ふでのゆくまま

おおまきばはみどり

ま、夏が好きだったのは夏休みがあったころまで。おっさんになると、糞暑いなか夕立と電車のダイヤを警戒する季節とすら言える。ここにきて節電云々がうるさくて、冷房の効きも控えめで一層暑苦しい…のだが、どういうわけで、冷房に弱くなった。確かに暑い。冷房が入ると確かに涼しくい。しかし快適さよりも寒くて適わんとなるケースが増えた。室温は下がってほしいが、冷房の風、送風されてくる風の温度が低いなと思う。最初は直撃される席だからかと思ったが、席が変わっても変化はなかった。

ま、これも毎年言ってるような気がする。歳くった、で片づけてしまう。それをは別に、今年はどういうわけか、外の景色が目に染みる。緑の美しさがどうにも際立って見える。特にネガティブな影響もないけど、何かあったのかと自分に問いかけてもみる。…格好つけたところで何もわからない。ただ、年を取って丸くなるという表現があるけど、まさにその通りになっているかと思う。

ま、兎に角緑が美しいわけで。この思いを胸に、一つ考えている。ここ数年…といってもまだ三年か。夏休みには、緑の押し売り状態の田舎道をヘロヘロになるまで歩いているのだけど、目的が帰省であるから、半分ぐらいはただの住宅地である。最寄り駅を降り、山道田んぼ道祖父の墓地への小道を通っているあたりは緑の業火と言わんばかりに力強い景色だが、家に近づくにつれて田舎街。かつての通学路だったりはするのだけども、もうイマイチ感傷もないんだよなあ。後半の単に疲れた感がちょっと勿体ない。

普段五日ほどの夏休みがもうちょっと伸ばせるかもしれないので、少し別の場所に行こうかなと考えている。人生の終わりに過ごしたいような場所がないかと。イメージだけは強烈に持っている未踏の景色がいくつかある。大人になってから塗り重ねてきた終いの住処のイメージが、この現実世界で感じる緑の色濃さにいっそう映える。まさに「もがり」である。ああ、ここかなあ、と思えるような場所がどこかに。面倒くさがりな自分なら、それが新宿西口の地下だろうと構わないと言うだろう。しかしどうせすることのない夏休み、観光名目で自分の眠るべき場所を探しに行く。気が向いたらそのまま眠ろうかしら。

大袈裟な。

ま、まずは夏休みが楽しみである、というところに安堵の庵としたい。
—-

というようなことを、人込みでにぎわう公園のベンチで考えていた。其の侭で小一時間ほど昼寝して、帰る。だるい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)