ふでのゆくまま

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    非常時用の時計が壊れた

    震災以降、非常時のリュックを定期的に整備している。ものぐさ歴35年の俺には素晴らしいことである。なぜノーベル賞には災害対策個人の部がないのか!!!!といったような自画自賛を半年に一回ぐらいしていてまあ正直恥ずかしい。しかし「定期的な整備」ということには嘘は無い。無いが、賞味期限のチェックぐらいしかやることもないが・・・

    という

    いつもの荷物のチェック中に、非常時持ち出しの荷物からアラーム音が漏れてきた。小さい時計を入れていたんだけど、ごそごそしているうちにスイッチいれてしまったかな、と思った。取り出してみるとどういじってもアラームが止まらない。音程もおかしくなって不安を煽るアラームとなっている。うーん。壊れたな。電池を抜くと止まった。入れ直すとまた変な音程でなり続けた。電池を変えてもダメなので、何か時計内部の部品が壊れてしまったのだろうか。

    迷ったけど、まったく同じものをかった。

    アナログ時計にアラーム付き。ボタンを押すとその間だけ文字盤が光る。単四一本で動き、手のひらに収まるサイズ。安い。丈夫。(←実際壊れたから買ってるのに丈夫って評価はないなwネット上では丈夫って言われてますが)

    非常時の備えをいじる度に、無駄だろうか、という考えが頭をよぎる。そんな考えを払拭するように、津波の映像がまさに脳内に押し寄せてくる。被災したわけでもねえのに。実際に、こんなものが必要になるような事態が起こったとして、自分はどのぐらいの確率でこの部屋にいるのか考えるとMAXで見積もっても一日の半分。その時間の殆どは裸足で、身軽な恰好ですごし、5-7時間は暗い部屋で眠っている。助かるか、なんて運次第としか言いようがないし、非常用の荷物が最大限に役だったとしても一週間ぐらいで限界ではないかと思う。

    不安過ぎる。やるだけやったし、後は天に任せるしかない、などと言いながらも、もっとやるべきことはあると知っている。長距離歩けるような靴を勤務先に置いてはどうか?とかさあ。そもそも、そんなに地震が怖いなら東京離れれば済む。現実の暮らしと、その日その時。都合の良いライン上を生きようとする人が多すぎて、全くにっちもさっちも。現代社会では理想とはエゴのこと、非常時の備えに刃物を忍ばせる秋風の朝であった。

  • fuckyeahinternet,  ふでのゆくまま

    散らかし放題に生きており、お片づけほど苦手なもんはないが、そこに規律もノルマもないならば案外楽しい。名前は伏せるけど和民のような企業で働くハメになったような人とか、シビアな研究職とか、そんなものなんだろう。まあ世の中そんなうまくいかないもんで、効き目がありすぎるお薬の副作用で死んだりするように、一方を追求すると一方が貧する。走りつづけて死ぬか、寝転がって食われるか。嗚呼しかし、どっちかに針を振り切って死にましょう、なんて寂しくないか?

    おっと。それを咎めないのが人生というやつですね。ははは。なんでも死ぬ、死ぬ、言っているのはこのブログのタイトル上の演出であります。まあその演出も散らかし放題に向きを変えて、いき、そこを咎めないのが人生というやつですね。はははは。

    メールアドレスの整理などしていると、たまたまある情報にたどり着くことがある。具体的には過去にメールをやりとりしていた人の現在とかですよ。顔面帳とかのアカウントとか。うーん。どうするんだこれ。どうするもこうするもないけど、絶妙に「やあやあお久しぶりですね」なんて言いにくいもんだ。おほほ、おっさんの乙女心、見さらせうはは。顔面帳に足跡機能なんて噂が出たときには鬱陶しいと思っていたけど、足跡つけておくって行動も、あるしゅ戦略的であるように見える。ストレートに生きられない、それを咎めないのが、まあ、いいでしょ。

    la.dot

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    昨今のお買い物

    まずは、とある御座を挙げさせていただきます。二畳ぶんぐらいをカバーする手頃なお値段の御座をネットでお買い上げ。しばし日付が開きまして、はい届きました、梱包開けました、先ずはばさーっと広げてみたところが何と吃驚異常に臭いのです。あまりのことに咽せました。全体から漂い来る恐ろしい臭いです。異臭とはこのこと。どこかに変な液体でも着いていないかとひっくり返したりすると、その作りの粗末さに目を覆うばかりであり、目を覆うならば今度は異臭が際立って鼻に来るクソが死ね死ね死ね。

    天日干しなどで解決するやもと思いましたが、今年のガンガン照りの陽光に3日ほど晒すも改善はなく、飽きれてどうでも良くなって放置、ある日の夕立に濡れているのに気づいて「もおいいや」と遺棄を決心致しました由。作りが粗末なんでハサミで簡単に捨てるサイズになって嬉しいなったら嬉しいなー死ねー。まあ3000円でこんな口汚く罵るもんでもないのだけれど、あまりにアレでしたので。

    続きまして、映画DVDですが…こいつは項を改めて。

    次に、ディスプレイを載せてスペースを有効活用できます的な台。キーボードをしまえば机が広く使えます的な台。名前なんていうのかしらこれ。PC関連商品というカテゴリーで買いましたが、ホームセンターみたいな所だったら半額くらいじゃねえか、というようなお値段でした。あと5cm幅があれば言うことなしなんですがねえ。もう一つ上のサイズは20cmほどもデカくなり、そうすると収まらない&高いのでこの商品で妥協。こちらは満足。

    さて——–

    物欲という言葉の響きが愉しい。あれこれ所有を達成したいという欲求は、なければ困るという品々を求める事とは明らかに異なっている。この国では無ければ困る物は簡単に手に入るから、どうにも達成感がない。頑張って予算をやりくりしたとかはまた話が違うと思うんだけどね多分。物欲という響きには、欲しい欲しいという状態を心にもやもやと抱きつづけているニュアンスがあると思う。衝動買いなんて言葉もあるけど、そいつに比べるとどうも、淫靡な気配すらある。衝動買いの「買い」の部分を除く、残るのは一目惚れのような「きゅぴーん♪」とした感情。次に見かけたらどうしようかしらいやんいやん。恋する乙女かっつーのよ。はああん。

    という。

    ものすらインターネットで得ています自分、そんな珍しくもあるまいと思っている。マウスでコチコチとクリックすりゃおうちに届く、大変に素晴らしい。そりゃ買い物のほとんどがそうなるってもんだよ。でもやっぱり現物を目の当たりにするのとは違うんだよなー。人間の脳ってのは大変に出来が良いと思うんだが、やはり現物を見るのとネット上でスペックを眺めるのとは全然違うんだ。コップ一つでもそう。ただし、その、現物をみたいがために時間作っておでかけして、なんてことは殆どやらない。でも、買うつもりが無いとなると、現物を見て回るほうが楽しい。そりゃそうだ、ネットで適当な商品を見て回って何が面白もんか。

    ここに、商品と人間のあいだの関係性の変化が見られる(国語の教科書っぽく)

    現実のお店がカタログなんだ。現物そのものが見れる、場合によっては専門家の見立てをしてもらえる、なんと買うこともできる!すごい!ネットのお店は倉庫だ。そこに載っている全ての商品は自分用の在庫でしかない。発注手続きをすると、保管料金を運送料金を払って、家に届く。品物の値段なんて払ってる感覚がないよ!

    そういえばamazonの在庫が買える店ってできたようなニュースをだいぶ前に見たが。どうなってるのかな。

  • どくしょかんそうぶん,  ふでのゆくまま

    それは#$%&が燃える温度

    収支、などというけど、平凡民、昨今の社会事情では貧民層に分類されるワテクシ、お給料しか稼ぎがございませんで、そら、計算も、引き算だけになるっつ塩梅で、どうもね、定期的に増額されるものの、計算上は減ることばっか考えてるってえ塩梅で、どうもね、穴の開いたバケツ、鼠の暮らす蔵って塩梅で、どうもね。しかしながらそのバケツ、どこに漏らすかをこの手で動かして選べるって塩梅で、どうもね、世界はそれを自由と呼ぶって塩梅で、どうもね。

    その穴がちょろちょろだから、どこに撒こうか、なんて心配もしていられるつううもんで。この世界にはもっとでけえ穴を抱えながら右往左往する人がいて。会社経営なんかそうなのでしょうね。ずごごごごごごごごと水が入って、どばばばばばばばばばと水が流れ出ていく。もはや動かすこと叶わず、溺れる覚悟で潜って穴修理するなり、そんなもん脇目もふらずにもっと水を!!水を!!みずーーーーーーーってまあ。

    これが落語なら穴の無いバケツに喜んでたらすっかり干上がった、というのがいかにもなオチ(サゲって言うんでしたっけ)なんだけどなー。怠けてねえで働けってな。ああちょっと書いてみたいな。だれか書く人いねえか。安敦誌の人とか一筆どうですか。

    みんな水の漏れてるバケツを抱えて走っているとしたら、現代社会はビョーキだろうか。しかし世界は乾いている。漏れた水こそが、我々の生きる糧を育む。燦。水が漏れねば世界は燃え上がる。どばばばばばばと垂れ流しのたうち回って暮らすことこそ、是としなければならぬ。ビョーキなのはこの世界のほうなんだと認めることを、ある人は「神は死んだ」と表現しました。落語なら没だクソが。

    遠く我々の祖先が陸に上がって以来。そういう機関でしかない我々。安いSF。士農工商犬エスエフ。筒井康隆。水筒。出納。ほら話がつながった。お前の札束が燃えたら、水をかけるの?もっと札束持ってくるの?

    それはお金が燃える温度。

    というわけで。華氏451を読んだ。自分は華氏911の方を先に知ったので、いつか読んでみるかなんて思っていたんだけどようやくここで。感想文。この本に限らず、事前にあらすじとかどういう作品か、とはそんな情報は充実しているもんだ。「昔のエスエフ」という視点が抜けぬままに読み終えた。焚書とか検閲とかそのテが好きそうな人が好みそうな紹介ばかりされているが、その部分がそんなにキモだったとも思わないというか。書籍の内容を有害として焼くというのが国家によりもたらされた世界とみるならそれはそれで良いし、作中に出てくる壁テレビの思惑というならそれでも良いし、まあ足しても良い。人間は自由を求めて戦うものだ!という文学の世界の鉄板ネタ、一昔前のIE6でも崩れないCSSみたいな感じ。どうでもいいね!

    で。やはり昔のSFだなあと。当たり前だけど作中の「本がなくなってしまう!」みたいな危機感にリアリティない。今は「電子書籍の世の中が来るぜよ!」詐欺からちょっと歩み出た感じ。それでも紙という素材のメリットは一切失われていないのがすごいなと思う。燃やせば消えることが圧倒的な利便性なのだ。インターネットにより、各種『思惑』の保全はとても簡単になり、また一方で、廃棄は不可能になった。(ああ統制とは甘美。エアーズロックにノミを打ち込め)また、「テレビによる文化の破壊」は成功したかはわからないけど、ターンは終わっていて、(日本だけかもしれないけど)死にかけている。廃棄は有料になった。

    インターネットが何もかもぶっ壊している。自由の筈のインターネットが、華氏451の世界になぞらえると、どうも本を焼く側にいるようじゃないかと思える。インターネットは、捨てるという自由を奪った!!無かったことにする、人類の知恵を。猿のメディア。いいねボタンを一億回おせば英雄!

    Favorit 10000000+ それはブログが燃える温度。

    空のバケツ被って窒息死ぬしかない。穴の開いてないバケツで。

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    日記

    先日の件表で表現。今月一杯乞うご期待。

    夏が過ぎて行く。今年はゲリラ豪雨なんてものが少なかったと思う。都内ではどこそこの駅が沈んだ、なんて話も聞かなかった。一方で「経験したことのないような雨」が降るなどという予報もありまして、九州とか紀伊のあたりはだいぶ被害が出た。こんな自然災害が起こると、地球は大丈夫か?などと言う人がいるが、地球はどうあっても自然現象なんて平気のカッパで、そら大丈夫に決まっていて、その上で暮らす人間なり動物が大変な目に遭う。それにしたって海が川が溢れりゃ魚が嬉しいかもしれねえし、植物が増えてこそ緑の地球ってもんでえ。「大丈夫か」なんて心配にあたらんよ。

    あるいは、心配している場合ではないのかもしれない。人類の暮らしを防護する手立てが必要なのかもしれない。CO2の話は学者のデマでしたーという説が有力、という話をみみにして暫く経つ。そこらに貼ってある広告は、昔ほど二酸化炭素どうこう、主張しなくなったような気がする。京都議定書は単なる足かせで終わるんじゃないのか。アメリカは知っててバックレたんだろうか。アメリカ国内企業が、とか何となくアメリカ人の国民性を隠れ蓑に、また旨いことやられた感がなくもない。(とくに検証もせずに言っております。大丈夫か。)

    あらゆる自然災害が通過し、国土の殆どが山と森ってこの国。木でも山でも神と祭り、自然に対して敬虔であることが美徳となる文化。んでも「自然と生きる」などというと話は小難しい。自然と暮らしたい各個が独自の「自然」を追い求めており、宗教戦争かSFか、血で原生林を洗う戦い、トトロも狩られて脱法レバーと成り果てる始末。

    「自然に恵まれる」とは、物理的に森が近い、ぐらいの意味で考えていたんだけど、人々の暮らしが自然により崩壊しないような条件下にあるとでも考えるべきか。であれば東京の街も自然に恵まれている。南極や砂漠を考えればまあ日本は隅々まで自然に恵まれているわなあ。山を平らげ森を駆逐し海を捻って築いた大江戸より、冬場に街が機能しなくなるほど凍えもせず、夏場に人々が死ぬほど渇水もせず。現代に至って文明によるコントロールなくしては今の水準の自然との暮らしはありえないが、東京の「文明」が朽ちても人の住めない土地になるだろうか。ああ、人間以外の生き物に奪われるか。

    人間+文明だけが生存できる環境ってあったら、それは自然と呼ぶだろうか。いまんとこ宇宙空間か。北極にも深海にも生き物はいるなあ。宇宙を「大自然」とか呼ばない。なんで。恵みをもたらさないからか。他の生き物がいないからか。なるほど自然とは放っとけばリンゴが食える、水が沸くみたいな空間のことか。魚が陸にあがったように、人類も宇宙での暮らしを身につけよう。手塚治虫のブッダでは命は元は一つみたいなこと言ってたな。あの漫画の描写ではどうも地球外にその大元はあったようだ。摂理に宇宙は含みませんか。描くのが楽だっただけかもしれない。

    人類は宇宙から「恵み」を持ち帰る可能性がある。お、これをもとにした短篇小説のプロット(って言うんだっけ、ネタ帳のこと)を書いたのを思い出した。現物はないがふと思い出した程度の内容を膨らませて、十分インパクトがあると思うが既にだれか書いているかもしれない。オチができたぐらいで傑作になるなら簡単だわ。金になるなら書きたいが、書かなければ金になるかはわからない。野菜かよ。これはホントの脳業なんちて。

    大丈夫か。