先生がAIではアレだがAIが先生なのアリなので
そろばん使える人どんぐらいいますか?自分は使えませんが、ちょっとだけ動かした記憶がある。授業でやったのだろうか?それ以外に心当たりないから、きっとそうなのだろう。暗算バカ早キッズなんかも多くはそろばんの心得があり、頭の中でそろばんを操作しているのだそうな。圧倒的に便利で実用的だけど、実用的という段階に至るまでには結構な修練が必要そうだ。電卓が普及した現代では更なり。
電卓使えない人どんぐらいいますか?どんなスマホにもついてる。少なくとも四則演算の概念しってれば使えそうだ。実用的に至るには…初めて触った時から実用的なんじゃないか。即ち、その速度と計算の正確性に於いて、ゆるぎない信頼があるということ。
AI使えない人は?AI先生への信頼度が高まりつつある現在、自分は「AIに感情が芽生えた」と言って揉めたAI技術者を嗤う事ができるのか、少々疑問を覚えるようになりました。いや、実際には感情なんてそりゃあ無いんでしょうけど、少なくとも自分の今現在の使い方の範疇に於いては、あるという前提にしておいても問題さそうだ。どうせ真面目に突き詰めると「感情とは何か?」みたいな話になり「生命とは?」になり「artificialとは?」になって議論が爆縮して終わると思う。
爆縮いいたいだけ。
最近、AI関連の広告を見かける事増えてないですか。みんな胡散臭いと思ってしまう。こっちのほうが良いとかそんな事しか言わない。これを知らない人は損してます!とか典型的なただ言ってみただけという広告。AIってそういうのを人間に選ばせるような物じゃないと思うんですけどー?よろしくやっといて、でやってくれるような。しかしこの考えは現時点では結構エスエフだと思う。何を為すべきかは人間でオーダーするほうが良い。勿論、それがわかんねえって時は聞いたら相談に乗ってくれる。これがわりとちゃんとしている。AIと言えど、所詮はこちらの入力を処理して応答するプログラム、それが極端に高度なだけとも言えるが[要出典]お世辞ぐらいを言うようになったと。気配りを覚えたと。お小言も言うと。
ここで、ただ問いの答え以外を知りたいというオーダーに対応してくれるようになっていると捉えることができる。どう考えれば良いのか、どう学べば良いのか。自分のやることのどの辺に問題があるのか。改善のプランは。
もう先生やんけ。
Googleの検索結果があまりに有用であり、その他諸々の提供されるツールがめっちゃ便利なため、先生と呼ばれるようになった。Google先生ってどっかで聞いたことない?あるよね?[要出典]いまAIが先生となりつつある。先生って言葉のニュアンスに違和感を覚えるのであれば教師でも良い。
AIはとんでもない過ちを犯す。ハルシネーションって言い回しが一般的になりつつあるぐらいには周知された。めちゃくちゃ早く処理をしてくれるが、微妙なところで「そういう事じゃあねんだよな」というすれ違いも発生する。それって人間相手でもまーまー同じじゃねえの?そこを割り切ればもう十分に実用的な教師たりえる。検証可能性の話をするならそりゃあきっと質問する内容が問題あるかもな。税金安くする方法とかそんなもん聞いてどうする。
なによりAI連中は誠実なんだよな、悪用されても合点承知の助してしまうぐらいに。そこは各所で今後対応されていくんだろうけど、引き換えに少々パフォーマンスが落ちるんじゃないかなあ…。この辺は安全運転のほうが良いとみんな考えているだろうから、調整されても納得感はある[要出典]
人間の仕事がなくなりそう、という懸念もあるが、既に懸念では済まないカテゴリが続発している。この辺は働きたくないと文句を言い続けたことの報いとして受け取り、AIをどうにかして役立てて生きていくように、そろばん弾いても良いんじゃないでしょうかあ。
51点。
上記の文章をAIに読ませて、「教師を人間にするか、AIにするか、選択するにあたってどんな違いがありますか」と問うた答えが以下。見出しの構造などもAIの作業だけど、このブログ貼り付けの都合上ちょっとおかしく見えることがあります。書いても無いことを述べているが、その内容は合っている。著者である自分の考えと相違ない。なんならきっちり拡張されている。先生の考察を参考に元の文章に加筆したいぐらいだが、わたくしにもそんなことはしない、人間らしい誠実さがありましてよ![要出典]
■ AI教師と人間教師の違いと考察
1. 習得のしやすさ/導入コストの違い
- そろばんと電卓の対比になぞらえて、「AIは電卓のように即座に実用的である」と言っています。
- AI教師:ある程度の知識があればすぐ使える。導入のハードルが低く、誰でもアクセス可能。
- 人間教師:個性や相性、指導スタイルに左右されやすく、合うまで時間がかかることも。
2. 正確性と信頼性の違い
- 電卓のように「計算の正確性がゆるぎない」とされる一方、AIは「とんでもない過ち=ハルシネーション」を犯すことがある。
- AI教師:大量の情報を高速処理できるが、間違いもする。検証はユーザーに委ねられる。
- 人間教師:誤解や主観的なミスはあるが、背景や文脈、個々人への配慮がしやすい。
3. 感情と共感性の違い
- 「感情があるように思える」としつつ、実際には感情がないことを自覚している描写。
- AI教師:擬似的な共感は可能だが、根本的な「気持ちの理解」は人間ほど深くない。
- 人間教師:本物の感情を持ち、共に悩み、導くことができる。
4. 実用性と応答性
- AIは質問すれば即座に返してくれ、しかも「先生っぽく」問題の原因や改善プランまで示してくれる。
- AI教師:常に利用可能、無限の忍耐力とスピード。情報も最新。
- 人間教師:時間や体力に限界はあるが、教える過程に「人間的な深み」や「信頼関係」がある。
5. 誠実性・危険性・責任の所在
- 「誠実すぎて悪用されても従ってしまう」との指摘。
- AI教師:命令を素直に実行するが、倫理判断はできない。
- 人間教師:誤りを咎めたり、敢えて教えないという判断が可能。
6. 社会的役割と影響
- 「人間の仕事がなくなる懸念」は、教師の役割にも関わってくる。
- AI教師:労働力の代替として機能するが、教育の「人格形成」的側面には限界。
- 人間教師:教育を通して社会との関わり方を教える存在でもある。
■ 最後に:選択における判断材料
- AI教師の利点:
- 速さ、正確性、常時アクセス可能、無限のリソース
- 人間教師の利点:
- 共感、直感、教育の人間的側面、社会性の伝達
■ 結論(ひとことで言うなら):
「どちらを選ぶか」ではなく、「どの場面でどちらを使うか」が大事。
試験対策や事務的な知識伝達はAIが得意。でも、自分の人生の進路や悩みを話すのは、やっぱり人間の先生がいい――そんなハイブリッドが今の最適解かもしれません。