えさのじかんだ
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めしにしましょう(3)
前にもどこかに書いたっけ?「めしにしましょう」という漫画作品がお気に入りであります。初期~中期のこち亀のような、登場人物が無茶苦茶をしでかす痛快さと、実際に行われたであろうめし調理の緻密な演算が良い。よかったですね。最近3巻がでました。
めしの好みって人生を通してみれば何度か変わっていると思う。しかしいつ、どこで変わったのかは定かではない。ある日、何となくトライしてみたら苦手なものが美味かったとか、逆に久しぶりにごちそうを口に運んだら美味くもなんともなくなっていてがっかりしたとか。そう、食ってみるまでは気付かない。医学的な原因がどこかにあって、食い物の好みがある時変化していようとも、それその対象を食ってみない事にはなにも判明しない。そういえば知人に嫌いなものに定期的にトライしているという人がいるが、良い試みなのではないかと思う。大人が食い物が好きの嫌いの真剣に向き合う物でもないという声もあるだろうけど、何度か試しているうちに食えるようになっていたことが判明したり、食えるような調理法が判明でもすれば、例えば会食の席なんかで頭を回す必要のあることが一個減るってもんだろう。
会食の席ってまあ要するに勤務先の飲み会とかそういうのも含めてざっくりと。話のタネにトライしてみる人も多いと個人的には思う。他の人に召し上がって頂けば、無駄になることもないですし。自分はこれでめかぶが頂けるようになった。甘酸っぱいワカメの根っことか言えば良いんですかね。何で嫌いだったのかも良く分からない。納豆やおくらなどネバネバいけるのに。一方、山芋というかとろろがだめだ。飯にかけても美味いとは思えない…。
好きな食い物の好みはより狭く固定化されていくもんだと思う。絞り込みだ。カレーが好き→辛口より甘口が→豚より鳥が。そう、カレーぐらい幅が広いと、自分で作る自分の好みのカレーは世界に一つのレシピ感があって誇らしい。
以下、世界に一つです。
玉ねぎは雑にみじん切りにします。1cm角ぐらいでも全然良い。肉は大きい塊を、大きめに切り取ります。口に入るサイズなら良いです。手に入れやすいのは鳥のモモ、豚のバラとか肩ロースあたり。牛はカレーにはイマイチと思われます…。あとはカレールーを用意します。たまに人参が入りますが、入れるときはこれも大きめに乱切りに。
鍋を温めたら軽く油を引き、肉と玉ねぎを同時に放り込みます。人参が入る場合は、先に人参を適当に炒めます。肉の表面に火が通ったら、火力を弱めて蓋をして、蒸しつつ時折かき混ぜます。15分ぐらいでしょうか。ルーを入れます。多めに入れます。目指す仕上がりは、お玉に掬って逆さにしても簡単には落ちないぐらいの、実に濃い仕上がりになります。そのため、水よりも先に野菜の水分でルーを溶きに行きます。結局は水で微調整しますが、兎に角濃くします。
肉に衛生面で問題がないレベルまで火が通れば出来上がりです。煮込むとかしません。玉ねぎが口の中でややジャキジャキ言います。肉も人参も大きいので噛みごたえがあります。ご飯やうどんにかけず、このまま煮物のようにいただきます。粘性が高いのでちょっと冷ませば箸でも行けそう。ルーはジャワカレーの中辛が一番好みでした。
こうして作ると、なんといっても香辛料はもとより塩分の濃さが脳にガツンと来ます…。麦茶や無塩トマトジュースなどでガブガブと流し込みますと、恍惚の笑みです。どこぞの著名な弥勒菩薩もこのカレー食っている姿が彫像されたに相違ないのです。
アルカレーイックスマイル(2点)
めしにしましょう!作者のブログ
パル -
一枚足りない
数年使っていたどんぶりが割れた。
前々から、割れるものを食器として使うのって、合理的ではないなあとの思いがあった。しかし
木星の木製の、気取った店でサラダが入っているような器はそのままレンジであっためることが出来ない。100均で売ってるような安プラスチックのものは本当に使って大丈夫なのかという思いがある。健康面とか。それを言ったら別に〇〇焼の逸品でもそうなんだろうが。(簡単には)割れないもの、冷蔵庫に直接放り込めるもの、できればレンジで温めができるもの、お手頃な値段、メンテが面倒くさいとかなし。そういうものを求めている。そんな便利で都合の良いもの、きっと世間が求めているに相違ないのに、ググれば出てくるのはそういう特色を謳う商品のオンラインショップ的なものばかり。私のインターネット漬けの辺縁皮質が鼓膜に直接語り掛けてくる。地雷案件ではないか?と。
ちょっと話を逸らす。うちにはガラスのコップがない。一人暮らしをはじめた高校卒業以来、置いたことがない。割れるからだ。プラスチックのコップがあるだけ。一人暮らし特権で、麦茶なんかはピッチャーからラッパ飲みで対応。コップはお薬飲む、歯磨きする、しか出番がない。ここ数年はタンブラーのようなものがあるので、ガラスのコップなんてさらに出番が少なかろう。
食器にもそういうタンブラーみたいな軽い、金属製のなら。…幼稚園の給食の食器はそんなのだった記憶がある…恐らくアルミだよなあれ。しかしアルミではレンジに使えない。小学生になって、給食の食器は金属ではない食器だった。あれはなんだろうか。ググると素材はメラミンのようだ。ああ、こういう給食とか飲食店向け、業務用のカテゴリからアプローチしていけば、これというものに出会えるかもしれない。しかし業務用だと1ダース単位とかだったりするのかな。
そうこうして探すも、なかなか良さそうなものがない。…なるほど、割れるなんてことは承知の上で瀬戸物とかいわゆる磁器が使われるわけですね。レンジもOKだし冷やしても高温の油もOKだし。諦めきれずにいろんな飯を食っているシーンに思いを巡らせてヒントを探る。定食屋。セルフサービスの水はプラスチックのコップだ。どんぶりも小鉢も磁器だ。またほかの店は…。漆塗りっぽい木製だ。レンジで温めることもないからなあ。スーパーのお総菜。使い捨てだから食器の参考にならない。回転すし。プラスチックの皿だ。加熱することないからな。お弁当の配送サービス。プラスチックの丈夫な箱で、レンジ対応してませんなんて注意書きが
あっ
お弁当箱。お弁当箱を家で食器にすれば良い。レンジ対応しているものもある。なんなら蓋して持ち出せる。すげーの思いついたよお菊さん。もう割れませんから成仏を。弁当箱というカテゴリで探すと、これはというものが多々ある。弁当箱はしかし、全体としてサイズが小ぶりである。持ち運びが前提のお弁当箱ではどうしても小ぶりに決まっている。めんどいので大量に作って晩、翌朝で食うことが多いので、でかいものが良い。野菜なんかも生ごみ回収の日に切っておいてゴミの部分は捨てて、残りを翌日に使うとかするし、そういうのもでかいのがあれば。
そうして探し当てました、レンジ対応のタッパー…なるほど。”保存容器”として探せばお望みのものに一発で出会えたようだ。勿論今までも使ったことはあるけど、なんで思いつかなかったかね?5Lとか強烈なものもあるけど、色や形、サイズも結構豊富に選ぶことができそうだ。よしよし、食器全部それにすれば良いのだおーそうしましょう。長い年月もたないかもしれないが、瀬戸物にしたって割れてしまうのだから大差ないと思う。具体的に何年ってあたりが不安要素か。
しかし四角いタッパーに泳ぐそうめんや蕎麦のビジュアルを想像しウッとなった、クッソ暑いある休日のことで御座いました………ま、新しい風習を生んだと思えばね?それにほら、見栄張ってそれっぽいデザインのものも揃えるとなると、これがまた、お予算が一枚足りないんですなあ。
オチがついた後でなんだけど、保存容器という枠で探しても、使い勝手のレビューみたいなブログとかまるで検索にヒットしない。主婦層の生活用品レビューってかなり参考になるのよ。これはきっと、こういう大きな額の買い物にならないものは恐らく、Amazonなり楽天なり、ショップサイトのレビューにみんな吸い込まれてしまったんですねえ。ネットで買いますと。まあそうでしょうねー。地雷案件ではありませんでしたのことよ。
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塩織
塩味探訪、ひとまず美味を求めたのではないにしろその味わいには特段驚くようなものもなく、ネタになるようなものもなく。もっと高級志向というか、「〇〇の塩」などというような銘品だったらまた違った感想にもなろうか。とはいえ仮に世界で一番旨い塩でも手に入れればまた一味違った。
まあ、その。
何にしろ塩を直接ぱらぱらと振りかけて食うなど頻繁にはないものだから、自分好みの分量ですら不明だ。直接口にするものに対しての塩分量、どこが適量なんだか。おそるおそるチマチマと、しかし面倒になり一気に、結果、豆腐にかけ過ぎてからは小皿に取ってディップするという知恵を得た。あと色つきの塩とか便利じゃないですかね。
寿司は論外だった。高級すし店のようなものだったらまた違うんだろうか??スーパーのパックではなんとも。セロリや茗荷は美味しくはないが酷くもない、どちらもしょっぱいセロリとしょっぱい茗荷であった。あたりめは酷かった。こればっかりは軽く洗い流してマヨネーズに移行し、さっさと処理した。
納豆にかけて食った時に強く感じたんだけど、塩って香りがない。ご飯にかけて食べたらもっと強烈に匂いの違いを感じただろう。醤油の薫りというか匂い。ああ、馴染みすぎて気にもしてなかったが、醤油はとても強烈な香りの食品なんだなと発見する。しかしそのような認識がないということは、それだけ醤油の香りって心にじっくり染み付いているというロジックなんだろう。気付いてみれば炒飯なんかも香りづけにじゅわっと醤油を垂らす。
醤油がこの文化の空気だと。人々の食卓が集うこの街の息吹だと…。
春になると気が向いたら非常用リュックのアップグレードをしている。今年は改めて中身の細かい点検をしたり何か足りてないもののお買い上げをするつもりだ。情報をあたると、やはり確保するべきものは何よりも水であると、そして出来るなら塩だと。まあ実際の所は「塩分」で良いのでツナ缶など各種保存食にはきっとそこそこ含まれており…。
しかし不思議なもんじゃないか、母なる海はその塩分が濃すぎて人は喉を潤すこと叶わず、塩を大地に撒けば植物の多くは死滅してしまう。そんなものを抱えて命からがらというその日に走り出す。不思議なものだ。どういうロジックなんだ。
—それが私の名前?
そうだ。我々は何かを託されているんだ。その場に捨てたり、一ヵ所に集めすぎると台無しになってしまうもの…。自分でも少しずつ食みながら、きっと何かの目的のために、運び続けたんだ。それを最後まで避けることも打ち負かすこともできなかった悲しみを、この星に託して返した時に残るもの、それが塩織なんだ…。
—????…こんなものの名前をさあ。
娘は足元から「そんなもの」を一握り掬うと、力いっぱい空に投げつけた。ややあって。一粒一粒がさざめきながら元通りに積もり重なった一粒に覆いかぶさりってゆく、取り込まれる、用済みになった自分を呪いながら。宿主が死んだ寄生虫。これは亡骸なんだ。魂の重みを感じたことのない、無垢の亡骸、地平を白く埋め尽くして輪廻の錆をひた隠しに隠す。ある春の一日でございました。
えーと、花咲か爺さんのパロディです。
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塩でキメてけ
最近はまっている調味料は塩です、とか言い出したら心配されるだろうか。体大丈夫?あるいは頭も大丈夫かって。
ここ数年、家には常備の調味料の種類が増えつつあった。塩胡椒醤油、コンソメとめんつゆあたりだったのに加えて以下だ。味噌、ナンプラー、ドレッシング適当に二種類、中華系のスープの素的な(まあウェイパーのことですね)酢、ごま油、みりん、砂糖、マヨネーズ。ここに時折、甜麺醤に豆板醤、スイートチリソースだとか加わるとなかなかの布陣だ。煎りごまとか鰹節、バターまで加わるとそらもお。
凝った料理に目覚めたなんてことでもなく、これだけあると食材を適当に買ってもまー何かしら食いたい味で食える、ということになるものなんだ。クックパッドみたいな実用系レシピを参照してごそごそするような時も、大体必要なものが手元にある。しかし、そんなレシピ参照しながらの料理、さほどするわけでもなく。
調味料がわんさかあると、何かを切って加熱して、上記のどれかの味で食う、みたいな食事だとしてもそこそこのバリエーションがうまれる。そんなもので満足するようになったのは進化か退化か、体は大丈夫か。そんなメシを食っているうちに、舌の上で輪廻が発生したようだ。塩降る夜に涅槃を手繰ったのである。頭も大丈夫か?塩のみで食ってみようということが直近のブーム。実食はまだあまりしてませんけども。
もしかしたら自分は塩味がきついものが好きなのかもしれない。無塩トマトジュースに塩と氷を入れて超冷やして飲むのが好きだ、とか、酢の物にする前の塩もみしたキュウリをつまんでみたら美味かったとか。コンソメ味の野菜スープも濃いめが好きだ。尤もこれはお湯にコンソメと具材を放り込むだけ、なんて不精な作り方しているから薄味では不味いだけかもしれない。しかし揚げ物とかは何も付けずに食うなあ。カツにソースとか味が濃すぎて試す気にもならん。味覚って不思議なもんだ。
具体的に食ってみたもんは。
そば粉多めの乾麺蕎麦を茹で、麺つゆなど使わずに塩をちまちま付けて食べる。昆布なり鰹なりの出汁が無い状態で食べると、やはり別もんだ。流石に塩分過多なのが味覚でもわかるんで、するとついには塩もつけずにそのまま食べるみたいなこともしてみた。それでも結構な塩分を感じる。もちろん蕎麦の味もする。これはもともとそういう食い方ありますね。寿司にも塩で頂くものがあります。
元々味付けなどあまりしないものを塩振って食うとどうか。とりあえず冷蔵庫にあった茗荷。刻んで掌に乗せて、塩振ってそのままお口にぽい。茗荷の味が塩味が効いている間は薄れているような感じがある。もともと冷ややっこや蕎麦に入れるもので、塩分と別れての味などあまり意識してないのではないか。比較の為に塩を振らずにおくちにぽいしてみると、ちょっと日常的には味わいたくない感じになった。ふーむ。
塩っていうのは味わい以外にも食材に対する作用があったりしますからね、いろいろ試していくうちに、ひどい目にも遭うでしょう。それとこのテの実験には欠かせない食材が日本にはありますね。納豆です…といったところで本日はお開き。
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うのはな
おからってちょっと前まではあまり売ってなかった印象なんだけどね、最近は良く行く店にも置いてある。平べったい感じに圧縮されていて、ちょーど袋にいれて圧縮された布団みたいな感じだ。掃除機で空気吸ってぺちゃんこにするやつ。固さの具合もまさにそんなだ。
時に、今年に入ってお酒は止めているんですが、酒のつまみ的なものが好きです。あたりめ、メンマとかザーサイ、魚の煮つけとか揚げ出し豆腐、柿ピー。そういうラインナップに入るかの判断は微妙だとは思いますけど、卯の花とかね。コンビニで売っている卯の花がクッソ美味かったので、自分でも作ってみようとなりましたが果たして。いつものように、ものぐさ調理の基本方針として、食える範囲に収まりそうなレベルでのレシピ把握をしたらあとはテキトーで御座います。ある程度調理慣れはしているつもりなので、なんとでもなります。はっはっは。
まず材料。おから。……あとは何でも良さそうじゃないの…。食って美味かったその卯の花に入っていたものを参考にします。こんにゃく、枝豆、人参、シイタケ。前出のページによるとタケノコも入っていたらしい。これは…自分の考えでは全く以てスタンダードな組み合わせではないかと思う。
同じものを揃えれば良いものを、探すの面倒くさくて目についたものだけ買う。人参と板のこんにゃくを用意。追加で油揚げにしました。出汁をたっぷり吸わせませう。
人参を適当な短冊切りに。こんにゃくは手でちぎる。こいつらを少なめの出汁で炊いて、火が通ったら油揚げを細切りにして泳がせる。おからをドバっと入れる。出汁は最近目にする白だしってやつね。安もんですけど。で、ここからどうするか。ひとまず水分が適当な具合に減るまで炒める。別名「おから炒り」だろこの料理。ところが、この後も何回か作るんだけど、適当な水分量にするのが難しい…。ある時はぼそぼそで口の中でぱふぱふしてしまうし、ある時はおから成分がねっちょりと水っぽく、流動食のような雰囲気になってしまう。商品によっておから自体の水分量が違ったりもしたのかもしれないな。
なんどか試行錯誤しているうちに独自につかんだコツは、あまり炒らないということ。おから自体がほっくほくに温まればそれでOK!!ということにしました。出汁成分は少なめで良さそう。少なすぎたらおから投入後にみりんと醤油で調整。『いやいやそんなことしたら強烈に味が変わるのでは?』って?その通り。それがどうした、最初から適当だ!と居直ります。どうせ冷えてから食う事のほうが多い、調理中の味見などあてになるかい。…いやそこの勘所を掴めよって話だが。何が「調理慣れしている」だ阿呆と。
実際のところ、おからは同じ量のパックで売っているものです。賞味期限も長くはない、残しても他に使い道もイマイチなので作るたびに全量使います。そのため、目分量でもあまり調整をミスることはないのです。
以上です。
そんなわけない。
具材のバリエーションと参りましょう。まずひき肉。人参、にんにゃく、ひき肉の構成。おからコロッケなるものがあるようだけど、食べたことない。多分、このひき肉投入バージョンはそのコロッケの中身に近いのではなかろうか。ひき肉の歯ごたえがちょうど麻婆豆腐のようで美味い。自分のレシピだとデフォルトではみりんも砂糖もいれないので肉の味が強めに主張されます。柚子胡椒や刻み葱など追加でさらに良い感じです。
次。人参、こんにゃく、鶏もも肉。もも肉の濃ゆい出汁に期待したが、おからパウダーに吸われてあまり味わいが残らなかった。そのぶんおからが美味になったかというと、そうでもない。脂身もそのままにぶつ切りで入れたのだが、おからとまぜまぜの段階でどこかに霧散したか?ごぼうなんかが相性良さそうですが、調理が面倒な食材は遠ざけましょう。
次ーっていうともう魚介か果物の出番ですが、さすがに自制が勝ちました。何も試していません。多分ゆでタコとスパイシーな味付けならまだ合いそう。
そもそもおからって豆の搾りかすですからねー、栄養はまだあるのかもしれませんが、味も風味も抜かれながら口に含むと立派な存在感。単体では調理の素材としてはむしろ厄介な属性なのではないかと思う所存です。腹いっぱいにはなるけど。先人のレシピを参考にすると、団子などに加工して畑の肉(予備役)として使っている方が多いようですね。お好み焼きとかピザ生地…。うーん、小麦粉とか片栗粉常備してない自分にはない発想であります。面倒な食材は遠ざけます。
あと卯の花にしても自分の作ったものよりはるかに具材の量が豊富だ。そら美味いよな。何か負けた感じしかない。次は具材豊富な一品をご用意いたしましょう、卯の花の薫りに出汁のストックをチェックする、ある卯月の一日で御座いました。って一月に書きたかった…。
おだいどこからは以上です。調理品の画像がないのはいつもの仕様です。