• えさのじかんだ

    めし短観2023年4月

    大豆肉は食べてみればそのネーミングにも納得できるほどに肉の味がした。でも、大豆「魚肉」は流石に?と思ったけど、実際食べてみたところ、自分はいったい何を食っているのか戸惑うほどに大豆でも肉でも魚でもなかった。φのたべもの。未来の食い物。安いカマボコが一番近いか?期待通りに期待外れだったので、ぽぽぽいと一気に食いつくして終わり。

    https://www.nipponham.co.jp/products/processed_foods/other_deli/23395/

    「インカのめざめ」なるじゃがりこを入手する機会があったのでもぐもぐ。美味しいがインパクト不足というか…。本記事を書くにあたり調べたら、じゃがりこじゃなくて、ジャガビーだった。これはどうでもよろしい。ちょっと甘みを感じて、じゃがりこ従兄弟の「さつまりこ」にかなり近い味わい。

    https://www.calbee-potato.co.jp/products/processed/inkanomezame/

    卵が高くなったとかなんとか。自分の記憶では、子どものころと比べたらここ10年ぐらいの相場で既に倍ぐらいになっていると思う。栄養満点で肉や魚より日持ちもするし調理も簡単保存も簡単。冷蔵庫には専用の収納スペースあったよね?ドアにくぼみの並んでいるやつ。今の冷蔵庫にもありますかね?そもそもなんでそんなに安かったんだろ。

    塩漬けわかめを買う。特に意味はなく、きまぐれ。塩抜きして…びろろーーんと長いので包丁で切って大根おろし山盛りで頂く。確かに乾燥わかめのほうが使い勝手は良いけど、こっちのがわんたんみたいなサイズで美味しいかな?なんかネタになるようなレシピでもないかと探すも、目に付いたのは天ぷらぐらいか。やめとこ。

    んで、この塩蔵わかめを切っているときに、キッチンバサミの導入を検討していたのを思い出した。いちいち持ち替えたりするより包丁が楽だろうと思っているし、どういう時に使うのかシミュレーションしてみても…ちょっといまいちなあ。カニとかエビの殻という使用例が見つかるけども、そんなもん買ってこない。春雨や白滝という情報もあった。茹でる前の春雨を半分に、というならわからんでもない。白滝ってまな板にぶちまけで包丁で切るれば良いんじゃないのかな…ハサミであるからには中空にあるものを切ることになると思うんだ。白滝みたいな細い糸でそれって…???🤔

    ネギを雑に輪切りという事例も発見。ああ、これはわかる。鍋の上で切り落としつつそのまま鍋にいれるのだな。とんじるとか?あとはーーーえー。思いつかなかった。まさか梱包を開けるのに使うなんて言わないよな…それはキッチンに置いてある文房具のハサミだろう。自分もおいてあるわい。気になってしょうがないので利用事例を調べてみると、以下のような感じでありました。

    でかい昆布を切るとか(買うわけない)、刻みのり(これは流石にハサミだけど刻みたいことがほとんどない…)、鶏もも肉(まな板を使わなくてもいいという画像と共に、金属のトレー?バット?を使って切っていた…?洗い物増えとるやん。スジを切るときには便利か)、パセリ(手でちぎれ)、麺とか牛乳みたいなパック(…いやだから…食材とパッケージを同じはさみで切るのか?)

    わかりませんでした。もうちょっと考えると…包丁を使いたくない、あるいは包丁を使う事に困難な身体の事情があるならば、キッチンはさみも便利だと理解。怪我のリスクは圧倒的に少なそう。あとはキッズのキッチンデビューとか?…いやいや、これはそもそも刃物を使わない仕事と相場が決まっておるのです。

    最初はたまご、目玉焼きから。

  • どくしょかんそうぶん

    「サウスパーク無修正映画版(字幕版)」を観た

    何かあれば権利と神を主張して暴力で解決すればいい市民の国の作品だ。面構えが違う。でも子どものキャラクターに卑猥なセリフを言わせて、それがどうしたっての?ブラックユーモアに理解が無ければ怒って終わりだろうけど、仮にそういうもの受け入れる態度で臨んだとしても、食傷と言うかなんというか。雰囲気だけ物々しい座り込み抗議行動眺めたら、きっとこんな感じじゃねえか。なんたらを許すな!打倒なんたら!

    正直に言って、冒頭まもなくオマンコとか字幕に出てくると「これは酷い」と大笑いした。確かに吹き出してしまうんだが、しかしこんな感じで延々続くのでしまいには薄気味悪くなる。「何か風刺のつもりなんだろうけど…」と思いながら見ていた。しかしフセインのくだりで「あ、ただの悪ふざけか」という印象を抱いてしまって、あとはずっと冷めた感じで少しずつ飛ばしながら最後まで観たことにした。あーはいはいクリトリスがしゃべったねーすごいねー。しょーもな。

    どころどころで歌って踊るのも、意味が分からなくてちょっと困惑した。考えてみると、サウスパークというもの自体が、児童向け番組のパロディというか、そういう番組だという体のままで、悪ふざけをする作品なんじゃないか。だったらもろもろ納得できる点も多い。”健全な”番組でも、うたのおねえさんと一緒に、ABCの歌とか歌うんだろう。そこも真似て悪ふざけしましたと。じゃ、健全なほうの番組を子供の頃に観た人が、大人になって本作を観るとより一層ばかばかしくて面白いというつくりだろうか。

    無修正版があるということは、当然、世間にお披露目済みの修正版があるだろうと思った。本作の一番の見どころがこれら卑猥な暴言だというのなら、修正版の内容って一体…???ググった感じではそもそも存在しなかった。原題は「South Park: Bigger, Longer & Uncut」らしいので、いっとき流行った「なんとかthe movie」みたいなニュアンスと宣伝文句的なニュアンスで「無修正映画版」になったんだろう。

    元来のシリーズのファン向け作品なんだろう。ネットの評判を探ると、日本語吹き替え版は素人芸能人が吹き替えしてるので非難轟々。まあこれはいつものこと。打倒素人声優!

  • ふでのゆくまま

    グレゴリアンミン

    なんだろ、アップテンポの曲でgregorianが口の動きがはやいってだけで面白いと思ってしまう。別にこの曲だけ特別はやいわけでもないのだが。

    一晩中、台風みたいな風がごんごんと吹いていた夜があった。不安を覚えたわけではないと思うのだが、どうにも寝付けずにいて。自転車が倒れた音とか、缶が吹っ飛んで転がる音が絶え間ない。…絶え間なすぎてスマホで情報チェックしてしまう。結果とんでもない寝不足で翌日を耐える羽目に。

    高校生ぐらいから、寝るときの服装はいわゆるスウェットやジャージなんだけど、たまにパジャマがお勧めされている広告を見かけることがある。ひねくれものには珍しく、自分も導入してみるかな?なんて思ったのです。でも、一張羅ってわけにもいかないだろうし、夏と真冬で同じもの着るわけないし、結構な枚数を用意する必要ありそうな。それに、寝ている時に着ているスウェットでコンビニや薬局、お散歩行くことはぼちぼちあるけど、パジャマでそれをやる気にはならない。お着換えめんどくせえと思ってしまう。幼児かよ。そりゃあキッズの頃は着ていた記憶あるよ。でも自分で服を買ったり、洗濯して収納して引っ越しして、なんて重ねると特段所持する気持ちにはならんかった。

    まあ、そもそもどういう理由でお勧めされるんだろうか。一般的な衣類の一種ではあるんだから、一般的な商品で代替できると思うのに、長らく寝るとき専門みたいな用立てがされるには尤もな理由がある筈だ。

    https://www.gunze.jp/kigocochi/article/1k201906-01/

    最初のフレーズで「その特徴は完全におれやないかい」と思った。売り手側も、買わない人がなんで買わないかを把握している。これは明白だ。うんうん、と頷かせたあと、そこに続くのは製品を作って売っている側の言い分なので、当然ながら良い事ばかり並べられている。要するにルースで吸水性の良い生地を着て寝ろということだった。そんなもの、pyjamasなんて言わなくてもいくらでもありそうだ。ありそうだけど、それを探すにはどうすれば…🤔パジャマというキーワードを使わずに寝るときの服を探すキーワードが何かあれば、その発見だけで新商品になりそうでんな。ぐぐるとそういう発想と思しき衣類はいくつかみかけた。それらすべて、「要するにパジャマ」と説明が成り立つので、パジャマの牙城を覆すのは難しそうだ。

    グレゴリアン服どうかな。

    雨の休日。あさイチの洗濯物が一回で収まらないぐらいため込んでしまった。まだまだ梅雨も先、春の一日でございました。

  • どくしょかんそうぶん

    「一発屋芸人列伝」を読んだ

    誰が言ったか「一発屋」

    すっかり定着した言葉だと思うし、結構古い言葉だとも思うがどうだろうか…。「D万円」とか「ザギン」とかそういう言葉と同じような経緯かな。特定の界隈の身内で通じる符牒が、世の中に広まったのかしらん。

    一発しか世間を揺るがさなかったが、少なくとも一発は揺るがしたと言える。あるときにはふっと名前を、顔を、ネタを思い出されることがある。そんな「一発」まで到達すること自体が、とてもとても難しい。本書に列挙された芸人も、記憶に残っている名前が目立つ。ハローケイスケ、天津・木村、ムーディ勝山の3名は知らなかった。知られてないなら、思い出されもせんやないっかーい(カチーン)

    名前に心当たりのない芸人の部分は読み飛ばしてしまったが、それ以外の一発屋芸人のエピソードには、ちょくちょくネットのどこかで読んだようなものもあった。きっとそれらのネットで見かけた文章なりなんなりの情報源に、本書も含まれていたことだろう。それでも飽きずに読むことができたのは、著者の筆力(ふでぢから)に依るものが大きいと思う。著者自身も一発屋の名跡であり、その大看板を背負いつつ、ちゃんと一発屋当人たちに取材した賜物でもあるだろう。コントや漫才を作る芸人というのは、どこか文筆やらトークやらに長けているイメージがあるよね。

    一見、安易で稚拙と思われがちな彼らの芸だが、全く脈絡もない二つの言葉を並べ、韻を踏み、かつ笑いも取れるこの”大喜利”の難易度は高い。何故なら少しでも「意味」が生じた瞬間、ただの駄洒落と堕すリスクを常に孕んでいるからだ。そもそも、意味を見出し思考の拠り所とするのが人間の本能。それを避けて通る彼らの押韻スタイルは、誰にでも真似できる代物ではない。

    本書「ジョイマン」の章より

    各章ともに実に読みやすい。一発に至るまでの経緯はどうか、一発が炸裂中の生活はどんなものか、その後はどうなったか。そしてどうやって現在に至るのか。そう、「で、今は何してますの?」で終わりにせずちゃんと面白そうなエピソードを紡いで人となりを掘り出していく様子は、まるでスーパースターへのインタビューだ。いやいや、一発だけではあったが、スーパースターにな(りかけ|った)人たちではあるのか。「ジョイマン」の章は白眉であると思う。自分は彼らジョイマンが人気だった当時というものを知らない。amazonでやってた「ドキュメンタル」において、ジョイマンの高木の写真が笑いを誘う仕掛けに使われてから存在を知った。誰やねんて。著者は一発屋にフォーカスした本書で彼らを「0.8発屋」と認めた。それを由としている。一発に至っていない触れやすさ。いじりやすさ?そうしてそこに居るだけでいいという境地。扱いが伝説の域じゃねえか。志ん生か?

    「近頃わ御夫人もナナナナーなんと申しましてな」

    ところで。本書の構成。当人に取材を申し込み、直接会ってインタビューと言う構成から想像するに。インタビューを断られた芸人もいたのではないか。一発屋と言われてたまるものか、と憤った人もいるんじゃないか。自分はまだ一発当ててませんから、と遠慮した人もいるんじゃないか。具体的な名前が想像できれば面白いと思ったが、出なかった。病気の子供はいないんだね論法でこれを由としたいが…本書の取材時期は、内容にぽつぽつ出てくる日付から拾うと2016年から2018年ごろのようだ。それから数年経過して2023年となった現在、新たに一発枠になってしまった芸人も確実にいるんじゃないかと思う。その芸人の名前をオカンが忘れてもうてー。

    大スターを夢見て芸人の道へ踏み入れた人たちには、一発屋というのはうれしい肩書ではないと思われる。二発目、未来がないと思われているということだ。でも、そんな人いましたねって、思い出に浸ってしみじみするのが妙に快い気分になる。ああ日本人的な情緒なんじゃないか。もののあはれ。

    知らない芸人読み飛ばした癖に何を言うか。


    正直に言えば、新たに一発屋枠になった芸人としてピコ太郎を思いついたんだけど、ピコ太郎のキャラが”芸人”と言われると違和感覚えるし、まだタレントとしてCMキャンペーンなどに起用されているみたいなので、「一発屋芸人」には当てはまらないのかなあと。底ぬけAIR-LINEのキャリアを含むのかとかそんな話もあるもんね。

  • ふでのゆくまま

    うめはさいたしさくらもさいたし

    どこかの裏路地を通り過ぎて、ああ桜がもう咲いているな。いやしかし、桜の名所的な通りには咲いてる気配もない。これは梅じゃないかって。「〽梅がさいたか、桜はまだかいな」花びらの形とかでわかるらしいけど、そんなよそ様のお宅の庭に踏み入って眺めるわけにもいかず。考えてみれば、梅も桜も毎年植え替えるわけないんだから、去年もきっと同じような場所で、同じようなタイミングで梅が咲いているのに気づいてたんじゃあねえかな。気の早い桜もあったもんだ、なんていいましてな。

    「咲き誇る」という言い回しがある。その言葉の由緒正しい、元来の意味はよくわかってないけど、桜には似合う表現だと思う。桜の木はデカい。町の大きな通りにずらっと並んでいたりして、それが一斉に開くと視界が白く染まる。桜並木ってやつ。それとは逆に、住宅街の公園なんかに、ぽつんと1,2本あるのも良い。夜明けのお散歩中に白くぼんやり浮かんでいるような佇まい…。日本人的な情緒ということか、あるいは単に老人の感性か。

    昨日も雨、今日も雨、明日も雨、という週末に、洗濯物が軒先に釣るしてあるお宅を見かけることがある。流石に雨ざらしではないのだけど、なんで外に干してあるのか。コインランドリー無いのかなあと思うと二つ先の角にあったりして。確かに自分も雨になってはコインランドリー面倒だった。梅雨時であるとか、雨が降りそうな空模様であればコインランドリー行くのだが、いざ降り始めてしまうともう行く気にならないもんだった。当然混んでるし。除湿器はいい買い物だった、というか除湿器無しで俺は何年もなにをやっていたんだ…。下着と靴下だけでもなんとかならんかーって、ドライヤーで乾かしたりしてましたねーーー。

    自分が不便だなと思っていることに対して、あっさり改善するグッズって案外実在する。本当に簡単に手に入るようなもの。そんな便利なら、誰か教えてくれよ!なんて嘆いてしまいそう。webやそこらの交通機関で目にした広告にもそんな商品の情報が載っていたりしたことだろう。しかし興味がないからスルーする。後ほど検索したりすると、この広告みたことあるかもなあ、なんて商品にたどり着いたりする。まんまとお買い上げで思う壺ぉん。

    あらゆるもんがネットで買えるようになって、…長い事そうしていると、商品の選び方がすこし変化したかもしれない。昔はそこらの店で買えないものが買えてありがたい、というだけで買ってみるに値した。最近は最大手Amazonでも質の悪い、あるいは弩ストレートに詐欺商品が送られてきてしまったりすることもあるらしい。最低限そういうのを避けるのは容易ではある。リスク軽減のノウハウがある。でも、「これよさそう!ぽちっ♪」で済む手軽さがネットお買い上げ一つのウリでしょうよ。支払いと自宅への配送手続きまでもぽちっで済んでしまう手軽さが。

    しかし結果として、よっぽど”ネット上で”評判が良いと確信できるものだけ買いがちになった。あるいは失敗してもまあ良いか、というもの。遊び半分。あとは流石に商品の質には差が無いもの。箱売りの飲料が典型。こんなものあればな~ってもの、買ってない。探すことも無くなったというのであれば、暮らしが大変便利で申し分ないということになるんだろうか。そんなわけあるかいな。

    “ネット上で”の評判というのは、販売サイトのレビューではなく、ここのように場末のブログで、納得できる理由で商品の良しあしが書いてあるようなもの。そのほうなレビューのほうが、信頼に足ると思っている。販売サイトの、はっきり言うとAmazonのレビューなんて多くが役に立たない。主張が意味不明だったり、ちょっと規格の違う複数の商品のレビューが同じ商品のレビューとしてまとめられていたり。購入者に質問が出来るという大手らしい便利機能もあるが、質問と答えがかみ合っているほうが少ないという体たらく。実際に使ってない人には伝わらないだろうけど、サクラも多すぎる。商品に「星5の評価をしてくれたらAmazonギフトカードプレゼント」なんて紙切れが同梱されたりする。そういうものに応じる人も、世の中にはいるんだろう。

    いっそ、そういう情報を専門としているようなアフィリエイトサイトの情報はどうだ。その存在自体がサクラという時代もあったんだろうけど…まともに記事を書いているなーという印象のサイトは参考にしても大丈夫だと思う。何がまともかというと、なんだろな。これ使いやすくて便利て俳句より短い要件が5000字以上で画像付きってまともか。異常ではないな。わからん。youtubeでやってる人も多い。

    最近ほしいものがあって、何故かネットでは見当たらず、ググってもどこで確実に売っているかという情報に引っかからない。実店舗に行ったらしれっと置いてあるってもんだろうか?しかし近場は実際に訪れたが取り扱いなかった。

    四月の一日は土曜だった。しょんぼりとした様子で歩いている新入社員っぽい若い女性がいた。土曜日が営業日の業界だってあるけど、やっぱ新人の配属?も土曜からスタートなんだろうか。あるいは就職活動かもしれない。新卒の就職活動が土日もある、というほうがレアな気もする。花が咲いたぐらいでヤケクソ気味に華やいだ空気が重い、塩漬けの昼下がりで御座いました。

    お嬢さんは犬を蹴った。