どくしょかんそうぶん

「赤めだか」を読んだ

落語立川流。

落語家の組織には「落語協会」と「落語芸術協会」がある。そんな事実も、落語立川流設立の経緯を調べるまでは知らなかったと思う。ただ、それを知ったのは本書を読むにあたってではなく、だいぶ前ではあった。今回調べなおしてもっとあると知った。噺家のユニフォームあって所属によって違うわけじゃないからな、落語を見ても聞いてもそんなの知る由もないんですわ。もちろん伝統芸能に限らず、長く続く組織に分派が出来ていくというのは自然な事なんだろうか。例えば競技麻雀のプロ団体もそうだし、格闘技なんかもそうなんだろう。ボクシングのチャンピオンって何人いるんだ?

落語立川流!

立川談志が組織から飛び出て立ち上げた団体という事だ。つまりは異端、オーソドックスではない一派なのだろうか?噺家稼業の実情なんて知る由もないが、なんせ旗揚げしたのが「あの」立川談志である。これはそうとうに過激派に違いないぞ!と目論んだが、本書を読んでみるとーーー。

なお噺家の団体事情はこちらにくわしい

https://rakugotei.com/rakugorekisi

「あの」などと言っているが、率直に申し上げて「立川談志が落語家」という印象が薄かったのだ、以前は。立川談志とは、テレビでたまに見かける頑固そうな爺であった。あとサメ退治の騒動も記憶にある。談志がテレビで落語やってるのは見た事ないんだもの。自分と同じく1970年代生まれだと、テレビで見た落語家と言えば笑点の面々はもとより、桂文珍、桂三枝あたりではないか?あと春風亭小朝が時代劇出てなかった?志の輔とか円楽がテレビCMやってたかな。談志の落語を見る機会は、その訃報を知ってからやってきた。(おそらく)amazonプライムだった。そうそう、ここ二年ぐらいは、竹書房が高座の様子をyoutubeにアップしている。無料で見れるぶんでも、かなりのボリュームがあって素晴らしい。

https://www.youtube.com/@by7350

「その」談志の弟子である立川談春による、主に修業時代のエッセイとなる。本書は雑誌連載時のもともとのタイトルが「談春のセイシュン」となっていたらしい。弟子と師匠の物語ということで、その師匠である立川談志という人物のイメージを多少なりとも掴んでいないと、本書の面白みが少し薄れてしまうかもしれない。本書の連載は2005~2007年であったことから、2011年の談志の死については何も書かれていない。立川談春の筆は評判が高かったようで、本書はなんとか賞を受賞している。確かにすごく面白い。「あの」立川談志の弟子として過ごした修業時代のエピソードは実に詳細に書かれていて、情緒に溢れ、文学っぽさがある。文学ぽさってのは自分が勝手に感じただけで何と説明しようもないんだけど。

勝手に感じただけで言えば、現代っぽさも覚える。「〇〇が残したとされる名言」みたいなものインターネット界隈で目にする機会があるけど、そういうものの原典は、だいたい過去に出版された書籍だ。談志の語る「嫉妬とは何か」「馬鹿とは何か」という、どこかで見た事があるものが本書にも収められていた。こんな事例は本書に限った事ではなく、調べればいくつも見つかると思う。例えば流行り歌がカバーだと知った時みたいな心持ち。「World in Union」とか。

ここまで談志談志談志談志談志談志談志談志談志談志談志ってばかり書いているけど、これは立川談春の著だ。”修行”も進んで一人前の噺家として羽ばたく頃合い、家元の影は少し形を変える。今までは師匠、その言葉通り通りの師匠だったんだけど、どこか…上客といった印象になった。「修行は不条理に耐える事」とまで言い切る師匠の言う通りにして、魚市場で修行までしてきた。それを自分の提案、芸、言葉で納得させる必要が出てくる。しかし本書で談春は以下のように書いている。

談春(オレ)は、覚悟だの、けじめだの、一丁前のつもりで独り思い込んでいたが、談春の想いはそんなものじゃなかったんだ。子供が母親に向かって駄々をこねるように談志に、愛してくれ、みつめてくれと泣きわめいて甘ったれているに過ぎなかったんだ。

談志は弟子入りを志願した談春に、弟子入りの条件として親の同意と立川談志の面前への同席を提示した。弟子入り、いやいや弟子受け取り披露の席だ。「これより談志が親御を襲名いたします」実際は談春の親には同意を得られなかった。談春は代わりに住み込みの新聞配達をして自分の生計を賄うと談志に申し出て、受け入れられた。こんな世界の「あの」師匠のところへ、高校を退学して17歳が一人、体一つ飛び込もうってんだから、親の同意が必要というのが当人から見れば一番の不条理だったのかもしれない。「どうぞどうぞ😊」ってわけにはいかねえことは容易に想像がつく。しかしそこさえ乗り越えちゃえばね?

本書によれば、立川流には弟子の修業過程、一人前と認められるまでにはちゃんとルールがあった。いわゆる前座→二つ目→真打への昇級過程とでも言えば良いのか。最終的には談志が首を縦に振らないことにはどうにもならねえことは容易に想像がつく、ものの、これは落語の世界のためのセーフガードだったのかもしれない。これを不条理とは…うーん。そこさえ乗り越えちゃ…うーーーん。

談志が亡くなって十年以上になる。落語立川流は談志亡き後も運営は続いており、弟子があり、二つ目だ真打だお披露目だという話題も見つかる。何かしら基準はあるんだろう。談志の墓の前でサイコロ振って決めるなんてのはどうだ。談志が言えば肝を冷やすヤツがいるかもしれないが、志の輔が言っても誰も本気で受け取らないだろうな~。あるいは親の同意だったりしてな🤣🤣🤣いやいや、他の真打の兄さんは家族も同然でやすから。

じゃあ談志を名乗る基準もどこかにあるのか?「あの」立川談志も七代目だとか五代目だとか諸説あるらしい。次の談志はだれだ…?このまま空位のままか。立川流なんだから、やはり談志を名乗るにあたり両親の同意が必要なんだろう。しかしもう故人のケースも多い筈だ。この際、国民の同意に委ねてはどうでしょうか。衆議院も参議院も選挙が近いことですし。

この選挙で大いに活躍した噺家が後の「立川談合」となるのですがそれはまた別のお話。

-6点。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)