ふでのゆくまま

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    ustream

    全く見るだけなんだけど、ちとなにかやれないかと考えてみた、が、とくにないな。本日見たチャンネルでは唐突にBGMをリクエストして、このエントリをかく作業用BGMにしちゃえ、とか。・・・・なんかね。

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    お金のことは良くわからないが

    日足のチャートがツール・ド・フランスのコースの高低差の図みたいになってて、カクカクと激しい上下運動。震度のグラフみたいでもある。総じて見事な右肩下がりではあるのだけれど、なんだーかんだーで本日は9000円を回復。こういうときに推移を見守るか勝負をするか、性格でるよね、・・・なんて思ったけど、そんな暢気に性格が出るような売買してたら、秋葉原のビルなんて買えないだろうなあと思う。→これのこと

    いわゆるトレーダーの人たちの仕事部屋に立ち入ったことがある。何面ものディスプレイが貼り付けられたデスク。表示されている情報は自分でもわかるものが多い(と、思う。さすがにじっくり眺めたわけではないけど、CNNのロゴのはいったニュースだったり、東証株価指数とか帯のついた表だったりした)けど、そこから何を読み取るのかが謎だった。値段の推移から数分後を予想して売り買いする、そうなんだろうけど、根拠はなんだろ。集積された値段推移のパターン?ニュースから事情の遷移を読み取る知識量?カン?任天堂の株価なんか見てると、wii出ました→人気です→株価上がりました、みたいな御伽噺のオチみたいな単純さで動いているけど、そんなわかりやすい情報だけでトレーダーの人々も動いているんだろうか?まさかねえ。

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    ぞうよ

    同僚に子供が生まれた。めでてえ。ふと、お年玉・・・・とか頭をよぎった。乳児に与えてどうする気だ。しかし、今年もあげなきゃなあ、って対象がないことに安堵するような、いい加減さびしいような。

    去年、十代なのでお年玉ください、って誰かに言われた気がする。新年の挨拶をして、お年玉渡すような十代の知人はおらんかったと思うのだが誰だっけ。きっとwebつながりだな・・・。誰だろか。ま、欲しけりゃとりにこいやーい。へっへーん。

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    雑記

    机の上の飲み終わった、空のドリンクを数えたらその数は七つ。うち三本がエスカップでございました。どーも体調が安定しないよ。すこし肥えてしまったようだし、ちと運動することにする、ものの、この体まで育ってしまうとなかなかに大変。これで自宅にプライベートプールなどあれば一日一キロぐらいならこなせるけどなあ。・・・なんて発想がもうだめだめ。とりあえず今日は30分ほど歩いてみるかしら。歩きながら何かできないか、とか考えてしまうのは良い心がけなのかビョーキなのか・・・。深夜に一人で歩きながら何ができるんだよ。うーん。

    メシが食える!

    ビョーキ。

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    ミリコー

    傘を忘れたら天気予報が外れて晴れた。わああああああ、遅刻遅刻どうしましょどうしましょとあわてて駅まで走ったらとんでもない事故で動いてない。・・・たんなる偶然だよな。二つの頃柄の二つの事象が重なっただけ。そこに意味をつけるのは当人だけで、実際、遅刻せずに駅に着いた人には忌々しい出来事に過ぎない。あああ、傘が邪魔だああああ。

    だけど時に、それは起こる。人々は「あれは奇跡だ」と述懐する。こーいうの。

    運の使い道を選べたら?ある一瞬に100%使う?小分けにする?あるいは誰かに売ったりして?「あああ、傘忘れた!よーし、じゃあ、今日は運を使って、外にいる時間だけ雨が降らないようにするぞー!」便利ですね。でもそれ、運じゃないんじゃないかしらん。特定の結果を無理やり捻出するのが運かと。どうやろ。どうも運が良いというのは、後で振り返って、「あれは運が良かったなあ~」なんて言うものではないかしらん。特に恣意的じゃない結果が、どうやら自分に利益になったと。それが運が良いってもんだろう。ほら、それが僥倖かどうかは個人の事情によるわけじゃん?株価がどがががががが、と急降下するとかね。自殺したい人間が助かったのはどうなんだ?運が良いのか?悪いのか?

    運を使うにしても、「そう言えば都合の良い事あったな~、あー、あそこで運を使ったのかな~」なんて、何処でどう作用したかわからんと。狙った結果が出せるならそれは神の奇跡というわけ。だから、あまりにも運による(と思われる)都合の良い事態に、人々は神との繋がりを感じ、奇跡の名を口にする。それが当人にとっては実は不運だった、なんてオチもなさそうな、誰もがその一瞬だけでもそうあってほしいと願った、一秒先の未来が実現する瞬間。祈りは通じたのだ。

    奇跡は存在し、神も存在する。

    ゆえに、永遠に奇跡との邂逅を果たせぬままの人々がいる。神を汚すこともなく、従順なままに潰えた人々、彼らこそが我らの礎となっていることを思うと、「ラッキー♪」なんて口に出すのも憚られるのですよ・・・・。