ふでのゆくまま
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隣の客はよく虫食う客だ
タイトルに意味はないんですけども、コオロギ原料の食料ベンチャーが倒産してしまった。ずいぶん騒動になったと記憶している。「グラリス」という徳島の企業だけど、ニュースを調べてみたら他にも倒産している同じような企業はあるらしい。
このような技術は、必要な時になって慌てても既に手遅れだって事がありえると思う。先をみて開発に着手してみるのは如何にも、本来の意味でもベンチャー企業っぽいやり方だと感じる。とはいえ民間企業であるからして、経営が回らないと活動を続けることは難しいです、と。
自分はイナゴの佃煮ぐらいなら口にした経験は何度かあるが、よろこんで昆虫を頂こうとは思わない。これを食わなきゃ死ぬとなったら、そら食うだろう…か?本当に?食べれる?命の危機においても理性が本能を抑えてしまうような事はあり得ると思う。極地で遭難した時に生魚を食えなかった人は助からなかったとか、高所から脱出するのにスカートをはいている女性は躊躇ってしまった、とか。だから、生でポキポキと頂くような迫力のシチュエーションではあるまいし、粉末が混ざっているぐらいなら…どうだろう…。
こんな大手で販売していて、いつでも買って食えるぜ、って状態でも未だに試してない。心の中では「なんかワーワー言うとりますけど、その時になったら食べますからね」と言い訳している。煎餅だぞ?でもなんか危なっかしくない?ご家庭レベルの衛生面で客観的に考えたら、そこらのスーパーの刺身のほうが危ないのかもしれないなんて思うけど、これはもう生産者を信頼できるかどうかなんじゃないか。本当に安心安全のコオロギか?って。御社の信頼ゲージの積み重ねを観てみたいと。ちょっとずつ世間の評価や好意的な事例が集まっていくかどうか、そのあとで判断んしたいと。そんな日和って様子見ているうちに経営破綻してしまった。こちら側に判断を急ぐ緊急性も一切ねえもんな。
いったんコオロギめしの事は忘れよう。
世の中には日本よりはもっと深刻に食糧難の地域がある筈。そういう場所でコオロギめしの配給が受け入れられるだろうか。どうなるかな。正直な話、そういうシビアな問題を解決しようとしてコオロギめしが出来たという印象は無い。冒頭に書いた通り、遠い将来のなんとなくの食糧難に備えたという立ち位置なんじゃないかと思っている。今ここで歩みだすことが先行ビジネスで大儲けしつつ人類の救済に繋がると―――ま、企業の発信している情報一個も読まずにこれ以上書いてもアレなので調べてみまs
たくさんあるやん
世の中にファッション的なニーズが希薄なのにこぞって取り組むのは、人類の未来をアットテキな会議名分としたうえで、商品の性能が良くて成功が見込めるってことなんだろ。サイトにもそこらの記事にも良い事しか書いてない。栄養分は良い、土地や水が今現在の家畜より少なくて済む、なんたらかんたら。
じゃあなんで今現在、主要な食べ物になってないんだ?食糧危機なんて何度もあったし、今現在だってあるし、なんで昆虫で解決しないんだ。その辺の理由が何かこう。結局は大きな資本が必要で、必要としているところに届かないんじゃねえの、って訝しんでしまう。…が、なんにせよ一撃で根底から問題が解決することはなし、少しづつでも改善が進んでいくのだと思います。思ったより企業の数は多く、想像以上に取り組んでいる人々も多そう。
「今まで本当にありがとうございました。おかげで我々の暮らしも安定しました。もうそろそろ昆虫をやめて、小麦を植えたりヤギや鶏を家畜できるようになります。私たちに人間らしい暮らしの扉を開いてくださった皆さんの事は代々忘れません。あなた方の勤労に感謝の意を表して。さようなら。」
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忘れもの忘れ
風呂でシャワーを浴び始めて、ふと視線を左に送るとオレンジの靴下が干してあった。
風呂に干していた靴下を取り込まぬままに、服を脱いでシャワーを浴び始めたということのようだ。なんというか、がっかりだ。がっかりすぎて10秒ほどそのまま眺めていた。確かに風呂に干した洗濯物を取り込んだ。取り込んだのだが、この一足だけが残されていた。先に他に干してあったものを取り込み、まだこの靴下が残っているにも関わらず何か他の事をして、そこで残ったこいつを取り込むのを忘れられたのだろう。自分の人生にはこれが多い。さっきまで持っていたのに、どこに置いたっけ?みたいなこと。そんなもんだから、鍵、スマホ、調理中の火といった取り返しのつかない事になりそうなものは特に気を付ける習慣ができた。
靴下なあ。例えばこの一足が自分の見ていないところで不可思議な穴に放り込まれて消え去ったとしても、気付かず過ごすだろう。風呂に干してある洗濯物なんぞ、注意を払う対象ですらないのであります。慣れた申し開きをしておりますが、それ以上に気付かないってところね。視界に入らないものだろうか。自分で再現してみたが、確かに案外目に入らない。FPSゲームみたいなクリアリングするわけじゃないからな。風呂の入り口の折り戸を開けて、正面にシャワーがある。一目散に浴びようとすれば気付かないもんな、いやあしょうがない、わけねえだろ😰大丈夫か俺。
なんでその一足だけ後回しにしたんだろうな。ミステリー小説だったら、謎解きの鍵になってしまう。「犠牲者はここで靴下を一足だけ干したまま、現場を離れた可能性が高いのです!」「馬鹿を言うな!やっぱりそんなことがあるわけないだろう!」「しかしそれ以外に考えられないでしょう。先ほどもその結論となったじゃないですか」
22:00を回った。薄明り。小部屋。沈黙が続く。一同がうろたえたまま泳がせた視線が徐々に自分に集められ、そこで終端していることがわかった。納得できない点はあるが、いったんはこの結論で前へ進めれか良いじゃないですか。そう言っている。全員がそうしましょう、そうしましょうとお互いを後押ししている。まずは一旦この部屋から出せよと謗りながら眉間にしわを寄せている。しぶしぶ口をひらいた。
「こちらにあるペットボトルのキャップのようなもの―――」ジップロックの中に雑に放り込まれた、まさにキャップのような黒い部品。椅子の真下に落ちていたものだ。しかし、椅子にはその”キャップ”をはめる場所が見当たらなかった。横から見ると凸形に絞られており、その狭くなった首の部分には何か液体が残っている。潤滑油だろうか。普通に考えれば椅子の部品だ。椅子のメーカーと商品の特定はできているので、明日の朝に問い合わせる事になっている。こっちの鑑識もこの時間では動いてはくれない。それにこの部品だけ渡してもどうしようもないだろう。あいつらはこういう部品に異常に詳しい。まさに職人のカンとでも言うべきものだろう。明日、現場で椅子と一緒にあれこれ調査してくれれば、案外すぐにわかるんじゃないかと期待している。その期待というのは、勿論、「この部屋にある家具の部品ではないですね」だ。そうすれば実行犯の手掛かりとなるに違いない。
しかし、俺はこの部屋に一人で住んでいるわけで、やっぱり椅子の部品だと思うんだよなあ。椅子は問題なく使えているけど、この部品が取れたことで何処かの接続というか、組み合わせがおかしくなって、普通なら壊れないような場所がある日突然ガッコンと外れたりするかもしれない。そう思ってもう二回ほど椅子をひっくり返してマグライトで照らして「🤔ふーむ」なんてやっているのだけどな~~。あるいは机か?机の部品だったら、猶の事すぐに影響が出るだろう。ドゴシャと崩れ落ちてもおかしくない。今日はちょっと念入りに調べてみるか。机の下に潜り込んで、こんな時だけでも体重半分にならんかねとひいひい言って足の部分とか隅っこの結合部を覗き込む。脱いだ靴下がゴミ箱の影から出てきて、床に顔を近づけたままため息ついていると、なんか風呂場のほうで何か落ちたような音がした。ああ、そうだ、洗濯物を取り込もうとしてたんだった。オレンジの靴下を握りしめて、いったん机の下から立ち上が―――
やれやれ。
知人が親が存命のうちに実家の断捨離をしておけと。ほんとその通りだけど、こちらから懇願してもやらないだろうなあ、めんどくせ。言う前に自分もやるかーという秋の一日。
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秋
電線に蔦が絡まっている。と…傍らのお宅からにゅっと高枝切りばさみが伸びて、ぎこちなく蔦のカットを試みているのだがどうもフラフラと安定しない。見上げながら通り過ぎると、老婦人が一人で二階のバルコニーから身を乗り出し、なんとか切除しようとしていた。危なっかしいなあとは思えど、脚立の上とか不安定な足場じゃないので、落下して大けがなんてことには至るまい…。しかしあのぎこちなさでは電線を切ってしまいそうじゃないか?こういうものは何処に頼めば良いのだろう。植木職人?便利屋?ひと月ほど過ぎて同じ場所を通ると、蔦は絡まったままだが枯れていた。
暑い。旧体育の日あたりの連休でも最高気温が26~7度に及び、衣替えなどとてもとても。それでも空気は秋。夜は確実に寒さを積んでいる。きのこやカボチャが店頭に並ぶ。ここ数年同じように秋の暑さを嘆いている気がするが、本当に暑いんだろうか。過去のデータが気象庁のwebサイトで見れるのでチェックしてきたものなり。以下リンク先は2000年10月東京のデータ。
うーん。今よりちょっとは涼しいか?サイトの造りが分かりにくくて調べにくいんだけど、快晴であれば25℃を超えてくるというのは、実はここ20年ぐらいで見てもさほど珍しくも無い。リンクはりなおす。観測地点は府中市。左上のほうの前年とか翌年のボタンを押して比べてみよう。
じゃあ暑い暑い言ってるのはわたくし個人の事情か?10年まえ、20年まえ、30年まえはどうだったかなあ、なんて思いを巡らせてみるも、流石に空模様なんてまるで何もわからないのでありました。ハロウィンは確かに無かった。
妙に救急車止まってることがおおい場所があるのに気が付いた。スペースに余裕がある駐車場前で、駐車しやすいのだろうか。半径50mぐらいをその駐車場所でカバーしているとか。それにしたって出動要請が無ければ駐車もしないわけでして、もしかしたら最後は自宅で迎えましょうという人とか精神がアレでアレな人なんかが近場にいるのかもしれない。
サンマが高いと。「そういえば食べてないなあ」ってことを毎年言ってる気がするぞ。サンマのフライが売られていたので有難くおかいあげ。(´~`)モグモグ。それこそサンマの塩焼きなんてものは何年も食べてないなあ…ってこれも毎年言ってる気がして、実際どうなのか記憶にない。どうせ年に一回ぐらいは食ってんじゃないのか?そーいやAKIRAに出てきた人口サンマはどんな味わいだろうか。骨の形をしたものをたくさんぶら下げて培養液にざぶん。しばし時間をかけると身が付いていく。そんな様子を想像する。
いや、サンマ味だろ。何言ってんだ。
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かたいたい
夜風が涼しくなりました。しかし東京の夜風なんて考えてみれば好んで浴びるほど清らかとも思われず~。
洗面所に置くコップをどれが良いか迷って、結局三つ買った。一つ500円もしませんですし。で、どれも一長一短で満足できてない。とほほ。今ではこういう実用的なグッズを3Dプリンターで作る人もいるんだよなあ。さぞや良いものをお持ちだろうか。つうか売ってくれ800円で買うぞ。
にせ鰻を食べたい。鰻の養殖が可能になったご時世だけど、鰻っぽい味と食感を出したにせ鰻が存在する。にせカニカマだってあのクオリティなんだからにせ鰻だって美味いに相違ない。自分で製作するレシピも眺めてみるが、要するに「大豆のお肉」的な発想で鰻っぽくすればいいのか。ちくわなど魚肉を使うレシピもありますな。しかしここは自分で手間暇かけて遊ぶのではなく、企業努力を突破してきた商品を求めたい。面構えが違う。ネットに情報を求めると、そんなに種類は多くないし、近所にも売ってない。一旦保留だ。なんなら本物のほうをポチろうとしてしまった。
肩が痛い。我慢しながら日常はこなせているが、両肩とも可動域が狭くなった。体の左右バランスが悪いのはなんとなく自覚もあるし診断で言われたこともあるが、加齢とともに表立ってあたたたたた。今回は利き腕のほうが痛み、背中を洗うのにも影響が出ている。以前に買ったボディブラシが長すぎて使うのやめたんだけど、あれ捨てずにとっておけば良かったな。こういう物も、3Dプリンターで?🤔というか医療系の方面で調べれば特殊な形状とかあったりするか?ひとまず、長いタオルに鞍替えで済むんじゃないかな。はよ治さないとなあ…。うんこの後も大変なのよあたたたた。
通称「袴田事件」が無罪判決となったらしい。事件の内容については知らんかったのでざっくり調べると証拠の捏造が疑われる事件との事。同じことが自分の身に起こることを想像すれば恐怖でしかない。しかし野次馬の立場では、証拠について実感に乏しい。仮に現物を見たとて「これは捏造だっ!」なんてなるわけもない。ここ何年か…5年?10年?はドライブレコーダーが付いているのが当たり前ぐらいの世の中で、交通事故があっても、例えば「相手が信号を無視した」みたいな虚偽の言い逃れが通じなくなっている。そうでなくても、そこらを歩いている歩行者がスマホを出せばすぐに証拠映像が残り得る。リードをドアに挟まれて引き摺られてしまった人の映像見た?映画かよ、って映像だった。日大の「悪質タックル」の件もそうだ。アメフトなんだからラフプレーぐらいあるでしょ?なんて認識だと、実際の映像を見て驚愕する。傷害事件をスポーツで隠ぺいしようとしたようなもんだ。肩が痛いでは済まんぞ。
耳が痛いにつなげようと思ったがここで断念。肩が痛いのは本当なので困る。
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愛は地球を救うのか?
年に一回放送されている24時間テレビに、とんでもない不祥事が明るみに出た。10年にわたって募金を着服していたという。これは番組打ち切りも止む無しだろうなあ、と思ったらシレっと今年も放送したらしい。ただし、テーマ?キャッチコピー?に小細工を施して。
「愛は地球を救う」→「愛は地球を救うのか?」
なんだこれwww
不祥事云々の背景を抜きにしても、もともと変える予定だったのかもしれない。文面だけを読めば、ただポリシーに疑問を抱いたと読み取れる変更内容じゃないか?本当のところは、もう指さして笑いたいぐらいに愉快だ。ただ、本来はチャリティーってことだし、本当にこの企画で助かった人だって居ないとも限らない。続けるんであれば、ンまあ、頑張って頂きたい。やはり企画としては打ち切るべきだとは思う。こんな企画がなくても募金も慈愛も世の中にあるし、金銭の話なら日テレの売り上げから放り込んでも同じじゃないの。
そもそも「地球」を救うってなんだか曖昧模糊としてないかな。困っている人々を救ってほしいもんだ。調べてみると、番組開始当初はそのテーマは採用されていなかったらしい。チャリティーイベントという主旨は開始以来ずっと同じなので、後付けのテーマにそこまで大きな意味はないと思う。でも今回の変更では、ネガティブな意味を付け足してしまった。「愛は地球を救うとは限りません」と言っている。あーーやっぱり救えませんでしたーー!番組終了します!とか言い出さないだろうな。今回の件でも手を引かなったんだ。意地でも地球に救済をもたらしてくれよ。
調べてみると、この番組は1978年から放送が始まっていた。世界的に名の知られているチャリティー規格の、”Live aid” と “We are the world”が共に1985年だからそれよりもだいぶ早い。へええ。自分が24時間テレビを見た記憶があるのは、サライが作曲された時。こんなサクサクと曲が出来上がっていくんだと感心したもんだ。調べると1992年。その他にも何回か見た事はあると思うけど…。明石家さんまの車をボコボコにしたのもその頃の24時間テレビだったと記憶していたが、これはフジテレビの企画だった。
2024年、長崎原爆の日の記念式典に、イスラエルを招待しない方針だという。その理由は明らかにされてないが、中東事情をみればおさっし。ロシアでもイスラエルでも中国でも招待して、形だけでも平和のために尽力すると誓うか、問うてみれば良いのに。
日テレは尽力するんですって。すごいね😊