息が漏れた。「っほぁあああ…」って。正直、ここまで美味いとは全く思ってなかった。いんげん10本ほど狂気のテンションで鍋に放り込んで、揚がってはじゃがりこみたいな勢いで食いつくし、ちりめんじゃこのかき揚げも3枚ぐらい揚げたのを一瞬で食い尽くし、玉ねぎはただ油っぽいだけになったのでかき揚げ一個で終了し、銀たらは揚げる前に綺麗に骨を抜く方法がないかが課題となったが兎に角やばい。美味い。うめええええEEEEEEEEEE

    そして油もやばい。当然、衣に吸われてかさが減るのだけど、これだけの量の純然たる油を食するというのはやばい。見た目にももちろん減っているし片手鍋を持ては軽くなったのがわかる。背徳。加熱すれば発火するんですけどこの油ってものは。摂取カロリーとかそういうレベルの議論じゃない。医療機関の診察が必要なのでは。人体発火現象の答えこれじゃん。こんな肥満体に許される行為ではない申し訳ございませんでしたもうしません。でもね、クジラ肉が手に入ったら許して。クジラ肉の天ぷらが実に美味いらしいのでその時は容赦なく。

    ここで第二ラウンドを翌日に行ったのは流石に暴挙だった。油処理関連を忘れてて、鍋に油を入れたまんまの状態。この第二ラウンドの具材と一緒に吸わせるテンプルを買いましてん。油を足して加熱。第二ラウンドの具材は、しいたけ、ちくわ、いか、茄子。ちくわがマジやばい。安い弁当の隅っこにいるだけの彼が、揚げたては気が狂うほど美味い。世界がバグる。美味いんだけどもうおっさんですから、油物への耐性が流石にアレで、二本ぐらいで一旦休憩。しいたけも美味しいんだけど、すぐに飽きるというか…。6つも揚げるんじゃなかった。イカもなんかこういまいち。何の下ごしらえもなく放り込んでいるだけだからな。ちゃんと作れば美味いんじゃないか。茄子はこれまた美味い。これは塩よりも麺つゆだな。

    まーーーとにかく野菜が美味いのはビビる。サクサクした衣とジューシーな中身の組み合わせ、そりゃ天ぷらだからそうだろうって話なのかもしれないですけどもー。実践してみたらここまで美味いとは。野菜嫌いの子供にはまず天ぷらが良いんじゃないか?炊き込みごはんとかカレーなんかでも良いのだろうけど、卒業後に野菜メインで食わす時のハードル高い気がするんだよな。天ぷらで食えたなら、そこから温野菜とかスープはそこまでハードルが高くはないのでは。ああでも天ぷらのサクサクの感じは他の調理法では絶対ないからなー。

    自分が嫌いな食材を実際に天ぷらで食えたらこの仮説も真だろうと考えを巡らせると、自分の嫌いな食い物と天ぷらの相性が良くなさそうであります。生および半熟の卵、いくら、うに。山芋も好きではないが、細切りにして海苔で巻いて揚げたものを食べた記憶がある。素揚げだった気もするけど、揚げればいけるもんだ。

    ま。月一ぐらいで食うことにしましょう(食いますとも)一人用フライヤーなんてものも安価に売ってるんようだけど、置き場所もとるしメンテナンスとか面倒そうなので、今使っている片手鍋で良いかな…。

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    という天ぷら祭りから一カ月。流石にクジラ肉には出会えていませんが、忘れていました。魚肉ソーセージ。第三ラウンドは魚肉ソーセージとサーモン。サーモンはフライが大好きですが、パン粉なんか買ってしまうとあまってしょうがないので天ぷらでいきます。魚肉ソーセージの天ぷらといえば、何か思い当たるフシのある人もおりましょう。そう、一部立ち食いソバのウィンナー天蕎麦です。魚肉ソーセージをどうやったらウィンナーと呼ばうのか謎だけど、あの味わいはちょっとノスタルジー。最近は売ってないんじゃないかなー。作法にのっとり、縦に切って揚げます。勿論不味いはずもなく…。なんか感動も薄れてきて筆が進みませんが、食は進みに進んだご報告を以て揚げ物祭りの〆といたす所存。

    埋め込み動画は人気落語家、柳家喬太郎師匠の「時そば」なんだけど、本題に入る前の枕の内容が後世の語り草。次の天ぷら祭りは蕎麦も用意しましょう。

  • えさのじかんだ,  ふでのゆくまま

    めしにしましょう(3)

    前にもどこかに書いたっけ?「めしにしましょう」という漫画作品がお気に入りであります。初期~中期のこち亀のような、登場人物が無茶苦茶をしでかす痛快さと、実際に行われたであろうめし調理の緻密な演算が良い。よかったですね。最近3巻がでました。

    めしの好みって人生を通してみれば何度か変わっていると思う。しかしいつ、どこで変わったのかは定かではない。ある日、何となくトライしてみたら苦手なものが美味かったとか、逆に久しぶりにごちそうを口に運んだら美味くもなんともなくなっていてがっかりしたとか。そう、食ってみるまでは気付かない。医学的な原因がどこかにあって、食い物の好みがある時変化していようとも、それその対象を食ってみない事にはなにも判明しない。そういえば知人に嫌いなものに定期的にトライしているという人がいるが、良い試みなのではないかと思う。大人が食い物が好きの嫌いの真剣に向き合う物でもないという声もあるだろうけど、何度か試しているうちに食えるようになっていたことが判明したり、食えるような調理法が判明でもすれば、例えば会食の席なんかで頭を回す必要のあることが一個減るってもんだろう。

    会食の席ってまあ要するに勤務先の飲み会とかそういうのも含めてざっくりと。話のタネにトライしてみる人も多いと個人的には思う。他の人に召し上がって頂けば、無駄になることもないですし。自分はこれでめかぶが頂けるようになった。甘酸っぱいワカメの根っことか言えば良いんですかね。何で嫌いだったのかも良く分からない。納豆やおくらなどネバネバいけるのに。一方、山芋というかとろろがだめだ。飯にかけても美味いとは思えない…。

    好きな食い物の好みはより狭く固定化されていくもんだと思う。絞り込みだ。カレーが好き→辛口より甘口が→豚より鳥が。そう、カレーぐらい幅が広いと、自分で作る自分の好みのカレーは世界に一つのレシピ感があって誇らしい。

    以下、世界に一つです。

    玉ねぎは雑にみじん切りにします。1cm角ぐらいでも全然良い。肉は大きい塊を、大きめに切り取ります。口に入るサイズなら良いです。手に入れやすいのは鳥のモモ、豚のバラとか肩ロースあたり。牛はカレーにはイマイチと思われます…。あとはカレールーを用意します。たまに人参が入りますが、入れるときはこれも大きめに乱切りに。

    鍋を温めたら軽く油を引き、肉と玉ねぎを同時に放り込みます。人参が入る場合は、先に人参を適当に炒めます。肉の表面に火が通ったら、火力を弱めて蓋をして、蒸しつつ時折かき混ぜます。15分ぐらいでしょうか。ルーを入れます。多めに入れます。目指す仕上がりは、お玉に掬って逆さにしても簡単には落ちないぐらいの、実に濃い仕上がりになります。そのため、水よりも先に野菜の水分でルーを溶きに行きます。結局は水で微調整しますが、兎に角濃くします。

    肉に衛生面で問題がないレベルまで火が通れば出来上がりです。煮込むとかしません。玉ねぎが口の中でややジャキジャキ言います。肉も人参も大きいので噛みごたえがあります。ご飯やうどんにかけず、このまま煮物のようにいただきます。粘性が高いのでちょっと冷ませば箸でも行けそう。ルーはジャワカレーの中辛が一番好みでした。

    こうして作ると、なんといっても香辛料はもとより塩分の濃さが脳にガツンと来ます…。麦茶や無塩トマトジュースなどでガブガブと流し込みますと、恍惚の笑みです。どこぞの著名な弥勒菩薩もこのカレー食っている姿が彫像されたに相違ないのです。

    アルカレーイックスマイル(2点)

    めしにしましょう!作者のブログ
    パル

  • えさのじかんだ,  ふでのゆくまま

    一枚足りない

    数年使っていたどんぶりが割れた。

    前々から、割れるものを食器として使うのって、合理的ではないなあとの思いがあった。しかし木星の木製の、気取った店でサラダが入っているような器はそのままレンジであっためることが出来ない。100均で売ってるような安プラスチックのものは本当に使って大丈夫なのかという思いがある。健康面とか。それを言ったら別に〇〇焼の逸品でもそうなんだろうが。

    (簡単には)割れないもの、冷蔵庫に直接放り込めるもの、できればレンジで温めができるもの、お手頃な値段、メンテが面倒くさいとかなし。そういうものを求めている。そんな便利で都合の良いもの、きっと世間が求めているに相違ないのに、ググれば出てくるのはそういう特色を謳う商品のオンラインショップ的なものばかり。私のインターネット漬けの辺縁皮質が鼓膜に直接語り掛けてくる。地雷案件ではないか?と。

    ちょっと話を逸らす。うちにはガラスのコップがない。一人暮らしをはじめた高校卒業以来、置いたことがない。割れるからだ。プラスチックのコップがあるだけ。一人暮らし特権で、麦茶なんかはピッチャーからラッパ飲みで対応。コップはお薬飲む、歯磨きする、しか出番がない。ここ数年はタンブラーのようなものがあるので、ガラスのコップなんてさらに出番が少なかろう。

    食器にもそういうタンブラーみたいな軽い、金属製のなら。…幼稚園の給食の食器はそんなのだった記憶がある…恐らくアルミだよなあれ。しかしアルミではレンジに使えない。小学生になって、給食の食器は金属ではない食器だった。あれはなんだろうか。ググると素材はメラミンのようだ。ああ、こういう給食とか飲食店向け、業務用のカテゴリからアプローチしていけば、これというものに出会えるかもしれない。しかし業務用だと1ダース単位とかだったりするのかな。

    そうこうして探すも、なかなか良さそうなものがない。…なるほど、割れるなんてことは承知の上で瀬戸物とかいわゆる磁器が使われるわけですね。レンジもOKだし冷やしても高温の油もOKだし。諦めきれずにいろんな飯を食っているシーンに思いを巡らせてヒントを探る。定食屋。セルフサービスの水はプラスチックのコップだ。どんぶりも小鉢も磁器だ。またほかの店は…。漆塗りっぽい木製だ。レンジで温めることもないからなあ。スーパーのお総菜。使い捨てだから食器の参考にならない。回転すし。プラスチックの皿だ。加熱することないからな。お弁当の配送サービス。プラスチックの丈夫な箱で、レンジ対応してませんなんて注意書きが

    あっ

    お弁当箱。お弁当箱を家で食器にすれば良い。レンジ対応しているものもある。なんなら蓋して持ち出せる。すげーの思いついたよお菊さん。もう割れませんから成仏を。弁当箱というカテゴリで探すと、これはというものが多々ある。弁当箱はしかし、全体としてサイズが小ぶりである。持ち運びが前提のお弁当箱ではどうしても小ぶりに決まっている。めんどいので大量に作って晩、翌朝で食うことが多いので、でかいものが良い。野菜なんかも生ごみ回収の日に切っておいてゴミの部分は捨てて、残りを翌日に使うとかするし、そういうのもでかいのがあれば。

    そうして探し当てました、レンジ対応のタッパー…なるほど。”保存容器”として探せばお望みのものに一発で出会えたようだ。勿論今までも使ったことはあるけど、なんで思いつかなかったかね?5Lとか強烈なものもあるけど、色や形、サイズも結構豊富に選ぶことができそうだ。よしよし、食器全部それにすれば良いのだおーそうしましょう。長い年月もたないかもしれないが、瀬戸物にしたって割れてしまうのだから大差ないと思う。具体的に何年ってあたりが不安要素か。

    しかし四角いタッパーに泳ぐそうめんや蕎麦のビジュアルを想像しウッとなった、クッソ暑いある休日のことで御座いました………ま、新しい風習を生んだと思えばね?それにほら、見栄張ってそれっぽいデザインのものも揃えるとなると、これがまた、お予算が一枚足りないんですなあ。

    オチがついた後でなんだけど、保存容器という枠で探しても、使い勝手のレビューみたいなブログとかまるで検索にヒットしない。主婦層の生活用品レビューってかなり参考になるのよ。これはきっと、こういう大きな額の買い物にならないものは恐らく、Amazonなり楽天なり、ショップサイトのレビューにみんな吸い込まれてしまったんですねえ。ネットで買いますと。まあそうでしょうねー。地雷案件ではありませんでしたのことよ。

  • えさのじかんだ,  ふでのゆくまま

    塩織

    塩味探訪、ひとまず美味を求めたのではないにしろその味わいには特段驚くようなものもなく、ネタになるようなものもなく。もっと高級志向というか、「〇〇の塩」などというような銘品だったらまた違った感想にもなろうか。とはいえ仮に世界で一番旨い塩でも手に入れればまた一味違った。

    まあ、その。

    何にしろ塩を直接ぱらぱらと振りかけて食うなど頻繁にはないものだから、自分好みの分量ですら不明だ。直接口にするものに対しての塩分量、どこが適量なんだか。おそるおそるチマチマと、しかし面倒になり一気に、結果、豆腐にかけ過ぎてからは小皿に取ってディップするという知恵を得た。あと色つきの塩とか便利じゃないですかね。

    寿司は論外だった。高級すし店のようなものだったらまた違うんだろうか??スーパーのパックではなんとも。セロリや茗荷は美味しくはないが酷くもない、どちらもしょっぱいセロリとしょっぱい茗荷であった。あたりめは酷かった。こればっかりは軽く洗い流してマヨネーズに移行し、さっさと処理した。

    納豆にかけて食った時に強く感じたんだけど、塩って香りがない。ご飯にかけて食べたらもっと強烈に匂いの違いを感じただろう。醤油の薫りというか匂い。ああ、馴染みすぎて気にもしてなかったが、醤油はとても強烈な香りの食品なんだなと発見する。しかしそのような認識がないということは、それだけ醤油の香りって心にじっくり染み付いているというロジックなんだろう。気付いてみれば炒飯なんかも香りづけにじゅわっと醤油を垂らす。

    醤油がこの文化の空気だと。人々の食卓が集うこの街の息吹だと…。

    春になると気が向いたら非常用リュックのアップグレードをしている。今年は改めて中身の細かい点検をしたり何か足りてないもののお買い上げをするつもりだ。情報をあたると、やはり確保するべきものは何よりも水であると、そして出来るなら塩だと。まあ実際の所は「塩分」で良いのでツナ缶など各種保存食にはきっとそこそこ含まれており…。

    しかし不思議なもんじゃないか、母なる海はその塩分が濃すぎて人は喉を潤すこと叶わず、塩を大地に撒けば植物の多くは死滅してしまう。そんなものを抱えて命からがらというその日に走り出す。不思議なものだ。どういうロジックなんだ。

    —それが私の名前?

    そうだ。我々は何かを託されているんだ。その場に捨てたり、一ヵ所に集めすぎると台無しになってしまうもの…。自分でも少しずつ食みながら、きっと何かの目的のために、運び続けたんだ。それを最後まで避けることも打ち負かすこともできなかった悲しみを、この星に託して返した時に残るもの、それが塩織なんだ…。

    —????…こんなものの名前をさあ。

    娘は足元から「そんなもの」を一握り掬うと、力いっぱい空に投げつけた。ややあって。一粒一粒がさざめきながら元通りに積もり重なった一粒に覆いかぶさりってゆく、取り込まれる、用済みになった自分を呪いながら。宿主が死んだ寄生虫。これは亡骸なんだ。魂の重みを感じたことのない、無垢の亡骸、地平を白く埋め尽くして輪廻の錆をひた隠しに隠す。ある春の一日でございました。

    えーと、花咲か爺さんのパロディです。