-
とりとめなし子
痛恨のミス、芳香付きのトイレットペーパーを買ってしまった。
たぶんアレルギー反応なんだと思うんだけど、特定の匂いで鼻水たれたり、喉に圧迫を感じて息苦しくなったりする。他にも芳香付きのエアコンフィルタを掃除するスプレーなんかもダメだ。森の薫りとか宣ったりしているが、ひどい話だ。部屋にそんな香り振り撒いてどうなるってんだ。虫でも呼び寄せるつもりかおい。とにかくこのトイレットペーパーはとても耐えられそうになかった、このまま部屋に置いておくだけで具合が悪くなる。核廃棄物か。捨てるにしても回収日までどうしようもなく、もうベランダに置いておくしかないかな、と結論する。そのまま積み上げておくってわけにもいかないから、大きめの袋が何かないかとゴソゴソとする。お、都合の良いことに布団圧縮袋があった。これなら匂い漏れないんじゃないか?圧縮袋に放り込んで封印してみると、放射s…匂いは漏れてこない。平穏が訪れた。室内に置いても平気だ。こうなると捨てるには勿体なし、全部使い切るまで厄災と共に暮らす。日本のこころ。
にしても邪魔だな。12ロールて。冷蔵庫なんかに入れるスペースもがあれば…。数個なら入れておけるかな、とか、冷やしたトイレットペーパーでケツ拭いたらどうなるんだろうとか狂った発想して冷蔵庫を開けてみる。開けた瞬間に阿呆かってまた閉める、刹那、納豆のパックが横倒しになっていた。こいつもそもそも強烈な匂いを発するが、日本人庶民である自分にはまあなんてことない。ここ数年はたまにしかお米炊かないので、ホクホクの納豆ご飯も月に一回といったところか。20代の頃は毎日でも食ったもんだけど。この納豆、店頭の品ぞろえから大粒の商品減ってないかと思う。棚に並んでいるのはどうも小粒ばかりだけど、何か小粒人気の理由でもあるんだろうか。もう十年も昔だと思うんだが、塩ゆでしたソラマメじゃね?ぐらいのサイズで売られている商品があって、大層美味だったのを覚えている。なんかこう…口に入れた時のいかにも豆を食っているという感覚が良かった。そんなもんでなるべく大粒を食べたい、というその一方で、実はひきわり納豆もお気に入り。あれはあれで別の口当たりが面白いなんてね。豆腐にひきわり納豆をのっけて醤油かけて食う。大豆オールスター。
ああそうか、大粒になるまで育てるより、小粒のままで納豆にしてしまったほうが生産コストが安いのではないか、と思い当たった。あるいは育っても小粒の品種なのかもしれない。そもそも、大豆にも品種はあるだろうが、どんな種類でも汎用的に納豆や味噌や豆腐に使えるものなんだろうか。ググったらどストレートなページがヒットした。大豆は割とどんな土地でも育つ上に、栄養も良いなんて耳にする。神がその設定をミスったとかいうジョークもどっかで見かけたな。
あ。そういえば、数年前に自分で納豆を作って食べたのを思い出した。これならそこそこの大粒にするのは簡単な筈だ。当時もネットで調べて作ったんだけど、今なら100均で置いてそうな小さい保温バッグと懐炉でもうちょっと(素人考えでは)理想的な環境で作れそうに思えてきた。もう一度やってみようか。しかし自分が作った時のメモを見返すと、密閉するのは良くないらしい。発酵には酸素が要るらしい。尤もな話だ。保温バッグに匂いが付くのもアレだし、また段ボールでプチ温室を作ってやってみようかしら。
もしかすると、人生で初めてパプリカを買ってきたかもしれない。ピーマンと比べてだいぶ皮が厚い。しかして作ったものは、ピーマンとパプリカの違いを感じる様な調理ではなかった。ピーマンでよかったやん。値段が高いだけだった。
「めしにしましょう!」という漫画の最新、第6巻をお買い上げ。大好きな作品だ。ちょっとパラメータの扱いをバグらせた料理というテーマも面白いし、作中の人物や与太話パートなどが昔のこち亀を思わせるのも実に良い。若干インターネッツに寄せた与太話のアレンジが、心にしみじみとする。時をほぼ同じくして、闇金ウシジマくんの最新刊を買う。真逆、という内容のこの2作品だけが、ここ数年読んでいる漫画。
いま気付いたんですけど、このブログのヘッダーのスライドショーなんか動作怪しくないですか。画像は三枚ともお気に入りなんだけど惜しいな。
おっ。画像。ここでカメラ欲のご紹介です。パソコンの更なるパワーアップを考えておったのですが、注目商品があまりに高価で手を出す気になれずその他もろもろパワーアップしたらどうなるかと算盤叩いたら40まんえんとかなりそうなので流石にやめました。ではカメラを買ってみてはどうか。世に言う「デジタル一眼レフ」に属するものですね。こちらも何も考えずに「これ良さそう」という情報だけ「欲しい~」っつって追うと15まんえんとか言われるのです。ご予算の見切りが付かないというところと、奮発して買うにしてもGOProで良くねえか?というあたりが根本的な問題。迷っているうちの楽しさよ。
カメラに凝ったことなんてないので、自分に見合ったものを探し出す方法自体が不得手である。自分が良いなーと思う写真を山ほど並べて、その使用機材の情報を当たる、というのもたぶん定番なんだろう。今ではプロの画像も、趣味の画像も無尽蔵にネット上にあるんだ。こちらは腕前が素人だから、機材が同じでだからって自分が撮ってるような写真にはならないんだろうけど、どれだけ自分の思い描いているものに近いかぐらいは参考になるかも。
-
とりとめなし江
ちょっと値段の高い(ゆーて500円ぐらい)柚子ポン酢を買ってみたら、これは失敗。いまいちだった。柚子の風味が強すぎてどうしたら良いものか、困り果ててしまった。豆腐や生野菜にかけても強烈な酸味がすべて消し飛ばす。転用も思いつかない。焼酎をポン酢で割る気にもならないし、湯船に垂らして香を愉しむ気にもならない。重曹を塗った後にぶっかければシュワシュワと汚れが落ちることもなく。自分にはどうにも、爽やかな風味を超えて、刺激的な香辛料の範疇でありました。かと言って捨てる気にもならず。ここは湯豆腐ならどうだろう。一気に消費してしまえと思えど、実際のところとーふに温められて更なる香気でげふげふと喉が破滅した。黙示録に曰く、あの馥郁たる香りとはきっとこんなのだ。香炉より立ち上る1デナリの柚子ポン。あゝ、ラム肉に合わせれば良かったのか?オリーブオイルでジュワジュワと。なんのことだ。残り200ml
石鹸がなくなったタイミングで、ボディソープを導入した。コストやら効能やら便利さなどは置いといて、取り敢えずやってみようというだけの話。風呂で顔を洗おうとして、一瞬固まる。体はボディブラシで洗っているんだけど、顔は素手に決まっているわけです。今までは石鹸を手のひらでゴシゴシこすって泡立てて顔にぬりぬりと。同じことをボディソープ液ですれば良いのだけど、この微妙な抵抗感はなんだろう。お料理前に手を洗いましょう♪なんて時も、ボディソープをこう…いやその、なんか…。キレイキレイをお買い上げしました。今まで石鹸で全部済ませていた洗浄が、ボディソープになった途端に分業となりました。洗顔フォームまで揃えるつもりねーぞああメンドクセ。いつの日か、全身歯まで含めてこれ一本で、という商品が世に出る日は来るでしょうか。
何処にもアピールする機会などないが、お弁当系男子デビューしてしまった。初日はポテトサラダをタッパーに詰めた。作り慣れたメニューだし、運ぶのも簡単です。そうだ、買ったけど一回も使ってないお弁当箱あったよな~~~ってゴソゴソしてたら、嬉しい発見。内部が断熱加工された適度な大きさの袋状入れ物がセットの商品だったのであります。この入れ物が程よいサイズでタッパが二つちゃんと収まる。マジックテープで口が止まるようにもなっていて、使い勝手が良さそうだ。いつかアツアツのものを入れて、お昼にも暖かいか試そうか?しかしアツアツのままタッパの蓋をするのはどうだろうか…。先ずは缶のコーンスープとかで試そうか、いやいやそんなもんで試した結果が何の参考になるのか。うーんうーん。
何をウキウキしているんだ中年男性。
前の日の夜に作ったものを冷蔵庫から取り出して持っていく、という事に成らざるを得ない。だって昼ご飯の為に早起きは辛い。人権の侵害だ。そこでお弁当のメニューは、冷めても良いものに重きを置きたい。勤務地に電子レンジはあるにはあるのだが、諸般事情があって、使えない前提で目論んでいる。しかし冷静に考えてみれば、一度調理してしまえば、冷めたからって食えないものなんて存在しないな。お昼までの数時間経過で衛生面に問題がなければ、まあなんでも良いだろう。
さて、先に挙げた入れ物に、タッパは3つぐらいまで運べそうだ。ちなみにタッパとは、少し前に買ったジップロックの丸い奴。四角いのよりも蓋がきっちりしまるので安心。これを、内部が断熱加工された適度な大きさの袋状入れ物にいれて、普段使っている鞄に詰め込んで持っていく。電車の中では、鞄は棚に横にして載せてしまうことが殆どであるから、食べるまでの間に横倒し、あるいは逆さになることを許容する必要がある。わざわざお弁当用のバックなど持たない。毎回タッパ3つも作っていられないが、その一つをご飯にすれば実質2つ。しかし…弁当持ちを何日かやってみて、二つで十分、足りない予感があれば道中でおにぎりでも追加する、という方針も有力なんではないかと思った。炊飯したほうが安いだろう。
炊飯器は20年物で、普段は米を炊かなくなっても5年にはなる。これでかなり炭水化物と糖質減らせてるはずなんだが、その5年、別に米を食べることまで禁じてはおらず、体調の維持に寄与したのかは疑問である。特にお昼ご飯はお弁当でも店に行っても、必ずご飯食ってた。ここで弁当を持っていく、ぐらいの理由でまーた米を炊く生活始まるのはどうなんだ。やめよう、やめよう。
などと思いつつ、マフィンに何か挟んで食うの面白そうと思い付き、さっそくチーズとバターと玉ねぎとベーコンと…。結果、しマフィンの粉がまき散らされて食後にウェットティッシュでお掃除が必要だった。蕎麦も試した。朝茹でたそばをタッパーに放り込み、好みの濃さに調整した麺つゆを凍らせたものを載せる。お昼時にはどんな仕上がりになっているかと思ったが、冷たさすら感じなかった。まあ今の環境では当たり前の話である。ワンチャン冷え冷えの蕎麦が食えないかと思ったが、そんなテキトーな工夫ではだめだよな。まあ蕎麦が好きな人ならみんな試しているんじゃないのーってね。
新しい事を始めると筆が進むもんだ。しかしこれは食い意地とも言ふ。
-
“All or Nothing”- Manchester City を観た
Amazonプライムによる作品。イギリスのプレミアリーグに所属するサッカーチームの密着系ドキュメント。想像していたものを遥かに超えるクオリティで、世間で評判になるのもわかる。その理由も何となくわかっていく過程がまた楽しいというか…サッカーに詳しくなくても楽しめます。流石に簡単なルールと用語ぐらいは知らないと盛り上がりに欠けるかな。
画面が広く、明るい。
自分が過去に見た事のあるスポーツのドキュメントって、あくまで記憶を頼ったイメージでしかないけど、なんというか暗い。インタビューはホテルの部屋。トレーニングは小屋の中、リハビリは診療室。ところがこの作品はあかるい。広い。この作品の舞台は世界で一番人気のあるスポーツの、レベルのかなり高いリーグで、わりと資金にも余裕があるであろうチーム。そういうチームの裏舞台や設備なんかが見れるだけでもすげーーーってなる。
ドキュメンタリーが張り付いているのは選手たちだけではない。何よりもチームを率いるジョブズ系の見た目の監督と、巨大なチームを支えるスタッフたち。なんなら追加で、NBA選手系の見た目のオーナー。そしてファン。このブレンド具合が絶妙。うちのカーチャンみたいな初老の夫人がチームのユニフォーム着て嬉しそうにキャピキャピ語るような場面など、実に印象深い。
映像が美しいとか綺麗とか凝ってるとかそんな話は言うまでもなく…。兎に角素晴らしい。そして、何より見ていて楽しい。そして、実に爽快だ。その理由は何と言っても、上手く事が進んでいる勢いのあるチームに密着出来たということに尽きると思う。マンチェスター・シティはこのシーズン、いくつもの記録を打ち立てている。圧巻のシーズンだったわけだ。それを言うなれば身内の視点で楽しめる。何より活力を得られる気がする。世間に非常に好評なのは、この爽快感にあるんじゃねえかなあ。
という事はプレミアの他のチームのファンが見たらぐぬぬぬぬってなるんだろうか。自分は特に贔屓の選手もチームもないので素直に楽しめた。スポーツ自体破滅させたい!ような思想を持ってない人なら、これはほんとお勧め。Amazonオリジナルの企画だから多分無料で見れる期間ながいよね?年末年始とかに良い。
-
「マイノリティ・リポート」を観た
面白いじゃん!毎度適当に書いているのでタイトルを原題にするのかカタカナ書きにするのかすら覚えがない。以下ネタバレ要素あるかもしれないけど15年前の映画だしよいですよね
普通の近未来SFでありますね。公開が2002年なので、スマホは作中に登場しませんが、変なジェットパックで空を飛んでくんずほぐれつアクションシーンがあったりします。SF映画でしか味わえない混沌なのかもね、この辺は。製作者、あるいはまあ、世間一般の人も入れて?未来をこんな風に、なんとなくこうなるだろうと予見していた世界。
この作品も予見が一つのキーなんだけど、つまりは管理システムの完全性がどうとかいう…またこれですか、というテーマ。ジュラシックパークもそんなじゃなかったっけ?2001年のテロ騒ぎからそう時間が経過しておらず、当時の政治的方針である国民管理体制強化への問いかけを含んでいる、とwikipediaには書いてあったがどーだか。この作品(というか原作?)のタイトルからも「切り捨てられる少数に真実が含まれるということもあり得るのですぞ」という、ぬか漬けの底に沈んでそうなほどに飽き飽き飽きする毎度の指摘が為されている…と理解する。多数決と少数意見みたいな場面では現実世界でこのテーマを放り込んでも「そりゃそうだねそういうこともありますね」でプリっと放り出されて終わってしまうもんです。それを便利に思って映画でも何回も使いまわされているんじゃないかとすら思う。結論が出なくても現実世界どおりですので、と言えるし、映画であるからにはHuh?みたいな結論でも良いんです。
ところで、一番印象深いシーンは、街中の広告が個人に話しかけてくる場面だった。街頭の”ポスター”がこの前買ったXXXはどうたった?なんて話しかけてくる。今でも似たようなことはブラウザやアプリの中だけではあるが、起こっている。いろんなサイトがグレーゾーンのまま放置されているしきたりに沿って個人向けの広告を表示している。2002年時点にもこのような広告配信はあったかな?インターネットはもりもりやっていた筈だが覚えてない。
この、覚えていないというのが怖いんだろう。今は実に露骨にamazonで探したものがfacebookの広告に出てくるなあ、なんて普通の事として受け止めてしまっている。そんな分りやすい場面ではなくて、もっともっとこう、絶妙なところで自分のリポートが活用されているとすれば、覚えなどなくて当然なんだ。考えてみれば不思議だ。なんで2002年のSFが僕のウォッチリストにあるんだ!?あっ。怖い。トム・クルーズのファンでもスティーブン・スピルバーグのファンでもねえぞ。アッアッ怖い。
まあAmazonプライムで無料になったのを適当に放り込んでいるだけなのだが、これでこの人はこういう作品を好む傾向がある、なんて分析が始まってしまう。再生してすぐにやめたのはどの作品か、飛ばしながら最後まで観たのはどれだ、二回観たのはどれだ、次にこいつが金を払ってまで観る作品を並べておこうなんてな。このユーザーはレコメンドを断る傾向があるからほげほげ、なんてぐらいの手の込んだ仕掛け、実際に導入されているのではないかと個人的には思う。商品広告の話を充実させてもなんかアレかな。
もう一つ、ストーリーのキモである預言の玉がなんかちゃちいのも面白い。ぐるぐるとウォータースライダーみたいなものを通って出てくる。普通にぼとっと落ちれば良いじゃねえかwなんて思った。玉には木目があるから偽装が難しいみたいな説明場面が作中にあったと思うが、この辺も今なら多分偽造可能なんではないかなあ。
「貴方はこの選択肢の中からこの商品を選ぶでしょう」という話から、「あなたはXX日XX時に人を殺すでしょう」というレベルに至るまでにはまだ隔たりがあると思われる。レベルの問題か?しかしどこかで実現に向けた努力がなされているんじゃないのかな。だってどう防ぐんだよ?
オウムは別かもしれないけど、その他は数分前に、なんなら作中みたいに数秒前にでも身柄を抑えれば何事もなかったようななるだろう…。しかし事のあらましを把握してからそんなことに思索を巡らせてもなあ。結局は予知なんて本当にできる余地があるのか、という所に帰結するように見える。渾身のジョーク。よしんば本当にできたとしても、ある日突然に警察署のほうから来た人に連れ去られて死ぬまで自由がないという世界を受け入れるもんだろうか。受け入れる人はどのぐらいか、という算出ももはやAmazonさんやgoogle先生の仕事であり、真実は雲の中といったところか…。
誰だって自分はそんなことをしないと思って生きている。この発想はマジョリティよねきっと。
-
「たとえる技術」を読んだんだけど
えーと…これは…大喜利でしょうか…。ネタ本なのかも判別がつかなかったので、たぶんタイトルは釣りですテヘペロみたいな?
いろんな感情や行動を表現する言葉に、その程度を伝えるべく「たとえる」という方法を使いましょう、という体裁だと思うんだけども、さすが上手い事いうなあ、みたいに感心できる部分がほぼなかった。編集方針なのかもしれないけど、「~~~のように」だけで進めたからこんななんかアレな感じになったんでは。せめて本当に技術的なトピックでもあれば読んで面白いのかも知れなかったと言えなくもない感じがなくもなかったとおもえなくもないこともないのだが。