ふでのゆくまま
-
祖母の50日祭へ
先月の末に祖母が亡くなってから一ヶ月経つんだな・・・なんて思っていたところ、すぐに50日祭となりました。仏式でいう、四十九日ですね。日帰りで郷里へすっ飛んでいきました。前日入りのはずがちょっと無理だったが、新幹線の始発だと十分に間に合う時間だった。正直荷物も少なくて助かる。
自宅に新たな仏壇…とは呼ばないな…神棚でいいのかな…を設置。神主を自宅に招いて儀式、その後埋葬した墓地へマイクロバスで移動して儀式、隣町に移動して会食。帰宅、解散。小一時間ほど雑談し、帰路。僅かばかりの滞在ではありましたが、やはり顔も知らない親戚が、という話。葬儀のときに見た顔も多いんだけどね、どこの誰かってなるとなかなかわからないわけで。将来世話になるんだから、忘れちゃいけないんだけど何せ覚えるような会話も時間もないわー。
オヤジが俺を写真を撮る係に任命したが、そういうのは遠縁の親戚とかに頼めよ、儀式の時も最前列なんだからパシャパシャやってられないのよ。そこで会食の時はうろうろして写真撮ったり動画とったりしてた。カメラ電池切れたので俺のスマフォ登場。写真と動画をそこそこ。後にプリントアウトして送れ、とか言われて萎える。お土産にするつもりだった8GのUSBメモリに入れて置いていこうとしたら、PCがスマフォをUSBデバイスとして認識してくれない。オワタ。またどこかにUPしてURLを伝えるようなことしないとダメなのか。
会食の会場が良かった。料理も申し分ない。住宅地と山あいの境目に建っているような立地、まどからの景色は紅葉した森とご近所の雑貨屋の店先。好ましいじゃないか、外界を遮るためだけの竹林植えてマヌケなライトアップされてる料亭は燃えろ。
墓地で儀式をしている時に、みな頭を垂れて祝詞を聞いていたんだけど、終わって頭をあげた瞬間に晴れ間が差し込んできた。祖父が「おおお…」と呻いて辺りを見渡した。俺もあまりの事に、たちの悪い悪戯を一瞬疑ったほどだ。映画みたいな、としか言いようがない完璧な間合いだった。キリストが起こした奇跡なんてものも、こんな程度の偶然だったんだろうなーと思った。
途中の新幹線の中からも、山肌に妙に緑が明るい一帯があった。あれは晴れ間だったんだろう。この日、日本中が一斉に冬へ踏み込んだ。
-
非常時用の時計が壊れた
震災以降、非常時のリュックを定期的に整備している。ものぐさ歴35年の俺には素晴らしいことである。なぜノーベル賞には災害対策個人の部がないのか!!!!といったような自画自賛を半年に一回ぐらいしていてまあ正直恥ずかしい。しかし「定期的な整備」ということには嘘は無い。無いが、賞味期限のチェックぐらいしかやることもないが・・・
という
いつもの荷物のチェック中に、非常時持ち出しの荷物からアラーム音が漏れてきた。小さい時計を入れていたんだけど、ごそごそしているうちにスイッチいれてしまったかな、と思った。取り出してみるとどういじってもアラームが止まらない。音程もおかしくなって不安を煽るアラームとなっている。うーん。壊れたな。電池を抜くと止まった。入れ直すとまた変な音程でなり続けた。電池を変えてもダメなので、何か時計内部の部品が壊れてしまったのだろうか。
迷ったけど、まったく同じものをかった。
アナログ時計にアラーム付き。ボタンを押すとその間だけ文字盤が光る。単四一本で動き、手のひらに収まるサイズ。安い。丈夫。(←実際壊れたから買ってるのに丈夫って評価はないなwネット上では丈夫って言われてますが)
非常時の備えをいじる度に、無駄だろうか、という考えが頭をよぎる。そんな考えを払拭するように、津波の映像がまさに脳内に押し寄せてくる。被災したわけでもねえのに。実際に、こんなものが必要になるような事態が起こったとして、自分はどのぐらいの確率でこの部屋にいるのか考えるとMAXで見積もっても一日の半分。その時間の殆どは裸足で、身軽な恰好ですごし、5-7時間は暗い部屋で眠っている。助かるか、なんて運次第としか言いようがないし、非常用の荷物が最大限に役だったとしても一週間ぐらいで限界ではないかと思う。
不安過ぎる。やるだけやったし、後は天に任せるしかない、などと言いながらも、もっとやるべきことはあると知っている。長距離歩けるような靴を勤務先に置いてはどうか?とかさあ。そもそも、そんなに地震が怖いなら東京離れれば済む。現実の暮らしと、その日その時。都合の良いライン上を生きようとする人が多すぎて、全くにっちもさっちも。現代社会では理想とはエゴのこと、非常時の備えに刃物を忍ばせる秋風の朝であった。
-
散らかし放題に生きており、お片づけほど苦手なもんはないが、そこに規律もノルマもないならば案外楽しい。名前は伏せるけど和民のような企業で働く
ハメになったような人とか、シビアな研究職とか、そんなものなんだろう。まあ世の中そんなうまくいかないもんで、効き目がありすぎるお薬の副作用で死んだりするように、一方を追求すると一方が貧する。走りつづけて死ぬか、寝転がって食われるか。嗚呼しかし、どっちかに針を振り切って死にましょう、なんて寂しくないか?おっと。それを咎めないのが人生というやつですね。ははは。なんでも死ぬ、死ぬ、言っているのはこのブログのタイトル上の演出であります。まあその演出も散らかし放題に向きを変えて、いき、そこを咎めないのが人生というやつですね。はははは。
メールアドレスの整理などしていると、たまたまある情報にたどり着くことがある。具体的には過去にメールをやりとりしていた人の現在とかですよ。顔面帳とかのアカウントとか。うーん。どうするんだこれ。どうするもこうするもないけど、絶妙に「やあやあお久しぶりですね」なんて言いにくいもんだ。おほほ、おっさんの乙女心、見さらせうはは。顔面帳に足跡機能なんて噂が出たときには鬱陶しいと思っていたけど、足跡つけておくって行動も、あるしゅ戦略的であるように見える。ストレートに生きられない、それを咎めないのが、まあ、いいでしょ。
la.dot
-
昨今のお買い物
まずは、とある御座を挙げさせていただきます。二畳ぶんぐらいをカバーする手頃なお値段の御座をネットでお買い上げ。しばし日付が開きまして、はい届きました、梱包開けました、先ずはばさーっと広げてみたところが何と吃驚異常に臭いのです。あまりのことに咽せました。全体から漂い来る恐ろしい臭いです。異臭とはこのこと。どこかに変な液体でも着いていないかとひっくり返したりすると、その作りの粗末さに目を覆うばかりであり、目を覆うならば今度は異臭が際立って鼻に来るクソが死ね死ね死ね。
天日干しなどで解決するやもと思いましたが、今年のガンガン照りの陽光に3日ほど晒すも改善はなく、飽きれてどうでも良くなって放置、ある日の夕立に濡れているのに気づいて「もおいいや」と遺棄を決心致しました由。作りが粗末なんでハサミで簡単に捨てるサイズになって嬉しいなったら嬉しいなー死ねー。まあ3000円でこんな口汚く罵るもんでもないのだけれど、あまりにアレでしたので。
続きまして、映画DVDですが…こいつは項を改めて。
次に、ディスプレイを載せてスペースを有効活用できます的な台。キーボードをしまえば机が広く使えます的な台。名前なんていうのかしらこれ。PC関連商品というカテゴリーで買いましたが、ホームセンターみたいな所だったら半額くらいじゃねえか、というようなお値段でした。あと5cm幅があれば言うことなしなんですがねえ。もう一つ上のサイズは20cmほどもデカくなり、そうすると収まらない&高いのでこの商品で妥協。こちらは満足。
さて——–
物欲という言葉の響きが愉しい。あれこれ所有を達成したいという欲求は、なければ困るという品々を求める事とは明らかに異なっている。この国では無ければ困る物は簡単に手に入るから、どうにも達成感がない。頑張って予算をやりくりしたとかはまた話が違うと思うんだけどね多分。物欲という響きには、欲しい欲しいという状態を心にもやもやと抱きつづけているニュアンスがあると思う。衝動買いなんて言葉もあるけど、そいつに比べるとどうも、淫靡な気配すらある。衝動買いの「買い」の部分を除く、残るのは一目惚れのような「きゅぴーん♪」とした感情。次に見かけたらどうしようかしらいやんいやん。恋する乙女かっつーのよ。はああん。
という。
ものすらインターネットで得ています自分、そんな珍しくもあるまいと思っている。マウスでコチコチとクリックすりゃおうちに届く、大変に素晴らしい。そりゃ買い物のほとんどがそうなるってもんだよ。でもやっぱり現物を目の当たりにするのとは違うんだよなー。人間の脳ってのは大変に出来が良いと思うんだが、やはり現物を見るのとネット上でスペックを眺めるのとは全然違うんだ。コップ一つでもそう。ただし、その、現物をみたいがために時間作っておでかけして、なんてことは殆どやらない。でも、買うつもりが無いとなると、現物を見て回るほうが楽しい。そりゃそうだ、ネットで適当な商品を見て回って何が面白もんか。
ここに、商品と人間のあいだの関係性の変化が見られる(国語の教科書っぽく)
現実のお店がカタログなんだ。現物そのものが見れる、場合によっては専門家の見立てをしてもらえる、なんと買うこともできる!すごい!ネットのお店は倉庫だ。そこに載っている全ての商品は自分用の在庫でしかない。発注手続きをすると、保管料金を運送料金を払って、家に届く。品物の値段なんて払ってる感覚がないよ!
そういえばamazonの在庫が買える店ってできたようなニュースをだいぶ前に見たが。どうなってるのかな。
-
それは#$%&が燃える温度
収支、などというけど、平凡民、昨今の社会事情では貧民層に分類されるワテクシ、お給料しか稼ぎがございませんで、そら、計算も、引き算だけになるっつ塩梅で、どうもね、定期的に増額されるものの、計算上は減ることばっか考えてるってえ塩梅で、どうもね、穴の開いたバケツ、鼠の暮らす蔵って塩梅で、どうもね。しかしながらそのバケツ、どこに漏らすかをこの手で動かして選べるって塩梅で、どうもね、世界はそれを自由と呼ぶって塩梅で、どうもね。
その穴がちょろちょろだから、どこに撒こうか、なんて心配もしていられるつううもんで。この世界にはもっとでけえ穴を抱えながら右往左往する人がいて。会社経営なんかそうなのでしょうね。ずごごごごごごごごと水が入って、どばばばばばばばばばと水が流れ出ていく。もはや動かすこと叶わず、溺れる覚悟で潜って穴修理するなり、そんなもん脇目もふらずにもっと水を!!水を!!みずーーーーーーーってまあ。
これが落語なら穴の無いバケツに喜んでたらすっかり干上がった、というのがいかにもなオチ(サゲって言うんでしたっけ)なんだけどなー。怠けてねえで働けってな。ああちょっと書いてみたいな。だれか書く人いねえか。安敦誌の人とか一筆どうですか。
みんな水の漏れてるバケツを抱えて走っているとしたら、現代社会はビョーキだろうか。しかし世界は乾いている。漏れた水こそが、我々の生きる糧を育む。燦。水が漏れねば世界は燃え上がる。どばばばばばばと垂れ流しのたうち回って暮らすことこそ、是としなければならぬ。ビョーキなのはこの世界のほうなんだと認めることを、ある人は「神は死んだ」と表現しました。落語なら没だクソが。
遠く我々の祖先が陸に上がって以来。そういう機関でしかない我々。安いSF。士農工商犬エスエフ。筒井康隆。水筒。出納。ほら話がつながった。お前の札束が燃えたら、水をかけるの?もっと札束持ってくるの?
それはお金が燃える温度。
というわけで。華氏451を読んだ。自分は華氏911の方を先に知ったので、いつか読んでみるかなんて思っていたんだけどようやくここで。感想文。この本に限らず、事前にあらすじとかどういう作品か、とはそんな情報は充実しているもんだ。「昔のエスエフ」という視点が抜けぬままに読み終えた。焚書とか検閲とかそのテが好きそうな人が好みそうな紹介ばかりされているが、その部分がそんなにキモだったとも思わないというか。書籍の内容を有害として焼くというのが国家によりもたらされた世界とみるならそれはそれで良いし、作中に出てくる壁テレビの思惑というならそれでも良いし、まあ足しても良い。人間は自由を求めて戦うものだ!という文学の世界の鉄板ネタ、一昔前のIE6でも崩れないCSSみたいな感じ。どうでもいいね!
で。やはり昔のSFだなあと。当たり前だけど作中の「本がなくなってしまう!」みたいな危機感にリアリティない。今は「電子書籍の世の中が来るぜよ!」詐欺からちょっと歩み出た感じ。それでも紙という素材のメリットは一切失われていないのがすごいなと思う。燃やせば消えることが圧倒的な利便性なのだ。インターネットにより、各種『思惑』の保全はとても簡単になり、また一方で、廃棄は不可能になった。(ああ統制とは甘美。エアーズロックにノミを打ち込め)また、「テレビによる文化の破壊」は成功したかはわからないけど、ターンは終わっていて、(日本だけかもしれないけど)死にかけている。廃棄は有料になった。
インターネットが何もかもぶっ壊している。自由の筈のインターネットが、華氏451の世界になぞらえると、どうも本を焼く側にいるようじゃないかと思える。インターネットは、捨てるという自由を奪った!!無かったことにする、人類の知恵を。猿のメディア。いいねボタンを一億回おせば英雄!
Favorit 10000000+ それはブログが燃える温度。
空のバケツ被って窒息死ぬしかない。穴の開いてないバケツで。