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「Football under cover」を見た
「football under cover」は、ドイツとイランの女子サッカーチームが対戦するまでをドキュメンタリーで描いたもの。文化、政治の違いによるギャップを埋めながらイランでの試合の実現に向けて進んでいく…といったストーリー。撮影は2005年あたりです。なお、国内で入手は困難のようで、ドイツのamazonから輸入しました。英語の字幕があります。画面は16:9でした。自分が手に入れたのにはコメンタリーとかouttakesとかありましたが、全てについているかは不明です。あまり見ないで買ったからな・・・(´・ω・`)再生はPCでOKでした。DVDプレイヤーは自分は良く分からないので、リージョン云々は不明です。
さて、内容。当然ながらというか、政治的な、制度的な主張は作品に含まれていますし、一部シーンではその主張が極めてストレートにカメラに収められていますが、いわゆるフェミニズムってもんではないので、そゆうの嫌う人でも大丈夫かと思います。ケレン味の無い、というか、至って普通のドキュメンタリーという印象でした。
もっとも印象深かったのは、映画本編とは関係ありませんでした。ドイツのチームのメンバーが、イランのサッカー協会と会議のテーブルについた場面。ドイツ側は二名(ドイツ人+シリア人(?))とイランの人々十名ぐらい。みんな英語で話してました。当たり前だろ、といえばそれまでなのですが、海外で暮らした経験のない俺には、日々インターネットで感じている「英語が公用語」状態が、より一層印象に残りましてん。いやいや、映像として残っている場面だけだろっていう指摘があればそりゃそうかとも思いますが、しかし、実際のところ、母国語+英語は、もはや必須なんだなーって。
良い作品で御座いました。
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今月の現金支出を一円単位で計算しようの試み、月末にいろいろあったせいで完全に意味不明になってしまったが、数百円ぐらいの誤差に収めたと思う。それ以外の支出は明確に額面が残るため算出可能・・・現金支出+クレジットカード+家賃が総支出。で、計算した結果、赤字になった。親に次の法要の分の交通費も援助してもらってまあその分黒字ではあるけどさ。
びんぼう過ぎる。
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こういうことをどういうフォーマットでお伝えすれば良いのか。祖母が身罷りました。
覚悟はできていたというか、誰が見てもそう遠くない未来にといった感じでしたが、土曜に唐突に亡くなったと父から電話を受けて慌ててしまった。先ほど帰宅した部屋はバラしたPCとか燃えないゴミとか散乱している。式では初めて、あるいは30年ぶりぐらいに会う親族に励まされ、20年も顔を見なかったようなご近所さんたちにお手伝いいただき、終わってからも計算したり漏れが無いか確認したりとはわわわわ。悲しむ暇もないとはこのことか・・・いや、落胆してへたり込むようならば、そのぐらい忙しい方が良いのだろう。
さすがにご近所さんは俺がガキの頃からお世話になっており、顔を忘れていても声で誰だか分かったりもした。自分が郷里を離れるタイミングでちっちゃかった子供らもすっかり大人というわけで、これはさっぱり誰かわからない。5歳→20歳なら誰だかわからないが、18歳→33歳なら丸分かりの事が多く、向こうはこっちを知っていたりもするのだが。おばちゃんズもおばあちゃんズぐらいの年齢だけど印象は変わらないもんだ。大きな怪我も病気もなかったのではないか、ということだな。
それは叔父にしたって同じなんだが。まあご近所ズは歳も同じぐらいだから叔父を知らないだろうけど、親戚ズはみんな知ってた。親父の弟だからな、そりゃそうかなあ。
顔も名前も覚えきれないままに終わってしまった。親族として参列する以上は世話になった人間のことぐらい覚える必要があるんだが。次の法要で行くときに確認しておこうか。しかし次は日帰り行脚になるだろうし時間がないだろう。顔を覚えても自分との関係性がわからないと、声をかけるのも難しい。適当に「おじさん」とか呼べば良いのかと思っていると、再従兄弟です、なんて紹介されたりする。じゃあ○○さんだな。ああ年下だと○○君か。あああああああああああーもう・・・写真付き名刺って便利なんですねー。いまではそれもネットの役目。
通夜で寝るときにはくものがないと言っていると(通夜が斎場だとも自分が泊まるとも聞いてねーっつんだよ)叔母が貸してくれたスウェットがヒョウ柄で、面白がって写真を撮るのでポーズなど決めたら、次の日親戚一同に得意気に見せて回っていた。見た人も微妙な笑い。そりゃそうだろ。俺もリアクションが微妙。追っかけ回して止めるぐらいすれば面白いけど、仏式で言う告別式の直前にそんなことしたら斎場の人からも怒られるわ。ちなみに叔父は、通夜の部屋に入ってくるなり俺を見て吹いた。まあ20年の不躾に、この日のためのネタだったと思えば悪くない。せっかくなので手元に欲しいな。あとでくれって言ってみよう。
祖母の話がちっとも出てこない。
まあ良いじゃないですか・・・。
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人生の分岐がもう死ぬかどうかしか残されていない
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昨今のお買い物
まずは、とある御座を挙げさせていただきます。二畳ぶんぐらいをカバーする手頃なお値段の御座をネットでお買い上げ。しばし日付が開きまして、はい届きました、梱包開けました、先ずはばさーっと広げてみたところが何と吃驚異常に臭いのです。あまりのことに咽せました。全体から漂い来る恐ろしい臭いです。異臭とはこのこと。どこかに変な液体でも着いていないかとひっくり返したりすると、その作りの粗末さに目を覆うばかりであり、目を覆うならば今度は異臭が際立って鼻に来るクソが死ね死ね死ね。
天日干しなどで解決するやもと思いましたが、今年のガンガン照りの陽光に3日ほど晒すも改善はなく、飽きれてどうでも良くなって放置、ある日の夕立に濡れているのに気づいて「もおいいや」と遺棄を決心致しました由。作りが粗末なんでハサミで簡単に捨てるサイズになって嬉しいなったら嬉しいなー死ねー。まあ3000円でこんな口汚く罵るもんでもないのだけれど、あまりにアレでしたので。
続きまして、映画DVDですが…こいつは項を改めて。
次に、ディスプレイを載せてスペースを有効活用できます的な台。キーボードをしまえば机が広く使えます的な台。名前なんていうのかしらこれ。PC関連商品というカテゴリーで買いましたが、ホームセンターみたいな所だったら半額くらいじゃねえか、というようなお値段でした。あと5cm幅があれば言うことなしなんですがねえ。もう一つ上のサイズは20cmほどもデカくなり、そうすると収まらない&高いのでこの商品で妥協。こちらは満足。
さて——–
物欲という言葉の響きが愉しい。あれこれ所有を達成したいという欲求は、なければ困るという品々を求める事とは明らかに異なっている。この国では無ければ困る物は簡単に手に入るから、どうにも達成感がない。頑張って予算をやりくりしたとかはまた話が違うと思うんだけどね多分。物欲という響きには、欲しい欲しいという状態を心にもやもやと抱きつづけているニュアンスがあると思う。衝動買いなんて言葉もあるけど、そいつに比べるとどうも、淫靡な気配すらある。衝動買いの「買い」の部分を除く、残るのは一目惚れのような「きゅぴーん♪」とした感情。次に見かけたらどうしようかしらいやんいやん。恋する乙女かっつーのよ。はああん。
という。
ものすらインターネットで得ています自分、そんな珍しくもあるまいと思っている。マウスでコチコチとクリックすりゃおうちに届く、大変に素晴らしい。そりゃ買い物のほとんどがそうなるってもんだよ。でもやっぱり現物を目の当たりにするのとは違うんだよなー。人間の脳ってのは大変に出来が良いと思うんだが、やはり現物を見るのとネット上でスペックを眺めるのとは全然違うんだ。コップ一つでもそう。ただし、その、現物をみたいがために時間作っておでかけして、なんてことは殆どやらない。でも、買うつもりが無いとなると、現物を見て回るほうが楽しい。そりゃそうだ、ネットで適当な商品を見て回って何が面白もんか。
ここに、商品と人間のあいだの関係性の変化が見られる(国語の教科書っぽく)
現実のお店がカタログなんだ。現物そのものが見れる、場合によっては専門家の見立てをしてもらえる、なんと買うこともできる!すごい!ネットのお店は倉庫だ。そこに載っている全ての商品は自分用の在庫でしかない。発注手続きをすると、保管料金を運送料金を払って、家に届く。品物の値段なんて払ってる感覚がないよ!
そういえばamazonの在庫が買える店ってできたようなニュースをだいぶ前に見たが。どうなってるのかな。