どくしょかんそうぶん

  • どくしょかんそうぶん

    「出るか分からない温泉を掘りつづけてるうちに、30代になりました。」を読んだ。

    矢寺圭太という漫画家さんの日記作品。年1ぐらいのペースで6巻まで出ておりますが、kindleで無料です。やったね。内容はとても面白いぞ。

    作者は40ぐらいの男性だが、作中では自分自身を若い女性として表現している。たまに🐶。まずそんなパターンがあることに驚きもあるんだけど、これは桜玉吉の黄色いお面みたいな、漫画映えする意匠ってやつかね。桜玉吉なんて例えが出てくるあたり、もう…わたくし40代になりました。基本的には年1ぐらいのペースで加齢しております。

    作者自身が登場する漫画って、珍しいのかな。本作は全く以て別の姿かたちで表現されているが、作者自身がリアルに登場する作品、何かあるかなー、なんてぼんやり考えた。吉田戦車とか西原理恵子が育児漫画描いている。清野とおるの赤羽のアレなんかも作者自身だなあ。鈴木みそは自身が取材したドキュメンタリー作品も多い。この辺は当然リアルに寄っている…って、知人ではないので、作品だけ読んで本当にリアルかどうかなんてわからない。そうなんだろうな~~っては思う。小林よしのりも本人が語るパターンだな。

    まあとにかく。

    他人の日記を眺めるのが趣味だという方はどうぞ。「ロマサガのポーズ!!」で死ぬほど笑った俺はやはり40代半ばなんですな。

  • どくしょかんそうぶん

    「9人の翻訳家 囚われたベストセラー」を観た

    一応はサスペンス?推理物?っていうのかな。ネタバレいやいやな人は回れ右三回ワンといえ🐶

    オリジナル音声に日本語字幕で観たのだけど、音声はフランス語でした。そういうわけで、掃除しながらなんとなく観るつもりが、字幕見れないと全くイミフなので8割ぐらいはじっくりみた。別にこれが英語だからって、完全に内容を把握できるわけでもねえけどさあ。

    頭のいい人が復讐を果たすものがたり。物語が進むにつれて、不可能に思われたその方法が明らかになっていく。仕組みはそこまで複雑怪奇ではないと思います。犯人が誰かはわからんが、復讐の相手への脅迫実行方法は「〇〇かな~~~」という予想が、そのままだった。うそおん。エンタメとして実に良いです。スリルあって良いですよ。

    最後の場面のやりとりはこう理解しました。社長は犯人の脅迫を受け入れて、会社の金を犯人に渡す手続きをした。その後、金を受け取った犯人はその金を社長の個人口座に勝手に送り付けた。刑事が社長の口座を調べると、会社が払った筈の金が社長の口座に入金されている。「こいつは狂言で会社の金を個人の懐に入れた」と判断される…ざまぁwwwというスジと理解した。いやいや、送金元(=犯人)ぐらいは調べりゃあわかるだろって思ったけどな。それこそ脅迫の実行犯だという証拠だし。

  • どくしょかんそうぶん

    「進撃の巨人」…の最後のほうも読んだ

    ネタバレです。困るという人はブラウザ閉じて夜通し北斗七星を眺めましょう。

    ずーっとAmazonプライムでアニメ版を観ていたのですが、ここにきてまた一年おあずけらしい。いくらなんでも馬鹿らしくなって単行本を買いました。散財の巨人。33巻と34巻買えば2022年4月時点のアニメの続きが読めました。これにて読了と。毎週公開日が楽しみだ、なんて小学生の頃の「ドラゴンボール」とか「北斗の拳」以来のことですよ。存分に楽しんだ。

    物語もド終盤、せっかく何一つネタバレせずに楽しんできたので、どんな結末になるのかなーとワクテカ読んでいたんですけど、最終的にはそんな感じなんだろうなあというところに着陸。「未来が見れる」とか「記憶を弄れる」とか、強烈に「この先どうとでもなる」設定が登場して以降、物語の〆には期待していたのですが、個人的にはいまいち。人類を壊滅させようという選択の時点で、びっくりはびっくりなんだけど。

    連載が終わったころから、ネットで伏線回収がどうのという話題になっているのを見かけました。ネタバレを避けるためそういうものを一切読みませんでしたが、最後まで作品を拝読して、自分で気づいたような伏線回収はありませんでした。この際なのでそういう情報載っているサイトを眺めてみますと、あまりなるほどと思えるものはなかった。こういうサイトは原作の連載をもとに作られると思うので、アニメしか(あ、無料公開の時に少し読んだっけな…)見てない自分は触れてない場面もあるのかも。

    そもそも、伏線ってもの自体がよくわかってない。修辞上の技法というよりは、ストーリー作りのテクニックだと思っているのですが…例えば、台詞とか表情とか具体的な物じゃなくても、風景でも小物の描写でも表現できるもの…。漫画や映画はやりやすそうだ。テクニックという観点では、読者にあえて誤解させるパターンもあるよなあと思う。犯人はだれだ系統の作品でありそうなやーつ。

    物語の根本である「人類は巨人から逃れるために壁を築いてその中で暮らしている」という設定。これが見事にひっくり返る、味方の兵団に巨人がいたという場面。巨人と壁について世界観が大きく揺れ動くあたりが一番の驚きだと思う。例えばこの事実が読者に明らかになった時に「なるほど!それで〇〇〇はXXXというわけだったのか」と気づくことを、たぶん、伏線の回収…ってうのかな。作中で明らかになる前に読者が気づく可能性がある、そこに無理のない解釈が成り立つ…こういうこと?

    ネットの情報では、何でもかんでも伏線だなんだと考察されていて、ちょっとげんなりという感じもある。創作なんだからそりゃあ、都合の良いように偶然を描いたりもするのも当たり前だろうと思う。そりゃあただの日本語の言い回しだろうってものまで推理働かせたりしてて、ちょっと面白い。実際、なるほど!と思った考察も大いにある。曰く、「物語の冒頭も冒頭、巨人が襲ってくる場面で巨人の足跡が無い→その場で巨人になったということの証左」これは見事だと思う。自分は実際にその場面を観てはないんですが…気になったので見直してみる。Amazonプライム万歳。確かに、超大型巨人が壁にへばりついているとき、足跡のようなものは描かれていない…けどあまりに遠方からの映像で、どうとでも言えるような。漫画版だとちがうのかな。

    物語最後の最後、世界から巨人が消えた!という場面で一つ疑問がわきました。あの場所では眼前に大型の巨人たちが壁になって並んでいた筈。巨人が消えたら…それどうなったんだろ?ふわーってその場で消えた?あいつらにも中身がいたのだろうか。ネットで同じ疑問を呈している人がいた。ディープなファンのみなさんはこういうので盛り上がるんだろうな。自分もゲーム関連では実感できるイースターエッグなどあります。ケーキは嘘だ!

    で。

    結局巨人とはなんなのか。この巨人システムの本尊はシナプス的なうにょうにょと判明した。何故かは知らないけど、そういう生き物(?)が存在して、たまたま落ちてきた人間にくっついた。これが巨人システムの始まりというようなストーリーだと理解した。でも、エレンが死んでそのうにょうにょごと消え去ったの?なんだあれは寄生獣か。ミギーの巨人。極右か。物語の世界では、我々の現実世界でいう天体運行のセオリーみたいなレベルで巨人が当たり前に存在した。でも、そのよりどころが一匹のうにょうにょでした…ってことですか?なんなのこいつ。

    もしかしてこいつにも、伏線でもあったの?

  • どくしょかんそうぶん

    「魔術の麻雀」を読んだ

    赤坂ドリブンズ所属、園田賢による麻雀の戦術書。入門書以外の麻雀の本を買ったのは初めてかな?そこまで驚くような内容は無かったけど、なるほどねーという感じ。これは園田賢しか言わんだろ~みたいなものがあると面白かったのになあ。ただ、土田浩翔みたいに宇宙とか風とか書かれては「なるほど!」とはいいがたい。だから、これはこれで良かったと思う。

    著者は、「期待値の神様」が強い麻雀プレイヤーだと定義する。期待値の最善を選択し続けることができるプレイヤー。同意できる。同意できるのに、「期待値」って言われてもちょっとすっきりしない。概念が指数的なものなのか、放銃・上がりの理論上の得失点パターンを指すのか、ちょっとあやふやというか。「8割ノーテン」って、これが7割なら何か変化があるのか。数値化、データ化してそれに準じるというのは、選択肢の王道だとは思うけど、麻雀だと自分の頭で理解できるような形にプレイに組み込めそうにない…ような…気が…するような…?

    どのみち、ランダムな要素が多すぎて正確に弾き出せるとは全く思えない。「あとツモ三回で聴牌するか?」みたいなテーマに正解がでる可能性あるんだろうか。出ないからこそ「期待値」って言い回しになるのかしらん?ゲームの性質上どうしても不確実な情報をごにょごにょして期待値を弾き出す。仮に〇〇だったら、という検証を行うことになると思う。この精度が高い人が強いプレイヤーというわけで、どう精度を高めますか?というのが本書にあるような知識の、山のような積み重ね。これをプレイ中に引き出せるかどうかが、プレイヤーの練度ということになるだろうか。

    良くわからんものを良くわからんままに書いてて、お前は何を言っているんだ状態ですがーーー。

    ところで。たまたま、本書の後半を読んでいるまさにその時、著者本人が2021年Mリーグの最終戦を対局中だった。ちらちら見ながら読んでいた。園田が所属する赤坂ドリブンズチームの状況は苦しく、この対局一回で数十万点のトップが必要という、現実味の無い目標に挑んでいる。ふいに、軍師勝又のツモ切りリーチを受けて、あっさり放銃してしまった。ちゃんと場の進行を把握して読みを入れたこそ、あっさりと放銃した形になった。勝又選手は「ツモ切り確認放銃」を期待したことは間違いない。期待…?ってことは、これ期待値で表現が…できませんよね。本年度のハイライトだと思う。ソニー損保のCM行きなんじゃないのこれ。けんじやっております!

    一つ本書には興味深いところがあります。著者の会社の後輩がアフィリエイトで月収200万を稼いだ!じゃなくて…いわゆる「目なし」問題への言及がありました。タイトルの決めるような大舞台においても、スコアの差が大きくなりすぎて、どうやっても下位が上位を逆転できない場合のゲームは、下位プレイヤーはどうプレイするべきか、という問題。スコアを通算にしてるんだからそりゃ当たり前にこうなるだろと思います。避けようと思えば、例えばどんな下位からでも一発逆転があるルールにするとか、逆に大きなスコアにアドバンテージがないルールにするとか。前者はクイズ番組とかで「最終問題は100億点です!」とかふざけているのと大差ないので論外として。後者は野球や相撲の試合結果と同じく勝ちと負けだけの結果になる。これでも試合数が決まっている以上は目なしになり得るし、これだとなんか華が無いんだよね。実践している麻雀団体もあるけども。

    本書の提案は、「スコアとプライズを密にする」というのが一つ。優勝までは届かなくてもスコアが伸びれば賞金増えますと。マイナスの場合の扱いに無理がある気がして、いまいち。スコアが天文学的に伸びたら、賞金も天文学的になるの?この場合、マイナスのほうもすごいことになるし…。あらかじめ上限決めてます、というのであれば、その上限までの追加予算をそのまま賞金に載せてほしくない?目がないプレイヤーのために優勝のプライズが下がる(かもしれない)っていうのも、どうなんだろう。この辺は法律のアレとかありそう。信じられないぐらいの超超大手スポンサーがついたものの、その辺のアレで中止になった麻雀大会ありましたね。

    もう一つは「RMU新決勝方式」と紹介されていて、無茶苦茶なような合理的なような。時間が全く読めないのは運用上しんどくないかな?RMUではどうしてるんだろうか。個人じゃなくてチームだった場合にどうするんだろう。代表者にすべてを託すのかな。どんなアレな成績でも、新決勝で代表が頑張ったら優勝です!で納得感あるだろうか。このトピックに結論でるかなあ。

    昨今のMリーグ、プレイヤーが持つべき一つのモチベーションが(悪く言えば言い訳が)色濃くなりました。

    「ファンのため」

    野球でもサッカーでも耳にしたこの言葉が麻雀から聞こえてくるというのは、すごく良い事だと思います。目がないからってやけくそオールツモ切りとかせずに、真摯に対局するという事は、これも一つのプロの要件だと思います。そのほうが期待値も高いことには説明要らんでしょうよ。

  • どくしょかんそうぶん

    「ハツカネズミと人間」…たち?を読んだ

    スタインベックの作品だけど、本書には翻訳者あるいは出版社の解釈によるものだろうか、邦題のブレがあるようだ。「ハツカネズミと人間たち」という邦題もある。原題は”Of Mice and Men”となっておりまして、複数形の単語をどう日本語のニュアンスにするかというブレなのかな。wikipediaによれば、そもそもこの原題も何か詩の一節ということで、日本語表現の正しさなんて。だいたい、mouse(の複数形mice)をハツカネズミと訳すのも本作の内容あってのものに…?あら?ネットで調べてみると、mouseとratの差みたいなところで、ハツカネズミと翻訳するほうが自然らしい。へー?例えば著作権ネズミと忍者亀の師匠みたいな差でしょうか。

    何言ってんだ。

    読み始めて30分もしないうちに、どうも、この話をしっているような気がする。鼠を隠し持つ人物。漫画版でも読んだだろうか?映画かゲームで同じ設定にでも触れただろうか。なんなら、最後の後始末も、何か戦争映画で似たような場面を見たように記憶している。たしか、楽しい思い出話をしながら介錯してた。

    本作はそこまで長くもなく、スジもわかりやすいので「ふーん」と言ってるうちに読み終わってしまう。貧しい流れ者の労働者という主人公たちだが、舞台は牧場一個だし、作品内の時間経過も3日ぐらいの話(だと思う…)1937年のアメリカという情報を得ても、作品の舞台には特に感じ入るものはなかった。知恵遅れの相棒の面倒を見るという状況のほうが、現代の日本ではウッとくる人が多ことだろう。かわいがるつもりだったのに、力が強すぎて殺めてしまう。主人公も弟分をかわいがりたかったに違いないが、殺めるに至った力と言うのは、まあその、なんだ。

    ところで。本エントリに際してハツカネズミについて調べていると冒頭のような事実を発見したのだが、リンクをたどっていくと当然、ミッキーマウスの項目があった。恐るべきかな著作権マウス、wikipediaを以てしてもその容貌を載せていないのである。女性器の画像だってハーケンクロイツだってあるのに、あのネズミの姿が無い。これは恐ろしいことだと思わないか。本作「ハツカネズミと人間」は、ミッキーマウスが人気の出たあとの発表であるからして、wikipedia云々は流石にありえないが、それ以外にもどっかに何か仕込まれていたらおもろいかもな。そもそもが詩からの引用なので、やはりそんな含みはありえないんだけど。

    しかし読者は本作に100年の歴史を追加しておるのだ、何か悪意を込めたパロディでもやれないかな🤔

    「ハツカネズミと上級国民たち」とか。

    何言ってんだ。