ふでのゆくまま

  • ふでのゆくまま

    底冷えに穿つ地脈の竪穴の踵に見えて頬赤らめる事

    冷たさを感じなくなったものだ。

    雪が降っても雪玉握りしめて人に投げつけたりもせず、水たまりに薄く張った氷を踏みつけて割り、両の手でかざして風景を透かすなんてのもしなくなった。すると冬将軍様は休日の朝早くや夕暮れにお出かけするときなんかにお忍びで頬や両肩にやってくるようになったが、これは寒さというやつだ。水道からもお湯が出るのが珍しくもなくなったので尚のこと、冷たさは何処かへ…。しかしその日は駅までの道すがら、信号を待つわたくしの足の裏にやって来た。12月の並の寒さですと天気予報に出ていた。暖かくしてお出かけください。あたたかく。この朝は歩道に敷き詰められた、水はけのよいあのブロックの一つ一つが、天と大地の伝道。忠実に冬の気配にまぐわいをキメておられる、以て、寒さを冷たさに、故に伝導。凍てついたマントルのつららに貫かれ日本海は底が抜けた、わけではなく、靴底の穴から浸水した。あなや。

    通勤の靴は、面倒なもので同じ靴を限界まで履くみたいなことをしている。ちゃんとした手入れもせずに履いているので一年とちょっとでこうしてダメになる。手入れをしても靴底に穴ぐらい開くかもしれない。靴底の手入れってなんだよ。兎に角、営業職でもあるまいに、本当に平日に客先のオフィスまで出向き、また退勤するだけでこんなありさまだ。たまに自社まで歩くにしても、客先のオフィスから幸いに一時間はかからない程度のものである。頻度で言えば月に3回は下回る。思えば、靴の一般的な耐用年数ってどのぐらいよ??一度ちゃんとした靴をオーダーメイドしてこさえてみるか、などとも思ったけど、毎度のように思っただけでとどまっている。紳士は一足ぐらいさういふちゃんとした靴をお持ちなんですってよー。やーい。こういうのを靴辱と言いますね。言いません。

    それでは次の出勤から、おにう靴、と行きたいところだが、かなりの規模の台風がご来訪。どんな靴でもそら濡れる。長時間の立ちっぱなしとか下手すれば結構な距離を徒歩もあり得る、歩きなれた靴のほうがよいので最後の晴れ舞台。

    いやだから雨だっつうのよ。伊勢湾台風並みだって。4000人死んでいる台風並みとはごうきなもんだな…。

    修理ならどうかと調べると3000円ぐらいから修理ができるようだ。これででまた一年履けるなら問題ない。靴底以外のコンディションはどうなんだろうか。手入れもしないのでマジマジと靴を見る事すらない。玄関に半ば脱ぎ捨てているまだ湿った靴を拾い上げ、裏返すと穴などどこにもないのでありました。あなや。どころか、中敷きはボロボロ、つま先は禿げており、踵も斜めにすりへっている。ではどこから濡れているのかという事になるんだけど、これ全体的に沁みてきているってことなのか?素材なんだっけカンガルー革だっけ。

    めんどくせえ、濡れたら拭けば良いじゃないか。靴下とタオルを通勤カバンに入れて、あとは夜更けに過ぎ去ってくれるを祈ろうとするも、何度見ても朝の六時にトウキオ上空にござらっしゃる。エゝこうなりゃサボりてえは。一日オフトゥンに寝転びて、台風に吸われし40の企て。東海道中膝栗毛を読み切ってしまおふ。

    上巻を読み終えた。もっと筒井康隆みたいなブラックさがあるのかと思っていたが、どっちかというとミスタービーンとか、ドリフターズのショートコントだ。紀行文なので、適度に場面が変わって良い。そういうの読みやすい。考えてみれば自分は確かに自叙伝とか紀行文の形態の本が好きだ。中谷美紀のインド旅行の本も、一巻しか読んでないけど続き買おうか。ヲヤ、さらに考えてみれば、プロフィールにも載せているぐらいに好きな本、「キッチンコンフィデンシャル」と「アイドル墜落日記」どちらも自叙伝だ。ここ数年、長い話が追いきれないんだよなー実に頭の悪くなったことでして…。

    倣って短く行かふ。台風と冬がきました。靴が冷えます。

  • ふでのゆくまま

    隣は柿を食う人ぞ

    お隣さんが居なくなった。引っ越したんだろう。下からは地震空からはミサイル地上は数年来の地獄、人の住める街ではなくなってしまった。「オリンピックまで日本って持つんですかね?」傾いて宣った杞憂であってほしいものだがどうだろう。

    最近昔懐かしい曲を口ずさんだりする。うっかり調子が良すぎて、開いているドアに気付いた時の気まずさ。多少改善もされよう…ってむかしはもっとゴリゴリとギター弾いたりしていたんだけどな。音量によるご迷惑の度合いではなく、恥かしさの度合いがね?ゆーて大音声ではないには決まっているのだけど。頃合、窓を開く機会も減る季節。扇風機を仕舞。虫の声を楽しめるのもあと何夜。ここに住んでから一番静かな冬が来る—とか言いたいのだけど、ここ1年ぐらい、近隣空き地に二件もアパートが出来て人が増えた。アパートというか、中層のマンションだ。こんなところにねえ…なんて思ったんだが。そこそこ高級そうなので大学生なんかはいないだろうが、なんかガラの悪そうなのを見かけるような気がする。いや怪しさなら自分も負けていないが。

    西原理恵子の「毎日かあさん」が最終回を迎えた。好きな作品だったけどねー。子供が大きくなったので終了ということらしい。最初にサイバラを知ったのはアマゾンで魚釣る企画の奴だった。確かその企画で旦那と知り合って結婚したんだよな。子供が出来て、その旦那のアルコール中毒を乗り切ったものの離婚後に死別。よくこんなハードコアな人生をって思う以前にだよ。サイバラの言う「お金は大事」という主張をそのまま実践しているのが面白い。金がなければこんな家庭簡単に破綻する気がする。最近ではさらなる金持ちと熟年恋愛している。なれそめは金に関係は薄そうだけども。ずっと昔から漫画稼業の多い近所の街に住んでいるのに、見かけないな。一方ぐわしの人は時折見かける。普通に見かけるのでなんかびびる。

    自分は豪邸を建てるほどの金持ちになったら、ちょっとユニークなアパートでも建てたい。各お部屋は狭くて設えも安いがセキュリティ硬いとか、何故か駐車場が十分にあるとか、隣の人と仲良くすると家賃が安くなるとか。

    ま…まずは宝くじでも買うか。オリンピックで景気が良くなる気配もないことだしね。

  • ふでのゆくまま

    私がオジサンになっても

    兄夫婦に待望のご子息が、ではなく、わたくしオジサンになりました。技術用語では生誕40年というやつです。現世の魂も半減期、萎れて奈落へ落ちるまで。…まあ日付を見れば生誕日は一カ月もずれていますが。

    20になった時も30になった時もこれといって感慨はなかったのですが、今回もまあないです。これもひとえにはどちらかと言えば平穏な選択肢に縋った人生故の奥ゆかしさ。おほほのほ。感慨もないなどと言っている本当の所は、例えば20歳までにはXXXを達成するとかそういう目標もなくただ歳を取ったというようなことの。

    こんな調子だと、死ぬまでにはXXXXXみたいな目標も持たずに終わるんじゃないの自分。行きたい場所、食いたいもの、全くない筈がないんだけど、執着してないんだろうか、そういう機会があってもはてなんだっけ?と呆けて風呂でうたた寝する。死んじゃうわ。

    執着してないのは目標の達成ではなく、人生自体なんではないか。身勝手な目標に情熱を傾けるのも、自分の魂の住処にすら横着を働くのもまた自分一人のこと。しかしこんなものをフワフワと認めていては仙人気取りで格好つけてる腐れインテリではないか。それは違う。20代の頃は格好良いのかもしれないが、40にもなればそんなアートを哂って業に浸らねばならんよ。怠惰の見返りが違ってくるんだ。

    つまり皆様におかれましては、今後も宜しゅうとかそういう事です。

  • どくしょかんそうぶん,  ふでのゆくまま

    東海道中膝栗毛を読ん….買った。

    最近の教科書にはどんなことが書いてあるのだろうか、なんて思ったりもする。漫画だって30年も続けば作風が変わったりもする。そら現実世界の科学の進歩もすさまじく、昔の常識が単なる誤りであったり、政治的な意図で円周率が3になったりする。インパクトがあったのでこればかり取り上げられているが、実際のところ良識と学のある人が見たならば惨憺たる内容だったりしないか。ナアニ、子供なんてyoutuberのいう事ですら簡単に聞き入れるんだ、ちょろいもんだよおまいさん…。

    東海道中膝栗毛は、江戸の世のベストセラーとして名高い…と教科書に書いてあった。しかしその一説すら知らない。なんか二人旅の道中記という所までは知っている。何でもないニュースをぼんやりとみていると、実際何が書いてあるのか触れられていた。女を見ては一発やろうとする、障害者を見ては遊びの道具にする、などのなかなかにアレな内容であるらしい。そら教科書には出ない。源氏物語だって内容は、とかそういうこと言うほど詳しくない。

    なれば読んでみましょうかと、上下巻買いました。岩波文庫から出ているものです。原文をちょっと読みやすい仮名遣いにして、註釈がついているというスタイル。古文の授業を思い出す。教養の高まりを感じます。現代語訳されたものも御座いますので、手っ取り早くという方はそちらを。なんとなくえげつない雰囲気があるだろうと期待して自分はこの当時の文体が生きているほうにしました。

    実際のところ、流石にすらすら読むことは出来なくてなかなか難儀している。落語や時代劇みたいなもんを想像していると全く読めないと思う。まあ年内ぐらいに読み終われば上等なんじゃないすかね。夏休みの読書と洒落込むにはボリューム多すぎたわ。

  • ふでのゆくまま

    泥色の雲の底が割れて雨降らずミサイルの降る事

    用事により急いで勤務先を出ると、降水確率100%は伊達ではない、あまりに濃いグレーの雲が気色悪い。ここ暫く見たことのない空模様だ。練馬では1時間に100mmの雨だと。あんなところでそんな豪雨では窪地の車が沈んでしまうぞ。台風も来るってのに。最寄り駅で降りると見える空の範囲が広いためか、一層不吉な空模様に映る。思わず写真を何枚か撮り、急ぎ足。

    家でアメダス見たら練馬の降水量0だって。なんだこれ。観測地点がちょっとずれるとこうなる、ということなんだろうか。

    先日は北朝鮮からのミサイルで目覚めの悪かった人もいるでしょうか。自分はその日はやや寝過して、朝、家でPC使わなかったので電車にのってからスマホでミサイルの件に気付いたような有様です。だって街中の様子なにも変わりがないのですもの…。雨が降っても槍が降ってもみたいな言い回しがありますが、ミサイルが降っても、となるのでしょう。宮沢賢治の詩に「雨にも負けずうんたらかんたら」ってありますが、ミサイルには負けるのでしょうか。

    別に雨風に負けてもいいよね。雨風を避ける工夫があるからこそ、詩歌が現代に残っているのです。特にうまいことも言えずに〆。