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東海道中膝栗毛を読んだ
上下巻を読み終えましたので。
やはり現代とは異なる文字の並びであるので、読みにくさはあるものの、内容は難しいことではないので楽しめた。珍道中。そのものだ。これ落語でなかったっけ?みたいな展開とか、ドリフのコントみたいだなーって展開が小気味よく登場していく。紙面の都合だろうか小ぶりなサイズではあるが、著者自筆の挿絵も綺麗な画質で随所に収められている。挿絵は説明的ではないけれども、それぞれの場面の雰囲気が伝わってくる。ぼんやりとね、なんとなーくという感じで。興味をそそられるものではある。脚注も豊富で、ページをめくってもまだ脚注が続いている、なんてことはざらという力の入れよう。これは大変に良いインプットになりましたね。じき忘れるけどさ…。
犬の鳴き声が「わんわん」馬のいななきが「ヒヒイイン」とか表現の方法が今とそう変わりがない。方法って言い方もおかしいかもしれないが、変わりがないのがまた新鮮に思える。平安時代?かなんかの書籍では「びゃうびゃう」だったじゃねえか。他には、不味いものを口に入れたら「ペッペッ」どこかぶつけたら「アイタア…」馬の小便は「しゃアしゃア」こういったところが、ああ確かにこれは我々の国の昔話なんだなあと思える。
二人のキャラクターは実に面白く、また現代から見ると「てんぷれ」ですらある。悪戯を仕掛けては返り討ちに会い這う這うの体、運が良いと思えば勘違いにぬか喜び、儲け話は逆手に取られてぎやふんという。そこで「へえごりょうけんを、すいやせん」とぺこぺこ頭を下げては「いやあえらい目に遭ったぞ。ハハ、、、、、、」と。それで許されるのは創作だからか、あるいは当時の文化がそうだったのか。そういう所まで所見が及ぶとまた面白いのだろうけどなあ。ちいとほら、わっちは脳の普請が良くねえので、、ヲホ、、、。また二人は旅人であると同時に、江戸の町人ということである。旅先で何処の者かと尋ねられ、「わっちらはおゑどでござりやす」なんてやり取りが何度も出てくる。江戸っ子の気風というものが作中に出ている…のだとは思うけど、どうかな。不勉強であまりはっきりと感じる所はなかったというか。あるいは逆に伝え聞く典型すぎてわからないとかなのかな。我々の国の昔話、とか言ったが、どうも「江戸」という街は何か特別だ。
出版は1802年に始まり、年に一回、一編ずつのペース。当時の世界情勢をwikipediaで調べると、ヨーロッパは近代化の流れにくんずほぐれつ戦争に明け暮れている。ナポレオンが大暴れ。アメリカは国土を拡大中。日本も蝦夷地の開拓が進み、世界地図が塗り替えられていく時代。肌が黒いだけで人間扱いされない時代。いっぽう日本のミラクルピースなんて言われるのもこのあたりの時代なんだろう。後世に残る文化というのは、当時の世の中を素直に反映するものだろうか。東海道中膝栗毛ほどに色を付けたものでなくとも、もしかしたら他にも、旅日記みたいなもんがあるのかもしれない。気ままな旅に出た小金持ちなんて、いくらでもいるんじゃないか。あるいは…そういう人でも日記など書き付けるのはしないものだったのだろうか。
いまでは例えばUSBメモリ一本残れば結構な情報量が残る。それ自体が今でいう鑑定すれば億の値が付くような、文化的アイテムとなったりもするかも。この時代の我々は、ただただ、記録を積み重ねている。筆を執って挿絵を描くなんてことをしなくとも、どんどんストックされていく。はて。どんな世の中だったと後世に伝わることでしょう。
…ところで、旅と江戸ということでぼんやり考えていたら、また別の人物が頭に浮かんだ。こちらは三人連れであるが、ずっと諸国を旅していた印象がある。こちらのお話はどうだろうと資料をあたったら、やっぱり「東海道中膝栗毛」の影響を受けたと見られるんだとさ。とほうもねえ。
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「2001年宇宙の旅」を見た
50年も前の映画が楽しめるわけねえだろおいいい!??
そらそうだ。以下ネタバレ。
コンピュータの知能、宇宙船。この二つのキーワードで何かが連想できるほどにはもうマンネリなんです。ただ、マンネリの開祖かもしれないよなんせ50年だし。兎にも角にも、50年前を持ち出さないとレビューは何も始まらない。そうじゃなかったら「退屈だ、なんだあのオチ」で終わってしまう。
未来を想定した作品を、実際の未来人である我々が見てるんだから、驚きなんぞなくて当然ではある。人知を尽くして予報した三日後の天気は、四日後には価値がない。そういう例えであってますかね。しかし50年前の映画というわけで、こちらから過去に遡ってみると、楽しみようがある。BGMのボリューム大きいなーとか、どうやって撮影したんだろうなー、なんて。
冒頭のお猿さんも、人間だなあ、って動きに見えてしまう。いやそりゃ人間が入ってるでしょうよ、そうでしょうよ。目なんかどうみてもマスクの下の人間のだろってわかりますよ。わかった所で映画のテーマが変わるわけでもねえんだけど、気になってしまうんだよね。
それもこれもそのシーン長いからなんではとも思う…その他もろもろ、長い。同じシーンが長いという言い方であってるのか、退屈なもんだった。画面に映るものに好奇心が沸かない。何度か寝落ちしてしまった。ま、50年とはそういう時間だってことで。
ところで作中に出てきた黒い板。あれがモノリスってやつ?
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瓜田に税を納れれず
客先のオフィスに置いてある自販機は、路傍のものよりもお安いのでとても重宝しております。
おりますが、電子マネーのリーダーが壊れたようで、現金でのお買い上げを強いられております。現金お買い上げでも商品価格が上がるわけではないですが、微々たるポイント還元に影響があると考えると、現金をゴソゴソする手間も相まって唇がへの字。盛況時には後ろに人が並ぶなどあり、便利さなど脆いものだと実感します。ボタン押せば清潔で冷えた飲み物が出てくる、それですら不満を感じるものですから、幸福に満たされた感情など遥かに遠く、おそらくはあすこ、奈落の淵あたりに置いてあるのでしょう。
駅の改札、スーパーやコンビニでもほとんどの人がデフォルトで使うようになりました。老齢の方でも持っていることが珍しくありません。…多分。とは言え、レジでは電子マネー
祓いを払いを申告せねばなりませんね。いずれこのやり取りも消えゆくのでしょうか…。「Suicaでー」
「はいタッチお願いしますー」
ピッ
「どうもー♪」なんだよそれwwどうしたんだww普段そんなじゃねえだろバイトのお嬢さん。この応対がおかしく、ニヤつきながら店を出る。これは経験ある人多いと思う。殊更に忙しかったり、あるいは逆に喉か過ぎると、普段の身に染みた行動が、その時の気分でアレンジされて出てくる。忙しかったらいわゆる「テンパっている」状態。暇だったら…なんか適当な表現が思いつかない。うっかり。ぼんやり。思考停止。「別の宇宙にいる」というのがちょっと流行った気がするが。
Suicaで支払いができないものもある。税金や公共料金がそうだろう、うちの自治体では有料のゴミ袋や粗大ごみの料金などもダメだ。切手や印紙もだな。コンビニに転がっている各種商品とカテゴリが違いますよね、というのは自分には納得がいく説明だが。電子マネーも各種あるんだから、そのうちには支払いができるようになるだろうか。
富貴を顕すに家畜の群れを見せる必要はなくなり、小判の山を積む必要も札束を積む必要もなくなり、通帳の印字もなくなるとあらばあとはどうせませう。かざすとその人の資産が見える様な機械でも出来るに相違ないです。ドラゴンボールに出てきたスカウターみたいなの。あれは戦闘力がわかるが、道行く人の資本力がわかるとそれはきっとその人にはリスクとなるなあ。それを誤魔化す算段が必要になり、良心的な非公開機能が実装されるまでは、人々は額面を偽ったSuicaを持つようになりましょう。
瓜田に銭を入れず。資産家と疑われることをしてはいけません。現世は修羅場なのです。
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「メッセージ」を見た
この映画を見たという方は以下の部分を選択して文字色を反転させ、文字を表示してその疑問について考えて欲しい…答えを知っているならコメントに書くなりして”メッセージ”を頂きたい。
映画を見た事無い人にはネタバレではありますが、ばれたところでそこまで楽しみが損なわれるものではありません。作品を鑑賞しながら、あまりに納得いかなかったので。
反転部分次の行から
人類と彼らは向かい合ってコンタクトを試みている。その二者間に文字を出現させたのならば、彼らから見た文字と、人類が見た文字は表裏が逆になるのではないか。左右逆と言っても良い。ガラスを挟んで向かい合い、ガラスに文字を書いているような状態でしょう。文字の解析は人類側から撮影した映像を基に行っているので、左右逆の文字を解析している事になる…と思うのだが。これじゃ文字を正しく解析できないのでは。「彼らの文字は裏から見ても同じ意味になる」とか、「そういう概念が彼らには存在しない」とか、「人類側から読めるように意図して書いた」みたいな描写、映画中にあったっけ?
反転部分ここの上まで。以下レビュー。勿論ネタバレ。
なんだこれ。「メッセージ」と題して、メッセージはどうでも良いというか…伝わらなかった。超能力を授かり、未来がわかるようになった!おかげでいろいろ解決した!…そういうこと?もっとメッセージの読解部分にフォーカスしても面白かったと思うんだけど。いつもどおりのアレとしか言いようのないいつも通りのアレでお話が進んで。原題は”Arrival”というわけで、まあメッセージはどうでも良いか。
…えーと、ま、駄作でした…。
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安全第一
各駅停車の電車に乗った筈なのだけど何故か駅を通過。前のほうの車両の吊革につかまって立っていたので通過する駅のホームを見て、あれ?って思った。程なくして急停車。なんだなんだと思っていると、車内放送で案内があり、20分ほど待たされて元の駅までバックして、その後は何もなかったかのように運行。
何もなかったわけない。不自然だ。車内放送は「停止位置を大幅に超えたため戻ります云々」というけど、どうもブレーキの気配もなかった気がする。運転士が居眠りでもしてたんだろうか?だったらすぐに降りないと次には命が無いかもしれない。
普通より早い時間の出勤で、多少遅れても言い訳がたつ、というような事情もあり焦ってはいなかった。このまま乗っていて大丈夫だろうか、次のカーブでひっくり返ってすっ飛んでいくのでは、なんてことを心配しないのがこの国の暮らし。福知山線の事故の経過とされる文章を読むと、ぞっとする。多分、おそらく、もしかしたら、だけど、この事故の車両に乗っていた人でも、なんかおかしいだろって気付いたひといたと思う。月曜日の午前9:00過ぎ、降りて乗り換えたり待つような余裕のある人が多いとは思われないけど、もしかしたら、亡くなった方の中には、これに乗ってて大丈夫か、なんて思いながら事故に遭った方がおられたかもしれない…。降りて助かったという人も、いるのかもしれない。
自分が体験した急停車、ネット上で全く騒ぎにはなってないなーと思ったけど、一部マスコミのニュースにはなっていた。
http://www.asahi.com/articles/ASKC23D3YKC2UTIL00H.html
レインマンて映画見た事ある人多いと思う。彼は、カンタス航空の飛行機じゃないと乗らないと主張して兄を困らせる。今までに一度も墜落してないからと。この行動は精神的には病理のほうへ分類されるもんだと思う。「生活」が破綻しかねない。
安全第一にも限界があるんだろうなー。ちょっと危険でも良いから電車うごかしてくんねえか?みたいな割と大参事にはならない程度には、質の世さが担保されている、されて、され、されているといいんだけど、謎のO-157流行とか、精鉄がどうの車の検査がどうの、ちょっと価値観変えないと命が危ないなんてケースが増えてくるんでしょうか。これについていつもながら、まず自分の考えはこれ。
めんどくせ。