どくしょかんそうぶん
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「犬神家の一族」を観た
もちのろんでネタバレ。
この作品を知らない人でもみんな知っている、スケキヨという名前と、顔面のビジュアル、湖から足の生えた場面。あー、これかって。物語は真犯人を探すといういかにもなサスペンス。なかなかに複雑な話で面白い。とは言え、ビックリするような展開にはならんのだけどね。一番の見せ場は若き日の石坂浩二。あの和装がずいぶんと似合う。いい仕事してますね~。
作中でも金田一が明かしたように、偶然が重なっている点がこの事件の不可解なところに繋がっている。しかし、ただ全部偶然でした、では面白くもなんともない。どころか、ストーリーとしてそれはアリなのか?と誹られることすらあろう。それを必然である事情に染めるべく練られた筋書き。…という筈なのだが、いまいち驚きはなかった。仮面の中身が入れ替わっている、なんて単純なトリックだものね。ざっくりといえば、詰まらなくはなかった。そこそこでした。という印象。
なんか適当な感想文だ。HAHAHA何をいまさら。
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「いまさらですがソ連邦」を読んだ
ソビエトロシアでは、本がkindleを読む!
ソ連は20世紀を振り返ろうとすれば、その物語に欠かせない国家であります。クッソ広い国土から集められた軍隊がアメリカとドンパチやっていた、というざっくりしたイメージ。昭和生まれの自分には、ちょくちょく漁船が拿捕されたというニュースとチェルノブイリ原発事故の記憶があります。ところで今、「ゴルバチョフ書記長」を噛まないで言えるか試したらサラッと言えた。あれれ。なお、実際のところアメリカとは直接ドンパチしてはないと思うが、どうだろか。
国家の歴史は1922年から1991年と、世界史年表で見たらちょろっとした帯の長さである…しかし前述の通りアメリカとの競争や、日本との関りでもわが国民には印象深い。今現在も、領土問題で揉めているではないか。ロシアの戦闘機が、年に何度領空侵犯してくるかお調べになるとよろしい。祖父はシベリアを生き延びた。日本もバチバチやっているんですわ。あんな麻布の坂の上に大使館建てやがって面白くねーわ聞いてるかプーチンゴルァ。あそこは日本国の警官が常駐しているようで、いつ通りかかっても物々しい。
…という、ソ連邦の歴史をふむふむと読むことが出来る本書。手書きの文字と豊富なイラストを使ってて、所々で旅日記的な風情がある。全体的に軽いテイストで良い。ただ、iPhoneのkindleで読むには厳しいサイズ感なのが残念。本書では、いかにもなイメージ通りのソ連の、またそれが事実上は、共産主義国家を代表するものとしてのソ連を描いてる。国家の興りから、クーデターによる消失まで。その内情たるや、改ざんされるづけるドキュメント、働かない労働者、移動の自由が制限された国民、空っぽのマーケット、気合の入ったプロバガンダ、スターリン主義、飢饉で逃亡する農民、粛清により姿を消した人々…。もう無茶苦茶だ。そのなかで、世が世なら、北海道はソ連邦領土になっていたという事実。スターリンはその気満々だったんではないか。仮にそうなっていたとして、沖縄みたいに後年返還され得ただろうか?北方領土はいまだに返ってきません。いうて、米軍基地がなくなる未来も考えにくいけど。
現地ソビエトロシアに於いても、このような時代を体験した人々の数は減っているだろう。人の命に限りある限り当然である。日本における戦中生まれもいずれはみな世を去る。wikipediaやらのインターネットに残った情報で、事実関係を知ることは難しくないと予想されている。その時のテンションというか、我々ひとりひとりが感じる空気感?みたいなものは、仮にTwitterのようなものの情報をすり合わればどうにか伝わるだろうか。我々が今後生きるにあたりては、このような”歴史書”から少しでも学び、役立つことがあれば良いなあと思う。
インターネットこそ改ざんされ続けるドキュメントでは?といわればそれもそうなのですが、インターナショナルよりましだ、ということで。真実は一つにあらず、無限というならそれを追求するまで。万国のインターネット者よ、団結せよ!トウキョウジャパンでは、インターネットがインターネットする!
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「雨に唄えば」を観た
見終わって、さて本作の公開年はいつだろうかとググってどーん。1952年。サンフランシスコ講和条約が1951年でありますよ。吉田茂がブイブイ言わせていたころですよ!これだから戦勝国は!みたいな噛みつき方をしようとも、1952年の日本でも宝塚歌劇団が営業しているし、世界の黒澤もブイブイ映画を作っているのでありました。羅生門が1950年発表。まあとにかくも、歴史的な作品というわけです。しかしフルカラーなのは当時から?昨今の技術によるもの?モノクロのイメージがあったんだけど、どこでそんなイメージがついたものだろうか。
ミュージカルということも知らなかったので、とにかく賑々しいではないですか。BGMに合わせて人が動くということだけで新鮮。どうにも縁遠い世界。作品の中でも、ブロードウェイがブイブイいわしているような事を歌っていた。ああ実際そうなんだろう、1952年のニューヨークというものは。自分にはターミネーターやブレードランナーみたいな、実際には人類の歴史に登場していない世界のほうが”見慣れている”世界に思えてくる。同年、第一回のミス・ユニバースが開催されている。優勝者の顔も若い乙女の祭典というイメージにマッチしない。写真の一枚だけで語ってもしゃーないか。
本作は出演者が良く動く。歌って踊る。踊りはどう見ても本人、歌も本人だと思う。吹き替えで他人だったら面白い。作中、声がひどいということで吹き替えという当時としてはド斬新な発想に至る、というのが物語のクライマックスとなるんだが、それで実際の制作現場も吹き替えなのかーいって。ああ、「天使にラブソングを」でもあの内気なシスターの歌が作品で唯一の吹き替えだと知って仰天した…という個人的なエピソードはみなさんにどんだけ縁遠いでしょうかー。
地球の裏に及ぶ遠さが、一番有名なあのシーンで一つ、縮まる思いがする。何かのきっかけで、雨が降っている中を歩くだけで楽しさを覚えるようなこと、ある。歌って踊ってなんてことは流石にないけれど、湿った風のにおいやすれ違う車のタイヤの音とか、どういうわけか快いときがある。この作品もようわからんが陽気なバイブスで人々が踊っておられるなあ、というのを鑑賞する心地よさ。どう表現していいかわからないがなんとも上品なノリの良さで、思った以上に観てて楽しかった。
トウキョウジャパンの十連休は雨が多い。今上の帝やらシンゾーが珍しいことするからこうなるのだが、まてまて自分がミュージカル映画など観たせいかもしれない。これは自分が降らせた雨と、ポジテブなバイブスでお外に出ようぞ。小一時間後には自分を恨んでそうなあたりが俗物。ヲホホ。噂にたがわぬ良作でございました。
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“グラン・トリノ”を観た
クリント・イーストウッドは名優らしい。
…らしい?実は彼の若い日の作品とか見たことない。007シリーズとかでしょう?興味はない。このクリント爺さんは映画監督としてもなにかと評判が良いらしいですね、ということで本作。ネタバレ。
いろんな人が良作としてお勧めする。コテコテアメリカ盛り合わせハリウッド風味。人種、移民、銃撃、車産業、ダクトテープ、教会、芝刈り、BBQ、帰還兵。うわあすげえ。ヒーローごっこで尊敬を集めたらあとは仲自分が認めた仲間のために自己犠牲の死で格好良く〆。のぼせ上ったボーイスカウト。
このような言い方では身も蓋もない。ところが実際、この映画はそんな物語と言える。あー、そういうご近所付き合いあるよねー、あーそういう面倒ごとあるよねー、あーそういうクソ親戚いるよねー。あー、銃撃されることあるよねー。こっちも銃で反撃なんかもしてね。アメリカは訪れたこともないのに、「いかにもアメリカあるある」なんて感想を覚える。いったい自分はどれほど本作のような映画とかドラマとか音楽とかで、アメリカ的なものを知ったつもりで生きておることか。
作中、主人公(=クリント・イーストウッド)は血を吐いて、病院へ行く。その後で仲の良くない息子に電話をかける。なんの用事もなく、近況を尋ねる。息子は特に変わりはないと伝え、電話はその会話の往復だけで終わる。自宅で仕事をしながら電話を受けた息子も、怪訝な顔で電話を終える。親父はどうしたんだろうか?
それだけの場面なんだけど、だれでも深く気分が沈んだときには、このような行動に出るものかと思う。人には、救いをどこに求めるべきか定めるのも難しいという時がある。孫娘やご近所に怒りを覚えていた主人公は、病の前にはヘナヘナと心意気が折れ、残っているのは単なる意地。本作を以て俳優からの引退を決意したというクリント爺もそういう気分になったのかもしれない。この”グラン・トリノ”をだれに譲ったものだろうか…。どういう仲間に譲ったものだろうか…。
宝物を手に入れたい。しかし、いつかそれをドヤ顔で譲って感謝されたいとも思っている。我を崇めよとは、人間のシンプルな欲の一つといって良いだろうか。かけがえのないものを渡す。これが慈愛に満ちているようで、また邪でもある。良い人と思われながら死んでいきたい人には、参考になるものがある作品でございました。全般的に物珍しいものが見れたり感じたりできる作品ではございませんが、良い作品と思われながら鑑賞されたい作品です。
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“Alive”を観た
邦題は「生きてこそ」となっている。事実を元にした映画というのはなんぼでもあるが、とりわけ本作はその事実が非常に過酷であった点で有名である。あまりに有名なのでネタバレとかどうでも良いよね。原作を読んだことがあるので、映画作品としては特に大きな感銘は受けなかったものの、ちゃんと最後まで鑑賞した。
飛行機が墜落。数十人が墜落事故での即死を免れて生存したものの、救助隊に発見されぬままに捜索が打ち切られてしまう。冬のアンデス山中に取り残された人々のサバイバルを描く作品。最終的には、事故の状況からするとちょっと想像できないぐらい多くの人が生還する。これは事実であるからして、その疑問に対する答えは用意されているわけだ。例えば乗客はラグビーチームの一行が乗っており、そのほとんどが若く体力に優れていたこと。その中にたまたま医学生が乗り合わせていて、応急処置ができたこと。機体の残骸がある程度シェルターになったこと。
“食料”を手に入れたこと。
宗教的な背景を抜きにしても、まさに究極の判断と言われるにふさわしい。彼らの状況を緻密にシミュレーションしても、自分だったらどうするか、など考えを巡らせてもさほど意味はないだろう。あの場にいたという人間以外には、語るべき点も少ない。生きるか死ぬかでaliveのほうを選んだ、というだけのこと。生存者たちはお互いの決意を確かめ、初めて肉を口にする。数日前まで仲良くやっていた人々を。そんな場面においても、ド迫力の遺体の肉塊が画面にでーーーん、なんてことはない。ホラー作品ではないからなあ。
…なんて油断していると、俯瞰の画で人々の隣に血まみれの人間型の骨格が転がっていたり、救出要請に旅立つチーム与える肉が実にフレッシュでドキッとする。特に前フリもない。食べる場面を見て、なんだビーフジャーキーじゃないか、これなら俺でも食えたかな、なんて生温いことを考えていると、こういう迫力の描写にはわわわわってなる。これは監督の狙った演出かなあ?もし自分が監督するとしても、助かったね良かったね、だけの物語にはしたくはないもの、このぐらい凄惨なものを見せないと。おそらくは、実際にも、こうだったのだろう。後から食料になった人々は、きっと新鮮なまま胃に入った。実に、実に凄まじい話だ。
なおー興味を持って本件にかかわる情報を探そうという諸兄は、事故は南半球で起きているということに留意されたい。10月→12月と暦が進むが、厳冬期から春に変わっていくというのはそういうわけである。
それと、鶏肉の味に近いらしいですよ。