「犬神家の一族」を観た

もちのろんでネタバレ。

この作品を知らない人でもみんな知っている、スケキヨという名前と、顔面のビジュアル、湖から足の生えた場面。あー、これかって。物語は真犯人を探すといういかにもなサスペンス。なかなかに複雑な話で面白い。とは言え、ビックリするような展開にはならんのだけどね。一番の見せ場は若き日の石坂浩二。あの和装がずいぶんと似合う。いい仕事してますね~。

作中でも金田一が明かしたように、偶然が重なっている点がこの事件の不可解なところに繋がっている。しかし、ただ全部偶然でした、では面白くもなんともない。どころか、ストーリーとしてそれはアリなのか?と誹られることすらあろう。それを必然である事情に染めるべく練られた筋書き。…という筈なのだが、いまいち驚きはなかった。仮面の中身が入れ替わっている、なんて単純なトリックだものね。ざっくりといえば、詰まらなくはなかった。そこそこでした。という印象。

なんか適当な感想文だ。HAHAHA何をいまさら。

せんたっき

結果が出てから「やっぱりそうなると思ってました~」って表明するのは、胡散臭い。本当にそう思ってたんか、おいいいい?「やっぱり」という言葉の使い方としては合ってるんじゃないかと思うけども、なんかこう…ねえ?なんなら、口に出すのを憚るほうが賢いとしたもんだ。とはいえ、本当に前々から事の顛末を確信していた、ということは、じっさい、あるものだ。あっても、口には出さない。でもね、そんな時に、誰かが粗忽にも、あるいは確信めいて、”やっぱり”と口に出すと、これ嚆矢とばかりに「いや実は私もなのよ」って賛同者が続々と現れる。

https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1904/23/news094.html

このランドロイドとやら、売れないと思ってたでしょ?欲しいとは思わないでしょう?差し上げると言われてもいらないですよね!!ねっねっねっねっ。サイズ、価格、そもそもの機能もどうなんだ。日常的に洗濯物をちゃんと折りたたむのは骨が折れる作業だとは思う。でも畳むのが必須という場面はそう多くないと思うんだけど、どう?シャツやジャケットの類はハンガーにつるしたままだろう、普通。収納できるウォークインクローゼットとかもある。Tシャツなんて収納ケースにポイーだわ。下着靴下言うに及ばす。あるいは皆さん、そんなものまで毎回畳むの?

自宅で何が畳まれているのか確認してみた。冬もの。コートやマウンテンパーカ?とよばれるもの、カウチンセーター。もこもこのフリースなど。一方、夏もの。半そでシャツ、ポロシャツ、下着枠ではないTシャツ…と思ったが、夏物は圧縮袋に入っており、やや反ってコチコチになったものが鰹節みたいに衣装ケースに立っている。これは畳まれていると言えるだろうか。冬物は、単に今が冬でないから収納の都合で畳まれている。そういうもんだろう。冬になったら夏物が畳まれる。そうか、収納かあ。一人暮らしならまだしも、家族四人分ともなると、ちゃんと畳まないと収まらないということはあり得るとおもう。…じゃあなおのこと、あんな大きな畳み機能付き洗濯機を置くわけがないやんけーー。

きっとこうだ。あの大げさなマシーンでちまっと畳む機能がついているだけなのは、ほかに追加したいような機能の候補が、無かったんじゃないかと思う。AI云々はさておき「洗濯機にあったら良いなと思う機能はなんですか?」という問いに「畳んでポンって出てくる」という回答ぐらい芳しいものがなかったんじゃないか。畳むというのは、面倒くさいから、誰かにやってほしい、なんなら機械の力でよろすく!

自分だったらセーターもジャケットもなんでも一緒に洗えて1分ぐらいで乾燥まで終わって時々色や柄のパターンを変えたりできる洗濯機が欲しいですね。着回し無限。もはや収納の必要がないから畳む手間からも解放。やったね!これは売れる!税込み20億円ぐらいかな~。

なお…微妙に話題が古いのは、ちょっとインターネットから離れていたからです。時事ネタにキャッチアップしようとすると、例えば不要物を跡かたなく処分する機能がついてるようなせんたっきを欲してしまいます。最終処分場機能付き洗濯機。ここまでくると20億円じゃ買えませんよね、やっぱり。

雑記

リステリンの「オリジナル」というフレーバーがあったので買ってみたが、すごい味わいだ。でかいボトルで買ってしまったが、まあ薬だと思うしかない。こうかは ばつぐんだ!これを使った後だと、通常?の青いミントのやつは、子供だましというか…。乳幼児向け歯磨き粉とかそういう印象になってしまう。ハードコアに口をゆすぎたい人にはお勧め。令和だし。

実に日本人である実感がわく時。「納豆の食べ方座談会」が時折持ち上がることありますね。各々お好みのカスタマイズしたお召し上がり方が御座いますが、そのパターンもさすがに限界がありんす。消費しつくすといずれひきわり納豆にはシューベルトを聴かよう!みたいなことになるが、人類の知恵で踏みとどまっているところ。自分は最近実践しているのがこちら。「メシに乗せる手前の状態で冷蔵庫で一晩寝かす」つまりこういうこと。パックから器に移し、からしとかネギとか醤油とか付属のたれとかまあお好みで入れて、軽く混ぜる。んで、蓋して冷蔵庫で一晩。それだけ。厳密な比較はしてませんが、粘り気が薄くなります。んで、ネギの風味が強くなります。もう全体にネギ臭いと言えばいいかな。こうしたことで…実はそんなに「美味い!」とも思わないですが、少し別の食べ物を頂いている感覚になりますね。メシに乗っける前に少し常温になじませると良いでしょう。

何かの漫画で納豆の天ぷらってのやってたな。味わいも想像が付くし準備も片付けも面倒で試す気にはならず。あゝそういえばむかしこのブログにも書いた。大豆の水煮かってきて自分ちで納豆化するやつ。これは市販品に比べると粘り気に劣り、先に書いた冷蔵庫寝かせ納豆に近かったのではないか。あの時は確かに美味かったんだけど、もう一度やろうとも、思わないものだ。

ここのところ、しばらく仕事が忙しい。いやいや間に10連休あったろ、と言われればそれはそうなんだけども。これはノーカン。んで久しぶりにほぼ定時に退勤して外へ出ると、見上げた夕暮れの空が実に美しい。背の高いビルが一棟だけあって、空とセットで見上げている。とっぷり夜が更けた時間なら、所々に灯るあかりとビルの壁面の暗さ。この時間ならじんわりと色味を空に合わせるように変化する、その途中。もう少し眺めていたらこのビル透けるんちゃうやろかーってね。おや壁も床もなくなったあちらの部屋からはノクターン。石のおうちは薄く塗られてはためくがごとき、揺れて凍り付き透けていく。ぱきぱきと。

ぽりぽりと。サラダにベビースターみたいな揚げた小麦粉の破片はいっているやつ、食べにくいからゆっくり頂くことになって、結果それは健康に良いのでは、という感じです。だったら納豆飯も爪楊枝で食くうか!橋を捨てよ匙を投げよ。心構えなんていうものに期待するよりはそうやってハードコアに矯正したほうがだいたいは正しい。こうかは ばつぐんだ!

うーす、雑記でございましたー。

ゾルゲの墓

天気の良いある日、ふっと思い当たって多磨霊園に足を運んだ。ふと思い当たって、でなければ足を運ぶことはないと思われる。親戚が埋葬されることもないだろう。あえて可能性が一番高い親戚は…自分かな。ここは自ら下見をしておくか。無駄な思いあたりと実践である。さて、地図で見る限り、阿呆みたいに広い。多磨駅を下車して、霊園を目指す。道中に何件も石材店があり、墓石を売っているようだ。墓前に供える花を売っている店もあった。例えば釣りの名所に釣具屋があるみたいなもんだろう。墓地への通り道であるからして、そんなに驚くようなことではないのだが、その規模が窺い知れる。ふむふむ。ふと、広大な墓地であるからには、ちょうど葬儀後の納骨などしている可能性もあるわけだ。墓地って本来は呑気におさんぽするような場所ではない。不安になるが、ま、出くわしても距離を置けば大丈夫だろうと考え直す。

到着。谷中霊園は通り抜けたことがあるが、ここはもっともっと広い。地図で見ると数倍はある。区画がきっちり整理されていて、新興都市の地図のようでもある。霊園では、「清掃用具を貸し出しますので管理事務所まで~」なんて放送も流れている。「不審者に注意!」なんて看板もあり、管理が行き届いている感じがある。どうみても不審者な自分はやはり気まずさを覚える。花も線香も持ってないし、肩に下げたショルダーバッグの中身はカメラだ。警備に声でもかけられたらどうすっかなあ…とややオドオドしながら歩くと、ごっついデジカメを堂々と構えて写真撮っている先客がいたので、まあなんだその、大丈夫そうだなと。

しばらく当てもなく歩いてみる。ここに墓を建てるのに幾らかかるのだろう。どこも立派に見える。富裕層の、あるいは古くからこの辺に住まいの方の墓所というわけだろう。時折、墓石に十字架が掘られていて、墓碑にマリアXXXXと掘られているものがあったりする。墓石が横倒しになっているものがあって、震災以降放置されているのか?とぎょっとするが、そういうデザインなのだろう。流石に近寄って眺めるほどの勇気もなく。名刺入れというものが置いてある墓も多々あった。初めて見たので驚く。後で調べると、そこまで珍しいものではないらしい。お参りに来ましたよ、という連絡替わりとなるんだろうなあ。合理的な話ではある。どうみても妖怪ポスト的な風情で面白い。

その一方で、草ボーボーという墓もあった。墓石が殆ど見えない。その区画の前には、管理事務所の名前で立て札がたててある。読むと、一年以内に連絡がなければ無縁墓地にして処理しちゃうよ?という意味のことが書いてあった。高い金を払って放置するとも思えず、どんな事情なのだろうと想像する。関係者がみんな亡くなってしまったのだろうか。親族もみな遠方でわざわざ訪れはしないような状態になったんだろうか。墓であるからには、一般的には納骨されている。無縁墓地にして処理、とはどういう処理なのかわからないが、訪れる人のなくとも死者はそこに眠るというのに。寂しい話だ。

ふと、日本語ではない言葉が書かれた黒い墓石が目に留まる。故人の写真と思われるものが掲げられている。外国人だ。黒い墓石には「妻石井花子」と掘られており、写真を見るべく近づいてみると、手前のグレーの墓石には日本語も彫ってあった。リヒアルトゾルゲ。……!?戦時中のスパイではなかったか。映画化なんかもされたはず。テーマ曲がStratovariusの曲ってことで覚えがあった。

このように広大な墓地だと、そらあ何かしら歴史に名が残っているような人もいるだろう。(帰宅後に調べたら岡本太郎夫妻の墓もあったようだ)ゾルゲの墓にはまだ瑞々しい献花がある。現在もソ連駐日大使館の人間が墓参しているのだそう。調べてみると、彼の諜報活動により、ソ連は日本軍への備えを西部戦線に転向、それを契機に独ソ戦に勝利した、ということらしい。ソ連にしてみれば英雄ということにでもなろうか。その後、ソ連は突如として日ソ中立条約を破棄して北方領土に侵攻してくるが、それはゾルゲが日本にて逮捕・処刑されてから数年後の事となる。墓碑銘にはこう刻まれている。

「戦争に反対し世界平和のために命を捧げた勇士ここに眠る」

なんとも、かの政治思想に都合の良いことを言っている。しかしながら、どこかの国英雄が、どこかの国では石を投げられるというのは、あたりまえの事かもしれず、逆もまた然り。何回も思い出す。911テロを報じるニュースで、崩れたビルの映像の後に、歓声を上げて喜ぶ人々の映像が流れてきた。Go to hell americaとかかれたバンダナを巻いて佇む女性の姿も。見る人によって歴史の複雑さ、その切れ端というものは、こんな墓碑銘にも残されるものであろかしらん。

日本はWW2以降は戦時下にはない、というのが客観的に見ても事実なんだろう。そら朝鮮戦争とかあったけど、昨今はテポドン飛んできても普通に出勤したし。一方で、映画やゲームに観るような諜報戦的なものが現在はどこでも行われているというのもまた、事実と言って差し支えない筈だ。それはなにも直接的なネットワークやシステムへの攻撃だけにとどまらず、例えばメディアを通じてのプロバガンダ的なものなど悪意を込めて拡散されるようすを見て取ることもできる。何かが爆発したとか誰が死んだとかでは語り切れない、戦争も平和もそのありようの複雑さに背筋の凍る思いがする。

ゾルゲの墓は、無縁墓地とはならんだろう。もはやなんらかのモニュメントである。あの国のやることには、領有を主張しかねない。墓の一つで政治的にもなんなら軍事的にも意味があるっつーなら、そらあ足を運ぶぐらいする。ま、ロシア政府が建てた墓ではないとされているが…。シベリアで命を落としたいわゆるシベリア抑留者の遺体には、草地となりゴミが不法投棄されるがままの土地に眠ったままのものがあるそうな。抑留者の会などの活動も、近年は閑散としているようだ。(※ネットを漁ってみた程度の感想です。)

数千の墓石を、ただ石ころを眺めた、ある夏日の昼下がりで御座いました。

おそロシア。

「いまさらですがソ連邦」を読んだ

ソビエトロシアでは、本がkindleを読む!

ソ連は20世紀を振り返ろうとすれば、その物語に欠かせない国家であります。クッソ広い国土から集められた軍隊がアメリカとドンパチやっていた、というざっくりしたイメージ。昭和生まれの自分には、ちょくちょく漁船が拿捕されたというニュースとチェルノブイリ原発事故の記憶があります。ところで今、「ゴルバチョフ書記長」を噛まないで言えるか試したらサラッと言えた。あれれ。なお、実際のところアメリカとは直接ドンパチしてはないと思うが、どうだろか。

国家の歴史は1922年から1991年と、世界史年表で見たらちょろっとした帯の長さである…しかし前述の通りアメリカとの競争や、日本との関りでもわが国民には印象深い。今現在も、領土問題で揉めているではないか。ロシアの戦闘機が、年に何度領空侵犯してくるかお調べになるとよろしい。祖父はシベリアを生き延びた。日本もバチバチやっているんですわ。あんな麻布の坂の上に大使館建てやがって面白くねーわ聞いてるかプーチンゴルァ。あそこは日本国の警官が常駐しているようで、いつ通りかかっても物々しい。

…という、ソ連邦の歴史をふむふむと読むことが出来る本書。手書きの文字と豊富なイラストを使ってて、所々で旅日記的な風情がある。全体的に軽いテイストで良い。ただ、iPhoneのkindleで読むには厳しいサイズ感なのが残念。本書では、いかにもなイメージ通りのソ連の、またそれが事実上は、共産主義国家を代表するものとしてのソ連を描いてる。国家の興りから、クーデターによる消失まで。その内情たるや、改ざんされるづけるドキュメント、働かない労働者、移動の自由が制限された国民、空っぽのマーケット、気合の入ったプロバガンダ、スターリン主義、飢饉で逃亡する農民、粛清により姿を消した人々…。もう無茶苦茶だ。そのなかで、世が世なら、北海道はソ連邦領土になっていたという事実。スターリンはその気満々だったんではないか。仮にそうなっていたとして、沖縄みたいに後年返還され得ただろうか?北方領土はいまだに返ってきません。いうて、米軍基地がなくなる未来も考えにくいけど。

現地ソビエトロシアに於いても、このような時代を体験した人々の数は減っているだろう。人の命に限りある限り当然である。日本における戦中生まれもいずれはみな世を去る。wikipediaやらのインターネットに残った情報で、事実関係を知ることは難しくないと予想されている。その時のテンションというか、我々ひとりひとりが感じる空気感?みたいなものは、仮にTwitterのようなものの情報をすり合わればどうにか伝わるだろうか。我々が今後生きるにあたりては、このような”歴史書”から少しでも学び、役立つことがあれば良いなあと思う。

インターネットこそ改ざんされ続けるドキュメントでは?といわればそれもそうなのですが、インターナショナルよりましだ、ということで。真実は一つにあらず、無限というならそれを追求するまで。万国のインターネット者よ、団結せよ!トウキョウジャパンでは、インターネットがインターネットする!