ふでのゆくまま
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隙間
大学生の頃までさかのぼる。
知人宅でだらだら麻雀などしているおり、なにか課題の提出の話になった。資料を集めるのだるいなあと、いう発言があったおり、面子の中に大学から帰る途中に寄った人間がいた。今持ってるので、コピーすれば?と。飯休憩でコンビニに赴き、10枚ほどの資料をコピー。自分も一応もらって帰ることにした。
資料にちょっとみんなで話しながら書き込みをして、あとはホチキスで止めるだけ、というところで、針がないと。コンビニに戻り、針を買う。あの消しゴムみたいな箱のやつね。しかし必要なのは二本。「これだけあったら、自分一生ホチキスの針は要らんやろうね」という発言にそんなことはないだろうと思った。しかし、以降、自分があのホチキスの替え針を使い切った記憶はない。
ガムテープもめっきり使わなくなった。段ボールで何かを宅急便で送るときに、補強というか封じるぐらいしか使い道がない。最近はそんな荷物を送る機会もほぼないので、数年にわたり使い切らない一巻きがある。先日、箱買いしたペットボトル飲料の段ボール箱が崩壊してしまい、久しぶりにペタペタと張り付けた。次に使うのはいつになるだろう。それでも少しづつ減っていき、どうせ必要な時には足りないようなことになるだろう。
では何かに積極的に利用するようなことはないかと考えてはみたのだが、特にないんだよねえ。うーん、と考えて、スチールラックの天板としてただ置いていただけのベニヤ板を固定した。雑誌を捨てるときにビニールひもで縛っていたのも、ガムテープで良いらしいので変えてみよう。隙間でもふさぐかと思ったが、そんなもんないわ。
となると今度はビニールひもの使い道…。
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ギリヤーク尼ヶ崎 公演を見てきた
2015年10月某日、東京は新宿でギリヤーク尼ヶ崎のパフォーマンスがあるらしいので、見に行ってみることにした。
特にチケットも予約もない、普段休日にはフリーマーケットなど行われている、ビルの隙間の広場にて行われる…とある。爽やかな秋晴れの昼下がり、現地へ向かうとすでに人だかり。近くでは見れそうにないので、ステージ(なのかどうかもわからないが)横手の階段の手すりで始まるのを待つ。90歳に近いという。どんなパフォーマンスなんだろうか。予告通りの時刻に、ややざわついた空気があり、「まってました!」などと掛け声がかかる。寄席じゃねーんだからと思ったけど、大道芸とはそういうものなのだろう。いや、良く分からないが。
見ると…観客の合間を縫ってよたよたと細身の老人がステージにあがる。彼がギリヤーク尼ヶ崎のようである…。全く以て普通のいでたちで、代理の人が中止でも伝えに来たのかと思ったほどで。彼はゆるゆると荷物の開梱を始めた。静かに見守る観客。演出なのかどうかもわからないので眺めるしかないのだが、流石に退屈だ。着替えが終わるころになると、ステージの前のほうに座っていた人がメイクを始めた。演出なのかどうかもわからないので。白塗りになり、準備もできたというところでステージ中央に立つギリヤーク。観客から拍手。
ここまで20分ぐらいかかった気がする。もう集中力がなくなってしまい、端的に言うと飽きた。そりゃそうだ。もう細かいところは覚えてないのだけど、演目の書いてある札を掲げて何事か叫ぶ。音楽が流れ、「念仏じょんがら」が始まる。踊ると言うよりは練り歩くという感じであるあたり、流石にもう年齢がキツイよなあと思ってしまう。いや、若いころからこういう演目なのかもしれないけど、着替えだって手が震えてしまってままならないのを数分前に見たばかりではより一層こう、大丈夫なのかな、なんて気にしてしまう。ステージだってパフォーマンス専用なわけではないから、演者のすぐ後ろのカフェテラスの席にも人がおり、そもそもステージの脇にもカメラを抱えたアシスタント?のような人たちがいるという始末で、なかなか演者に集中するという気にもならず、いや大道芸ってそういうものなのだろう。
ステージを降り、客席へ練り歩く。観客の視線を追うに、どうも自分が立っている階段を登ってきているようだけど、螺旋階段になっていたため、見えなかった。「がんばれー!」などと声援が飛ぶ。ステージに戻り、バケツの水を被ったりして、終わった。次はやや陽気な曲で、観客をステージに上げて手をつないで練り歩く。同業者のようなものだろうか、妙に動きにキレがあるご老人が一人いた。
そういえば昔、ペルーの民族音楽を奏でる一座が都内各所を結構頻繁にめぐって演奏していた。新宿で見かけるとき、毎回のように一座のとなりで汗だくで踊っている老人がいたのを思い出した。あれは誰だったのだろう。
演目もいつの間にか終わってしまったようだ。舞台の上で何か話していたようだが、何を話しているのか全く聞こえなかったのは残念。花束などが贈られたあたりで帰路に着いた。見た場所が悪かったこともあり、イマイチでしたと言わざるを得ない。これが新幹線で二時間かけて見に来た、とかだったらきっとがっかりしてしまう。
あのような人生を歩んでいる人は、そら舞台にて死すことも厭わないものなのかもしれないが、着替えに手間取る様子まで見せられてはなんとも。演出なのかもしれないけど。遠目から見ていたから、カメラ持ってうろうろしていた人たちも目立って邪魔だった。近くで見れない時点で帰ればよかったなと。
ブログを認めるにもパフォーマンスの内容が全く印象に残ってない…。
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年に一度も難しく
例年なら、というかここ数年だけど、ブログのカバー画像更新の時期となった。
幸いにもほどよく休日がやってきた。やっては来たものの、この夏からの多忙のせいでいろいろ積み重なったままの感があり、意気込んで写真集めをするような気分にもならず。去年と比べるとiphoneに収めた写真の量はかなり減った。とは言えゼロでもない。何枚かめぼしいのから選び、トリミングする作業もまた楽しからずや。…というところで、まずはバックアップ用のHDDに保存しようとしたらフリーズしてしまった。まーー数が多すぎるんだよな。
どうしようもないのでこうして書き留めてみる。手元のiphoneで画像を眺めるに、良い写真はあるにはあるんだ。去年の11月から今年の7月までゼロ枚というのに呆れつつも。これにしよう、というところまで作業して、続きは後日。
…という一日の昼下がり。少し前に書いた空き室が目立って強烈な印象があったアパートへ赴いた。某社の社宅であった。近くに来てしまえば当然ながら空き室が目立っているという景色を見ることはできない。ある程度の距離、高さが必要で、電車の中からというのは絶好だったわけだ。しかしながら近くに来てみると随分と古いものだなと実感する。フェンスに囲まれたスペースがあったら、テニスコートだとは思うのだが判別もできないほどに放置されている。その奥にジャングルジムも見えたが、雑草に囲まれていて、錆も目立つ。安心して遊ばせることが出来る遊具かと言われると、親御さんたちにも少々不安があるだろうなこれ。立ち入りを禁ズ、と書いてあるので深入りはしなかったが…。特に建て替えますとかの告知もでてないので、単に入居者がいないだけなんだろうか。そら建物自体は古いだろうが、高架の下の通路まで近いし、雨の日でも買い物など苦にならないように見えた。駐車場はない?ようにも見えた。周囲の道路も狭く、そこいらはいまいちかもしれない。
そんな感じ。
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佐野研二郎氏のオリンピックデザインのアレ
始めにお断りしておくと自分はオリンピックというイベントにそんな大きな期待を寄せていないのです。別に非難もしませんけどそりゃ。
で。ま。
まだ開催まで時間があるうちにカタがついたと思えば良いんじゃないですかね。スポンサー企業にはいい迷惑だろうけど、どうせ商売しようとしてたんだからまあ。デザインと言えど要するにまあデータ。パクるにしてもその元ネタの入手がctrl+cとctrl+vで済んでしまうケースがあるでしょう。この手軽さは罪悪感をマヒさせるんじゃないかね。子供の万引きじゃないんだから罪悪感とかここで持ち出してもなあ。でもゲームでのチートを中学生ぐらいの、賢いつもりのお子様が平気でやるのもこんな感じだろう。
しかしこの人実績のあるデザイナーじゃないか。どんなデザイナーでもなにかしら”拝借”して成果物に組み込むもんだろうけど、こんな露骨にねえ。大きな仕事でねえ。
もっと堂々とCCとかのご自由にお使いください素材を使ってたら世間はどんな反応したのだろうか。今回の件はわかりやすく「コピーライトの部分をカット」という事例があったから悪意モリモリに映ったような気もする。少し前に、漫画の新人賞的なもので、すべてのコマの絵が他作品からのコピー(を加工した物)で構成されたものが受賞してしまったことがある。今回のは程度が一緒の事案だと思っているけどどうだろか。
「メガバカ」でググると事例が見れます。
デザインとか音楽とか、どういじってももう何処かで見聞きした物しか出てこないと思う。意地になって類似したものを避けるとこれは前衛アートにでも辿り着くのだろうか。可聴域を越えた音域、音量での表現、視覚で認識できないブライトネスの差異とかそういうのか?まさに人間などお構いなし、データではきっちり表現できているという次元。なんだかそれもまた、コピペより嘘っぽいと思ってしまうんだよな。
また何か思う事があったら追記でもするかしらん。
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Another Brick In The Wall
路上にチラシが散らかされていた。
雨に濡れてしまってべっとり路面に張り付いている。大抵は燃えるゴミの回収時にこぼれたとか、配ってる途中に散らかしたものだろう。自分あての大事な通知など混ざってないかと一応チェックする。集合住宅住まいの人はこれやるよね。結果、ピザ屋と不用品回収とマンション。ポスティング広告ド定番と言えるラインナップ。となれば同じようなものがわが部屋の郵便受けにも。こんな貧乏アパートでマンションの広告なんぞ配っても無駄じゃわ、もっとマーケティングせえよと思ったけど、ちょっと考えれば一軒家にお住いの方々に配っても絶対に効果がないわけで、家のない人に配ってもさらに無駄で、アパート住人に配るのは正解ではあった。
普段使っている鉄道の路線から見えるアパートに異変を認めたのはGWごろであったか。ちらっと見た時に、部屋の中が見えた。カーテンが取り払われており、どうも空き部屋になっているようだ。異変、というのは、その空き部屋数が随分と多い。空き部屋の中は暗いので、日光の加減もあるとはいえど、まるでアパートに穴でも開いた風に見えてしまう。たまに報道で見る、中東あたりの戦時下のビル。RPGぶち込まれた焦げた穴。あんな感じ。煉瓦の壁から数個がポコッと抜けたような印象も受ける。いつも出勤時にこのアパートに目を遣ると、祭りのお面屋台のように色とりどり、賑やかにはためく洗濯物の鮮やかに映えたものだったがどういうことか。おそらく建て替えなんだろう。そうなればみんな出ていかざるを得まい。
思えば今の自分が住まいとしている部屋も随分と古い筈で、このまま住んでいればあのアパートのように追い出される日が来る。幸い普通の収入があれば住む場所に困らない社会ではあるものの、例によって毎度毎度いつもの如くに、面倒くさいことは嫌いということを主張。…あんまりこれを主張しておると、やむなくお誘いを断るようなシチュエーションでも、面倒くさがって断ったと思われがちなんだよな。そんなことになると一個捨てても大差ないわいと捨てられてしまう。煉瓦の代わりなんぞいくつでもあるわいと。それは寂しい。
まあだからって引っ越しを強いられて嬉々とするシチュエーションもないもんだ。あのアパート、如何にもクラシックな、昭和のアパート然としているが、そんな古いのだろうか。ネットでちょっと調べてもあのアパートの情報に辿り着くことすらなかった。