ふでのゆくまま
-
天に唾を吐けば粉雪が
休みの日に雨が多い、という感覚は、平日は雨が降ろうが震災が起ころうが客先のオフィスで仕事しているからなんだろう。出かけようか、洗濯物を干そうか、などと思うから空模様に気を配る。さらに言えば、平日は帰路は日が落ちている。見上げれば空の底もあやふやだ。
昨年(2014年)の関東地方は、2月、北国出身でなければ恐らくは今までの人生で一番という大雪だった。空の底が抜けた、とかいう小説なかったっけ?夜の底が白くなったのは雪国か(読んだ事ない)雪国でもド雪国でなければ数年に一回あるかないか、そういうレベルの雪が東京を埋めた。今年は冷たい雨が何度か降った。やはり休みの日に多いように思うのだが気のせいではないんじゃ。もっと寒ければ昨年と同じことになっていたのだろうか。売れ残ったスノーダンプが店頭に並ぶ日は来るだろうか。雪の降る場所で売ればいいよね。桜の花びらを集めるなんてのだったら風情がある。ほら、雪月花というじゃない。桜の花びら30cm積もったら、得も言われぬ美しさ、なのは一日ぐらいで、あとは多量生ごみだわ。
唐突に話は巻戻る。師走もド師走というある日。東京都心。
勤務先のビル、トイレの窓からから遠くを見下ろす昼休み。同じフロアの他のテナントの社員も歯磨きなどしており、割と人が多い。じゅうぶんな時間とは言えない昼休み、何かみんなが慌ただしい。窓の外、ふたつ、みっつ先の通り沿いのビルを見下ろすに、屋上に備え付けられた社の前に数名の人影があった。並んでじっと立ち尽くしている。それだけで遠目にも随分と畏まった印象を受ける。きっと見えないところに神主でもいて、何かまつりごとが行われている場面のだろう。1分ほど眺めていたが、この寒さの中でじっとしているので、何かの息抜きに寄り添って雑談している、なんてことは、やはり、ないだろう。祝詞でもあげているに違いない。ごん太い空調配管の陰から、ちらりと何かが風に翻ったように見えた。同じくして、立ち尽くす細身のおじさまのネクタイが翻る。自分からは見下ろす角度ながら、あの屋上で地上数十メートルはあるだろう。流石に風が強かろう。こんな長いとか聞いてねーよー、とか思って寒さに耐えているるんだろうさ。
見上げれば晴れやかな空、見下ろせばグレーの屋上、激しくはためくネクタイが、炎から逃れようとする生き物のように美しく、静かだ。
その…一つ手前のビルに視線を移すと、補修でもするのだろうか、とび職たちがビルの外壁に足場を組んでいる。この寒さの中、吹き曝しで働くとび職は大変な思いをしているだろう。この界隈にお世話になり始めてからもうW杯二回分ぐらいになる。その期間ずーーーーっとどこかしらで再開発が進み、大きな新しいビルがぽこぽこと建った。こういうのはビル一個、ということはない。大規模開発というやつだ。周りのビルたちも、その工程がこれより始まるに違いない。とび職が仕事をしているあのビルも、きっと取り壊されるのだろう。となれば先ほど見たビルの屋上で催されていたまつりごとは、ビルを壊す前にお社をどこかに移す準備ということだろうか。
思えば我がアジトの最寄り駅前もまた開発が続いている。立ち寄ったことこそないが、何時も賑わっていた中華料理屋などがシャッターを降ろし閉店のお知らせを掲げている。ふうん、と通り過ぎるだけではある。通りを渡ればまたそこには外装が出来上がったビルがまたひひとつあり、シャレオツな店舗でも並びそうな1Fの面構え。このビルもあと何年かすれば壊されるんだろうか。想像がつかないな。多くの漫画やゲームなどで登場する東京の廃墟には、崩れかかったビルの姿などが並んでいるが、案外建物はそのままに、人間の姿だけがすかっとなくなってしまうような景色なのかもしれない。そういえば東京の風景写真で、人の映っていない写真を集めた作品があったな。こういうのってブッコフがお安く手に入るのだ。また行こう。
再開発とはジャンルが違うが、解体が進む国立競技場の景色がAKIRAの世界のそれだとちょっと話題になった。AKIRAもまた東京の復興とオリンピックなんて舞台背景がある。2013年のいつだったか、東京オリンピックの開催が決まった時、七年後に日本は残っているのかね?というテーマがちょっとだけ流行った。それから一年半、どちらともいえない空気のまま暮らしている。我々は熱気も安息もないままにお祭りのその日を迎える。ビルひとつと崩れぬままに、すぅと消えていく人々の。滅びゆくとはそれ、桜の如く雪の如く、足跡を残すことなく。
この国で活躍するのが夢だったんだ…。
人っ子一人いない競技場に長い影が一つ、逃れようとする生き物の如くに。
-
雑記の度にタイトルに雑記って書くのもどうなの
面白い棋譜を見つけたので。
73手目。1四香、同馬で、馬の効きを逸らされて、次の角切りが定番の「王手だから飛車が逃げれません」パターン。しかし直後(ホントに次の手)に5五角で王手飛車の斬り返しが決まる。相手の切った駒を、元々いた場所に打って王手飛車をやり返すのが面白い。相手にしてみれば飛車を取りに行かなければこんな返し技食らう事もなかったわけで、おそらくは読みぬけなんだろうけど、これは悔しい。
将棋の話になったついでに。将棋と言えば羽生善治。天才の中の天才が集められたプロ棋士界においてさらに頭一つ抜け出ている。…という状態をもう20年も続けている。これにより、新たなスターの息吹が知れ渡るとき、「羽生善治に対抗しうるのか?」という見方をされてしまう。次世代の羽生なんて言われたりもする。しかしながら、「引導を渡す」レベルのスターは誕生していない。誕生したのかもしれないが、その名声を羽生善治自身がかき消すほどに活躍をする。世代が少し離れているということで、実績も込めて渡辺明をその役目を担った棋士として捉える人が多いだろう。なにより明くんは人気ものだ。解説なんかに出てきても面白いし、あと夫人のブログも面白い。連載している漫画も面白い→マガメガ MAGAMEGA | 将棋の渡辺くん←単行本はよ。
さて、明くんももう30歳に近い。ずっと羽生森内渡辺の構図にも飽きがきた。当然にして次に台頭してくる人物は誰かという事になる。豊島?強いよね。中村太一は一年ほどニュースキャスターみたいなこともやっていたけど、タイトル挑戦も二回と実績十分、十分なんだけどどうもイマイチ…こう。キターーーみたいなテンションの上がるような気配がなんかこう。というところで、話題に上る少年が一人。藤井聡太。今年の詰将棋選手権、唯一の満点にて堂々の優勝。
このリストに並んでいるメンバー、特に上位は多くが現役の棋士だ。次の名人戦の挑戦者までいるじゃないか。藤井くんは現在すでに史上最年少での奨励会の二段に到達し、活躍している。例えばほれ、錦織選手のこと、昔から注目していた人は昨今の活躍に鼻が高かろう。いやー、昔から注目してたんですよーーーなんて。藤井君はまさにそれ。
で、話題は全く変わりまして。
公開してない日記に、「ネット上で凄く怖い目にあった」と残されていて、それがなんだかわからなくて却って怖い。・・・とごそごそしているうちに「それ」がなんだか思い出してしまって、ヒィィィィっていうぐらいに震えている。いや、深刻に身の危険ではない(と全力で期待したい)事案だからもう良いのだけど、それにしても、いやこんなことあるんだなあと。
夜中に急激に腹を下してしまった。特に深刻なアレもなく、翌朝普通に起きて普通に仕事をこなした。まあデスクワークになってから少々の無理が効くというのはかえって危ない兆候なんだろうか。しかし心当たりが一つしかない。小松菜のお浸しだ。人ふさ丸ごと茹でて、鰹節と醤油かけて湯船で食う。まな板の衛生状態に問題があったかしら…。あるいは湯船か?冷蔵庫で冷え冷えしにしたわけでもなし。鰹節か?鰹節で当たりを引くってちょっと尋常じゃない腐敗だ。その後の体調に問題はないので、まな板原因だと判断し、ハイター漬け。もう暖かくなってきたし、頻度上げないと。つうか普通は毎回やるもんかね?
いぶりがっこブーム。某流浪の番組では呑み企画が音楽企画よりも好きだけど、うまそーーーに食っていたのでどんなものかと思っていたら、案外普通にそこらで売っていた。確かにこれはうめえ。となると、一度はちょっと根が張るのを食ってみたくなる。アイスとか酒とかレトルトカレーとかそうじゃない?しかしこういうのはネットでは巡り会えない予感があるなー。
また食い物の話か。まあ平和でいいよね。次は花見の話かー?
-
マラソンの代表選考がどうとか
たまには時事に。時代を先取るニューパワー!(懐)
確かにタイム順で良い。マラソンはそういう競技だからね。一発勝負で成績が良かった人でもいいな。本番は一回きりだし。とはいえ勝負事だからね。選考に周囲が納得しませんでした、なんてことがあっても、メダル持って帰ればそれでシュンと黙るもんだ。「勝ち目」を追求すれば、データ並べて公平な選出なんてものよりも、もっと計算高い、あるいは一点に賭けた選出があっていいと思うわけです。
そんだけ。
-
雑記
さぁて雑記だ雑記だ落ち葉炊き。
ユニクロで愛用のフィンガーソックス・黒を買い足そうとしたら、黒色のお取扱いがなかった。ここ数年はこれ一択という靴下だったんだけどね。勤務に私用に弔事にと使いまわせたのだけどなー。リアル店舗で売ってるかもしれないけども、そんなん買いにいくのもめんどくせえのが当方の生活習慣。困ったな。お目当てのものがないとなると、途端に実感する。黒の靴下なんていくらでもあるのに何が困るのかと。そ、フィンガーソックスじゃないと嫌だ、というほどに馴染んでしまったわけだわ。
グレーのものでいいか、数点お買い上げ、ついでにTシャツなど。
タクシーの運転手の名前が著名漫画家と同じだった。世話しなくタクシーにのって都内の煌びやかな通りを過ぎる…高層マンションの明かりが空高く伸びている光景に、その漫画家の作品を思い出し、子供が舞い降りてきてビルをぶっ壊すなどしねえだろうなと身構える。
コートのポケットから三月のレシートが出てきた。クリーニングだしてなかったらしい、と書こうとしたのは去年の11月の半ばの話でありました。ついでだ書いておけ。ミルクたっぷりとろりんシューですってよ。
次の発車時刻を知らせる電光掲示板に、警視庁から危険ドラッグについてのお知らせなど流れていた。もっと目を背けるような過激な内容にすりゃあいいのに。デジタルサイネージなどと気取った広告に、子供が泣きわめくぐらいの過激なやつを。免許更新でも違反者はなかなか「重い」ものを見せられると聞くし、そういうのを世にぶちまけないと啓蒙ということはなかなか成功しないのではないか。高度な情報化社会などと言っても、首が切られた画像みないと、やっぱ危険地域は危険なんだと実感できない。危険が作動しないのだ。なんならラリラリしている人を鎖でつないで駅前に展示とか、あるいは著名人の方々を使ったりしてな。
今回のデザイン死亡案件です。http://insyoku.livedoor.biz/archives/39014847.html
ちょっと飲み屋の開拓などしてみたい。人付き合いに乏しいのでなかなか捗らない。大衆酒場的なもんが良いですね。
いつ公開しようかと思っているもの、三か月過ぎてしまった。「職場の近くのビルが解体が始まった」というだけなんだけどな。
-
洗い髪が芯まで冷えて
別に自分だけではないだろうけど、このようなブログに書く文章の下書きつうものが幾つかある。単位は本で良いのか?では、何本かあるということで。これが溜まると内容の鮮度が下がる。例えば今その下書きとやらをdropbox覗いてみると、師走だのなんだのと書いてある。あゝ。季節のことがらに対する公開日のズレによる鮮度の低下もそうだ。下書きを認めた時に頭に浮かんだことを、ただ投稿フォームにコピペするだけでもそこに古さを感じる。これも20年もすれば懐かしいという感情に変わるもんだろうが、今この時点では「機を逸したか」という感情のほうが先に来る。メールでもあるよね、下書きの時点で送り損ねたなあということ。
そこでTwitterですよ、ということになる。日本で流行り始めるちょっと前、2007~2008年ぐらいが一番使っていた。今ではfacebookがその役を担う。facebookで繋がり所望の方は良ければご連絡。ネット知人でも繋がってたりする。こういうのを使っていると、当たり前だと思っていた「投稿のタイトル」「メールの件名」というのが実は結構な「枷」になってたりもするんだと気付く。ところが無いならば無いで不便なもんで、例えばネットで何かを検索するとして、タイトルがないものは探す側にはとてもとても探しにくい。しかしタイトルと中身に関連性が薄いものばかり書いてるな俺は。その割に長文だったりする。
ああ、下書きの時点ではタイトルがないからだな。それはあなたの下書きにもないでしょう?ファイルにして一個一個別の下書きにするぐらいマメな人ならあるかもしれない。また、いくつかの文章を一回の更新で突っ込んだりもするからなあ。何をテーマに書くでもない、何時何時何時(いついつなんどき)に公開するでもない。ちょっと発想を伸して広げよう。無尽蔵にストックされ続けるテキストが、何かのタイミングでひと塊の旅団となって公開されていく。これが現状だと思う。ながーーーーい布の一部だけ隙間から見えている感じ。布が動くと見える範囲が変わる。今見えているものは見えなくなる。映画のエンディングロールみたいなもんかなあ。こういう仕組み、近いものはあるけど、なんか作れないかな。ただ、いったんインターネット上に公開すると、その、過去のものを確実に無き者にする方法が難しい。
ほれみろ。
下書きがないともう何が書いてあるのか意味がわからないわ。文章が上手い人というのは、こういうものを読ませることが出来るらしい。さらに頭が良い人はこういう物を、読みやすいと言うか、まとまったと言うか、うーん。一つ上質なフォーマットで並べて見せる。勿論何を文章にするかによるけども。素直に嫉んでおきませう。ぐぬぬぬぬ。
もっと頻度高く書いていたころは(このブログに引っ越してくる前。フリーターの頃だ)下書き→公開のサイクルが早かった。今では遅々としたもんで、週に一回から月に一回ぐらいに移行している。よってこのエントリが今年の二回m…って四回目だった。結構更新してるが、中身無いな。いや日記だろそんなもんだろ、といやぁそうなんだけど、もうちょっとなんとかね。高校生の頃までは勉強とかしたことないと言っても過言ではなかったけど、アラフォーとなってはもっと頭が良くなりたい。はぁーーーー。
穏やかな苦悩を飼い馴らす。何時か成し遂げるでしょう、という望みをふっと忘れてしまうことを楽しめる。どうもその範囲と取捨選択に誤りがあったというのが反省点か。けっ。単に怠惰なだけだ。給湯器の修理がすんで何日かぶりのユニットバスにつかり、知ってますよと一人悪態をつき、洗濯物を干して夜更けの凍った月を仰ぐ。
雪の気配がない。