えさのじかんだ
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めしにしましょう!が終わった。
新刊届いた~ってamazonの箱を開けたら、帯に完結とか書いてあってビビった。えええええええ。なんだよ大好きな作品だったんだけどね。ウシジマくんも終わってしまったし…。そんな残念がっても詮方ないのですが、それにしても惜しい。
この漫画に登場したメニューの中には、「やろうとすれば出来るな…ってやらねーわw」というものがあった。…全編ほぼそれだった気もするけど…そもそも”やろうとすれば”という条件が真になる理由はなぜか。それは勿論、我々のこの暮らしの豊かさよ。圧倒的である…。ああいう料理をやってみようというのも、真似してみようなんていうのも、これは現代東京に住むゆえの発想なんだろうか?冷静に考え直してみれば、食材にしろ調理機材にしろ、今は全部ネットで買えるのかもしれない。だから世界が羨むという東京のお台所事情は、あんまり関係ないような気がする。それにしたって日々飢えていれば、「風呂にお湯張って豚肉低温調理しよう」なんておもわねーよ。欲望、まさに欲望!トウキオには食えるエサしか置いてない!
電気ガス水道。ここ東京の世界有数の生活インフラのエナジーを料理にぶっこんでいく、無尽蔵なればこそ。欲望に文明をプロットし、天の恵みをオーバーキル。
Because it’s there.
そこにめしがあるから。良かったですね。良かったです。
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餌事情(再)
流行り物は消えるが風情。
食べるラー油とか言われていた系統…と思われる商品を買って、頂いてみた。飯にそのままちょいと乗っけて食うらしい。本当かよ、ということで試してみる…。確かに山椒の強烈な香味がある。しかしそれが、ラー油と相性が良いとも思えない。まして白米とは…?ううむ、結論として美味しくは頂けませんでした。このエントリを書くにあたり、食べるラー油のブームっていつ頃だったのかな、とググったら2010年と出てきてちょっと固まるよね。だっておととしぐらいのつもりでおりましたから、店頭で手に取ってみましたのですが。でも、8年経っても棚にあるということは、一時の流行を過ぎ、そして暮らしに定着した商品ということでしょうか。自分の食卓には並ばないでさあ。
出汁で溶いた状態の味噌がボトルに入ったあれを買った。サンドウィッチマンのやつ。怠惰で横着のくせに手作り感あふれる飯を好んで食うような、自分にはピッタリな商品だ。野菜を茹でて火を通し、この味噌を注ぎ込めばそれで味噌汁。手っ取り早く大根の葉っぱのみという具材で試したみたところ、ほぉ…味わいもまずまずよろしい。いわゆる赤だし風味であったので、野菜炒めにドピュッっとかければ普段口にしない味わいになり、これもまた、よろしい。別の風味のものも買ってみたのでしばらくはこれで戦える。しかし何も真夏にさあ…。怠惰横着無計画。
同じように圧を加えて中身が出るしょうゆを買った。マツコ・デラックスのやつ。みそしょうゆで国民的人気のあるタレントが並んで宣伝しているというのは…それだけ競争の激しいカテゴリということだろうか。でもあまりタレントが味噌や醤油のコマーシャルしている印象ないな?ぼんやり何かないかと思い起こしていたら…マルコメ味噌の小坊主を思い出した。味噌もしょうゆも、売れてるタレント使ってテレビでCMするほど画期的な新しいものって、なかなかできないんじゃないかなあ。なんてネットで調べると、じっさい、調味料のCMにタレントいっぱい出てました。なんだよ。怠惰横着無計画無知。ケビン・スペイシーに殺されるのではないか。
むかしトマトの湯剥きというものを教えられて適当にやってみたのだが、そのやり方は誤りだと全力のツッコミを頂いた記憶がある。その後、湯剥きをする機会は訪れず、まあ多分今後も訪れることもなく、冷蔵庫でヒエヒエにして齧るかスライスして齧るか。トマトと卵の炒め物やってみたら全然美味しくなかったなあ。トマトを切るにあたってですけども、リンゴみたいな形にしていた。へたの中心にごく近いところで切り、球をほぼ同じ大きさの半球にわける。その後、1/4にカットし、サイズによっては1/8サイズに。くし型。
新しい包丁をお買いあげして、ちょうどトマトがあるから切ってみるかと刃をのせたら、へたからだいぶ外れたところに切れ込みが入ってしまった。ここでふと、思いつく。へたの部分ごとセパレートできるぐらいの厚みを持たせてカットしてみたらどうだろう。
ハンバーガー(何年も食ってねえ)の中に入ってそうなトマト輪切りができた。へたの部分は、斜めに切り落とすと、なんかハート形になって可愛い。残りの部分は従来と同じ。やーらかいトマトだからできる。特に意味はない。 怠惰横着無計画無知無意味。真言かよ。
めんつゆないけど買いに行くのだりーし、自分で作るかーってネット情報を漁るとまあ見事にバラバラの事が書いてある。みりんを沸騰させたら同量のしょうゆを入れるだけ、というものから、だしパックに鰹節を入れてどうのこうの、という本格気取りのものから。本格的にやったら美味いに決まっているのでそれは除外して、一食分でレシピ何個も試す。少量のめんつゆを4パターンほど生産しただろうか。結果、しょうゆと鰹節を麺にダイレクトにかけて食う、で良いんじゃないのということに。つまりは、めんつゆ買って来いと。作ろうとしても、別物になり、またその別物で楽しめるんなら、買って来いやと。めんつゆ商品としては、ヤマサの白だしをかけて食うのが好きです。醤油とか足しません。塩分が濃いので、分量としてはパスタサラダにドレッシングかけた、よりもさらに少ないかな。カップ焼きそば?
鴨肉が手に入ったときは、鴨蕎麦にするので、この時ばかりはちゃんとつゆに入浴させてつゆも飲む。しかし攻めどころはここよな、動きます。白米のおかずとして設えたような鴨肉をおそばで頂く。塩コショウとかナンプラーとかスイートチリソースとかいくらでも試せるぞ。乾麺とか茹でずにぼりぼりいっちゃおうかしらワイルドだらう。怠惰横着無計画無知無意味無頼派。ここまで並べると怠惰を無気力に、横着を無粋とかにしておけば良かったとの思い捨てきれず。寿限無寿限無。
新調した冷蔵庫は物理的に高くなった。レンジを乗せ、その上に今まで通り炊飯器を乗せたら身長より高くなった。炊飯器上面にある炊飯やら予約やらのボタンも見えない。炊けたところで器によそるのは難しい。いっそ床で炊くのが普通だろうか?しかし足場はあるので、操作の必要があるわずかな時だけそれに乗っかって操作すればよい。米と水を入れたおかまを中に入れてふたを閉める、予約あるいは炊飯のボタンを押す、と。それだけだな。どのみち週末しか炊かないのだから、このまま高いところに置いておく作戦とした。
そしてよく冷えるんだけど、冷えすぎてませんか貴方。庫内にはひえひえ調節ダイヤルがあり、デフォルトであろう中になっていた。新品にウキウキしながら食品を入れて一晩、キャベツの表面や庫内の各フロアは氷りついていたのです。頼もしいと言えばそらそうなんだが。「弱」のほうへひと目盛りねじって運用中、それでも前野に比べるとようけ冷えとるなあと凍みじみ思ってしまうほどに冷えている。「強」のほうへひねるといったいどうなるのでしょうか…バナナで釘が打てる世界。
という例えが若人に通じない、令和の盆、ド盛夏でございました。夏休みなどない(再)
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昨今の餌事情
サーターアンダギーというものを買ってみた。三個入り。出来立て!とポップ付きで店頭に置いてある。手に取ると、確かにけっこう暖かい。ずんぐりと丸く、大きなおかきみたいな見た目だ。持つと見た目よりも、ずっしりと重みがある。これが豊穣ということよ、おほほほほ、ホクホク満足してお買い上げ。帰宅し、存分に鑑賞して、写真に収め、そっと押し入れに格納。
直ちに取り出してガブガブと食いついてみたところ、ただもっちり油っぽく甘い揚げ小麦粉であった。これは…ホットケーキミックスを思い出した。あれで作った、ボテっと油に放り込んだもの、カーチャンが号してドーナツ。あれと同じ感じ。正直に言って期待ほどおいしく頂けたとは言い難い。これは水分が少なくじっくり揚げてあるので保存が効くらしい。まー育ち盛りの小僧のおやつだなあ。おっさんのお昼ごはんじゃないわ。いわんや夕の膳をや。
ではクジラはどうだろう。
結構な距離を歩いて雨のお散歩としゃれこむ。太陽が出てこねえんだからヤケではある。普通歩かないよ、という距離を経て、うっかり「プロの店」食材店を見つける…。珍しくメインお財布を持っていた。一名様ご案内。肉肉デカい調味料魚肉飲み物。ヒラマサが一匹デンっとおいてあったり、なかなか迫力がある。アブラカレイのエンガワを発見してカゴに放り込む、と、別の列、真っ赤なサクが目についた。白い粒が特徴的。アイスランド産、ミンククジラ。クジラ肉といえば子供のころはボチボチ食べたはずだ。ステーキのような食べ方だったと思う。ああ、そうだそうだ、祖父が好きだった。
こいつがなんと、美味しくなかったので気落ちしてしまう。レバーに近い。またはブリなどの血合いの塊とか?苦手な食い物やんけ!小さいサクを、半分はソテーしてお醤油で。いまいちなので塩コショウ。ううむ、残り半分を天ぷらに。これは「めしにしましょう!」という漫画に描いてあって是非ともやってみたいと思っていたんだけど…しかしそもそもクジラ肉のサイズが小さすぎたか、せっかくの天ぷらでもサクサクジューシーな感じがなかった。それこそ漁港など、キロ売りしているようなところで、でっかいのを買う機会があればまた同じことを試す気にもなるけども、もう一度同じこれを食おうという気には…。あるいはクジラ料理の店でもいってみるか?
エンガワもそれ自体はまずまず美味しかったが、そのまま食っても普通の白飯にはそんな合うわけもねえっつの。寿司だと一番好きなんだが、まるで駄目だ。やはりちゃんとしたシャリと握りじゃないとダメなんだねえ。…普通の白飯?おお、そういえば、
少し前に、
ご飯に混ぜて炊くと麦飯になる、というものご存じかしら。麦の押しつぶして乾燥したようなのが、スティック状に小分けされて売られておりました。試したところ、確かにほんのり白米とは違った風味が混じり、プリプリした食感は魅力的なものでありました。…ではこの麦だけで炊いたら?スティック三本ほど普通に炊飯器に投入。水加減は邇邇芸命と心を通わせて計り、炊飯ボタンをぽちっと。……。ミラクルが起こって上手に炊けたのですが、予想通りに予想通りで面白くもない。ぽいと放り込んでかみしめると、ずーっと口の中にスフィアを感じる。そしてこの味わいは麦の味、ということの筈なんだけど、小麦粉とは違うし。なんと書き記したもんかね。ところで…これはどう頂くのが一番うまいのだろうか。麦飯の食文化にでも詳しいサイトあるやろか、なんて考えてつつも箸は止まらず、結局は納豆とザーサイとでわしわしと全部平らげた。
あっ…!?白米を頂く時の擬音は「わしわし」が作法に則ったものだが、麦飯はどうだろうか。白米に比べて粘り気がなく、各々の粒がくっついていない。形は先に述べたように、白米よりは球にちかい。やや茶色いか。もう一つ、侍と百姓なんて時代を描いた映画や漫画を見ると、どうも白米100%の飯というのは贅沢であったかのようなイメージがある。しゃーないので雑穀を足して食う。その中に麦がある、というイメージがある。であれば、「わしわし」のように続々と口腔に押し寄せる豊穣の白い波という連想はややそぐわないのではないか。もう少しこう、食事をハードコアに切り取った視点の擬音になるべきだ。楽にならざりぢっと椀を見るような…。実に難しい。
ムギ難題。
ホットサンドメーカーというものを、買…おうとしてやめた。食パンに何か挟んで焼いて封をする。実にお弁当に都合が良さそうに思えるが、そうして焼いたパンからぼろぼろ零れるであらうパンくず。惜しいなあ、職場にもってくお弁当に向かない。どーせ冷まして持っていくことになるしなあ。自分の事だから、焼いたホッケやサバ、美味いという実績のある納豆、さらには酢豚とかレトルトのハヤシライス(のソース)なんてものも挟んでみようとするだろう。うう…楽しい…。やはり買いたくなってきた気がするが、もう一周冷静に考えると、一回やったら満足して終わりじゃないか…プライムデーのセールも過ぎたというに…。いやでも、いやいやしかし。これはおかしい、おかしいぞ。なんでこないにあんな焼き鏝セットみたいなもんに惹かれるのか…。こ…これは…孔明の罠だ!退けっ!退けっ!買いませんでした。
饅頭というものは、孔明が南蛮制圧の折に行った儀式だかパフォーマンスがもとになっているという逸話がある。肉か何かで人の頭を模したものを川に流したなんたら。包んで蒸して封をする。蒸す、という調理は一人暮らしのおっさんではなかなか実践する人、おるまい。多量のお湯と、高熱の湯気が籠るだけの大きな鍋や、ちゃんとしたせいろが要る。あるいは最近のレンジだとできたりするんですかねそういうの。これはパンで挟んで焼くよりも調理技術の介入度が高そうだ。自分には作るのは無理だけども、試せと言われれば、焼いたホッケやサバ、納豆、酢豚やハヤシライス、クジラ肉にエンガワ、サーターアンダギー及び麦まで包んでみようとするだろう。麦まん。かじったら麦飯が出てくる。ハードコア。あゝ、コンビニにはおいてない。
ライ麦ってどういうのだろう。「キャッチャー・イン・ザ・ライ」なのだから、れっきとした種であると思う。ググってみると、確かに「ライ」という植物に日本では麦とつけて呼ばう、というような情報が出てきた。映画の題名であるからして「らいむぎばたけ」で語呂が良いわけだ。途中で面白くなくなって、読まずに捨てちゃったんだよな。じゃあ今度はライのほうを食ってみてはどうだろうか。こちらもググると、想定通りではあるんだけど、パンと焼き菓子ばかりだ。作れるわけないよねーなにがハードコアだボケ。って…ぼんやりクックパッドのサイトを眺めていると「ライ麦パン」という文字の並びに、何故か見覚えがある気がした。「ライ麦畑でつかまえて」以外にライ麦なんて聞いたことがないと思っていた。もう一回ググったったら、別名「黒パン」とあって、ああ、給食の時に嫌いだったあれだと。給食に出てきたパンはなんであんなに不味かったのだろう。家庭で美味いパンを食っていたような記憶もないけど、パンが嫌いということも無かった筈だ。食わず嫌いではなく、あの、給食に出てきたパンは実際に不味かったのだろうと思う。ライ麦パンに限らず、なんでも給食に出たパンは好かなかった記憶がある。砂糖まぶした揚げパンでも、そんなテンションの上がるガキではなかったと思う。何かトラウマでもあるのか。当時も今も、牛乳が好かないのも、何かあるのか。給食になにかったのか。大人になって、嫌いな食べ物が減ることは良くあると思うけど、自分は減る一方で、増えてもいる。親が言うにはたまごかけご飯とか大好きだったらしいけど、今では生卵どころか、半熟も口にしない。無理だもん。いつからだ?何があった?宿命か、あるいはまた、孔明の。
食わずぎライムギ難題。
2点。
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カラスが鳴くからかえろう
映画レビュー祭りもひと段落である…。映画レビューを重ねるうちに気づいたんだが、ほぼ絶対記載する内容の被りがないということに気づいた。あたりまえやん。同じ映画のレビューを二回書く阿呆がどこにいるか。そらそうなんですけど、平和な国でのほほんと暮らしておると気ままな筆も路頭に迷い、自らの足跡に慄くようなことが御座いますのよ。ほら、映画レビューもひと段落、って書いたの何回目だおい。ガクブルでありんす。
で。
定時退社を朗らかに炸裂させたら、見上げればまだ空が明るい。あけおめとか言ってたのは確か先々週ぐらい、そんな気分でいたらもう冬も終わりそう。日が沈む少し前の薄い茜に二つ、鳥の影。カラスかな。日の出日の入り、あけぼの飽きもせず。
カラス増えた?石原慎太郎が都知事だったころは、確かポスターに本人が登場してカラス退治を訴えていたように思う。いやスギ花粉対策だったかな…。ご近所ではほぼ一匹も見かけなかったというレベルだったと思うのだが、氏の退陣してからというもの、ゴミ袋をついばむ姿をたまに見かけることがありとても鬱陶しい。今上の都知事はトヨス対策に腐心しておられ、って移転時の騒動以降あまりニュースを耳にしない。ひどい施設だというような話が流れてきたかと思えば、それは”活動家”によるフェイクだと流れてきたり。この冬は食材に乏しかった、なんて実感は自分には微塵もないところ、果たして市場移転が庶民の食卓へ影響があったかどうか。まさか、質は下がって値段も上がったなんてことだったりしないか。愚鈍にしてわたくし気づきもせず。それこそゴミを啄むカラスのほうが知ってるんじゃねえのか。ガクブルでありんすーの。
冬の庶民のごちそうといえば、ミカンなんかは如何か。是なりと。しかし、あまり好んで買わない。ミカンって、そこらのスーパーで買うとおいしさの当たりはずれが大きくない?だもんで、隣に並んで売っている別の物を選ぶことが多い。例えば伊予柑や、八朔だ。八朔は少々苦みがあっても、ジューシーでよろしい。それに加えて、房の半透明な皮が剥きやすいとご機嫌だ。綺麗に剥いてタッパーに詰めて、軽く塩を振っておく。冷蔵庫へ。翌日のお弁当なんかに持っていくともう有頂天。この冬は今のところ100%好ましい塩梅の物を買えている。ミカンなどカラスに投げつけてやればよろしい。やーいやーい。
しかしながら、油揚げに恵まれないということが起こるのが愚鈍な庶民の不徳。なんでも、油揚げの中に納豆を入れて包むようにし、そのままカリッと焼きあげると美味いらしいと聞き及んだ。では早速試そうと納豆と油揚げを買ってきたものの、あけてびっくり油揚げが袋状になっていない商品だった。どう言えば良いか…一枚の「揚げ」だった。風呂敷。布。しょうがない、まな板に風呂敷揚げを広げて、包丁を振るい、魚を捌くかのごとくスイーと切れ目を入れてどうにか袋状の部分ができた。その部分を使って一個だけ焼いてみたものの、薄すぎる部分からナットウキナーゼがこんにちはして崩壊。捨てるわけにもいかず口にするけども…これが不味くないのが悔しい。ちゃんと作ればそら美味そうなのが悔しい。
後日別の商品を探してみる…どころが手に取っても袋状になっているかの判断が意外と難しい。どこから見れば判断できるのかわからない。仮に袋状になっていても、それが外側に向いているっておかしいもんね。売ってるの全部ひとつずつ買おうか?なんて迷っていると、お稲荷さんの袋を発見。おほほ、なるほどこれなら間違いなく袋になっている。そして適度なサイズ感がある。得たり、得たり。さあ、刻み葱を多めに入れたひきわり納豆を、これまた多めの醤油でまぜまぜしてから稲荷袋詰め。これをそのままこんがりと焼く。あまり油を引かなかったので、何個目かを詰めていたら最初に放り込んだのは食べごろを過ぎて焦げかかっている。慌てて箸でつまみ上げ、ひっくり返す。そのまま少し焼いて、齧る。
改めて、不味いはずがない。納豆が好きなら万人いける味だろう。加熱時間が短いことにより、外は香ばしくあるも中の納豆が熱すぎず、もりもりと食べれる。冷蔵庫から出してすぐだったから功を奏したか。ごはんには大粒納豆が断然好みだけど、こちらは小粒やひきわりのほうが相性が良さそうだ。お稲荷さん袋を使うと簡単だし、作り始めてから5分ぐらいで口の中という手っ取り早さ。今後もちょくちょく作ろうか。ついでに、キムチ納豆も試してみたが、全く美味しいと思わず。難しいものだ。
客先オフィスの自販機にコーンスープが追加された。じっくりコトコト。見かけると飲みたくなるが、あの、缶に残った数粒をすぴぴぴぴと吸い取るのは、勤務中はどうも憚られる。人気のないところまで移動なんてさらに阿呆らしく、となれば家で飲むかと。稲荷袋を買った後に店内を探す。缶のスープなんて売ってないよう案気もするな…というところで、はたと思い直す。もうちっとちゃんとしたスープを作るのは難しいだろうか。自販機で売られるようなものも、お湯で溶いてすぐにスープになるものも商品があるが、もうちょっとこう…料理っぽい味わいのものを作れないか。でかい器になみなみ注いで、スプーンなど使わずに、初場所優勝みたいに口付けてうおおおおってがぶ飲みできないか。ネットに答えを求めると、コーンクリームスープの缶が市販されており、そいつを鍋で加熱しつつ牛乳を加えて出来上がり。お好みで缶詰コーン増量クルトン追加チーズ沈殿などなどすればよろしい。ふむふむ。クルトン以外お買い上げしたものの、冷蔵庫の物品の消費期限の関係上、スープはいったんはおあずけ。
そして消費期限の関係上作ったコールスローサラダにコーンを加えてみる。キャベツを適当に荒く刻み、コーンの缶を開けてドバー。チーズを少しだけ投入、レモン汁で割ったマヨネーズで和え、あら塩ふりふり胡椒ましまし。残ったコーンは良くわからなくなったのでひき肉と炒めて、ちぎったレタスの山にぶちまけてうおおおお。さらに燃えるゴミの回収日的な意味でそのひき肉と残りのキャベツも適当に炒めてうおおおお、これはそのまま食うか。ナンプラーを買ってくるのを忘れた。翌日作ったスープはとても美味しかった。量がありすぎてガブガブ飲んだだけ。庶民。
カラスはとても賢いらしい。クルミを割るのに道路に落とし、自動車がそれを踏み潰すのを待つことがあるそうな。料理を覚えるような事はあるだろうか。さすがに料理とまではいかずとも、例えば人参の皮を食うのに、まだ中身のあるドレッシングの瓶を探すようなことがあるだろうか。あるいはすでに、そう、畑のものをそのまま食ってもまずいけど、放っておくと人間がほどよく調理して、袋に入れてお供えしてくれるんだぞ、なんて知恵を身に着けていないだろうか。そう、あの雑誌もあのウェブサイトも、星の数とはカラスの数。トヨス一派になってカラスを愛でるわけとは?「あいつらどうせ金を貰ってあることないこと書いてやがるのさ、先代の親父が躍起になって追っ払ったカラスが正直にウチの味を伝えてるってのは、皮肉なもんだとは思わねえかい。そのうちに入り口からでもカラスを迎え入れる店が出るってもんだな、は、は、は!あいつらも真っ黒でしゃんとしたナリに見えらあ!」
ミカンは咥えて飛び去りやすく、厚めの油揚げは端をつまんで引きずりやすい。笑わぬカラスに慰みを、眠らぬ都市の料理人、春はあけぼの、クロウ話。
6点
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とりとめなし子
痛恨のミス、芳香付きのトイレットペーパーを買ってしまった。
たぶんアレルギー反応なんだと思うんだけど、特定の匂いで鼻水たれたり、喉に圧迫を感じて息苦しくなったりする。他にも芳香付きのエアコンフィルタを掃除するスプレーなんかもダメだ。森の薫りとか宣ったりしているが、ひどい話だ。部屋にそんな香り振り撒いてどうなるってんだ。虫でも呼び寄せるつもりかおい。とにかくこのトイレットペーパーはとても耐えられそうになかった、このまま部屋に置いておくだけで具合が悪くなる。核廃棄物か。捨てるにしても回収日までどうしようもなく、もうベランダに置いておくしかないかな、と結論する。そのまま積み上げておくってわけにもいかないから、大きめの袋が何かないかとゴソゴソとする。お、都合の良いことに布団圧縮袋があった。これなら匂い漏れないんじゃないか?圧縮袋に放り込んで封印してみると、放射s…匂いは漏れてこない。平穏が訪れた。室内に置いても平気だ。こうなると捨てるには勿体なし、全部使い切るまで厄災と共に暮らす。日本のこころ。
にしても邪魔だな。12ロールて。冷蔵庫なんかに入れるスペースもがあれば…。数個なら入れておけるかな、とか、冷やしたトイレットペーパーでケツ拭いたらどうなるんだろうとか狂った発想して冷蔵庫を開けてみる。開けた瞬間に阿呆かってまた閉める、刹那、納豆のパックが横倒しになっていた。こいつもそもそも強烈な匂いを発するが、日本人庶民である自分にはまあなんてことない。ここ数年はたまにしかお米炊かないので、ホクホクの納豆ご飯も月に一回といったところか。20代の頃は毎日でも食ったもんだけど。この納豆、店頭の品ぞろえから大粒の商品減ってないかと思う。棚に並んでいるのはどうも小粒ばかりだけど、何か小粒人気の理由でもあるんだろうか。もう十年も昔だと思うんだが、塩ゆでしたソラマメじゃね?ぐらいのサイズで売られている商品があって、大層美味だったのを覚えている。なんかこう…口に入れた時のいかにも豆を食っているという感覚が良かった。そんなもんでなるべく大粒を食べたい、というその一方で、実はひきわり納豆もお気に入り。あれはあれで別の口当たりが面白いなんてね。豆腐にひきわり納豆をのっけて醤油かけて食う。大豆オールスター。
ああそうか、大粒になるまで育てるより、小粒のままで納豆にしてしまったほうが生産コストが安いのではないか、と思い当たった。あるいは育っても小粒の品種なのかもしれない。そもそも、大豆にも品種はあるだろうが、どんな種類でも汎用的に納豆や味噌や豆腐に使えるものなんだろうか。ググったらどストレートなページがヒットした。大豆は割とどんな土地でも育つ上に、栄養も良いなんて耳にする。神がその設定をミスったとかいうジョークもどっかで見かけたな。
http://www.maff.go.jp/j/seisan/ryutu/daizu/d_ziten/ 大豆の品種:農林水産省 あ。そういえば、数年前に自分で納豆を作って食べたのを思い出した。これならそこそこの大粒にするのは簡単な筈だ。当時もネットで調べて作ったんだけど、今なら100均で置いてそうな小さい保温バッグと懐炉でもうちょっと(素人考えでは)理想的な環境で作れそうに思えてきた。もう一度やってみようか。しかし自分が作った時のメモを見返すと、密閉するのは良くないらしい。発酵には酸素が要るらしい。尤もな話だ。保温バッグに匂いが付くのもアレだし、また段ボールでプチ温室を作ってやってみようかしら。
もしかすると、人生で初めてパプリカを買ってきたかもしれない。ピーマンと比べてだいぶ皮が厚い。しかして作ったものは、ピーマンとパプリカの違いを感じる様な調理ではなかった。ピーマンでよかったやん。値段が高いだけだった。
「めしにしましょう!」という漫画の最新、第6巻をお買い上げ。大好きな作品だ。ちょっとパラメータの扱いをバグらせた料理というテーマも面白いし、作中の人物や与太話パートなどが昔のこち亀を思わせるのも実に良い。若干インターネッツに寄せた与太話のアレンジが、心にしみじみとする。時をほぼ同じくして、闇金ウシジマくんの最新刊を買う。真逆、という内容のこの2作品だけが、ここ数年読んでいる漫画。
いま気付いたんですけど、このブログのヘッダーのスライドショーなんか動作怪しくないですか。画像は三枚ともお気に入りなんだけど惜しいな。
おっ。画像。ここでカメラ欲のご紹介です。パソコンの更なるパワーアップを考えておったのですが、注目商品があまりに高価で手を出す気になれずその他もろもろパワーアップしたらどうなるかと算盤叩いたら40まんえんとかなりそうなので流石にやめました。ではカメラを買ってみてはどうか。世に言う「デジタル一眼レフ」に属するものですね。こちらも何も考えずに「これ良さそう」という情報だけ「欲しい~」っつって追うと15まんえんとか言われるのです。ご予算の見切りが付かないというところと、奮発して買うにしてもGOProで良くねえか?というあたりが根本的な問題。迷っているうちの楽しさよ。
カメラに凝ったことなんてないので、自分に見合ったものを探し出す方法自体が不得手である。自分が良いなーと思う写真を山ほど並べて、その使用機材の情報を当たる、というのもたぶん定番なんだろう。今ではプロの画像も、趣味の画像も無尽蔵にネット上にあるんだ。こちらは腕前が素人だから、機材が同じでだからって自分が撮ってるような写真にはならないんだろうけど、どれだけ自分の思い描いているものに近いかぐらいは参考になるかも。