ふでのゆくまま
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ゆうびさきにちからをこめて
みぎゆびjの人先指のさきっぽ。、つy、めの間に切り傷をつlくってしまったようで、。しみるy、。ばんどいあどでほごしたとこrmの、キーノードは大変に打ち込みにくいというjことをお伝えするかたといのエントリオーhじゃこちらで鵜s。かわりbに中指をつかってmにるも、ちょっとゆっくりにまるぐらいで、そんなに影響はんばさそうyではある。
いや、左手のh上のキーmの間違えとるうやないかい。、!とはその通り、今回ンぼくわだてにゆおろ、対ポイを一切b直さずbに公開す津にあたっては目をおおゆbなかりのさbんbんじょうでありまう、。ちゃんとくyんれんすれhばいいbのでsgほうyけどbね、右点鼻きをとれていうるkじょとを言い訳にしておきます。
にゅうりょkジュyしてるy本人日買いは面白くymのなんともないのでkょウイshぐくですyが、適当なフレーズyを入力してんみて子bんb下院ぼk受話建は終わりん日したいですy。、
(入力している本人以外は面白くもなんともないので恐縮ですが、適当なフレーズを入力してみて今回の企ては終わりにしたいです。)
赤の手先のオフェラm、歌!
あんな、m「しろって二h柘植あんんべん
んもっずyけいm猛禽類
お前はもう死んでいるy
さんをつけろよでコスケ野郎
三日ほどで収まりましたが、今度は左手の中指を包丁で切った。
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見知らぬが仏
歌声が追いかけてくる。
ここ数年、歌いながら自転車で走ってる人多くないですか。鼻歌まじりなんて言い回しもありますけど、もっと本格的に歌唱しているような方々、見かけませんか。日が落ちてからと、日が昇る前後の明け方にお散歩の機会が多い自分には、このシチュエーションはちょっと怖いのよ。大丈夫かなと身構えるような事もなくはないのよ。不安を覚えながらも、知っている曲かな?と耳を澄ませるこころを何と呼びますか。あー…考えてみれば真昼間のほうが怖いか?
で。
その日も夕暮れにスーパーまでお買い物に出向いておりますと、後ろから微かに歌声が近付いてくる。こりゃまた大きな声ではっきりとした歌唱ではあるものの、何を歌っているのかはわからない。近づいているのだろう、徐々に大きく聞こえる。日本語っぽいかなあ。前方の信号は赤。歩みを止める。既に一台、自転車が車道の路肩に停まっている。こ…これはもしかすると…信号が変わるまですぐ隣で聞こえないフリをする時間帯が訪れるのか。知り合いじゃありませんよの顔を思い出していると、一台の自転車が「静かに」停車する。ポケットからスマホを取り出し、時間を確認する、とともに、お隣りに停車した自転車を確認する。距離が近くて怖いので、乗ってる人物は見ないように努める。ロードバイクというのだろうか。ツールドフランスで選手が乗ってるような、前傾姿勢になるアレ。そんなタイプの自転車のようだった。
歌わんのかい。穏やかに心でツッコミを入れる。応答はない。あってたまるか。すると、静かで穏やかな緊張感のなか、どういうわけか、自転車が止まると歌声も止まることが、凄く当り前で自然な事のように思えてきた。ツッコミを入れてはみたものの、この状況にそんなに違和感を覚えない。きっと、他の歌声ライダーも同じことをしているんじゃないか?と考えた。確かに、この方々はあんなに目立つことをしながらも、面と向かって歌声披露したいわけではないんだ。自転車で通り過ぎてどこかへ行ってしまう知らない人だからこそ、街を行く人々とどうにかお互いに受け止めることができるシチュエーションなんだと。ということはもしかして。歌いながも家の近所までやってきたならば、あ、青になった、歌うのを止めるのではないか。知り合いの姿でも認めたら、歌うのを止めるのではないか。これらが、凄く当り前のことだと思えた。この人たちは、ご近所にお住まいではないと推測する。遠く遠く、一時間ぐらいの遠く、知り合いも住んでいないのを確認して、街で知る人のいない流れの者になりきったあたりで、声が出るんじゃねえかなあ。キリストが地元の街に来た時のエピソードを思い起こす。またあるいは、キッズと一緒で歌いたいときに歌が出てしまう人だ。自宅の玄関のドアを通っても、そっちの方向で振る舞いが変わらない類の人だ。
同じ町に長く住むと、よく利用する店舗の店員の顔を覚えたりする。それでも、制服を着ていない状態でその辺ですれ違ったりすれば気づかない事のほうが多いんじゃないか[要出典]歌声ライダーの諸兄もきっとどこかで目にしているかもしれない。あるいはこれから訪れるスーパーの…
歌声が追いかけてきた。声は止まることなく、ロードバイクが自分を抜き去っていく、その背中には著名メシ配達サービスのリュック。これが絶妙に怖いのよ…。
「UberBeats」って記事のタイトルにしようと思ったら、すでにいっぱいあった。
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まな板を買い替えようとAmazonさんを覗いていたら、まな板の角のほうにおろし金のような機能がある商品を見つけた。例えばそのまた板の上で生姜を下ろしたとして…、おろした生姜を頑張って集めて器に移動するんだろうか。良くわからない。まな板を傾ければ…うーん、最初からおろし金で良いよと思う。わからん。
粗大ごみの処分を申し込む。回収日までそんな待たずに済みそうでとても助かる。そうなると、ついでにあれもこれも処分すればいいものを、二の足を踏む。人間の小ささというべきか。
野菜売り場でほうれん草にするか小松菜にするか迷っていたら、中年男性が近くのもやしを山ほどカゴに積み込んで、売り場空になった。20袋ぐらい?もやしなんて保存もきかないもん、全部くうのだろか。
日用品は少々高くても良いものを持ちたい。値段も高がしてれるからよゆーっす。そこで、あの関孫六ブランドの…鼻毛切りをお買い上げ。注意書き見たら「鼻毛はフィルターの枠割をする重要な体毛なので切りすぎに注意しましょう」とあった。これはハイブランドの心意気。切りすぎてえらい目にあったという話はよく聞く。気を付けたい。
涼しくなって、毎年体調を崩す。今年こそ、今年こそなんとかかんとか。
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生きたここちを耳にして
深夜から早朝のお散歩は若いころからの趣味。…趣味というには頻度に偏りがあるけど、人生の半分以上は楽しみとしている。若いころはそれこそ夜の2時~3時に家を出て、朝の日の出ぐらいに帰ってくるようなことを、季節を問わず続けていたと思う。眠れない夜は道端で過ごした。オホー格好いい。ここ十年ぐらいは、ざっくりと日の出前に出発するのが目標となっている。夜明けの空と街中を眺めるのが楽しい。すると当然、日の出より前には外に居たいわけだ。夏至の頃には4時前に起きて出かけることになるけど、涼しい季節になってくると日の出の遅くなるにしたがって家を出る時間も…これがあまり変わらないか。最近はコロナであまりやらなくなったけど、始発電車にのってお散歩スポットへ出かけることも時折ある。だから真冬でも4:30~5:00ぐらいにお出かけが多かった、この冬もきっと。夜明けに感激を覚える健やかさが、まだ自分にも残っております。世界はそれを自己愛と呼ぶんだぜ。
さすが東京。休日の日の出前という時間帯であっても、大通りには車の列が絶えることがない。夜明け前に走る車両はどことなく威勢が良い。闇にペカーと光るヘッドライトは何か勇ましく、また欲深く。例えばそう、荷物を積んだ大型のトラック。お陰様で日々便利にくらしております。東京都内ではお神輿みたいなペカペカしたの見ない気がする。一方で…普通の乗用車だって、こんな時間からお出かけには事情がある。レジャーに遠出しようってもんならどうだ。そりゃあ気合が違う。またどうだろうか、電車が走ってない時間に稼働しているタクシーは、実際に書き入れ時だろうさ。時折、歩いている自分の姿をみとめると、客だと思って、近くで速度を落とす。これに一切の無視を決め込む。心苦しいが、わてくしお財布も持ってませんことよ。これは大通りというよりも、なんとなく線路に沿っているような道で良く起こる。
絶えることなく行き交う車も、年末年始にはだいぶ少なくなって。広い通りを渡る折に、横断歩道の途中で立ち止まって、四方に車が見えなかったりしたらテンション上がる。めんたまペカー。こういうシーズンには、”同業者”の姿が目に入る事もある。そんなときは、僕はワクテカなんかしてませんよ、スンと眼をふせ大人しくすれ違う。何か事情があって歩いている風を装う、というのはお互いに難しいものだ。朝の四時に都心部に徒歩で通勤してるやつなどいるわけない。たまに、doggo連れたhoomanの姿を見かけることもある。しかしこれは別の業界に属するというのがオリエンタルでは常識だ。尤も、日の出前ほど早い時間にはまず見かけない。夜に見かけることのほうが多い。人間の事情を考えればこれは当然なことで、仕事終えて帰宅、風呂の前に散歩して就寝という組み立ては効率的だろう。平日でも、仕事に出かける前に早起きして済ます人もいるとは思うが、これは大変だろうと思う。習慣になっちゃえばこなせるもんだろうか。最近は犬を繋ぐリードや首輪が夜にペカペカしている。安全のためだろうけど何より見た目が面白くて楽しい。繋がれているほうがちょっと落ち着きがない動きをすると、スター取ったちびマリオみたいだ。もし人間のほうに落ち着きがないと狂気のエレクトリカルパレード見参、遁走せねば命が。南無阿弥陀仏。
この夏の終わりぐらいから…。平日の生活時間帯に散歩する機会が増えた。おおよそ20:00~22:00ぐらいか。昼の勤めの人は大体帰宅して、ほとんどの人がまだ起きている時間だ。窓から誰かの会話が漏れてきたり、風呂からシャワーの音が聞こえたりする。楽器を練習している人、騒がしいキッズ…。明かりの灯った窓を見上げながら歩めば、生きた心地が耳に届く。節度ある暮らしの美しさが、芯に染みる。
大学生の頃。友人と二人で冬の夜道をとぼとぼ歩いていて、窓の下を通り過ぎた。なんでもない、オレンジの明かりが漏れただけの窓だけど、とても象徴的に見えた。一瞬で温かい、優しい…暮らし?が頭をよぎった。将来、こんな幸せそうな暮らしができるだろうか?今は何のプランも望みもなく、ぼんやりと過ごしている日々を経て、自分にこのような暮らしができるものだろうか。デビューすらしてないくせに世の中に辟易していたんだ。その時、その場で友人に話してみた。あの窓が幸せそうに見えて、逆に自分の将来が不安になったと。友人は俺も同じことを考えていた、と答え、二人で笑いあった。笑い声は長くは続かなかったと思う。
あの夜、あの窓が開いていたら。何か聞こえていたら。ここ数日絶えることなく耳にした明るい声の会話、温かいシャワーの音があの窓から聞こえていたらならば。自分はきっと、聞こえないふりをしたに違いない。
十月。
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うそおおげさまぎらわしい
日記でも書こうと思った。
弊ブログはここ2年ぐらい、予約投稿で記事を公開しているパターンが多い。書き溜めたものが待機している状態だ。安倍晋三銃撃事件のような大きな話題は、待機列の途中にエントリを割り込ませるような感じで。たまには公開待ちのエントリを校正したりして。こうして、少なくとも月一回は書きましょうという目標を達成し続けてはいるんだけど、実際はひとたびも”机に”向かってない月もあるわけよ。ずるい。だいたいが読書感想文に作り話まで混ざっているのに、頻度の目標もクソもねえわ。「習慣としてます」とでも見栄を張りたいのか。オレオレログインボーナス詐欺。
えー。捻くれまくったところで…。
漢字全然書けなくなったな、の懸念も深刻だ。読めなくなった、という事が無いのが救いだ。日常生活に支障はない。でも、何となく形を覚えているけど、正確には書けないような文字が増えたこと。そこで、手書きの日記をやってみようかしらん。ログイン不要、紙とペン。ただ、誰かに遺すでもない日記帳などいつかは捨ててしまうんだろう。どうしたもんかな。実際、若いころの自分が残した宝物だと思っていた諸々の雑記、捨ててしまったもんな。始める前から運用と保守考えている。皮算用…とはちょっと違うか。
で、Amazonさんで探してみたところ、10年使える日記帳なんかもあるらしい。こういうものを用意してちゃっちゃと始めるのが良いのです。それではぽちっとな。最終的には捨てることになっても良いよね。ほしい人はご予約ください。
さて。うそおおげさまぎらわしいこともない、工夫もネタかぶりチェックもない日記が始まる。毎日は書かないだろうことは、確信している。一日三分。歯磨きより短い時間のタスクを、私はこなすことができるのでしょうか。できないんじゃないかね。一日三分。その時間だけをweb以前に戻さば、捻くれまくったミラクルの確信はある。紙をあがめよ諸人、覚えているだろう日々を、蛍光灯のデスクライトの下で走る文字は確かに眩かった。
ルネッサーーーーンス!!!
https://news.yahoo.co.jp/articles/084faab70c7a8077cd36a57dee1f5f4335592c43
良い話。自分には10年以内に起こることなかろう。(´・ω・`)シボーン
という、このエントリ公開時点で日記帳が届いてから40日経過している筈です。何がミラクルだ起きるかばーかばーか。