• ふでのゆくまま

    続・こんな足でも歩けない筈はない

    数日前の事、新しい靴で出勤。歩き回る仕事ではないし、普段からフォーマルな装いをする手合いでもないので、まさに通勤靴。毎度のように既製品を買うなんならネットで買うので、足とのフィット感においては毎回バラバラ…ということもなく、以前かった靴をもう一度買うようなことを続けていればそこまで酷い事にはならない。2年に1回ぐらい酷いことになってんだけどな。

    今回も念のため靴擦れ対策としてアキレス腱に絆創膏を貼っての出勤であります。まあ何事もなく一日が終わり、お疲れさまでしたと声をかけて退勤。駅までの歩みにも問題はなく、同じ靴をもう一足買おうと検索するも、スマホが低速モードでありました。ダウンロードした映画も見終わって手持無沙汰。椅子に座ることが出来たので、しょうがない軽く寝るか、と思いぼんやり現在地を確認したりしていた。ふと、こちらに背を向けて立つ女性の踵が目に入った。三角形に赤い。出血している。なんと靴擦れしている。

    ……あっ?男性に於いてはスーツ姿というのはバリエーションがない。今の自分のような事務職スーツ姿では、どんな着こなしだろうと踵が隠れるので絆創膏でも貼り放題。(アンクルソックスの人がたまにいるのは知ってますけど)しかしこの女性はどうだろう。スカート姿に生足?かパンストで、靴はオフィス向けのパンプス。アキレスの絆創膏を貼ると何とも目立つ。こういうとき女性は靴擦れ対策どうしてるんだろうか。

    ググってみると割とすぐにそのアイデアに辿り着く。靴のほうに絆創膏を貼る、だそうです。すぐに剥がれそうな気もしますが。何か専用のグッズでもありそうだけども。

    余りに痛々しく見えたので記念に書き記す、遅れに遅れた夏休みの夜更けで御座いました。

  • ぎょうむれんらく,  ふでのゆくまま

    放置されていた下書きを供養します。

    下書きのステータスのままに放置された結果、何を書こうとしていたのか分からなくなったものをここにまとめて順不同に明らかとし、供養します。各々、何時に書かれた下書きかは伏せておきましょう。このエントリを公開後、下書きを削除してしまうので私にもわからなくなりますが、MAXお見積りで10年のスパンがあります。ロマンですね。

    そりゃあ下書きだろうという書きかけの物、他のタイトルで公開したような気がするもの、もろもろ含めていざ参る。

    下書きタイトル:諸行無常の響き

    諸行無常とは、何事も長くは続かず、常に変化していくものだという意味の言葉であると理解している。実際は仏教用語で、もうちっと仏教の思想に偏った意味が本来込められているのだろう…。なるほど世の中はそういう物なのだな、と理解したとして、人はその受け入れ方を選ぶ。即ち、何をやっても意味がない、あるいは、何かあっても大丈夫なように備えるべきだ。

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    下書きタイトル:鉄と血

    期限の切れたクレジットカードが出てきた。古いニッパーでベキベキと破壊していくと、ぱき、と音がして破片が飛んでいき、壁に当たって床に落ちた。クレジットカードの欠片を拾いあg….ニッパーの刃だった。さび付いて古いものだからまあ強度はアレとして、しかしクレジットカードに負けるか。そらまカード自体実に丈夫に作ってあるだろうけども。ニッパーの欠片から血の匂いがする。要するに錆の匂いだ。

    いつのまにか、はがきが62円切手を要すると知らなかった。危うく喪中はがきを切手不足で出すところだった。自分の記憶など信用してないので毎回チェックするという試みが功を奏した。良い。しかしお仕事関連の書類をもう数年82円切手で送っているので脳が心臓を認識できなくなったが、そこは変わってないらしい。年賀はがきは52円のままらしい。はがきなどダイレクトメール以外に需要があるとは思えない。こちらが受け取る、郵送で届く通知はまあ大体書留とか本人限定なんたらだ。こちらから送るはがきなんぞまずない。ないよね、って話をしたら「懸賞」という答えが返ってきた。なるほど…。

    人目が無ければ切手の裏を舐めて貼る。鉄と血の匂いはそこにはない。

    「暴君ハバネロ」というチップスを食したことがないなあって思って探したんだけど、売ってない。

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    下書きタイトル:2012年をまだ振り返らない

    弊社忘年会出たら名刺が足りなかった。ああん、残念な社会人。

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    下書きタイトル:臭い物には

    新宿は南口を降りて、東急ハンズを目指すとする。高島屋の1Fを通過してハンズあるいは紀国屋を目指すというのは、高島屋部分で冷暖房効いてて実に快適。エスカレーターを使って五階だか六階に上り、紀伊國屋への連絡通路を使うと完全屋内でわっしょーい。素晴らし。

    のだけど、高島屋一階は著名なブランドのお店がならぶ。お化粧品とか宝飾とか。こいつがまたキツい。化粧品の匂いが嫌いなんだよな。二分もかからず通過するのだけど、いつしか避けるようになった。amazonさんで買い物するようになってから、ハンズも紀国屋もすっかり行かなくなり、この件はどうでも良いことの一つとなった。

    しかし普段から電車にガタゴトゆられて通勤などしておると、どうしても匂いの強烈な婦人と肩を寄せ合うハメになることも多くて、参る。ものによっては頭痛など引き起こす匂いもある。こういうのに遭遇してしまうと、仕方がないので一旦電車を降りたりすらする。こういった塩梅である、こまったこまったというのを、とあるご婦人に話したところ、「そういうのはやっすい化粧品使ってるおばちゃんだからよ」なんて言われたことがある。確かに全部の香水や化粧品の匂いがダメだとゆーわけではないのだが、事前に把握出来るわけでもなし、こういうメに遭うことは諦めている。いやなら無人島にでも住めや。これがまた、タバコにも同じことが言える。過去の体験からいえば、どうもセブンスターがダメなようだ。煙が漂ってくるとどうにもくしゃみが止まらない。やがて鼻水がダルダルと。よくこれで雀荘で何年も働けた。

    んで、さば臭い。

    帰宅したらゆんべ炊き込んださばごはん、鯖の匂いが酷い。生臭いという感じではないのだけど、魚の油の匂いと言ったらよいだろうか、ランチタイムに定食屋の換気扇から漂ってくるアレの匂い。よくぞ平気で一晩寝たもんだが、これ、匂いはすぐに慣れちゃってなんとも思わなくなるということで。いつだったかとあるホテルに三人で泊まったとき、二人が外出中にベッドで酒飲みながらイカの燻製を齧って映画を堪能。やがて帰ってきた二人に臭い臭いと怒られた事があった。自分は平気な顔をしておる。

    だのになんで化粧品はだめなのかねー(´・ω・`)

    数年に一度のアパートのガス設備点検がきた。こちらは臭ってはマズい。問題なく検査完了。

    駅前にふらふらと出ると、夏祭りをやっていた。こちらもまた良い匂い。気分良く何か買って帰りたいところだけど、自宅冷蔵庫に鶏肉がある状態でとり天500円と言われても手が出ない。胡散臭いというつもりではないのだが。

    夕立のあとの匂いも快い。ゲリラ豪雨って名前いまいちだと思うが、気象的な用語ではやはり夕立なのだろうか。さばの匂いが捌けた。うなぎは家で焼かないし、あの匂いがいまいち味わえないのを悔しく思うものなり。

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    下書きタイトル:伝統入り

    伝統芸能と言われて想像するものは、えーと、能・狂言・歌舞伎。以外と落語はそういうイメージねえな。まさに伝統芸能なんだが。雅楽あたりもまさに、という感じか。実際はもっと細かいジャンルの数があるらしい。有名な所だと、染之助・染太郎のやっていたアレは、「太神楽」というジャンルになるらしい。もう亡くなって十年以上たつのねえ…。

    江戸家猫八は形態模写の名代となる。とはいえ自分が思い浮かぶ顔は一つだ。紙を切り抜いて黒い背景で絵を作り出すあれ、あれも伝統芸能かねえ?あったあった。ところでこれ、鳥肌実が出演したものの途中で強制カット食らったあれじゃないのか。

    こうしていろいろ並べていくと、はてさてどこから「伝統」の冠がつくのだろうかと不思議に思う。後継ぎが居れば伝統?具体的に何年とかあるのか。なんたら協会に加入すればいいのか。これといって基準があるとも思えないんだけどな。現存する芸能で伝統の枠に入れそうなもの、あるだろうか。鳥肌実とかはまだ無理だろう。しかしドリフターズはどうだ。現在似たようなことをやっているグループはなさそうだが、もし、あのジャンルがずっとずっと続けばそのうちに。

    ではダチョウ倶楽部はどうか。実はドリフよりは伝統芸能の枠に近いと思っている。日本人がみんなジャンケンができる、そのようなレベルで「どうぞどうぞ」が出来るのではないかとすら思う。そもそもリーダーシップなんぞ道端に腐乱して転がっておるような状況であり、面倒事を誰が引き受けるべきか、美しい国には合意を得られる手段が偶然(ジャンケンと阿弥陀くじ)しかなく、ああ、しかし、「どうぞどうぞ」も様式に沿うなら誰が引き受けるかは芸の入り口からして決まっているように見えるな。

    ここで、「どうぞどうぞ」された側がツッコミを入れることにより意思決定を冗談とみなして回避する余地があることに注目したい。ジャンケンや阿弥陀くじへの絶対的帰依からの脱却を目論むには、この新たな伝統にのっかるのは悪い選択ではないと思うのだ。

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    下書きタイトル:緩くも暖かいもの

    いつからかハロウィンなるイベントが定着し、かぼちゃが片づけられるとモミの木が、という流れになった。というのは嘘で、実際は品のない電飾がそこいらの雑木に絡まるだけであります。やや寄り道して帰ると某新聞社の施設の前を通る。青い電飾が施設に覆いかぶされており、一見、いよいよ苦しくなった新聞社は性風俗でも始めたのかと見紛うばかりである。嬢が新聞をもって登場、お楽しみの間に読みふけることができる。サービスの特性上、朝っぱらから営業されており、などと書いたところで実際にやりかねない気がしたので、兎に角クリスマスを志向したものかも怪しい飾り具合であります。やはりモミならずとも木の形状がないとクリスマスの雰囲気でないのね、と。

    しかしそこに明確にクリスマスはあった。

    古めかしいクリスマスソングが絶妙な音量で流されているのでありました。これやるなら電飾いらんだろ。

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    下書きタイトル:歳の瀬戸際

    (書いた日は2015/12/20ぐらいです。)

    間もなく今上の帝の在位も28年?29年?になろうとしている。おたんじょーびも間もなくて、いったいお幾つになられるのか。

    既にご高齢であったから、平成の元号はそう長くはなく、となれば昭和生まれなんてすぐに古代人みたいな扱いになるぞ、なんて宣ったのは高校の担任であった。30年というのが長いか短いか。過去の平均を見ると6年ほどで元号は変わってきたらしいから、かなり長いという事になる。これは平安京が燃えただの早良親王の祟りだの言ってる時代も含むのだからあんまりこう、現状を分析するに意味があるとも思えないが…実際長い。それでも、ま、あと10年も続くことはないかと思う。

    平成生まれの人間も当然ながら珍しくもない。初めて平成生まれの人間と会話した時にはなんだかこう歴史的な出会いを果たしたかのような、ささやか乍らもスケールのでかい感動があった。今では若者は全員平成生まれとなっております。君らの育ってきた時代を私は知っている筈だが、どのような時代を過ごしてきて、また過ごしているのか、全く見当がつかない。あなた方の育ち過ごした世界について思いを馳せるとき、ピラミッドはどう作られたのか考えるようなものだ。自分に家族でもいればまた違うんだろう…。

    「バブルってどんな時代だったんですか?」と聞いてきた彼の脳内でも、きっと大袈裟な世界が展開されていたんだろう。自分は1977年の生まれであり、バブルの煌びやかな社会に育った筈ではあるが、なんの実感もない。生まれは片田舎であり、そしてもちろん経済に興味などないただの子供であった。このことは、裏を返せば、はじけたバブルの実感にも乏しいというわけだ。大学を卒業するにあたり、就職なんてものを考えるころになって諸々の事実により不景気というものを何となく実感する。とはいえそれも2001年の話であって、バブルいつまで弾けとんねん、むしろそんな弾けられたら活況やんけーーと。

    さらに数年、社会人になってバブルの頃はね、みたいな話を耳にしてはほうほうと、身を乗り出す。ピラミッドの秘密を聞くがのごとくに。「バブル」という表現自体に特別の意図があるとは思う。如何にも脆いものであったような印象がある言い回しだ。しかし「弾けて消えた」そしてお終いということもなく、日々が巡っている。

    泡でも良いから、

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    下書きタイトル:新作落語「葛飾区亀有公園前派出所」

    実際にあるかは不明。だけどあっても良い。

    つうもの、こち亀って落語っぽいのではないか。…と言い出しながらも落語に詳しいわけではないんだけも――、例えばある程度テンプレになったキャラたちの性格に由来する振る舞い。世間の新しいトピック、所謂時事ネタなどを絡めて一つのストーリーが進んでいく。

    というような思い付きに至って、実際にコンビニで売っていた少年ジャンプを買ってきた。2016年NO11(2月29日号)に掲載されたこち亀は、両津勘吉が儲け話を膨らませて事業を展開するというパターン。何度か読んだ話だよな。中川のキャラ設定により財力で全ての問題が解決していくあたりの展開の速さ、本当にこういう財力があれば実際世界でも実現しそうな線の上で展開していくようにみえる。

    某所で見れるのでは立川談志と桂枝雀と柳家喬太郎あたりが面白い。談志の枕で、ハマコーこと浜田幸一がラスベガスでカジノに興じたという事件?に触れたのがあった。その流れで、「所得倍増ってんだからカジノで国家予算賭けて当たれば遊んで暮らせばよい」という趣旨の発言に。んな無茶な、でも案外そりゃ道理ってもんだ、と感心させられるのが面白い。「そうは言ってもそうするわけにもいかないでしょ」という一般的な感覚を「何がマズイんだよこれでいいだろうが」と改めて提示する。これが立川談志の性格によるものなのか、江戸前の落語という芸能に属する気風なのかはわからない。思いつきこそすれ口に出さないような発想を堂々と披露することで、人の世のおかしさを引き出してゆくのではなかろうか。

    で、こち亀。破産オチでも部長殴り込みオチでもなく、平和に話が終わっている。実現でもしたら児童向け教育漫画にそのまま載せれそうですらある。結構流行ごとは

    こち亀は昔は破天荒な警官によるギャグマンガだった。民間人に銃を向け「てめえぶっ殺してやる!」というったような漫画だった。うろ覚え。落語という物を知った後ではなんだか「あああれは落語くさかったのだな」、と思えてしまう。最近はそういうのはもう書けないのだろうか。

    作者の秋元氏はもう大御所中だろう。そういう人だけがやっても許されるというか、反対するような理念を持っているほうが折れたり、スルーしたりする、そういうことが出来る。谷川俊太郎のおまんことか。無名の人間が自分のまんこの型を配布すると書類送検される。ちょっと例えがずれてるな。後者はタイマーズのFM東京の歌か。筒井康隆がニコ生で「おまんこ」とか「きちがい」とか朗読したあれが近いか。

    まあこち亀には無理でも、サイバラがいるし、未来は明るいな。少年ジャンプには載らねえだろうえけど。こち亀が少年ジャンプから出てったらどこでどんな噺じゃない話を書くのだろうか。拙も見習って率直な意見をブログ上に展開していこうか。あの民主党の#$$が”#%&”ってやがってだいたい$%%%がいつまでも$$#%ぞカス!

    ま、現実の限界とはこんなもの。

    上記のようなものを書くにあたり、wikipediaを漁ってみると、やはり凄いわ。単行本の履歴を見ると1996年刊行の第100巻のサブタイトルが「インターネットで逢いましょう」となっている。まだまだ一般にはインターネットの存在は浸透していない。大学や大手企業にはあっただろうね、ぐらいの時代だった筈。
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    下書きタイトル:パスポート取得

    こういう面倒くさそうなものは後回しにしてしまうキリギリス的な暮らしなので、海外旅行の機会がないので実は持っていなかった。しかしながら、いい加減持ってませんが通用するわけもなかろうとのことで取得してきた。以下、覚書。

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    下書きタイトル:一年の計はなんたら

    そこまで深い意図もないが、元日にちょっと行ってみたいコースをお散歩してきた。結論としてはそんな楽しめたもんでもなかったんでありますが。

    快晴。スタート地点は午前10:00ごろの到着。

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    下書きタイトル:感傷に干渉を緩衝せし鑑賞

    おっさんという物は斯く斯く然々である。

    懐メロが好きだなんて、いまなら、わかる。音楽や映画が感情に深く立ち入ってくるなんて、若い人間の特権だ。それが若い人間だけのものならば、懐古もまた特別な感情と言えるんだろうか。若いころに立ち戻ることが出来れば、あの時の、あの感情が蘇ってくるんだろうか…。

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    下書きタイトル:雪が降ると何か書きたくなるのが国民性というやつです

    降った日に書かないのは僕の性根というやつです。

    そういえば2016年の東京ではウン十年ぶりに11月中に降雪があった。予報を見てみんなでまさかねえ、などと言っておったのだが。数十年に一度の気象を予報できる精度にまずは感心してしまったものだ。その日はやや時を経て、12月の10日には札幌で65センチ以上の降雪があり、65cmで記録的な豪雪だそうな。札幌あたりのイメージって毎年1mぐらいは積もるようなイメージなんだが、そうでもないらしい。

    もう三年になります、東京で前回の大雪の日はこちら。https://blog.mogari.jp/archives/1902

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    下書きタイトル:蓮と蓮根

    お総菜売り場をウロウロしてて、「ハスのから揚げ」が置いてあるのを発見。と、通路はさんで向かい合ったところに、「レンコンの素揚げ」が売ってた。……え、これって別物なの?レンコンって変換したら蓮根だった。いやハスの根っこじゃないか。まあ食材としては別物かもしれない。大根と大根の葉っぱは別の食い物だ。

    調べたら実際にその通りで、植物としては蓮という呼び名、根っこを蓮根と呼ぶということらしい。食用とするための工夫もその歴史にはあったことだろう…。食いたくなってきたな。
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    下書きタイトル:ほむら沸く雲に足下の骸を想うこと

    五本指の靴下(フィンガーソックスというらしい)、やはりこの梅雨から真夏にかけて大変に快適。10足ぐらい同じの買って、勤務時はすべてこれ。ものぐさなのでこれでよいのだ。よいのだ。よいのだが、五本の指が収まる部分、当然ながらある程度指の形をなぞってフィットするようになっている。そうでないと履き心地がわるい。このため左右をきっちり対にする必要がある。整理したところ、左だけ五足ぐらい余っており。どうしてこうなった(´・ω・`)

    あっ。裏返して履けば右足でもフィットするんじゃね!?試したところ完全なフィット具合に小躍りした。ところが裏表もひっくり返った指先、とくに付け根あたりは少々心許ない解れかたを見せており、ストックの追加時期に来ている。ユニクロの無地のやつ、まとめ買いしておこうか。

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  • ふでのゆくまま

    サンダガ75

    入道が西の背凍らし茜色かみなりさまの心意気かと。

    雷予報なるものが発表されているのを始めて知った。気象予報士が75%などと言っている。となればこれは…降水確率と同じような考えで判断して良いのだろうか。帰路に空を見上げると、確かに北の空に大きい入道雲が。足元は栃木のあたりなんだろうか。あの辺は竜巻とか雹なんかも発生するエリアというイメージだ。調べてみるとイメージに留まらず、実際に多いらしい。ネットで見慣れる落雷の映像も大迫力なものが多い。そら東京だって雷はあるが、映像の迫力は視界に入る空の広さにも左右されていると思う。複数の雷の「筋」が映像一杯に広がる様などはビルだらけの東京ではなかなか目にすることはないと思う。地方から東京に来て暮らしている人はこの広さの違いが、みんなわかると思うがどうだろうか。

    しかしながら一方で、東京など都市部では、着弾地点の近くに人間が多い可能性が高い。するとまた、このような映像も収められるというわけですなあ。

    おうちにはパソコンがあるので、雷サージタップなど使用しているものの、本当に大丈夫なのかという懸念はある。試してみるわけにもいかず、これもま、祈るばかり。

    などと下書きを放置していたら、とんでもない荒天に見舞われた。降りる駅の数個手前を走行中、突如物凄い雨が車体を叩き、乗客みんな心配そうに外を伺うも、既に日は落ちて真っ暗。目を凝らすその先に、稲光。次の駅に着くと、ホームに居る人がみんな傘をさしている。雨は勿論、風も横殴りで凄い。さらに次の駅に着くと、全身ずぶ濡れの人がちらほら。これだけ一気に降ればこうなってしまう。

    お家のある駅につくと、改札を出てもごった返している。前へ進むと、みんな恨めしそうに横殴りの雨を見つめている。しかしながらここで立ってても貴方たち邪魔でんがな。こちとら傘があるわい、意気揚々と外に出るも、一瞬で腿から下は濡れ雑巾、戻るのあまりにもダサいので見栄張って次の軒下まで頑張ると、先客の群れにどうしたんだこいつは、みたいな顔でしげしげと眺められて、顔をそむけるように空を見上げたという次第です。

    子供の頃、キャンプ中に台風がやってきて自衛隊のトラックで帰ったという経験がありますが、それでもこれが人生最悪の荒天と言い切れる。雨風雷、全てが今まで最大級の激しさ。気温もだいぶ下がった感じがあった。後追いでこの情報を漁ると、前後数日に渡り、同じ時間帯に90%の降水確率となっている。夕立というには遅すぎる時間帯にやってくるこれは、ゲリラ豪雨なんて言い方ではもう生ぬるい。きっとあの突風がダウンバーストとか言われるものだったんだろうな。

    75%の予報は見事に当たった。しかしこれ、例えば100%だからって個人ではどうにもならないよね。雨がセットになりやすいのは勿論なので傘を持つか、ぐらいの行動はとれるものの…。「電車が止まるかも」とか「雨天決行のイベントでも中止になるかも」とか、そういう心構えだけでもしておけってことだろうか。

    そしていつの日か、地震も予報されるんだろう。今日は震度4だけどどうしようか?なんて会話がされるような日が来るだろうか。揺れる前にはみんなが公園なんかに集まり、ござを広げて茶を啜る。揺れ始めると「おーきたきた」なんて賑やかになり、収まるとぞろぞろお家へ帰る。近未来のジョークのつもりが、なんか却って野性っぽくないですかね。

    大鯰 よちよち揺れては はづかしく

  • どくしょかんそうぶん

    「新幹線大爆破」を観た

    人々が言うには「スピード」という映画の元ネタになったと。確かに同じ骨子ではあるなあ。以下ネタバレ大爆破。

    評判を耳にするに、なかなかの傑作らしい。確かに面白かった。千葉真一が出演しているんだが、若いころのお姿知らないので、どれがその人だか分からなかった。丹波哲郎と宇津井健、高倉健はわかった。女性陣は全くわからず。しかしそれでも、豪華キャストってやつ。面白いとあって不満ない。そういえば「砂の器」の時もそうだったけど、街中の様子とかが昭和だな~~って感じで…もうそれだけでちょっと古い日本映画には一種の趣があると思えてくる。

    それにしても、「新幹線」って凄く具体的な素材の名前に、「大爆破」とくれば妙に迫力おまへんか。あまりにあり過ぎて、当時の国鉄は撮影協力を断ったという逸話があるようだ。1975年というのは、クアラルンプール事件なんかもあったような時代で、こういうテロリズム手法と見て取れるような内容を描写した作品が、ものすごく日常的、具体的な舞台で起こるというのは…「お上」のみなさんもピリピリしてたのかもね。

    たまたま乗り合わせたヒーローだとか、どっかから派遣されてきた特殊部隊が事件を解決する、のではなくて、現場のみなさんがすったもんだしながら解決に導くプロセスは個人的には好みであるかもしれない。映画的な手法でばっさりカットされていたりするけど、何かこう、場面に活気があるような気がする。本作は時間制限という所が手に汗握るのであって、そら現場のてんやわんやを思うに…自分のてんやわんやを重ねるとウッてなりますううううう。何度目だ。

    唐突な喫茶店の火事は流石に「はあ?」って感。ネットのレビューも見てもそうだった。あそこはみなさんツッコミどころだろう。自分も観ている時に、あまりにあっさりと燃えている場面になったものだから、

    作中の台詞にも出てきたが、そもそも80km/h以下になったら爆発するように仕掛けるというアイデアは、「何かあったら停止する」という新幹線の安全対策の根本思想に存在する”穴”をついているのがとても面白いと思う。この辺のエピソードはwikipediaにも載っているので目を通すとさらに面白い。ブレーキ壊しても同じじゃねーかとも思ったけど、それには無理やり止めるという手段が残されているが、速度の低下で爆発するんでは走り続けるしかない。パニックになった乗客が非常停止レバーで止めようとするあたりはリアリティがあって実にハラハラする場面。ここにも活気があります。

    横道なんだけど、似たような場面に実際に遭遇したことがある。電車に乗っているさなか、近くで人が倒れたらしく、ざわざわと騒々しくなった。誰かが「非常停止ボタンを押して」と言った所、すぐさま「駅まで進んだほうが良い」という声があがった。倒れた人は次の駅で抱えられて降りて行った。うっかり止めてしまうと助かるものも助からないかもしれない。緊急時にはこれを押すなんてところだけ覚えても仕方がないもんなあと思ったのだった。

    映画に戻ると…乗り合わせた乗客から度々「止めろ、降ろせ」という声が上がり、乗務員に詰め寄る。自分の乗っている新幹線に爆弾が仕掛けられているという事情を知ってなお、そんなことを言い出す。外に連絡を試みる人たちが車内公衆電話に列をなして並ぶけど、また別の乗客はそこに現金を渡して割り込もうとする。(漫画みたいなだと思ったけど映画だから同じようなもんか)このあたりが高度成長社会における日本ビジネスマンの風刺的な表現である、と他のレビューに書いてあった。今ではそんなこと試みそうなのは反社会勢力とその予備軍のDQN達だけだろうな。映画的表現とは言え時代を感じる。活気があります。

    新幹線が無事に止まった後、みんなで万歳三唱しながら近寄っていく場面なんかも、今なら映画にも登場しないだろうし、実際にもやらない。映画の演出でやらなくなるんではなく、世の中から消えていく。万歳って選挙のニュース以外ではもう見かけないんじゃないか?活気活気。

    全般的にテンションの高い、緊張感のある展開が続き、長めながらも飽きないと思います。また、実際に起こったら他に何か解決策がないかな?なんて考えながら観るのも面白いかもしれません。ヘリで乗客を吊るには時間も足りなそうだし、電線が邪魔そうだなー、なんて。でもね?現在でこれやられても解決策なんぞなさそうなあたり、新幹線という非常に日常的なシチュエーションであるあたりが手に汗握る要因でもあると思います。

    スマホでググって解決した、なんてことになるかもしれねえのも現代ではありますねけど。

  • ふでのゆくまま

    ポケットを叩くと

    本日もお疲れ様でした。

    帰路、広い道の横断歩道を渡り終えるにあと数歩、何かが踵に当たり、ちゃりんと音を立てた…気がする。あまり気にもならなかったが、一応振り返ってみる。安い合皮の靴…いわゆるビジネスシューズとか言われるようなものを履いている。どうやったら踵に物が当たるんだよ?見ると、アスファルトの上に、長さ10cmにも満たないだろう、くすんだ銀色の金属片が転がっているのがすぐに分かった。例えるなら鍵みたいな。

    少し身を屈めて近づくと、実際に鍵だった。こいつは俺の部屋の鍵だエウレカ。信号が青に変わり、車が動き始めていたがこれはスルーできない。急いで拾い上げる。手に取って眺めると、間違いなく自分の部屋の鍵だった。スラックスのケツポケットに入れているんだが、落ちたか。しかしどうやって。まあ取り敢えず逆のポケットに入れて、帰宅。ふ~じこちゃ~ん~~みたいな勢いでスラックスを脱いでポケットをまさぐると、そら落ちるわ、内側に穴が開いている。辛うじて鍵がするっと通り抜けるほどの穴だ。落ちたその場ですぐに気付いてよかった。もし音楽聴きながら歩いていたら、雨の日だったら、スルーしたかもしれない。あんな交通量の多い車道の上では、駅で気付いて戻っても気付くことはなさそうだ。助かった。

    その穴が鍵により開いた穴であろうというその証左に、他に一切ものを入れたことがないポケットだ。そしてまたその鍵はと言えば、キーホルダーに繋いで剥きだしでポケットに入れていた…。それで鍵と布が擦れて穴が開いたのだろう。厳密に言えば、穴はだいぶ前から開いていて、通り抜けるほどのサイズになったのがここ数日、と言ったところだろうか?常に持ち歩く必要がある鍵が一つだけなので、運ぶに関してはケースに入れる様な発想はなかった。しかしこんな事故が起きてしまうと、キーケースに入れたほうが良いかなと考える。検索に寄れば、キーケースというのは鍵が複数個しまえるサイズのものが主だったラインナップのようだ。それはスラックスのケツポケットに入れるにはあまりに大きい。じゃあ鞄に格納する運用にするか。じゃあケース要らないんじゃね、という疑問は一旦脇へよけて…そのかばんを持たないで外に出る時に、鍵を家に忘れそうだ。ところがオートロックドアじゃないので、うっかり持たずに外に出ても締め出される事はない…あ、鍵持ってないわって部屋に戻ればいいだけ。

    鞄を持ち出して、鞄を持たずに帰ってくることはない。しかし、盗難に遭うかも、あるいはどこかに忘れるという可能性はある。そんな時でも家には入れるように、というのがケツポケット運用なのだ。だってズボンを忘れて帰宅することもズボンが盗難に遭うこともない。しかし落とすかもしれない。実際に落とした。何より取り出すのも簡単だ!みたいな主張は日に1,2回の出番で主張するものでもないな。

    ポケットを叩いても鍵のチャリチャリ音はなく、おっさんの肉でパフパフが返ってくる。いまだに左のポケットをパフパフして、あ、こっちだったって右をチャリチャリしている。運用変えて鞄にしたら、本当にあるかなーって確認するのは面倒臭くなる。世間の鞄運用の人は、確認面倒くさくないのか。あるいは確認自体しないのかな。

    鞄に穴開いたりしない?(しません)