ふでのゆくまま

  • ふでのゆくまま

    いたいけな携帯(回文) みたいな。

    ケータイ小説というジャンルがある、らしい!携帯の画面でメールとtwitter以外読むということをしたことが無いので、そんなに読みやすさに影響があるかどうかわからないけど、文体の特徴としては短いセンテンスをぼっつりもっさりつなげていくのが人気、らしい!最近話題になっているのが、「あたし彼女」って作品で、パロディ生成のシステムも実装されるなど、えらくフィーバーしている、らしい!

    実際に読みにいくと、文章がどうのこうの内容がどうのこうの以前に、この程度の情報量でいちいち次へを押して進まなきゃいけないストレスで沸騰する、じっさい!コンビニATMとかで苦戦する御老の気持ちがわかる気がする、じっさい!などと・・・・憤慨したことでも書こうと思ったらさあ、そうでもないんだよね。ただただ次へ次へをクリックしていくというのは、文章にスピードやリズムをのせる良い手法なのかもしれない。切り替わった画面にシンプルに一言ふたこと、一瞬で表示される文字はやっぱり印象的だ。一人称のモノローグ文章なので、思考においてその彼氏がどんだけぇ大きな割合を占めているかってのが、まんじりと伝わってくる。・・・・・・、しばし読み進めると、審査員の秋元康(最近は俺も似てきた)氏が、「台詞のリアリティ」を評価していたのを思い出した。氏は確か恋愛云々的なエッセイも書いていたはず。ブックオフのエリア105で見かけたことがある。しかして稀代の売れっ子作詞家の感性とこの作品のムードがマッチするのもさも、ありなん!・・・でも200ページほどで挫折した。

    なんか見知らぬ人のミクシーの日記読んでるような感覚なんだろうなー、これは。作者の最後のコメントも、まあ、なんかそれっぽいよな。フィクションの日記って言うなら自分も相当に自信があるからな、こんな時代が来るのなら、ずっと作家でも志してればよかった、みたいな。

  • ふでのゆくまま

    death-Play

    お察しの通りdisplay死んだという按配でして。GWの真ん中あたりに買ったから、半年持ってない。確かに破格の良品だったけどさー、ちぇー。安物買いのうんたらとかのたまう人が多いけど、買えない物は買えませんから。必要なものは必要ですから。そんな昔の金持ちの戯言。ケーキ食えと同レベルの発言じゃないか。ぐわわわわ。

    などと。憤りを露にしたものの、実際この十年で壊れたって経験はこれだけなので、中古で買った経験もこれだけなので、まあ、その通りですと言うしかないわな。あーあ。2002年のHP製品だからなー、良い物拾ったと思ってたのになー。ちぇ。

  • きかいじかけのかみ,  ふでのゆくまま

    オープンソース

    確かにオープンソース。

    事実は小説よりバイナリ。見事にオープンしているなー。Googleもこんなだっけ??たしかにケースなど無くともPCは動くんだけど、主に内部保護のためにケースはあるわけで。ホコリを防いだり、小動物が闖入することを防いだり。自分などはPCの上に物のっけたりするんでケースがないとどうにもならない。一方、ひたすらに稼動し続けていれば良いサーバだと、マウスもキーボードもいらない。特殊な事情が無ければDVDドライブも使うことはないし、LANと電源が来てれば問題ない。部屋自体に厳重な警戒態勢布かれてるので、個々の端末にケースいらないよなー。運用上は。

    これ、サーバ引越しするときどうするんだろう。ばらして運んで組み立てるのかな。あとマザーボードをラックに直置きしてるようだけどなんとなくそれも大丈夫なのかなーって。しかしこれは実際にみてみたいわ。

  • ふでのゆくまま

    勝浦

    何処?つまり、全く状況を把握せずに、たまには付き合いなさいな、と説得されて同僚の車に乗り込んで行って来たんだけど。バーベキューとしか聞いてなくて、海へ行くとも知らず。勝浦とも知らず。それがどこかはこうしてブログを更新する段になって調べたほどだ。まあ、カーナビ覗き込んでれば大体わかるけど。中野で拾われて、給油をすべく新宿へ、そこから首都高に乗って、て、ガソリンスタンドがことごとくお休み。あるいは閉店。巡る巡るで40分ほど経過。高速乗るには残量がやばいので、近付きつつ探そうと、思って見つかったのが結局舞浜近く。途中で頼まれた買い物をこなす。現地集合時間を二時間遅れて到着。すいませんでした。しかし、道中は自分のふるさと近辺を思い出さずにはおれない感じの、杉林に覆われた山間部の道だったく。ちょっと大きな通り沿いになると、妙に駐車場の広いチェーン店系統のショッピングセンターがならんでいて、コンビニに止まるといかにもな地元民がわらわらいる。日本の風情ってことで。

    今回は付き合いのある他社の方もいっしょで、そのお子さんがまあげんきいっぱいで、うちのデザイン担当がつかまっておりました。二人がかりでボコられておりました。海だと知らない自分は当然そんな装備はなく、ジーンズの裾を砂に埋もれさせたりしておったのですが、うちの社長以下はビク提げてすもぐり。なんかタニシみたいなの採ってきて、焼いて食った。もうだいぶ暗くなってからビーチバレーで〆。へとへとです。あの砂の上で動き回るって尋常じゃないな。久しぶりに実家以外の場所に遠出したのでたのしかったです。最後の撤収時に折りたたみテーブル壊したけどね。

  • ふでのゆくまま

    春樹を知らない子供たち

    というわけで村上春樹を読んだ事ないわけですが、人気作家であるということしかしらない。文学というか、小説をもう二年ほど読んでない気がする。思いつかないんだから読んでないのだろう。お気に入りの作家だと思っている平野敬一郎も、実際のところ「日蝕」と「一月物語」しか読んでない。人気作家というか大御所になると、どうもどれ読んでも同じなのかしら、的な詮索を始めてしまって、あまり気が乗らない。そんな中で宮本輝は気に入ったっけな。なんでだ。

    そこに文体、とかいう概念があるわけで。文章を書く人間にとって、他者と同じ事を書きながらも無遠慮に無尽蔵に個性を洩らし続けることのできる、まぶたの裏で燦々と輝く神のカンニングペーパー。かみだけに。もし、自分が読んで面白いと思うかどうかが、文体にかかっているなら、読まないことには把握できないではないか!嗚呼!めんどうくさい!

    なんて考えているころに、コトノハなんてサービスに加入してひとしきり遊んでみて、文体を通して中の人のキャラクターが見えるというのは、果たして素人なのか玄人なのかと。あ、読むほうじゃなくて書くほうが、ね。

    検索したらこんなの出てきた。・・・わかんねえ。こういう解釈が嫌いで文学部をやめて法学部にしたんだった。そっちも大失敗だったけど。作品のある部分の、あるいは全体の意図など本人の口から出たもの以外信じられるわけ無い。

    では、俺がお気に入りの作家なり画家なりを推薦するに、どうすんだろう。つげ義春、ベクシンスキー、PainOfSalvation・・・・どうするんだろうな?