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地震が来りて
あのアラート音は傑作だなと思う。
ついに来るのか!と覚悟を決めたつもり、すでに大きく揺れ始めている。ガチのマジで慌ててしまい「うそうそうそうそ」と呟きながら避難場所と想定している机の下にスマホとそこらに落ちていた上着を放り込み、台所を覗き込んで火の気がないのを確認。自分の体を机の下に潜り込ませる前にまだできることはあるかと躊躇しているうちに、揺れが収まっていく感覚があった。いったん落ち着く。
親に無事を報告メールうちつつ、外の様子を見る。異常なし。
二発目が今以上の規模で来る可能性があると思い、机の下の装備をチェック。LEDマグライトOK、靴下も放り込んでおくか、だったら着替えもってそれは違うか、トイレ行こ。バケツに水をためる。靴を放り込む。五分ほど静観。ああ肝心の地震情報調べてなかった。震源が近傍なので二発目きたら本物の大震災なのでは?と脳みそが止まってしまう。風呂に入るならむしろ今しかないのでは?五分でシャワー浴びて適当に体洗って着替える。
寝る。寝るなら今しかないのでは?椅子を無理やり隙間に移動させて、体を転がせば机の下に入るフォーメーションを組む。今振り返れば、ここで外の様子を見ないのは失敗だった。寝入ったころに火の手が回ってくるかもしれない。どうなんだろうなーやべなーーーって思いながら簡単に寝入ってしまった。
その後何もなく朝。今回は東北大震災の時より揺れたという話も耳にしたけど、あの時自分はビルの上のほうに居て、長い時間ぐわんぐわん揺れて心底恐ろしかった。それと比べると揺れは小さかったと思う。それに、準備したものが全て手元にある状態の心強さ。なんといってもリモートワークの有難みを感じる。
おそらく自分が生きているうちに本番が来ることでしょうが、何をどれだけ準備しようとも、それがお散歩中か家でゲームしてる時かは、運次第だもんなあ。
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雑記
I shot the vaccine♪
医療専門の施設ではないところだったので、受付担当とか待機場所への案内役とかがそこらにいる様子というのが、緊迫感を煽る。会議用の長椅子が廊下に並べられ、パイプ椅子。その様子はなんとなく、投票所に近いものを感じた。あれも国政の根本だが、専用の施設などはない。有事の際?には手続きさえ適正なら、どこでも実行できる余地を残す運用にするのが正しいんだろうなあ。ネットワーク障害とか言っているときの、現金の強さ。
この場所は、世が世なら、なんなら数か月後に、助けをえられず呻きながら息絶える人々、白い布に包まれた遺体が並んだりもしたんだろうか。
椅子に座り待つ。右に夏の気軽な装いのお兄さん。自分は同じような装いのおっさん。前にご婦人。左に落ち着きのないおっさん。
おちうしゃは一瞬で簡単に終わる。shotの前に、有事の連絡先を記入するように言われてうろたえる。親の家にしたが、事前に知っておけば、近くの親戚とかにお願いできたかもしれない。普通は近くに頼れる人がいるんですってーああそうですかーあーはいはいー。
待機。
スマホを操作することは問題無いようなので、接種を済ませたことを親にメール。近しい人多めのSNSに告知。リアル付き合いのほとんどないSNSにもぶん投げる。何かあったら看取ってくだせえ。医療スタッフと思しき人々が、まじまじと待機中の人々の様子を伺っている。近隣の病院から集められたんだろうか。世が世ならこの方たちは。経過に問題はなかったようだ。スタッフに促されて退出する。このような状況の場所からの退出であるので、人の流れが途絶えることはなく、しかしキッズもいないのでとても静かだ。なんだろう、あえて言うなら満喫した。
飯を買って帰る。問題が起こるならここからだ。医療スタッフ総出のまえで泡吹いてひっくり返るよりも、自宅で「なんか体調おかしいな?」というほうが死に近い。粉ポカリを薄めに作ったものを1リットルほど用意。窓は開けておく。何かあったらこの番号に…といわれた番号をスマホに登録する。スマホのロックを無効にしておく。冷凍庫の氷を増量すべく適当な容器に水を入れて格納。ロキソニンはあるが解熱剤はないな。体制を整えたところで、テレワークでお仕事再開。あれ?休みにしなかったんですか、なんていう人もいて、逆に慌ててしまうが、体調に問題はない。
ところが日が落ちる頃になると、ちょっとポカポカしはじめる。体温を測ると発熱はしていない。接種個所に痛みが出始める。定時で仕事を撤収。椅子を回せばお布団がある。横になったらすぐに眠くなった。
初めて道行く人の足音を聞いた。
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「上島ジェーン」を辛うじて観たといえる
一応ネタバレ。
物理メディアでお買い上げ。ところが、途中に再生できない部分があった。手に入れるには中古品しかないのでこういうトラブルは致し方ない。物理メディアの弱点の一つだ。
冒頭から30分ちょっとは再生できたのだが、そこから後ろが再生出来ない。再生アプリが停止してしまう。シークしながらどこか再生できないか、何度もエラー表示でアプリが停止するのを繰り返しながらも、後ろへ、後ろへ。やがて再生できる個所を見つけたものの、本編の最初30分、最後残り20分ぐらいの部分と、特典映像だけを見ることができた。
映画の内容はおふざけモキュメンタリー。エンディングというかオチは映像作品としては最低レベルにひどい。監督は舞台挨拶で、エンドロールの最後まで見てほしい的なことをのたまうが、良くこれで言ってのけた。あっぱれ。監督をググってみたら、そもそもテレビのバラエティ畑で仕事をされている方のようだ。特典映像に収められている舞台挨拶で、「上島竜兵がサーファーだったらどんな人生だったのかな、と呟いているのを耳にして、この作品を作ろうと思った」という趣旨の発言をしていた。制作のモチベーションを前フリにした、ということかな。
兎に角、映画作品として真面目に鑑賞するほどの作品ではない。買わなくていいよこんなの。
買うなよ。
絶対買うなよ。
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「今夜、すべてのバーで」を読んだ
いちおうネタバレ。中島らも氏の作品で、たいそう人気の作品だそうな。
本書で個人的事情により殊更強く印象に残った場面があった。主人公が外から酔って帰ってくると、医師に出くわす。医師は、主人公を霊安室に招く。そこで乱闘騒ぎに発展したり、いろいろ起こるのだけども…。この辺りで「嗚呼」と思い、kindleアプリを閉じてしまった。
読んだことあるじゃねえか。
本エントリの趣旨は以上で完了であります。拙ブログを検索しても言及はなかった、刊行は1991年ということなので、たぶん大学生の頃にでも読んだだろうか。
作品の中身についても少々。著者当人もアルコール依存症を患い、半ば自伝的な内容の作品でもあるのかと思う。作中、主人公からこのような愚痴がこぼされる。「街中のあらゆる場所で酒が売られている。メディア、街頭の宣伝でもひたすらに酒を飲めと勧めてくる」そんなもんで酒に走るのだ、とかそんな感じ。実に身勝手なものだと思う。依存症は病気だというが、それでも、”そうなる”まで飲んだのは、個人の意思だ。同じ量の情報を浴びても一滴も飲まない人、飲んでも適切である人、酒はやめましたといってきっぱり本当に止める人、なんぼでもいらっしゃる。その一方でお前はそんな適当なことを言っておるから、そんな体たらくになるのだ、と霊安室で殴りつけたいところだが、主張はある意味真実でもある。2021年現在でも、電車の中にまで広告あるもんね。
一撃アウトな薬物は禁止されているのに、同じ薬物でもある酒はOKな理由がある。文化的、経済政策的な側面での理由があるだろう。人間は何かしらに依存するもので、よく議論されたものではゲームだってそうだし、なんなら白米なんてものだって、無理やり依存だといえば依存かもしれない。そんなものを根絶させようとしても、世の中がさらに歪になる。自然災害に対するが如くに、ぼんやりとでも知識を備えて脱出ルートを想定しておくのが賢いんだろう。半ばあきらめつつ。
と、いうところに付け込んでくる輩もいるから困ったもんだね。
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雑記
作業しながら将棋中継を何となく見たり、見なかったりしていた。CMに入ると「水戸泉、関東初の冠番組」と音声が耳に入る。関東初…地方タレントとして人気がでたのだろうか?次のCMで画面を確認すると、水戸泉ではなく「見取り図」という若手の芸人コンビであるとのこと。水戸泉の冠番組…どんな内容なんだろうか、大喜利のお題みたいである。
鶴瓶の麦茶パック、今年も愛用して、最後の1個が残るのみである。…54個入りを毎回2個ずつ消費していたのだが、残り1個て。なんだこの怪奇現象は。そういえば洗い物の中に落として洗剤まみれ、なんてことがあった気がするし、1パックだけにしてみたこともあった気がする。いっそ54が素数になった、というぐらいの怪異でもあれば残暑も涼し。
シャツのボタンを上から3つぐらいだけ留めて、電車で出勤してしまう。怪異。白いシャツに白いTシャツ、ボタンも白っぽい。電車の中はずっと座って膝の上にカバン。だから目立っていた事は無いと思うが、気付いたのは昼過ぎなんで、そこまでに勤務地の人々には気付かれたか。
夜の心地よさが一番良い季節。台風過ぎて阿呆みたいな青色が広がったその夜、田舎の真冬を思い起こす冷たいお月さま。団子なんて何年も食ってねえんじゃないかな。