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膳
箸を買い替えた。
一人暮らしを始めてしばらくは割りばしだけで食事していた。その後、いわゆるマイ箸を買ったのはいつのことだろう。おそらくはそれが人生で初めて買った箸だった。今ではコンビニで弁当買った時にもらえる箸も、丸みのある竹の箸が殆どだと思う。当時はスカスカな感じの木材で、角ばっていたと記憶している。そんな割りばしは頼りなく、重いもの持ち上げると折れたりしてさあ。でも、しばらくはそれだけで済ませていた。
今でもコンビニめしをまあまあ利用するので、毎回箸をもらっていると割りばしが増えていく。何も言わずに袋に入れてくれる店員も多いよね。外で食べてそのままゴミとして捨てるのではなく、家で使うことが殆ど。だから割りばしを一回で捨てるような事もなくて、何回か洗ったりして使うんだけど、体感で1週間ぐらいは余裕で使える。なんならもっといけるんだろうけど、燃えるゴミの日に目に着いたら捨ててる。これって意味のない消費、つまりは浪費をしているなあと思うので改めたい。店員さんに「お箸要りますか?」と聞かれれば断るのは容易だ。しかしこちらから箸を要らない主張するのは伝える間合いを測ってしまう。店員さんは余計なことをしているのではなく、当然のサービス業務なわけで。そこでセルフレジ。これなら勝手に袋に箸が入る事はない。しかしコンビニではセルフレジをやった事ないなあ。あれどうすんだろう。それに、例えば閑散とした店内で、店員もレジで俺が商品を持っていくのを待ってる、みたいな時に、スルーしてすぐ横のセルフレジへ歩むの気まずくないだろうか。その気まずさの懸念は手際よくお会計済ませることができるかという不安にある。2024年にもなってこれだよ…。
スーパーのセルフレジと同じじゃないのか?としか思えないが、調べてみると例えばファミリーマートは実にやる気のない公式コンテンツで萎える。「e-taxで確定申告が簡単」みたいな実際利用した側から言わせれば納得のいかない説明がかくかくしかじか…ではなく、さらっと書いてある。これは不安を覚えるぞ。改善せんのかね。
https://www.inq.family.co.jp/familymart/QA_Customer/web/knowledge538.html
しかし2024年なので、ネット上には市民の手による情報があふれているのでありました。バーコードで商品管理している以上、どこでも必要な事は一緒だよな。ちょっと手順が違ったりするだけで。
https://smakko-cashless.com/familymart-selfcheckout
まあいつか試すとして。
なんならレジすらない、店員もいない店舗もある。使ったこともその予定もない。利用には事前登録が必要だから、見かけてフラッと立ち寄ることもできないし、何度も利用するのでなければ事前登録なんてしない。何度も利用するかどうかは場所と品ぞろえ次第だが、その点は住まいの近くのコンビニ、スーパーに勝てないもんね。家で使うものだったら、ネットで買って届けてもらうのがさらに便利。「レジすらない、店員もいない店舗」だって、そのうち配送オプションが利用できたりするんじゃないの。
そんな配送で大変お世話になっている運送業者に働き方改革がやってきた、ということらしい。少し前から世の中にインパクトが大きいであろう政策ということで、ニュースなんかでも取り上げられていたように思う…。当然のように最初はうまくいかないんだろうなあと思うが、実情は無いもわからん。街中のコンビニやスーパーの納入トラックは今まで通りに見かける。ネットでのお買い物が届くの遅くなる、ぐらいなら自分は全然かまわない。そもそも、翌日中に家まで届く、というサービスが異常だった。日付指定がちゃんと機能するなら、大体のものは一週間かかっても問題ない。もっと急ぐものがあったら、それは自分の足で買いに行くに決まってるんだ。箸とか。
しかしね、運送業者全般の業務に影響があるなら、店舗までの商品の運送だけでなく、工場への資材の運送にも影響あるんじゃないか。そもそも生産が滞ってしまうなら、近場の商店へ足を運んでも売ってないかもしれない。ネットで買い物したときや、引っ越しの時にお世話になる、自宅の玄関に訪れる運送業者ばかりを思い浮かべてしまう。実際は、もっといろんな物が港から工場、工場から倉庫とそこかしこに運ばれているのでしょう。
だから自分で作れるってのは凄く便利なことなんだなと思う。よーするにDIY。もっと現代っぽく言えば例えば3Dプリンタで実用品を製造して自分で使ってるなんて人も、結構いるんじゃないかなあ。箸とか。
菜箸も買い換えた。シリコン菜箸の先が溶けるかなんかで、中の金属がむき出しになっていた。それに気づかず、フライパンの表面傷だらけになってもうた。まだ新しいのにクッソ悔しい。
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さくらを背負う人
春でありますので、桜が咲いただの引っ越ししただのという話題を目にすることが多くなります。退職したというのも増えますね。退職エントリでよく見かけた例の中華料理店の画像、今では誰も使わなくなりました。店舗も確かだいぶ前に閉店。
新人さんって、どこからそういう雰囲気出てるんだろう。新社会人とも言う。そっちのほうが使うか?スーパーに買い物行ったら、そんな人がいた。客観的に見ればただ若い人がスーツ姿でお買い物中であるだけなのに「おっ、新人さんだ」という気配を感じ取ってしまう。じゃあスーツ姿じゃなかったら、そんな気配を感じないのかと言われると、これが、本当に感じないような気がする。例えば大学生だって「この春から上京してきました!」という若者がめちゃくちゃ沢山いるはずなのに、ほとんどわからない。
では、その新人気配とやらはスーツ姿から出ているのか?試しに先ほどの新人さんとそこらの人の服装と着せ替えをしてみればー…なんて想像していたら、その新人さんの様子が、風体が、瞼に沁みついてしまった。なにやってんだ。自分が良く行くスーパーだから、おそらくここ半年ぐらいのうちには、もう一度見かけるんじゃないだろうかと思う。あの人、その頃にもまだ新人っぽいのかなあ。
どんな視点やねん。しかし実際には自分のほうが半年後には忘れているだろう。哀れなアラフィフ族でありんすね。もし、来週に見かけたら覚えているかもなあ。今後も定期的に見かけては「おっあの新人だ」と思い、やがては「おっ新人感がなくなった」と感慨深く見つめながら木綿豆腐を買う。
何言ってんの。
タケノコ水煮を買って、適当にスライス、キャベツと豚肉とで野菜炒めにして食べる。春っぽい食べ物はやはりこれ。実際いつでも買えるけどやっぱり春先はこれだ。しかし食べ方が雑だよなあ。もうちょっと和風の食べ方をするのが、礼節ってもんだろうか。次はこんにゃくと鰹節で煮ものにするか。来年の春に売られているのを見かけてもそんな予定は忘れているだろうけど、もし来週見かけたら覚えているかもな。
葉っぱごと食べるのかどうか、というやり取りを眺めていて、桜餅と柏餅ってなんか違うんだっけと調べると、包んでいる葉っぱが桜と柏の違いだった。当り前すぎて草餅はえた。こいつらを両方買ってきて衣を交換してやりたいなどと企てるも、柏餅しか売ってない。後ほどコンビニで桜餅を見つけるも、葉っぱが無い。あれはしょっぱい葉っぱごと頂くものでしょう。考えてみれば柏餅だけでも買っておけばいいのにな。要領の悪さ。新人か。
あとはやらせ要因の「サクラ」と「桜田門」(警視庁)を取り出して何か書くかとおもったけど、思いつかねえし、春の話で引っ張るには時間も待ってくれねえのであきらめた。きtgい(精神状態の安定を欠いた人)が増えるという風説には言及の予定なし。手の内を明かす素直さを新人さんに見習ってほしいが、残念こちらはやけくそとなっておりますぞ。
春はやけくそ。やうやうほむらだちたるぢょうちょ、みずたまにはぜて、きちがいだちたるひとの、りひのほそくたなびきたる。
ちりぬるを。
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「たけくらべ」と「舞姫」読んだが
樋口一葉の「たけくらべ」が青空文庫にあった。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000064/files/389_15297.html
冒頭に目を通してみたが、こんな古文調?の文章だとは思ってなかったので面食らう。平家物語じゃねえんだからさ。なんかおかしいなと思って、読む前にいろいろ調べてみる。まず、太宰治とか芥川龍之介あたりと同じ、あの辺の時代の人だろうと思っていたが、実際は作品の発表時期が30~40年ぐらいずれている。芥川龍之介の「あばばばば」が1923年の作品だそうだ。また太宰治の「走れメロス」が1940年。いっぽうこの「たけくらべ」は1895年ですって。このたけくらべ、ぱっと見で採用されている単語がまるで芥川、太宰とまるで違うじゃないですか。自分の見識では「一緒の時代」で括ってよい程度の差なのか判断に迷うが、これだけ”文字”が違ったら別もんでよくない。
たけくらべだけvsその他全部でくらべてもしかたないので調べるのはこの辺で一旦たなあげ。たけくらべ だけでくらべて こしくだけ たけやさおだけ よんでみるだけ。あっはい。で。上記のように作品について調べるついで、当時の出来事は何でしたかと漁ってみると文明開化があった。1870年ぐらいの出来事らしい。なんでも、1872年には鉄道が走ってるし、その後すぐに苗字を名乗れとかちょんまげやめろとかお触れが出ている。ちょうどそのころ生まれた一葉女史には影響は大きかったのかね。そもそも「女性が書いた」ってだけでも珍しい時代だったのかもしれない。大正デモクラシーもまだまだ先なのだ。それでも文章が芥川と比べてまるで違う。何があったかね。
んで、「たけくらべ」が結構みじかいと気付いたのですね、青空文庫を開いているブラウザの、スクロールバーのサイズ感で。じゃあ拝読してみれば良いのはなし。2時間かからぬぐらいで拝読したのですが、あまり理解は追いつきませんでした。とりま実績解除ってことでよろしく。
こういうのを教養って言うんでしょうか。作中、下駄の鼻緒が切れて弱っているところに、知人が通りかかり、俺の下駄はいてけって渡す。自分はこの場面が見事に漫画的表現で絵が浮かぶわけです。白土三平…ってカムイ伝しか知らんけど、ああいうの。横山光輝の三国志とか?そういう雰囲気の中で人物がやり取りをするような絵がうかぶ。だから、下駄をくれたのはやさしい呂布みたいな🐻男であって、下駄を受け取ったのは諸葛瑾みたいな書生ふうの…。でも、ちゃんと知識があると、もっと本物に近いというか、別の様子を思い浮かべるんだろうか。なんで太宰や芥川と文章が大きく違うのか、そんな理由も知っているのか。自分は「鼻緒が切れて弱っている」がどういうことなのあまりピンときてない。あの親指と人差し指の間の紐が切れたってことであってますか。
えーと、流石に読みにくくて難儀しました。若者の群れが連れ立って喧嘩したり青春してたような話だった。んで女が拗ねた?恐ろしき理解度の低さ、これ教養って言うのでしょう。ぐぬぬ。
では、この時代の他の作品も読んでみれば、ちょっとは腑に落ちる見識も得るかもしれない。じっさい一葉と面識があり、結核の治療も面倒見たという森鴎外。「舞姫」の発表年が1890年だったので、こっちはどういう文面かと探してみたら、これも短い。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/2078_15963.html
読み終えまして。人の勧めるままに身の振り方を決めていたら、自分の子を宿した女を捨てることになった、みたいなことか。貴方仕事と私どっちを取るの?どうしても古文ジャンルの文章に近い印象がぬぐえない。源平のころから文明開化まで、文学ってなかったのか。そもそも小説ってジャンルが存在しないのか?自分の教養で、調べなくても江戸時代のものだろうと推測できる書籍って「奥の細道」と「五輪書」しか思いつかない。歌舞伎は都市部で人気だったと思うが、その台本?原作?みたいなもんが流通したりしなかったんだろうか。流通っていうてもな…活版印刷無いもんな。瓦版?
あるいは…話し言葉まで含めて大きな変化があったの?話し言葉を文章にする発想がなかったのか?
ここで「東海道中膝栗毛」の存在を思い出し、読んだことも一応はあることを思い出す。現代人に読みやすい表記に改められたものと記憶している。これはスラスラ読めた。wikipwdiaによれば1800年ごろの作品だ。どんな文体で書いてあったのか探れないだろうかと思ったが、青空文庫には無かったのであります。なんでもかんでも収録されるわけではないんだろうけど。
文章にする言葉ってなんなのだろう。自分だって、日常話す言葉とこのブログで使っている言葉が完全に一致するわけはない。「話す」言葉なんだから、単語・表現の選択にはその話相手と、場の空気感みたいなものが如実に反映されている筈。手書きの日記は少々話し言葉っぽいかな。例えば「今日はしごとの出来栄えがうんこだったのでストレスマックスうんこうんこ」きょ、教養…。
この時代の作家について参考文献。国会図書館なあ…。死ぬまでに一度は足を運んでみるかしら。
https://www.ndl.go.jp/portrait/pickup/003
あら?膝栗毛あるやん。
https://dl.ndl.go.jp/pid/878435/1/2
表紙は明治16年とあるように読める。1883年だ。たけくらべよりだいぶ古い。
もしかしてたけくらべも舞姫も、こういう文体にしようってネタだったりしねえかな。現代でもムツカシイ言い回しや言葉を使う作品あると思うけど、そういう類の。
ナニ″っナニʖˋ≠″ャ」レ文字@┐″□勹″を残ιτ置レヽナニʖˋ将来レニ於レヽτイ可カゝ亊古攵τ″もぉ⊇せまι
オチがよわい。トルチョック。
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めし短観:2024年3月
ぬか床が売られていた。Amazonさんでお買い上げ。もちろん漬物なんて浅漬けの素ぐらいしかやったことがないが、やってみたいとしばらく前から思っていたところだ。ただ、素人がやるには難しそうで手が出なかったが、このぬか床はジップロックのようなものでパッキングされて売られており、そのまま中に漬けたいものを入れればよい。保管は冷蔵庫でオッケー。まぜまぜは週に一回。これならやってみようという気になるではありませんか。問題は、俺はぬか漬けを知っているのだろうか。食べた事ある…?定食とかお弁当についてるお新香って、あれぬか漬けであってる?
なお、ゲーマーであるから「nuka cola」ってのも頭に浮かんでしまうのだが暇な人はググってみればよろし。
結論:😥😢(; ・`д・´)
お口に合いませんの由。自分で漬けたものを食べた感じでは、全然だめだった。キュウリは12時間~18時間目安のところ、15時間ほどで食べたら変な臭いだししょっぱいしちょっとブヨブヨしているし、好みじゃない。茄子は16時間のところを12時間で食べてみたら、これも変な臭いだししょっぱいし。大根もダメでした。変な臭いはぬかの風味だろうから、そういうものなんだねと納得するしかないが…つけ方の問題なのかな?商品パッケージに書いてあるまま実施しただけで、それ以上に工夫もなにも…。そもそもぬか漬けが自分の口に合わないのか漬け方に問題があったのかを調査するには、ぬか漬けとして売られている商品と食べ比べるしかないが、調査したとて熱心にぬかづけを食う人生にはならんと思うので、今回は追及を諦めた。冷蔵庫で扱える気軽さで手を出してみたけど、この様子ではぬか漬けには一生縁がないかもしれない。
お漬物なあ。梅干しは”実用的”だと思って以前挑戦しようとしたことはある。しかし調べてみると、素人がやるには手順も多く、自分では作れそうにないと思い諦めた。長期保存食であることにこだわらず、福神漬けみたいなもんだったら自分でも作れそうだなあ。今度はそっちに挑戦すっかあ。
「生ウィンナー」なるものが売ってた。あまり見かけた記憶はない商品だが、普通に中身を詰めて加熱前で売ってますってことだよな。ホッケの干物とそれを焼いたやつ両方売ってるみたいなもんか?お買い上げ、シンプルに茹でてむさぼり食う。現代日本の象徴的な小さめサイズで残念な感じもあるが、うまい。シンプル塩コショウ味。特別に違うという感じもないけど、保存料漬けの工場生産ベーコンや工場生産ウィンナーよりも遥かにマシだろうと思われる。
そういやベーコンも自作してみたいと調べてみたことはあったな。しかし調べてみると、素人がやるには手順も多く、自分では作れそうにないと思い諦めた。
えどなって売ってた。江戸菜だそうな。どのように処理したのか覚えてないが、わたくしの胃袋には収まったんだろう。wikipediaにあたると、「千葉県八街市の農家が品種改良した小松菜である。」とある。この八街市(やちまたし)を知らなかった。読み方を知っても、さて耳にした記憶も無い。ぐぐるマップでみると周囲には森が点在しており、平たい農地も広がる。そんなに険しい山に囲まれてはいないだろうが、平面的な地図上での見た目は三国志だったら激戦地になりそうな配置だ。交通の要衝っぽい感じの。落花生の生産が盛んだそうな。
そういや落花生も自作してみたいとそれは嘘だ。ついでにいろいろ調べたら、八街市は元タレントの強盗犯が議員になってた街だった。これは本当。
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「Issueからはじめよ」を読んだ
イシューってのはよーするに、問題点とか、課題とか、「対応の必要がある事項」というニュアンスみたいな雰囲気で把握している。開発状況が公開されているオープンソースプロジェクトとか、ゲームなんかにこの項目があるの、見た事ありませんか。本書の主張はそんな雰囲気で分かった気になっても無駄やねん、という話でありんすが。
「仕事を頑張る!」という時に、成果の質を上げるべく時間をかけて丁寧に取り組むわけだ。そこでただ作業量を増やすというのがそもそも誤りであって、先ずはどういう問題をどう解決するのが正しいのか、そもそも解決すべき問題ってなんだよ?を検討するところからはじめませい。という内容。「顧客が本当に必要だったもの」の風刺画の如く、成果物が意味ない状況になっては拙いですよ。
なるほどそうですね。以上。
さらに、本書では具体的にどうやって取り組んでいけば良さそうでしょうか、という方法論が書いてあります。「〇〇することが問題に対する答えだ!」と(一時的にでも)結論を出すには、おおざっぱで抽象的な理解を言葉を変えて具体的にするにはどうこう、仮説を立てて進めるにはどうこう。問題を解こうとする前に、問題はちゃんと把握するというわけ。…なんかどこかで耳にしたような気がするなあ、という場合は、そう、ネットのどこかでそんな話を見かけたんでしょう。現代に於いては、有名な本を読んだらもう全部そうなってしまうのでは。
本書の立場では、この「Issue」をテッテ的に言葉で表現することに重きを置いている。概念は言葉でしか定義できないという主張だ。言葉にしたところで、本当にIssueとして良いものかを検証しましょう。言語には構造があり、形式がある。特定の形式に当てはめてみるという検証が可能だ。なぜ顧客が必要だったものが出来なかったのか、ではなく、何をするとかしないとか、どうやって取り組むのとか、細かいレベルで具体的にする。その方法論がなんたらかんたら。答えが出ないものに突撃してはならんのですわ。
仮説を立てるという段階になってくると、貴方の知識と経験が要ります、という話になってそらそうだギャフン。知りすぎると知恵が沸いてこないとも言われて、一体どうしろってんだ!となります。詳しく知りたい人は本書を読めばいいのかも。自分はざらっと流し読み。
ここまでが本書第一章の「イシュードリブン」という内容でした。ここから先はざっくり読み進めてみたけど、ワカンネってなったのでちょっと意欲は落ちてしまった。理解を諦めたとは言わないが、自分が取り組むIssueではなさそうだ。本書を買った他のみんなもどうせ読んでないんじゃないか[要検証] 本書は第五章までありますが、第一章で40%ほどのページ数なので残りは細かい話になっている様子。じゃあだいたいヨシ!
ヨシじゃねえだろって話ですが。仮に本書を参考にしてなんかに着手したとして、本書の伝えたい通りに実践できているのかな?を確認するのはなんか難しそうだ。
その後、ストーリーラインという用語の説明がある。これは、仮説から結論までを段階的に秩序立てると把握したけどよくわからない。さらにその後、絵コンテという手法が紹介されて、ここからは本当に何を言っているのかわかりにくく、付いていけなかった。何がわからないのかわからないが、わかったらなにがわかるのかわからない。高校生の頃、数学を諦めたときの気分だ!最終章は、ビジネス本らしく(?)プレゼンの資料がどうとか。
こんな感じでふわふわした理解のままで読み終わった感じ。こういう理解が難しいことも根気よく学ぶのが世に求められているわけなので、ようわからんなんて感想文はしょんぼりだ(´・ω・`)
難解な物事の理解を助けてくれそうなものは、
またお前か。うーん。2024年3月時点でも、まだまだググったほうが信頼できることが多い。それでも、途方に暮れてchatGPTに問いを投げてみると、最初の一歩を何処に踏み出せば良いのか見えてくることもある。翻訳・要約はお手の物。もっともらしい事をスラスラ回答しやがる。そうだよ「このAIの回答が正しかったとして」という仮説ができるのではないか?🤔
「AIからはじめよ」の大号令きたる!!HAHAHA
Q :「顧客が本当に必要だったもの」という著名な風刺について論点をまとめろ。
AI:
「顧客が本当に必要だったもの」という風刺は、製品やサービスが実際には顧客のニーズや要求とは関係がないか、あるいはそもそも顧客が望んでいないものを押し付けられる状況を風刺しています。以下に論点をまとめます。
- 顧客ニーズとは何か:風刺が指摘しているのは、製品やサービスが顧客のニーズに合わない場合に生じる不満や問題です。顧客のニーズを正しく理解し、それに基づいて製品やサービスを提供することが重要であることを示唆しています。
- マーケティングの問題:この風刺は、時には企業が顧客のニーズに関係のない製品やサービスを押し付けようとする、あるいは誤った広告やマーケティング手法を用いることを風刺しています。マーケティングの目的は顧客のニーズに応えることであり、その理解が欠如している場合、製品やサービスの受け入れが難しくなります。
- 顧客との関係性の欠如:顧客のニーズを無視したり、理解しないことは、顧客との良好な関係を築く上で致命的な欠陥です。顧客が本当に必要としているものに基づいて提供される製品やサービスは、長期的な顧客忠誠度や企業の評判に大きな影響を与えます。
- 社会的・文化的な側面:風刺はしばしば、社会や文化の中での特定の価値観や消費行動を風刺することもあります。例えば、消費社会が押し付ける価値観や、本当に必要なものとは無関係な消費の文化を皮肉ることもあります。
- イノベーションと受容:時には顧客が自らが必要としていないものであっても、イノベーションや新しい技術が提供されることでその価値が明らかになることもあります。この点においても、顧客のニーズとのバランスが重要であり、必要とされるものを提供することが成功の鍵となります。
総括すると、この風刺は顧客中心主義の観点から、顧客のニーズや要求を無視した製品やサービス提供を風刺しており、マーケティングやビジネス戦略において顧客のニーズを正しく理解し、それに基づいて提供することの重要性を強調しています。