えさのじかんだ
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dancyuを読んだ
2020年1月号。コンビニで売っていたのでお買い上げ。雑誌の面白さに最近気づいてから、こういう本を風呂で湯船に浸かる時と、あとは寝る前にオフトゥンで読むのが楽しい。湯船でのミッション時には、洗面器を浮かべてそこに本を置くというハックを発見してからなんとも快適だ。今まで風呂桶とかない暮らしでしたので、そういうのがあること自体が新鮮で~。
町のお寿司屋さん特集など。寿司は好きなんだけどプライベートでは回らないお寿司って行ったことない。その他寿司の作り方だったりが載っていた。あとはテーマに沿ったコラムとか広告的なもん。レシピも結構載っているので、イメージ通りのグルメな人向けの本だ。単に美味いもの食いたいというよりも、何かグルメ道を研鑽する人たち向けの専門誌みたいな。こういう本が好きな人が、グルメ転じて自分の店を出す、みたいなことするんだろうか。
載っているどのレシピも、自分がみれば「うわめんどくせ」の一言でぶん投げてしまうようなものが多い。家から持っていくお弁当の中身が、茹でた春雨にパスタソースをぶっかけたものというレベルの人間が、手順も使う調理器具も材料も多いものをやってみようなんて思わない。他人に食わせる責任を負うほど覚悟を持てるわけでもなし(特に衛生面で)、誠意をこめて作るわけねえし、皆さんが僕の料理を口にする機会はないです。
お料理は、おもてなしの手段としては永久に放棄します。こうして皆さんの食卓に恒久的な平和が訪れました。良かったですね。
2月号も買いました。
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エサ短観
干物じゃないホッケが売られていた。買った、焼いた、食った、クッソ不味い。ホッケじゃなかったのではないか。ハビタブルエリアから降ってきた事象のなりそこないの死体の肉。ちょっと何言ってるかわからないですね。ホッケが干物じゃない、というだけでここまで不味いものだろうか?本当にホッケを買ったのか。仮に火星人だったとしても不味いものは不味い、クッソ不味かった。
一方で、カップ麺が美味い。体に良くないから、と若人の頃もあまり嗜まなかったのに、ここにきてすごく美味しい。すぐ美味しい。逆。手間がかからないという点をZ旗よろしく掲げて売り場のストックから買い物かご、そこから胃袋までなだれ込む無駄のない所作、アビスで弾けた泡が日本海へ浮かぶまでに光速を超えるんですってよ奥様。あらやだ最近台風が多いと思ってたのよう。
「カップ麺も干物じゃないか」と書いてみようとしたが、だったらメシだって干物だし、塩なんて海水の干物だ。地球をおにぎりぐらいの干物にしたら、味わいも噛み心地もバリエーションに富むだろうか。中東から齧るひとは大胆な
談志男子で、オーストラリアから南太平洋あたりから齧る人は穏やかに様子を見たい志ん朝慎重派だろう。実際はどこから齧ってもクッソしょっぱい。血と汗と涙、人が海よりくみ上げたもの。土塊を編み上げた味わい。台風で出来た水たまりに映る月の、黄色くやや歪んでたくあんに見えた。紀貫之はよっぽど腹が減っていたのだ。
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めしにしましょう!が終わった。
新刊届いた~ってamazonの箱を開けたら、帯に完結とか書いてあってビビった。えええええええ。なんだよ大好きな作品だったんだけどね。ウシジマくんも終わってしまったし…。そんな残念がっても詮方ないのですが、それにしても惜しい。
この漫画に登場したメニューの中には、「やろうとすれば出来るな…ってやらねーわw」というものがあった。…全編ほぼそれだった気もするけど…そもそも”やろうとすれば”という条件が真になる理由はなぜか。それは勿論、我々のこの暮らしの豊かさよ。圧倒的である…。ああいう料理をやってみようというのも、真似してみようなんていうのも、これは現代東京に住むゆえの発想なんだろうか?冷静に考え直してみれば、食材にしろ調理機材にしろ、今は全部ネットで買えるのかもしれない。だから世界が羨むという東京のお台所事情は、あんまり関係ないような気がする。それにしたって日々飢えていれば、「風呂にお湯張って豚肉低温調理しよう」なんておもわねーよ。欲望、まさに欲望!トウキオには食えるエサしか置いてない!
電気ガス水道。ここ東京の世界有数の生活インフラのエナジーを料理にぶっこんでいく、無尽蔵なればこそ。欲望に文明をプロットし、天の恵みをオーバーキル。
Because it’s there.
そこにめしがあるから。良かったですね。良かったです。
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餌事情(再)
流行り物は消えるが風情。
食べるラー油とか言われていた系統…と思われる商品を買って、頂いてみた。飯にそのままちょいと乗っけて食うらしい。本当かよ、ということで試してみる…。確かに山椒の強烈な香味がある。しかしそれが、ラー油と相性が良いとも思えない。まして白米とは…?ううむ、結論として美味しくは頂けませんでした。このエントリを書くにあたり、食べるラー油のブームっていつ頃だったのかな、とググったら2010年と出てきてちょっと固まるよね。だっておととしぐらいのつもりでおりましたから、店頭で手に取ってみましたのですが。でも、8年経っても棚にあるということは、一時の流行を過ぎ、そして暮らしに定着した商品ということでしょうか。自分の食卓には並ばないでさあ。
出汁で溶いた状態の味噌がボトルに入ったあれを買った。サンドウィッチマンのやつ。怠惰で横着のくせに手作り感あふれる飯を好んで食うような、自分にはピッタリな商品だ。野菜を茹でて火を通し、この味噌を注ぎ込めばそれで味噌汁。手っ取り早く大根の葉っぱのみという具材で試したみたところ、ほぉ…味わいもまずまずよろしい。いわゆる赤だし風味であったので、野菜炒めにドピュッっとかければ普段口にしない味わいになり、これもまた、よろしい。別の風味のものも買ってみたのでしばらくはこれで戦える。しかし何も真夏にさあ…。怠惰横着無計画。
同じように圧を加えて中身が出るしょうゆを買った。マツコ・デラックスのやつ。みそしょうゆで国民的人気のあるタレントが並んで宣伝しているというのは…それだけ競争の激しいカテゴリということだろうか。でもあまりタレントが味噌や醤油のコマーシャルしている印象ないな?ぼんやり何かないかと思い起こしていたら…マルコメ味噌の小坊主を思い出した。味噌もしょうゆも、売れてるタレント使ってテレビでCMするほど画期的な新しいものって、なかなかできないんじゃないかなあ。なんてネットで調べると、じっさい、調味料のCMにタレントいっぱい出てました。なんだよ。怠惰横着無計画無知。ケビン・スペイシーに殺されるのではないか。
むかしトマトの湯剥きというものを教えられて適当にやってみたのだが、そのやり方は誤りだと全力のツッコミを頂いた記憶がある。その後、湯剥きをする機会は訪れず、まあ多分今後も訪れることもなく、冷蔵庫でヒエヒエにして齧るかスライスして齧るか。トマトと卵の炒め物やってみたら全然美味しくなかったなあ。トマトを切るにあたってですけども、リンゴみたいな形にしていた。へたの中心にごく近いところで切り、球をほぼ同じ大きさの半球にわける。その後、1/4にカットし、サイズによっては1/8サイズに。くし型。
新しい包丁をお買いあげして、ちょうどトマトがあるから切ってみるかと刃をのせたら、へたからだいぶ外れたところに切れ込みが入ってしまった。ここでふと、思いつく。へたの部分ごとセパレートできるぐらいの厚みを持たせてカットしてみたらどうだろう。
ハンバーガー(何年も食ってねえ)の中に入ってそうなトマト輪切りができた。へたの部分は、斜めに切り落とすと、なんかハート形になって可愛い。残りの部分は従来と同じ。やーらかいトマトだからできる。特に意味はない。 怠惰横着無計画無知無意味。真言かよ。
めんつゆないけど買いに行くのだりーし、自分で作るかーってネット情報を漁るとまあ見事にバラバラの事が書いてある。みりんを沸騰させたら同量のしょうゆを入れるだけ、というものから、だしパックに鰹節を入れてどうのこうの、という本格気取りのものから。本格的にやったら美味いに決まっているのでそれは除外して、一食分でレシピ何個も試す。少量のめんつゆを4パターンほど生産しただろうか。結果、しょうゆと鰹節を麺にダイレクトにかけて食う、で良いんじゃないのということに。つまりは、めんつゆ買って来いと。作ろうとしても、別物になり、またその別物で楽しめるんなら、買って来いやと。めんつゆ商品としては、ヤマサの白だしをかけて食うのが好きです。醤油とか足しません。塩分が濃いので、分量としてはパスタサラダにドレッシングかけた、よりもさらに少ないかな。カップ焼きそば?
鴨肉が手に入ったときは、鴨蕎麦にするので、この時ばかりはちゃんとつゆに入浴させてつゆも飲む。しかし攻めどころはここよな、動きます。白米のおかずとして設えたような鴨肉をおそばで頂く。塩コショウとかナンプラーとかスイートチリソースとかいくらでも試せるぞ。乾麺とか茹でずにぼりぼりいっちゃおうかしらワイルドだらう。怠惰横着無計画無知無意味無頼派。ここまで並べると怠惰を無気力に、横着を無粋とかにしておけば良かったとの思い捨てきれず。寿限無寿限無。
新調した冷蔵庫は物理的に高くなった。レンジを乗せ、その上に今まで通り炊飯器を乗せたら身長より高くなった。炊飯器上面にある炊飯やら予約やらのボタンも見えない。炊けたところで器によそるのは難しい。いっそ床で炊くのが普通だろうか?しかし足場はあるので、操作の必要があるわずかな時だけそれに乗っかって操作すればよい。米と水を入れたおかまを中に入れてふたを閉める、予約あるいは炊飯のボタンを押す、と。それだけだな。どのみち週末しか炊かないのだから、このまま高いところに置いておく作戦とした。
そしてよく冷えるんだけど、冷えすぎてませんか貴方。庫内にはひえひえ調節ダイヤルがあり、デフォルトであろう中になっていた。新品にウキウキしながら食品を入れて一晩、キャベツの表面や庫内の各フロアは氷りついていたのです。頼もしいと言えばそらそうなんだが。「弱」のほうへひと目盛りねじって運用中、それでも前野に比べるとようけ冷えとるなあと凍みじみ思ってしまうほどに冷えている。「強」のほうへひねるといったいどうなるのでしょうか…バナナで釘が打てる世界。
という例えが若人に通じない、令和の盆、ド盛夏でございました。夏休みなどない(再)
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昨今の餌事情
サーターアンダギーというものを買ってみた。三個入り。出来立て!とポップ付きで店頭に置いてある。手に取ると、確かにけっこう暖かい。ずんぐりと丸く、大きなおかきみたいな見た目だ。持つと見た目よりも、ずっしりと重みがある。これが豊穣ということよ、おほほほほ、ホクホク満足してお買い上げ。帰宅し、存分に鑑賞して、写真に収め、そっと押し入れに格納。
直ちに取り出してガブガブと食いついてみたところ、ただもっちり油っぽく甘い揚げ小麦粉であった。これは…ホットケーキミックスを思い出した。あれで作った、ボテっと油に放り込んだもの、カーチャンが号してドーナツ。あれと同じ感じ。正直に言って期待ほどおいしく頂けたとは言い難い。これは水分が少なくじっくり揚げてあるので保存が効くらしい。まー育ち盛りの小僧のおやつだなあ。おっさんのお昼ごはんじゃないわ。いわんや夕の膳をや。
ではクジラはどうだろう。
結構な距離を歩いて雨のお散歩としゃれこむ。太陽が出てこねえんだからヤケではある。普通歩かないよ、という距離を経て、うっかり「プロの店」食材店を見つける…。珍しくメインお財布を持っていた。一名様ご案内。肉肉デカい調味料魚肉飲み物。ヒラマサが一匹デンっとおいてあったり、なかなか迫力がある。アブラカレイのエンガワを発見してカゴに放り込む、と、別の列、真っ赤なサクが目についた。白い粒が特徴的。アイスランド産、ミンククジラ。クジラ肉といえば子供のころはボチボチ食べたはずだ。ステーキのような食べ方だったと思う。ああ、そうだそうだ、祖父が好きだった。
こいつがなんと、美味しくなかったので気落ちしてしまう。レバーに近い。またはブリなどの血合いの塊とか?苦手な食い物やんけ!小さいサクを、半分はソテーしてお醤油で。いまいちなので塩コショウ。ううむ、残り半分を天ぷらに。これは「めしにしましょう!」という漫画に描いてあって是非ともやってみたいと思っていたんだけど…しかしそもそもクジラ肉のサイズが小さすぎたか、せっかくの天ぷらでもサクサクジューシーな感じがなかった。それこそ漁港など、キロ売りしているようなところで、でっかいのを買う機会があればまた同じことを試す気にもなるけども、もう一度同じこれを食おうという気には…。あるいはクジラ料理の店でもいってみるか?
エンガワもそれ自体はまずまず美味しかったが、そのまま食っても普通の白飯にはそんな合うわけもねえっつの。寿司だと一番好きなんだが、まるで駄目だ。やはりちゃんとしたシャリと握りじゃないとダメなんだねえ。…普通の白飯?おお、そういえば、
少し前に、
ご飯に混ぜて炊くと麦飯になる、というものご存じかしら。麦の押しつぶして乾燥したようなのが、スティック状に小分けされて売られておりました。試したところ、確かにほんのり白米とは違った風味が混じり、プリプリした食感は魅力的なものでありました。…ではこの麦だけで炊いたら?スティック三本ほど普通に炊飯器に投入。水加減は邇邇芸命と心を通わせて計り、炊飯ボタンをぽちっと。……。ミラクルが起こって上手に炊けたのですが、予想通りに予想通りで面白くもない。ぽいと放り込んでかみしめると、ずーっと口の中にスフィアを感じる。そしてこの味わいは麦の味、ということの筈なんだけど、小麦粉とは違うし。なんと書き記したもんかね。ところで…これはどう頂くのが一番うまいのだろうか。麦飯の食文化にでも詳しいサイトあるやろか、なんて考えてつつも箸は止まらず、結局は納豆とザーサイとでわしわしと全部平らげた。
あっ…!?白米を頂く時の擬音は「わしわし」が作法に則ったものだが、麦飯はどうだろうか。白米に比べて粘り気がなく、各々の粒がくっついていない。形は先に述べたように、白米よりは球にちかい。やや茶色いか。もう一つ、侍と百姓なんて時代を描いた映画や漫画を見ると、どうも白米100%の飯というのは贅沢であったかのようなイメージがある。しゃーないので雑穀を足して食う。その中に麦がある、というイメージがある。であれば、「わしわし」のように続々と口腔に押し寄せる豊穣の白い波という連想はややそぐわないのではないか。もう少しこう、食事をハードコアに切り取った視点の擬音になるべきだ。楽にならざりぢっと椀を見るような…。実に難しい。
ムギ難題。
ホットサンドメーカーというものを、買…おうとしてやめた。食パンに何か挟んで焼いて封をする。実にお弁当に都合が良さそうに思えるが、そうして焼いたパンからぼろぼろ零れるであらうパンくず。惜しいなあ、職場にもってくお弁当に向かない。どーせ冷まして持っていくことになるしなあ。自分の事だから、焼いたホッケやサバ、美味いという実績のある納豆、さらには酢豚とかレトルトのハヤシライス(のソース)なんてものも挟んでみようとするだろう。うう…楽しい…。やはり買いたくなってきた気がするが、もう一周冷静に考えると、一回やったら満足して終わりじゃないか…プライムデーのセールも過ぎたというに…。いやでも、いやいやしかし。これはおかしい、おかしいぞ。なんでこないにあんな焼き鏝セットみたいなもんに惹かれるのか…。こ…これは…孔明の罠だ!退けっ!退けっ!買いませんでした。
饅頭というものは、孔明が南蛮制圧の折に行った儀式だかパフォーマンスがもとになっているという逸話がある。肉か何かで人の頭を模したものを川に流したなんたら。包んで蒸して封をする。蒸す、という調理は一人暮らしのおっさんではなかなか実践する人、おるまい。多量のお湯と、高熱の湯気が籠るだけの大きな鍋や、ちゃんとしたせいろが要る。あるいは最近のレンジだとできたりするんですかねそういうの。これはパンで挟んで焼くよりも調理技術の介入度が高そうだ。自分には作るのは無理だけども、試せと言われれば、焼いたホッケやサバ、納豆、酢豚やハヤシライス、クジラ肉にエンガワ、サーターアンダギー及び麦まで包んでみようとするだろう。麦まん。かじったら麦飯が出てくる。ハードコア。あゝ、コンビニにはおいてない。
ライ麦ってどういうのだろう。「キャッチャー・イン・ザ・ライ」なのだから、れっきとした種であると思う。ググってみると、確かに「ライ」という植物に日本では麦とつけて呼ばう、というような情報が出てきた。映画の題名であるからして「らいむぎばたけ」で語呂が良いわけだ。途中で面白くなくなって、読まずに捨てちゃったんだよな。じゃあ今度はライのほうを食ってみてはどうだろうか。こちらもググると、想定通りではあるんだけど、パンと焼き菓子ばかりだ。作れるわけないよねーなにがハードコアだボケ。って…ぼんやりクックパッドのサイトを眺めていると「ライ麦パン」という文字の並びに、何故か見覚えがある気がした。「ライ麦畑でつかまえて」以外にライ麦なんて聞いたことがないと思っていた。もう一回ググったったら、別名「黒パン」とあって、ああ、給食の時に嫌いだったあれだと。給食に出てきたパンはなんであんなに不味かったのだろう。家庭で美味いパンを食っていたような記憶もないけど、パンが嫌いということも無かった筈だ。食わず嫌いではなく、あの、給食に出てきたパンは実際に不味かったのだろうと思う。ライ麦パンに限らず、なんでも給食に出たパンは好かなかった記憶がある。砂糖まぶした揚げパンでも、そんなテンションの上がるガキではなかったと思う。何かトラウマでもあるのか。当時も今も、牛乳が好かないのも、何かあるのか。給食になにかったのか。大人になって、嫌いな食べ物が減ることは良くあると思うけど、自分は減る一方で、増えてもいる。親が言うにはたまごかけご飯とか大好きだったらしいけど、今では生卵どころか、半熟も口にしない。無理だもん。いつからだ?何があった?宿命か、あるいはまた、孔明の。
食わずぎライムギ難題。
2点。