どくしょかんそうぶん

  • どくしょかんそうぶん

    「フードインク」を観た?

    二年ちかく下書きが放置されていたので棚卸。無料で見れた、というのも当時のことで、この記事が公開された時点の現状は不明です。公開にあたり、文章をそこそこ書き替えているのでもはや読書感想文ではなくなってるといいますかあ。


    どのみち食う以外の選択肢はないんだよね。

    経緯は覚えていないが、なにかと話題になった作品だと記憶していた。例によっていつものごとく、Amazonプライムで無料になったので拝見した。規模の大きい食品産業にかかわるドキュメント。短いストーリーで章立てになっているのがテンポよく、観やすくてよいかな。企業は利益を追求するあまりに、倫理を欠き、本質的な安全性への配慮を怠った。政治と大企業が悪いんだ!あーはいはいその通り。この筋書きはもういいわと思ってしまう。本作は、結局は贅沢で安全な飯をよこせという訴えでしかない。強烈な商売敵?の登場で、生産者の農家は困っていますと。世界の食料生産量は、

    ちょっとまって中止。終了。観た内容覚えてないのに下書きこの辺で終わってんじゃねえか。嘘八百書いて悪ふざけは読書感想文としては誠実さに欠ける。「エミネムがサムズアップしながらフライヤーに沈んでいく姿は、資本主義に反抗する若者たちの連結が終わったことを意味している。こぶしを下ろし、家に帰ってママのスパゲッティを食うんだと。」

    面白くもない。

    自然食志向と言っても、本当の”野生”のお野菜とか果物なんて現代人は食べてないよね、きっと。猪を家畜化したのが豚って話も耳にしたことがあるな。人類のために生み出されたものを受け継いでいる。これは進化だ。食物を確保するってこれ人類文化の根本なんでないかと思う。栽培、保存、調理、なんたか。企業がその資本主義的向上心で押しすすめることに不安があるかと考えると…正直、ある。でもそれって農家の品種改良の努力と何が違うんだ。自分は、世界の種(しゅ)を書き換えるような話と、独立した農家のローカルビジネスの話を混同しているかな?

    企業秘密によってラボで何されたかわからない食べ物よりも、文字通りおてんとうさまの下で堂々と育った食べ物のほうに信頼が置けそう、というのは間違ってないと思う。勿論農家にだって秘密はあるし信頼のおけない業者もいるだろう。また、例えば工場生産のレトルト食品やドライフーズは全部体に悪いとか主張しだしたら、それも現実的には突拍子もないことだと思う。生産過程やノウハウやらなにやら全てをオープンにしろという物言いは、なんで食品扱うからってそんな目に遭うのかと思うだろう。企業も農家も思うだろう。そこで行政機関のジャッジがお出ましになるが、結局はそれも健全に機能するのか問題に陥る。

    …というような内容の映画だったのではないか?と妄想しときます。ネタではなく、本当に妄想です。エミネムの出演はないと思いますが、ママのスパゲッティは美味いですよね。

  • どくしょかんそうぶん

    「昔々、アナトリアで」を観た

    アナトリアってどこやねん。Amazonプライムで視聴。

    カテゴリはサスペンスらしい。なるほど確かに、「メタノール」とか「湿地」みたいなえづらです。ド田舎でおっさんのポリスメンズの捜査風景から。一体何がどうなってこんな事になっているのか説明もないけど、見てれば簡単に察しがつく。埋めた場所はどこだ!ってね。察しがつくからこそ、そこからの展開の意味が分からない。ふーむ、と思いながらぼんやりと、ぼんやりと眺めていく。こういうの心地よくなったらおっさんだわ。おっさんだけど。

    ふーむ?の疑問が、最後まで見ると察しがつくというお話のようです。自分も察しはついたけど、で?なんで?ってなった。ネタバレ的なレビューを見て納得できたから、いつものように何かを見逃していた。登場人物がやっていることはハッキリしているので、お話の筋についていくのが大変ってことはない。

    こういう事書いても良い季節になった。秋の夜長にまったりどうでしょう。

  • どくしょかんそうぶん

    「裏切りのサーカス」を観た

    で…?って。

    まいどAmazonプライムさんで視聴。やっぱり登場人物の名前と顔がうろ覚えのまま観ている自分には、こういう推理物はいまいち楽しめていない感じがある。伏線狂信者の人たちがあれこれ言うような作品なのかどうかも…わからなかった。最後撃たれたのなんでだよ、なんであいつが撃つんだよ、なんで泣いてるんだ。そもそもあいつ、最初に疑惑の対象になったリストにいたっけ?最後あの一人に絞ったのなんでだっけ。

    そんなわけで、まったく腑に落ちないままに終了。最後まで見るほどには、映画自体は良かったです。嫌なところがないというか…落ち着いた感じでずっと続いてて。わかりやすくもないので、「どういうことなんだろうな」と思いながら見続けて、そのまま終わってしまった。

    書くことがないのでネタバレが書いてあるサイトでも探してみたけど、あまり拾える情報もなかったので〆。どうしても、犯人を一人に絞った筋書きが腑に落ちなくてね。その本人だけが偽の情報に釣られてあの場所に登場するから?そのアイデア自体は納得が行くけど、こいつ本当に作中に出てきたっけ?あーもうおじさまが多すぎんだわー。

    参照したとこ:https://uminofuchi.com/tinker-tailor-soldier-spy/

  • えさのじかんだ,  どくしょかんそうぶん

    「ご飯は私を裏切らない」を読んだ

    ネットでレビューを見かけたので拝読しましたが、これはなかなか良い。自分も20代半ばはまだバイトで暮らして、先のない人生に投げやりでした。路上で昼飯を食う、なんてのもやったなあ…。先のなさを先延ばしにしていまのういいっじょじょじょじょじょはわわわしい;う。20年経つ。

    作者をキャラクターに投影させて、好き勝手なことを代弁させるパターン、漫画の面白みの一つだとも思います。自伝?ドキュメンタリ?エッセイ?ルポタージュ?絵日記?吉田戦車だって子育てを漫画にするし、なんなら西原理恵子は子育てが代表作になった。絵日記か。漫画には魔法があり、人生って人生なので、どこを切り取っても絵になる。作者の日々派遣バイトで勤労してい(る|た)というのは事実だろうなぁ。切り取り方がFPSだ。

    ではご飯は裏切らないというのは事実だろうか。これは事実だ。安売りしているくそまずい刺身とか具材が何もないレトルトのハヤシライスに裏切られたことはある。でもご飯には裏切られなかった。賞味期限切れたお肉とかヨーグルトで後悔したこともある。でもご飯には裏切られなかった。「ご飯」と言いくるめることで、食う金がある時間がある家がある許されている。実感。獲物を得ねば飢えて死ぬような時代から、ご飯システムに収まる心地よさを求めているんじゃないかな。「空気は私を裏切らない」だったらどうした大丈夫かってなるよね。ご飯じゃなきゃダメなんだ。ご飯から連想されるもの、記憶に残っているそのすべてじゃないと。少々つらい思いも含めたとしても、ご飯じゃなくてはダメなのです。

    自分はご飯とあまりに仲睦まじい感じになりすぎてこんな体型になった。それはそれ、手前の不始末で話を収めて、今後もご飯と寄り添っていければ、人生もギリギリ大丈夫だと思えるんでないかな。

    https://heisoku.jimdofree.com/

  • どくしょかんそうぶん

    「華氏119」を観た

    それは自由が燃える温度。という格好いいコピーだったのは「華氏911」のほう。元ネタはもちろん「華氏451」そっちは氏の代表作って扱いらしいよ?では本作、119はどうだろか。

    ネット上の多くのレビューで、「この作品も主観的な表現に過ぎないけども」といったような前置きというか、但し書きというような記述がある。ドキュメンタリーの業なのかもしれないけど、ドラマティックに仕立んがためか、主義主張への色付けのためか、普遍的に見せようとして帰ってバランスが怪しいようなもの、ありそう。実際に「XXXという作品がそうだ!」と言い切れるような考察は持ち合わせていないけど、熱意がそういう転がり方をすることは、じんせいにままあるだろう。ほら、個人でブログを書いているような奴もあぶない。

    作者の意図したことかは知らないが、強烈に印象に残っている場面がある。教師が待遇の改善を求めて、禁じられているストライキを始めた、というトピック。やがてトピックは学校のもう一人の主人公である生徒と、アメリカの主演俳優である銃の問題に変わっていく。作者は活動を主体的に進めている生徒の団体に対面し、君らのような子供を育てることを誇りに思うと告げる。生徒のにこやかな答えはこうだ。

    「違うの。SNSが育てたの。私の携帯が」

    時代がそうだ、と言えばそれまでだろうけど、SNSも携帯もどれだけトリートメントされているものかと考えるに、ちょっと怖くないか。そこはあちらの国には、自分が知りうるSNS以前の社会のモラルや、なんなら意見をぶつけるお作法みたいなものがあるんだと思う。自分だって2007年からSNSになじんだweb2.0マンのつもりではいるし、インターネットすばらしいとか言って拾ってくるトピックの多くが”洋物”だ。それでも、SNSという概念の土台でもある社会が違っているなあと感じることがある。そこで育った人たちなんだと。ネットを繋いでなおさらに遠い。指をくわえてみてらんないんだけどね。

    などと、思ってしまうことがまた思う壺なんではないか?こいつらは世の中を変えるヒーローじみた快感に酔ってないか?マイケルムーアが取材に来たぞ!なんて喜ばしく思ってないか。どこかで大人に使われているのだろう。なんて。そうなってしまった時に「まさか」ではなく「やっぱりね」と思える。どうしても距離を置いたふうにふるまってしまう…。

    いつまでナチスを引き合いに出してんだよと思う。トランプと同じく一応は真っ当な選挙で選ばれたからか?ただ、いつでも自分の住んでいるところで起こりうるという、普遍的で本質的な教えが、教えが、教えが、教えが、まったくピンとこねえのよ。なんでかなって、エンディングテーマ曲のついたスタッフロールで我に返る。あ、そうだった、これただの映画だった。はっきりゴールドマンサックスと言っているナレーションに「証券会社」と字幕がつく、ただの映画だったわ。どこからどう見てもアメリカの話だった。黒人に中指立てたのも白人のやったことだろう。知るかぼけ。

    大統領だって銃乱射した人間だってSNSで育つわ。

    どーにも。