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あたらしいげんごう
子供の頃の教科書に、「あたらしい〇〇」というタイトルが多かったと記憶している。何がおにうだったのか全く分からないが、改訂版ぐらいの意味だったんだろうか。単に商品PRなのかもしれない。ノドすっきりお肌にうるおい。爽快!メンズさんすう!
自分はゆとり教育の惨憺たると囁かれる現場を全く知らないが、ゆとりにスイッチするときも果たして”あたらしい”ものは何かあったのだろうか。円周率を最発明しておよそ3と表現した、そんな新しさばかりが思い当たる。あたらしい教育はありまぁす!!クソである。
そしてあたらしい歴史的イベントがやってくる。10連休!これは間違いなく、空前絶後である。元号は日本国家と天皇制度がある限りまだ何度かは変わる可能性があるが、今後十連休が訪れることは、ありえない!という話にするつもりだったが、将来の天皇誕生日の変化によってはあり得るンゴ…。天皇家なんだから御子の誕生で国民の休日を都合のいい日にコントロールするぐらいやってくんねえかなー。あたらしいまぐわい。
あり得るんではないか。実際に5/1が天皇誕生日になったらどうするんだろう?次の令和になったら、天皇は今の皇太子、徳仁で。多分、その甥の悠仁がその次の天皇だ。悠仁に5/1生まれの男子があったら、実現するかな?アクシデントがなければ実現は少なくとも50年先の話になりそうで、自分は死んでいるのであります。正月だって年の変わり目ってだけで休んで過ごすんだ、五月の頭にそうなってもおかしくはない。長き歴史を刻み、平和が続くほど祝い日が増えると仮定すれば、日本の祝日の多さにはどことなく安堵を覚え、また何か誤魔化されているような腑に落ちなさ。
ゴールデンウィークもちゃんとした文化的制度化しちゃえば面白いのかもね。「お道化支度の儀」とかいって、後続も庶民もコスプレとかしてハロウィンを吸収。「春冬至の謝肉祭」とか言えばクリスマスっぽいことが出来そう。「春冬至」って良いな。はるとうじ。お上にも庶民にも風土にも背を向けないような努力の跡がないだろうか。とにかく休みも仕事も欲しいこの頃。
んで、新しい元号を寿いであたらしいおすまいに引っ越しするかと思ったら、入居審査で躓いているという話です。賃貸物件オーナー層のご老人は会社勤めというだけで絶対な信頼を寄せます。そりゃあ個人より団体ではあるのですが、会社と個人がそんな繋がる時代でもねえだろうに。あんたのところの社員が家賃払わないのよ!なんてクレーム入れるんだろうか。モンスタークレーマー極まっている。ここらのオーナー層の価値観が変わってくれば、それはあたらしいしゃかいと言えるものかも、しれませんね。しまった、メンズさんすう!なんて書いたもんだからここでちょっと切れ味ががが。「わたしだけがかわいくみえるあたらしいしゃかい」ではどうだったろうか。何がだよ。
とある不動産で、1~3月は無休とか書いてあって、すなおにすげえなと思った。理由は想像がつくが、これが変わるような時代は来るだろうか。
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“グラン・トリノ”を観た
クリント・イーストウッドは名優らしい。
…らしい?実は彼の若い日の作品とか見たことない。007シリーズとかでしょう?興味はない。このクリント爺さんは映画監督としてもなにかと評判が良いらしいですね、ということで本作。ネタバレ。
いろんな人が良作としてお勧めする。コテコテアメリカ盛り合わせハリウッド風味。人種、移民、銃撃、車産業、ダクトテープ、教会、芝刈り、BBQ、帰還兵。うわあすげえ。ヒーローごっこで尊敬を集めたらあとは仲自分が認めた仲間のために自己犠牲の死で格好良く〆。のぼせ上ったボーイスカウト。
このような言い方では身も蓋もない。ところが実際、この映画はそんな物語と言える。あー、そういうご近所付き合いあるよねー、あーそういう面倒ごとあるよねー、あーそういうクソ親戚いるよねー。あー、銃撃されることあるよねー。こっちも銃で反撃なんかもしてね。アメリカは訪れたこともないのに、「いかにもアメリカあるある」なんて感想を覚える。いったい自分はどれほど本作のような映画とかドラマとか音楽とかで、アメリカ的なものを知ったつもりで生きておることか。
作中、主人公(=クリント・イーストウッド)は血を吐いて、病院へ行く。その後で仲の良くない息子に電話をかける。なんの用事もなく、近況を尋ねる。息子は特に変わりはないと伝え、電話はその会話の往復だけで終わる。自宅で仕事をしながら電話を受けた息子も、怪訝な顔で電話を終える。親父はどうしたんだろうか?
それだけの場面なんだけど、だれでも深く気分が沈んだときには、このような行動に出るものかと思う。人には、救いをどこに求めるべきか定めるのも難しいという時がある。孫娘やご近所に怒りを覚えていた主人公は、病の前にはヘナヘナと心意気が折れ、残っているのは単なる意地。本作を以て俳優からの引退を決意したというクリント爺もそういう気分になったのかもしれない。この”グラン・トリノ”をだれに譲ったものだろうか…。どういう仲間に譲ったものだろうか…。
宝物を手に入れたい。しかし、いつかそれをドヤ顔で譲って感謝されたいとも思っている。我を崇めよとは、人間のシンプルな欲の一つといって良いだろうか。かけがえのないものを渡す。これが慈愛に満ちているようで、また邪でもある。良い人と思われながら死んでいきたい人には、参考になるものがある作品でございました。全般的に物珍しいものが見れたり感じたりできる作品ではございませんが、良い作品と思われながら鑑賞されたい作品です。
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藤浪対策
野球は詳しくないですが、ルールは把握しているので観戦は楽しめます。子供の遊びレベルなら実際にやったこともあります。キャッチボールとかまだできるでしょうか…もう30年ぐらいボールに触ることもなく。そんなわけで、数年とか十年というレベルで全く興味をそそられず、故にイチローが安打記録を更新したとか、大谷の二刀流がそこそこ通用した、という程度の情報しか追っておりません。イチローも引退かあ。こんな話題が旬のうちに上梓しておきましょ。
藤浪対策という言葉がふと目に入って、この投手のことを思い出した。そもそもは、イップスという症例についてググってみたら彼のプレイ動画が出てきた、というわけなのです。確かに藤浪投手は素人目にも危なそうなデッドボールを当てておりました。なんなら頭部のヘルメットにもスコーンと。
どんなスポーツでも危険な行為にはルール上の制裁が課されるもんだとは思います。日大タックルみたいに意図的にケガさせようとしたとかはまあ論外としても…ルール上の調整という意味では、危険な行為を受けたほうにメリットが与えられる。サッカーのフリーキックやPK。バスケットボールもチームのファール数がかさむとフリースローが与えられる。ボクシングや格闘技のように、そもそも危ない事してますというスポーツでも、男性の急所攻撃は禁止、頭突きは禁止といったルールの制限がある。で、野球の投手に於いては、デッドボールでバッターランナーは進塁する。また頭部へのデッドボールなどで危険球を投げたと裁定されれば、即座に退場なんですって。
このルール上の調整を以て、あとは心行くまで全力でプレイする、恨みっこなし!ということで丸く収まるもんだろうか?いやいや、収まらないから今回のように”対策”だなんて話になる。ここでいう対策とは、藤浪投手は右バッターに対して危険なボールを投げてしまうことが多いので、対戦相手は左バッターばかりを揃える、というものです。選手のケガを避けるためということか、なるほど。しかし何も解決には及ばない。危険球を投げれば退場たが、投げるまでは何も起こらない。
プロ同士の行為なんですから、高い技術とスポーツマンシップに則りプレイするというのが、建前のはず。スポーツマンシップというのは、わざとぶつけたりはしない、ということで、また一方で当てられたほうもルールに則った処理を以て、この結果を許容するというもの…。では高い技術とはどうだろうか。プロの高い技術…。デッドボールがそんなに珍しくないのは知っているが、こんな話題になってしまうような対策をたてられるほどには技術が信頼されていないと思う。あと所属チームも信頼されてないよね、これ。
F1の話。たまーに接触した後にドライバー同士が揉める場面がある。その後のインタビューなんかに応じて言うには、「殺す気か!って怒鳴った」など。確かに、F1では本当に人が死んでしまう。あのような極端な世界では、どこまでがプロの技術で、どこまでが制裁を受けるような、誹られるような危険な行為なのか、素人目には判断が難しい。ルールとして定められているものはあるだろうか…?あるいは、結果として事故にならなかったらセーフみたいな運用でやっているんだろうか。何度も言うけど自分の素人目にはそう見えるというだけ。裏では揉めているのかもしれない。
話を戻すと、「バッターが除けたからセーフ」これで現場やファンが納得しないだけの何かが、この状況にあると思う。ワザとじゃないだとか、イップスのせい、だとかじゃなくて、何かこうみんながなるほどーって言うような落としどころが。藤浪投手ばかりやり玉にあがっているように見えてくるが、例えばスイングすると半分ぐらいはバットが守備の選手やベンチ、観客席にすっ飛んでいく選手がいたらどうだろう。
野球っておそらくその歴史の最初っから、ピッチャーが全力でボールを投げ込むスポーツだよな?たぶん。過去に同じような問題が起こったことないのだろうか。
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“Alive”を観た
邦題は「生きてこそ」となっている。事実を元にした映画というのはなんぼでもあるが、とりわけ本作はその事実が非常に過酷であった点で有名である。あまりに有名なのでネタバレとかどうでも良いよね。原作を読んだことがあるので、映画作品としては特に大きな感銘は受けなかったものの、ちゃんと最後まで鑑賞した。
飛行機が墜落。数十人が墜落事故での即死を免れて生存したものの、救助隊に発見されぬままに捜索が打ち切られてしまう。冬のアンデス山中に取り残された人々のサバイバルを描く作品。最終的には、事故の状況からするとちょっと想像できないぐらい多くの人が生還する。これは事実であるからして、その疑問に対する答えは用意されているわけだ。例えば乗客はラグビーチームの一行が乗っており、そのほとんどが若く体力に優れていたこと。その中にたまたま医学生が乗り合わせていて、応急処置ができたこと。機体の残骸がある程度シェルターになったこと。
“食料”を手に入れたこと。
宗教的な背景を抜きにしても、まさに究極の判断と言われるにふさわしい。彼らの状況を緻密にシミュレーションしても、自分だったらどうするか、など考えを巡らせてもさほど意味はないだろう。あの場にいたという人間以外には、語るべき点も少ない。生きるか死ぬかでaliveのほうを選んだ、というだけのこと。生存者たちはお互いの決意を確かめ、初めて肉を口にする。数日前まで仲良くやっていた人々を。そんな場面においても、ド迫力の遺体の肉塊が画面にでーーーん、なんてことはない。ホラー作品ではないからなあ。
…なんて油断していると、俯瞰の画で人々の隣に血まみれの人間型の骨格が転がっていたり、救出要請に旅立つチーム与える肉が実にフレッシュでドキッとする。特に前フリもない。食べる場面を見て、なんだビーフジャーキーじゃないか、これなら俺でも食えたかな、なんて生温いことを考えていると、こういう迫力の描写にはわわわわってなる。これは監督の狙った演出かなあ?もし自分が監督するとしても、助かったね良かったね、だけの物語にはしたくはないもの、このぐらい凄惨なものを見せないと。おそらくは、実際にも、こうだったのだろう。後から食料になった人々は、きっと新鮮なまま胃に入った。実に、実に凄まじい話だ。
なおー興味を持って本件にかかわる情報を探そうという諸兄は、事故は南半球で起きているということに留意されたい。10月→12月と暦が進むが、厳冬期から春に変わっていくというのはそういうわけである。
それと、鶏肉の味に近いらしいですよ。
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“兜町コンフィデンシャル”を読んだ。
兜町とは、東京証券取引所の存在するあたりの住所。東京証券取引所から、茅場町駅のあたりにかけて証券関連会社などが多く、ゆえに兜町と言えばそれは自ずから金融証券関連のトピックを連想させるものである。
前評判の良かった本作、実際に読んでみるとこれが非常に読みにくい。唐突にいろんな人物が現れては消えていく。場面に登場するのではなく、ただの説明で出てくる。〇〇の関係者の××がオーナーのなんたらかんたら…そんなことを大量に書かれても、関係が把握しにくいったらない。しかしこれは、致し方ないとも感じた。作者が追っかけた、実際の事件がそういう構造なのだ。裁判の過程を追ったりしたら、こうだったんだからしょうがない。複雑さを利用して不正に(あるいはグレーに)資金を調達したりしていた、というような事件だったのだから、文章にしても複雑で読みにくい。
じっさい、作中の登場人物や、企業は実名であり、試しにそれらの単語をググるといくらか情報がヒットする。もめ事や裁判などの情報がヒットして、そらそうでしょうな、と。
つい最近、DLEとかいう会社が上場以来ずっと粉飾決算でした、みたいなニュースがあった。兜町コンフィデンシャルを読んでいる間にもこのニュースが頭をよぎり、証券取引所も舐められたもんだなあ、などと思っていた。DLEは経営陣の逮捕はされなそうだし、3000万円ほどの追徴金で済むらしい。ヒラの会社員だって場合によっては経歴詐称は解雇にも相当しよう。職によっては刑事罰の対象にもなろうものだ。それがねえ…。
あまり投資に詳しくはないけど、定期的に「公表前から不自然な株価の動き」と揶揄されるようなインサイダー疑惑の取引の噂を目にする。アウトかセーフかで言ったらアウトなんだろう。しかし交通法規とか租税の話と同じで、どこまでも純なまま、100%法規に従ってやっていけるものなんだろうか。まったく往来のない場所で赤信号無視したこと、本当に一回もないですか?
されば、金融の世界において「これより先アウト」の線はどこにどうやって引かれるんだろう。日々の営みに織り込まれた、アウトとセーフの判定が存在するだろうか。先の信号の例で言えば、「歩行者の時はセーフだが車の運転中はアウト」という線を引いたら、皆さんどのぐらい納得します?
本作が上梓されたころ、アフィリエイトのスパムはあった。例えば、広告とは判別困難なリンクや画像を踏ませるための、ある種の工夫が存在する。これはどこまでがアウトで、どこまでがセーフだろうか。web技術者界隈では、web技術用語を使ってある程度筋の通った説明ができる。そうして一定の基準が出来上がる。こういうの、コンセンサスと言えるかな…?では仮想通貨はどうだろうか。某スピンドルはどうなった? coinhiveはどうだ?それよりも遥かに遥かに長い歴史をもつ証券取引所、株式市場はどうなんだ?
ここに線は引かれました。光の速さでめぐらされるのです。そして線を人間が引くのであれば、引いてる人間が線の先頭におる、これまた道理。3億円強奪がとはしゃぐ与太郎を後目、500億円の窃盗譚が風化。あなや、仮想通貨自体も風化し、この風は光を超え、流れてゆくのでございままままままま。
株とか事業に出資というのが、そもそもローカルなスキームだということですかね。未解決の犯罪ではかる話じゃあねえけども。経済わかんない^q^