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チャーリー・ゼレノフは何がしたいのか
(11/7 非公開のつもりが途中で公開になっていたので、最後のほう追記)チャーリー・ゼレノフという人物がいます。(英:Charlie Zelenoff)インターネットのネタに詳しい人なら見た事あるかもしれませんね。以下簡単にかいつまんで説明。ググって出てきたもの読んだほうが早いです。自分は知ったの最近です。
ネット上で俺はボクシングの真の世界チャンプだ俺は最強だと吹聴。ここまでならたまにいるイタイ人。SNSなんかでボクサーを罵り、挑発し、実際に対戦に出向く。えええ…。結構いろいろな人と対戦していますが、一番の大物は本物の世界王者、デオンテイ・ワイルダー。いやいや嘘だろ…。もちろん全く相手にならず。これは度が過ぎたおふざけ、といったところですが、おふざけにしては度が過ぎる罵り方をしています。ワイルダーの家族や人種差別的な発言があったようです。細かくは知りませんが。まあ当時の話題にもなったのでこちらをごらんあれ。
いちおうボクサーとしてのキャリアはあるらしく(プロキャリアでは1戦1負ですが)、素人相手なら逆にフルぼっこに出来るほどには動ける。しかし素人目にも彼の足さばきはたどたどしく映り、さもありなんというところ。
というのが3年以上も前の話。おふざけにしては度が過ぎる罵り方をした相手の所に、のこのこ本当に出向いていくというのは度胸がある、しかも相手は本物の世界チャンピオンのボクサー。頭おかしいんじゃねーの、てーか、本当におかしいのでは?彼の事が話題になり始めてからすぐにこれは本物のメンタルの病気だという指摘があったようです。それだと合点がいくというか。
ただ他人よりも上を行くという厳しい世界で、才能がなくとも努力でなんとかしてしまうような人、案外こういうメンタルの人も多いのかなと思います。ボクシングだけが、彼が辛うじて現実世界の枠の中で過ごせる希望なのかもしれない。そう考えるとさあ…「うっはへんなのいたwww」では済まされないストーリーがあるような、ないような。
わかりますよ、病人つかって感動的なストーリーを語って悦にいるようなことをするなって。まあおちつけ。Extremeというお気にいりのバンドがいました。そのアルバムに、「III Sides To Every Story」という作品がありました。 物事には三つの側面がある。一つはお前から見た事実。二つ目に自分から見た事実。そして、三つ目に物事の真実。真実が大事とか最後に残されるとかではなく、三つ並んでいるということに感銘を受けました。
チャーリー・ゼレノフは精神に問題がある。彼はボクサーにケンカを売ってボコられた。これは彼から見た、「お前」の事実であり、現状では真実と言って差し支えない。彼自身はどうなんだろう。やはりただの病気で事実を受け入れられずに日々を過ごしているんだろうか。あるいは、彼には何か事情があってあのようなことを、現実を自覚の上で行っているのだろうか。ただ虚勢を張るだけならずっと俺が最強だ云々、クダをまいてれいばいい。しかし本物の世界チャンピオンに挑んで当然のように歯が立たず、それでも俺が最強だというのは、勝てるという執念でもあったのか。その割にはとても覚悟を決めて挑んだ戦いぶりではない…というのは、動画を見ればわかる。本物をまざまざと体感し、その場でへたり込み、しかしすぐさま悪態が口から出る。あとは無限に言い訳が出る。次は勝つとか、そんなのじゃない。俺の勝ちだとか言い出す。
この態度には、ナイフで人を刺して歩き回りながら、銃を突き付けられて身柄を拘束された、あの通り魔を思い出す。警官にも一度は襲い掛かりながらも、銃を出されると大人しくなったのは、銃には勝てないと判断したのではないかと、そういう理性があったのだと指摘したのは、…日野晃氏だったかなあ。
ちょっと逸れたか。チャーリー・ゼレノフは何か主張がある。話を聞いてやろうじゃないかという周囲の態度に乗ったが、散々な結果に、何かまだご不満がある。俺が最強だとさ。銃を取れば俺の主張は通るという発想に至らないでほしいものだ。しかしそれは、残念ながら時間の問題という気がするのだが、どうだろうか。人が銃を使う云々と主張してやまないライフル協会様には、是非ともその人とやらをコントロールして頂きたいものです。
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「地球、最後の男」を見た
クッソ評判悪かったので、という理由です。悪い癖ですね、amazonプライムに並んでいたので見ました。一応ネタバレですよ。
評判ほどに悪くないと思ってまったり見てたのですが、エンディングに向けて何も解決しないのが凄い。作中のシチュエーションも、見ている側も、どうしたんだこれはと言いたくなる。それを見た人が面白いと思うか、とか、陳腐と思うか、示唆に富むと思うかまだハリウッドはこんなこと言ってるのか全員BOTなんじゃねえの、とか、そういう映画の内容以前に、制作陣に何かアクシデントがあったのではと思ってしまう。脚本が製本時に何かとミックスされたんじゃないか。
類似作品との比較とかシラネ。同日に「月に囚われた男」を見たけどシラネ。
以下本格的にネタバレですけど。ISSで任務中の宇宙飛行士がアクシデントで宇宙に取り残された、状況は改善しないままに数年が経過、精神も不安定になり、彼の生命を維持しているISSの機構にも不調が目立ってきた。ああ彼はどうなるんだろうか。という実に分りやすいストーリーの全てを捨てて…彼は唐突に宇宙空間のどこからか漂ってきた物体に乗り込み、以下は意味が分からない展開で終わり。ここで酷評の理由が判明。
映画にはテーマがあり、それを観客にストレートにぶつけるもまた良し、と思うのですが、本作はなんと”映画部分”の意味がない。最後のメッセージだけYoutubeの広告にでも出せばいい。映画の主張するメッセージをすべて受け入れても、そこまで映画の内容が全く解決していないと思う。すごい。どう凄いのか言い表せない。何かほかの映画で例えることができるだろうか。
憂さ晴らしに息抜きにちょっと並べてみようじゃないか。ライアン二等兵は戦場に孤立し、なんとか生存を試みる。友軍の救助部隊の到来を信じ、必死に耐え抜くがああもうだめだ、息も絶え絶え、死を覚悟して戦車に向かって銃を一発撃つと、地面からカエルが出てきて巣穴に案内される。巣穴に入ると、カエルに人間の言葉で愛って素晴らしいよねって諭されたメッセージが画面(映画を見ている人の眼前のスクリーン)に表示され、エンディング。
新たにこの街に配属された刑事は、退職間近のベテラン刑事とコンビになる。猟奇的な連続殺人事件が発生し、これはキリスト教の七つの大罪に準えた殺人だと発覚する。次の犠牲者は。犯人は。しかし犯人は不遜な態度で刑事たちに接触を試み、ついには自首してきて、刑事をも生贄にして自らの計画を完遂させようとする。人気のない土地へ移動を要求され、何が起こるかわからない状態で待ち構えていると一台のトラックがやってくる。あれだ、あれに犯人の仕組んだ計画があるに違いない。一同がかたずをのんで見守るなか、トラックは運転を誤り横転して大破。自動運転ならこんなことは起こらないから安全だよってメッセージが画面(映画を見ている人の眼前のスクリーン)に表示され、エンディング。
親の目を盗んで悪い遊びを覚えたような少年たちが、森の奥にある死体を見に行こうと線路沿いを歩いていたらスマホ持った兄貴に出会っておい死体の画像見たか?って見せつけると、冒険なんかしなくてもよい、そうiPhoneならねってメッセージが画面(映画を見ている人の眼前のスクリーン)に表示され、エンディング。
シュワルツェネッガーが銃を担いだけで敵が全員降伏し、戦う男は孤独だってメッセージが画面(映画を見ている人の眼前のスクリーン)に表示され、エンディング。
ボクシングやってる青年の意中の女性が画面(映画を見ている人の眼前のスクリーン)に表示され、エンディング。
この作品見る価値ないです、と画面(このブログ読んでいる人の眼前のスクリーン)に表示され、本作のレビューおわり。
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想像しない日がやってくる、アレを使う日が
来ないと思っていた日がすぐにやってくる。重力波に見えた太陽暦のなせる業。
休日出勤で自社多部署のお手伝い、朝もはよから二時間近くも電車で移動するので普段よりもむしろ早起きという渋々に嫌嫌な案件で御座います。な、おりに前日の夜になって現場で使う資料の差し替えがやってきました。現場での具体的な作業の手順書なのでカラーで数十枚印刷する必要があり、そんな大量に自宅で印刷したことないので取り敢えずPDFにしてコンビニに行ってみた。しかし一枚50円(自腹)では流石にちょっと…。試してみたけど早くもない。なるようになれと自宅のプリンタでインク節約モードでヒヤヒヤしながら印刷。怪しい色になったが許容範囲だ。
それを閉じるべくホチキスが…ここには無くて、普段の常駐勤務地の引き出し一段目左側にあるというわけです。クリップで挟んで誤魔化そうかとも思ったが…この際買おうか。先ほどのコンビニでお買い上げ。店員さん、ぼくの事情が伝わっていますか?如何に技術が進もうが、紙が無くなるにはまだまだ時間がかかるだろう。ならば当然、その間は、ホチキスとかの出番もある。今時の高級なオフィスプリンターはホチキス留めまで印刷と一緒にやってくれるらしい。そりゃペーパーレスなんて進まないわな。
自分たちが今、例えばミシンに対して抱くような印象を、その、時代の人はホチキスやシュレッダーに対して抱くだろうなあ。財布なんてものも謎のアイテムになるかもしれない。
シュレッダーも家にはない。あるかそんなもん。あんなゴンゴン言わす洗濯機みたいなの、って最近は個人用途の卓上サイズもあるのね。100円ショップで個人情報消去スタンプと、手動シュレッドハサミをお買い上げして、使い終わった資料と、ついでに押入れから出てきた請求書領収書伝票。数年分。じつに一週間毎日お家で、トータル9時間ほどかけて手動でチョキチョキ。没頭。なんか悩みやイライラが消えていくような気がして、こんな大量にさばくのももうないかなーって思って最後まで鼻歌交じりで手動でチョキチョキ♪
嘘だよな。思ってもない事書いた。気取ったか。洒落っ気か。実際は過去に逆恨みをぶつけて、心の病みたいにしかめ面で切りつけた。金曜の夜に3時間。力いっぱいハサミを握りしめ続けた。ゴミ袋からコースアウトした破片どもも、最後の一枚の処理が終わるまで、すなわち一週間ほどは床に散ったままだった。火が使えるんだったら燃やして終わりのくせに何が鼻歌まじりか面倒くせえ。床の破片をふと一枚拾ってみると、「病」という文字が判読出来てあゝ紙きれまで僕を蔑むのですお代官様裁きを。ネット引き回しの刑。
自分の名前や住所を切り刻み続けるというのも、なかなかに薄気味の悪い響きがある行為だ。これだけ大量に印刷された紙を一枚一枚眺めてからハサミを入れる様なことを数日も続けていると、やがて気付くのだが、個人情報が書かれているような場所はフォントが異なっていたり、枠の色が変わっていたり、推測が出来る。文字と空白のパターンなども特徴がある。ざっくりと考えて、一文字を4分割ぐらいの細かさではそもそもの細かく切る目的を達成できないのではないか。細かくした紙からそのレイアウトを逆算できるかと言われるとまあ簡単ではない気もすんだけど、なにせ数が多いとなればな。
20Lのゴミ袋一つでは収まらなかった紙くずを気に掛ける。現代社会で当然の対応だと言っても、ハサミで切っているあたりも鑑みてまあいかにもビョーキだ。部屋ごと燃やすぐらいの爽快な解決策を進ぜたいですお代官様。
—お前の名前が燃えるときだけな、炎の色が違っていたのを見たんだ。
「放火の咎にて打ち首獄門、しかし情状足る故を認め、首には目隠しをして進ぜよう。」「お代官様お心づかいは無用で御座います」「なにゆえであるか」「故人情報は反故されますが由に」
ブログとかが中の人逝去によりサーバ料金やドメインの支払い停止で消えていくの、何とも美しいと思う。その手前に家族や親しい人が訃報を残しているようなの、実に良いと思う…。インターネッツの無限に思えるリソースの中に、それが枯れていく仕組みが実装されているの、面白い。もしかして、なんて思っているうちにふっと消えていく。そう、そうだよね。故人の思い出などは生きているうちに集めておくものなんだよな、そういったものが必要になる日が来るなんてみんな想像してないが、すぐにやってくる。想像してない日が、アレを使う日が。
誰ですかステープラーなどと言っておるのは。
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それは票を清める温度
選挙と投票って分けて考えて良い。
ここ最近から、選挙権があるのは18歳以上のその他細かい条件を満たすだろう人々。で、その歳になれば大体は、オフィシャルな書類ほどペンで書くという事を心得ているものです。ところがどうでしょう…投票所に行ってみれば鉛筆が置いてあったりする状況を真面目に考えたらどうなりますかね。高校生のバイトの履歴書でも鉛筆NGだし、役所に出すなんか申請とかも鉛筆は受け付けて貰えないんじゃないですか?お備え付けのものはどこでもボールペンでしょ。紙とか切り刻めるし燃えますけど、どうなんでしょうか。
こう考えれば選挙に参加する価値あるんですか、と疑問に思う若者が云々、などと若者とか引き合いにだして自分の考えを書いただけですが、さあこれどうなんだ。という意見に対するネット上の回答がこちら。
https://togetter.com/li/998227
納得できるものかどうかは人次第だと思うけど…。どれもこれももっと根本的に解決策がありそうに思えて、という事はまた、根本的に何か改善する方向性を模索したほうが良い結果に繋がるんじゃないのか、とも思う。字を書く必要があるのは何故なのか。例えば選択式ではいけないのか。それの準備って本当に現実的ではないのか。やってみたけどダメだったような事例があったりすんのか。調べればいくらでも情報は出てきそうなので意識の高い政治家の人は調査してください。選挙のシステム自体がいい加減現代にそぐわないので法規から技術要件から変えましょう、という候補者には一票入れますよ。ただしXXXXとXXXXとXXXは無条件でNG。そいつらにXXXってしまうぐらいなら、このまま国ごとXXったほうがXXXXXのか。
斯様な無責任な意見こそ若者には嫌われるんでしょう。かつての若者の言葉に、Don’t trust over anyone thirty.というのがありました。これこそ無責任ではありますが、しかし疑ってみるという姿勢は前へ進むための真言でもありましょう。選挙のたびにX安XX件とか引き合いにだす大人を疑おう。おそらく未来は暗い。間違いなく。しかし暗いと不平を言うよりは、投票用紙と新聞紙に火を灯しましょう。
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底冷えに穿つ地脈の竪穴の踵に見えて頬赤らめる事
冷たさを感じなくなったものだ。
雪が降っても雪玉握りしめて人に投げつけたりもせず、水たまりに薄く張った氷を踏みつけて割り、両の手でかざして風景を透かすなんてのもしなくなった。すると冬将軍様は休日の朝早くや夕暮れにお出かけするときなんかにお忍びで頬や両肩にやってくるようになったが、これは寒さというやつだ。水道からもお湯が出るのが珍しくもなくなったので尚のこと、冷たさは何処かへ…。しかしその日は駅までの道すがら、信号を待つわたくしの足の裏にやって来た。12月の並の寒さですと天気予報に出ていた。暖かくしてお出かけください。あたたかく。この朝は歩道に敷き詰められた、水はけのよいあのブロックの一つ一つが、天と大地の伝道。忠実に冬の気配にまぐわいをキメておられる、以て、寒さを冷たさに、故に伝導。凍てついたマントルのつららに貫かれ日本海は底が抜けた、わけではなく、靴底の穴から浸水した。あなや。
通勤の靴は、面倒なもので同じ靴を限界まで履くみたいなことをしている。ちゃんとした手入れもせずに履いているので一年とちょっとでこうしてダメになる。手入れをしても靴底に穴ぐらい開くかもしれない。靴底の手入れってなんだよ。兎に角、営業職でもあるまいに、本当に平日に客先のオフィスまで出向き、また退勤するだけでこんなありさまだ。たまに自社まで歩くにしても、客先のオフィスから幸いに一時間はかからない程度のものである。頻度で言えば月に3回は下回る。思えば、靴の一般的な耐用年数ってどのぐらいよ??一度ちゃんとした靴をオーダーメイドしてこさえてみるか、などとも思ったけど、毎度のように思っただけでとどまっている。紳士は一足ぐらいさういふちゃんとした靴をお持ちなんですってよー。やーい。こういうのを靴辱と言いますね。言いません。
それでは次の出勤から、おにう靴、と行きたいところだが、かなりの規模の台風がご来訪。どんな靴でもそら濡れる。長時間の立ちっぱなしとか下手すれば結構な距離を徒歩もあり得る、歩きなれた靴のほうがよいので最後の晴れ舞台。
いやだから雨だっつうのよ。伊勢湾台風並みだって。4000人死んでいる台風並みとはごうきなもんだな…。
修理ならどうかと調べると3000円ぐらいから修理ができるようだ。これででまた一年履けるなら問題ない。靴底以外のコンディションはどうなんだろうか。手入れもしないのでマジマジと靴を見る事すらない。玄関に半ば脱ぎ捨てているまだ湿った靴を拾い上げ、裏返すと穴などどこにもないのでありました。あなや。どころか、中敷きはボロボロ、つま先は禿げており、踵も斜めにすりへっている。ではどこから濡れているのかという事になるんだけど、これ全体的に沁みてきているってことなのか?素材なんだっけカンガルー革だっけ。
めんどくせえ、濡れたら拭けば良いじゃないか。靴下とタオルを通勤カバンに入れて、あとは夜更けに過ぎ去ってくれるを祈ろうとするも、何度見ても朝の六時にトウキオ上空にござらっしゃる。エゝこうなりゃサボりてえは。一日オフトゥンに寝転びて、台風に吸われし40の企て。東海道中膝栗毛を読み切ってしまおふ。
上巻を読み終えた。もっと筒井康隆みたいなブラックさがあるのかと思っていたが、どっちかというとミスタービーンとか、ドリフターズのショートコントだ。紀行文なので、適度に場面が変わって良い。そういうの読みやすい。考えてみれば自分は確かに自叙伝とか紀行文の形態の本が好きだ。中谷美紀のインド旅行の本も、一巻しか読んでないけど続き買おうか。ヲヤ、さらに考えてみれば、プロフィールにも載せているぐらいに好きな本、「キッチンコンフィデンシャル」と「アイドル墜落日記」どちらも自叙伝だ。ここ数年、長い話が追いきれないんだよなー実に頭の悪くなったことでして…。
倣って短く行かふ。台風と冬がきました。靴が冷えます。