きかいじかけのかみ
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ノングレアの板に曇天の去りゆくを覚えぬのこと
お気に入りの動画が見れなくなっていて、ちょっとがっかりとしている。思わず大慌てで方々を探し掘り当てて、ワキワキと喜んでいる。談志も枝雀も素晴らしいやね。
おにうのディスプレイを買うってーと、まあ勢いで買ったもので、二枚並べて横幅3000pxほどの広々とした空間で使うことに。設定にかなり梃子摺ったものの、頗る快適。折角なのでHDの動画でも見ようぜ、なんて思ったんだが。こうしてブログの投稿フォームが横にびろろ~んと伸びたのを見て喜んで折る。折角のお買い上げ、この程度で満足というのはなんとも、こう、けしゅからんことで(五代目)最近将棋を勉強しようかと思っている。べんきょう、っつうてもね、あーた。まあ、無料でCPU相手にやれるようなゲーム、世には結構ありまして、そいつらに勝ってやろうじゃないかとう。ま。もちろん今では、世に遍く将棋愛好家の先輩方とお手合わせ願う、なんてことが、やっぱりこう、この、インターネットの按配でもってできますんでね。ですがねぃ、どうにもその、そういう方々というのは、コンピューターが日本語を使えるようになる前から嗜んでおられるような方々で、これがまた、俺なんかが一局打とうと思ってもね、えっ、手合の違いどころの話じゃねいんだなあ。例えばね、ババヌキをやるとするでしょうよ。どうしても相手に丸見えになるように札を持ってる奴がいるってえとね、これはもう、ババ抜きにはなりゃあせんですわな。あれはね、ついっと一枚引いてだね、こう、手札に一枚差し込むときの、このね、仕草や顔付きのね、
まあいいわ。なんのはなしだ。で、将棋にはまっているのでありますと、いうことなんですよ。プロ相手にコンピューター将棋で挑む、なんてのがあってね、何年か前には当時最強だったコンピューターとプロ棋士最強の一角、渡辺竜王が一戦交えてね。これはま、竜王が勝ったのだけども、これがまあ良い勝負だったと。人間のプロにはまだまだ勝てませんね、ということが言えなくなってきたわけでしてね。それでまた今年に、当代最強のコンピューター将棋プログラムの「ボンクラーズ」とプロの将棋指しの対戦が行われたと。プロ棋士側はなんと米長会長を出してきた。現役を退いて久しいとはいえ、歴史に名を残すべき
変態プロであるってんだけど、えっ、これが負け。いよいよ以ってコンピューター侮りがたし、となった、そこで今年のコンピューター将棋同士のトーナメント、若手実力派(西尾明)が解説をするんだが、これぞ玄人裸足という指し筋をバシンバシンとこのお前はケンシロウかといわんbまあいいわ。なんのはなしだ。で、ある程度設備面を整えるともうコンピューター将棋はプロの域に達しただろうと。流石にトッププロをボコボコと打ち破りはしまいが、アマチュアではまず歯が立たないというのはまちがいねぇっつんだよぉ(ペシペシ)そんな面白そうなところに首を突っ込まないわけにいかねえってなあ。つうわけでそれなりに楽しんでいる。麻雀はちょっと飽きが来たというかね。
山種美術館、よさそうじゃないか。今度いこう。
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災害にスマートフォン
カップヌードルライトが50個ほど届いて??となった。いや間違いなくオーダーはしたのだが、カップヌードルライトにはノーマルとシーフードとカレーがあって、それぞれ頼んだつもりが、全部同じ味を頼んでしまったようだった。でもま、適当に具材を足して食べるのが楽しいわよね。例えば乾燥わかめを少量いれてからお湯を投入すると手間もなくて栄養的にも良い感じ。
雨は凄かったねー。高層オフィスなどでお世話になっていると雷ぐらいはさすがにわかるけど、雨の程度なんてまったくわからないもの。ついったーで情報を集めながら帰路、水に浸った各所の画像はユニークではあるけど、やっぱり怖いよなー。
地震のときの体験からスマートフォンにすることを決意wしたんだけど、やはりすばらしいわこれ。実際に東京がふっとぶ地震が来たときにも機能するかはちょっとあやしいけど、通信以外が機能するならばそれだけでも十分やくにたつ。最近では充電式のバッテリーなども持ち歩くようになった。すまふぉ様様やでほんま。
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カメラ:「ぼくもおいしいよ( ^-^)〇」
楽しすぎる。あまりに楽しいのでいろんなところで書いてる!!
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どぴゅ。
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心の声をつなぐのは・・・。
哲学とか心理学。そんな範疇で精神とか心を語ることって少なくなってない?いや、調べもしないで言ってるけど、ニューロンだシナプスだ脳内物質だうんたらかんたら。心とは食いすぎれば溜まる脂肪みたいなもんで、鍛えればむっきむきになる筋肉みたいなもんで、損壊すれば医者になおしてもらうものなんだろ、きっと。心を怪我してしまった人たちは例えば犯罪を犯してとっつかまったりする。どこかで何者かによって手厚く保護、どころか隠匿されていたりする。またそんな状態からどうにかして元に戻ろうと、戦っていたりする。まったく普通に日常を営んでいたりする、俺なんかには全くわからないほどの努力をして。
車椅子で過ごす人のためのスペースとか、施設とか、あるのが常識、ないなんてそれは社会が壊れてるといわんばかりの手厚さ、自分だって明日車に突っ込まれればそうなるだろうし、支援してくれるような人には全く心当たりがないので、形だけでも道があると言うのはありがたいのではないか、だけどそれにはコストがかかる。税金とか、誰かが力を貸してくれるとか、金を出すとか、細々とした事を手伝ってくれるとか。今、世界が、自分の住む世界が平和であることに具体的に感謝する対象はいないけど、「そう」なったときに棄てられずに済む、まだ抹消登録されずになんとかなる、何処にどれほどの感謝を奉げれば良いのかしれん。いや、実際は開き直って今よりもタフに生きるかもしれないし、現実には周りから善意だけが帰ってくるなどありえない。でも、普通は言葉と心が通じる人々に、その存在に感謝する。することができる。普通は。普通は。壊れているところがないならば。
荻野君を見たことがある。その、渋谷のマックでUstreamで流された動画を、たまたま、見た。そこに集った人たち(参照記事中で名前が挙げられる人たち【追記:名前出てくる人全員がそのときそこに集ったわけではないようです】)は、誰一人しらない。ただ、参照すべき事例に満ちたブログなどを執筆しているので、そのハンドルネームは知っているとか、そんな感じ。野次馬でしかなかったけど、どんなことになるんだろーねとぼんやり動画を見ていた。カタコト追い出しも見たな。荻野君のtwitterのアカウントも見た。なんかヘンなことかいてんなあ、なんて。それ以降の経緯などは知らないけど、今回の最初もとの記事を読んだら、そういうことだったらしい。
赤の他人という立場を離れて言うと、個人的に他人事とも思えない心当たりもあって、しんみりした。しんみりした、それだけ。おやすみなさい。