どくしょかんそうぶん

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    「沈黙の艦隊」を読んだ

    199X年、世界は核の炎に包まれた。

    名作、「北斗の拳」の冒頭。アニメのオンエアは1980年代前半で、「世紀末」という言葉が実にファッションだった。そういえば「聖飢魔Ⅱ」も人気でありました。ノストラダムスの大予言がどうこう、2000年問題を経て、20年。本日の我々は幸いにして核の炎に包まれてはいない。核兵器自体はそこいらじゅうにあるには、ある。

    本作は1996年に連載が終了している。現実世界の我々は、”現場”がニューヨークであったいわゆる911テロと、インターネット時代の到来を現実のものとして体験済み。本作を連載当時に読んだ人は、これらの出来事を体験するあたり、本作を想起するようなことがあっただろうか。例えばオサマ・ビン・ラディンや、うーん…ネオ麦茶とか?の報道を見て、主人公の海江田を想起するようなことが、あっただろうか。

    例えばどこぞのテロリストが、この作品に影響を受けたと言っても、なるほどなあと納得してしまうかもしれない。信頼できる立場を手に入れてから、正々堂々と頂いてとんずら。それだけは困るというものを人質にとって有利な交渉を始める。どれだけ恨みを買おうとも、全世界が敵に回ることはない。非道をなじるひとびとの、正義のルールには必ず綻びがある。

    主人公は大胆不敵で聡明な人物として描かれるが、選択した行動はテロリストそのもの。911みたいに運行中の航空機ハイジャックと本質的にかわらなくないか?モノが核武装可能な原子力潜水艦であるからして、所在不明=世界中が危機に瀕する、というような話で。作中では、緊迫感のある深海での潜水艦同士の戦闘のあと、政治的なやりとりの場面が多くを占めるようになる。現実世界で、「テロリズムには屈しない」「断固たる措置を取る」とどの為政者も宣言するが、それは武力で潰してしまえばいい、という戦術が(戦術?)通用するからの話である。本作のようにそれがひっくり返ってしまえば、どんな要求だろうと交渉のテーブルにつかざるを得ないということになる。世界を人質に取ってしまえば、何でも言える。パフォーマンスの機会まで得ることができる。現実味がある話じゃないか。サイヤ人がやってくる以上には、現実味がある。

    主人公の主張が明らかになるにつれ、大胆不敵から荒唐無稽に傾いていくかのように思えるが…。結局、暴力はとても雄弁だということになってしまうんだろうか。そこで。飛行機が突っ込んでくるとか、歩行者天国にダンプが突っ込んでナイフ持った男がとどめ刺しにくるとか、盗まれた戦車が市街地をGTAするとか、こういう事象とは違うのだ、ということを行動で示す。その行動とは…おそらく本作の主眼ではあるので、んまあ興味があるなら読んでいただければ。現実世界がこの作品の世界の実現もありえるかもなあ、という気がしてくるんではなかろうか。核原潜と人類の希望はありまぁす!

    なお、電子版でお買い求めの際はいわゆる「見開き」の表示が出来る環境で閲覧することを推奨します。自分は本作のほとんどをPCのKindleで読みました。iPhoneではちょっとどうかな…?

  • どくしょかんそうぶん

    「地獄の黙示録」を見た

    何はともあれ皆さんにこれを御唱和頂かないと始まらない。

    ♪でっで~んてー でーてれってーれー てーてれんてーてー

    あの場面この曲(ワルキューレの騎行)ばかり印象に残っていて、実はそれ以外の部分を全く知らない。内容全体を見れば、このヘリ襲撃のシーンはむしろ例外か。戦闘シーンはあるものの、ベトナムの密林の奥深くまで一艘の船で川を遡りしずしずと進む。この造りは、露骨なまでに、「軍人の仕事」と「ベトナムのジャングル」という異常な世界の象徴とみえた。任務と好奇心に忠実であり、それを否定するものは恐怖、また恐怖。こらまた、どストレートなもんじゃない?

    肝心の、作品が面白かったのかというと、正直微妙なんだよねー。戦場は無茶苦茶だったんだなあ、なんて感想はほかにも類似の(って言い方もアレだけど)戦場を舞台にした映画で思った。人々も無茶苦茶だし、なんなら世界情勢も無茶苦茶だったんだろう、なんてね。自分の生まれてもいない時代を舞台にした作品で「あの頃はこうだったからねー」なんて回顧する。ベトナム戦争を舞台にした映画は何本か観た。ベトナムは本物の映像が残っていたり、本当に戦場を体験した人が多くいたり、なんならスクリーン映えしそうなエピソードがあったりするんだろう。政治や社会に対する風刺の意味合いもあったのかもしれない。カメラを持ったから映画監督になって、ギターだったらロックスターになっていた、ような人たちがいっぱい居たんではないかなあ。ベトナム戦争は美味しい素材だったのかも。

    作品の終わり方に謎が多いあたりが、すごく面白いとは言い難い理由になるだろうか。”神殿”から出てきたら突然、皆が服従を示すというのは、まったく意味がわからない。単純にそこが納得いかないので、視聴者としては考えるわけだ。後述する、カットされたシーンまでも含めて考えると、どんでん返しの前フリかな?なんて。ジャングルに住むアジア人の意思など、お天気の変化ぐらいに軽く扱って見せるというのが、ロックスターの気骨かな?映画の意図通りに振舞うやつはベトコンだ。セリフを与えられたのは訓練されたベトコンだ。ヒャッハー。作品ちがいまんがな。

    作品がちがうといえば。主役の俳優が、チャーリー・シーンでは?と思いながら見ていた。子供の頃に観た「プラトーン」の朧げな印象もあったからだろうか。実際には違う俳優なのだが、「プラトーン」と「地獄の黙示録」で主役を張るというであれば、なかなかユニークなキャリアだなと思ってしまった。HAHAHA…って調べたら親子じゃねーか!!とてもびっくりしましたわ。

    ワルキューレヘリのシーンだけでも見る価値あります!とは流石に言えないですが、「観たことないしAmazonプライムで無料のうちに観ておこうかな~」という人にはがっかりさせない作品ではないでしょうか。長いけど。

    ちなみに。この手の、歴史に名を残すような著名作にはDVD販売やネット系サービスでの販売時に「XXXXのシーンがないのはちょっと…」というレビューが付くことがおおい。本作もそうで、Amazonのレビューによれば、最後のシーンがないというのが劇場公開当時に見た人に大変に不評であった。自分もそのシーンを見ていないことになるわけだ。どんなシーンであったかを文章で確認することが出来るが、なるほどカットされて不満もを言うのもごもっともというシーンだったようだ。

  • どくしょかんそうぶん

    「隔離」を観た。

    夢オチみたいなもんじゃねーかなんだよこれ。途中まではミステリーで面白かったのになあ。後半から如実に怪しくなり、大丈夫かおいと思っていると酷いオチ。お勧めしません。以上。

    …これではあまりに味気ないので、ほかのまともなレビューでも漏れなく書かれている字幕の珍妙さについて。「ドアの音」とかそんな説明が字幕に入っている。耳が不自由な人向けのものだとはすぐ理解できるが、なんでそれが通常字幕に入っているのか…。どんな手違いがあったんだ。

    その内容が珍妙で、主人公のサラが嘔吐したら「サラ ボミット」電話が切れたら「電話 ハングアップ」 テレビが映らくなったら「テレビ静的」最後のでもしかして特定の国の方が絡んでいる可能性が垣間見える気もするが。そもそも映画のポスターであろう、作品のサムネイルにも、こんな煽り文章が入っている。

    いくつかの謎は一人で解決されなければならない

    インターネットに縋って本作の原題を調べたら、”Solitary”でありました。煽り文句の原文も、”some mysteries must be sloved alone”となっているようでした。合ってる!翻訳ソフト素晴らしいよ!合ってますよね!HAHAHa

    こちらからは以上です。字幕の謎は一人で解決されなければならない。

  • どくしょかんそうぶん

    「聖なる酔っ払いの伝説」を観た

    なんだかわからないけど、Amazonプライムにならんでいた拝見。

    で、全体的になんだかわからなかった…というか、なにか童話を読んだような感じと言えばいいか。だから、とりわけ主人公が阿呆に見えてくる。何か取り柄があるんだろうけど、ドジで良く失敗をするとか、昔話にいるじゃないですか。いません?有能な大人だったら話が進まねーんだわ、って感じの。お礼だからって亀に乗って海に向かわねーだろ普通って、そこに気づくような主人公じゃあダメなんだ、多分。園児が「志村ーー!後ろーーー!」ってエールを送るようなあれよきっと。

    「酔っぱらったって良いじゃない人間だもの」という主人公は、道を歩くだけでイベントが起こる童話のように、酒を飲んで何事か起こる日々を過ごして、物語が終わる。ん~~なんだこれ。

    舞台がどこかいまいち不明(フランス?イタリア?)なので、カフェに行ったらワインが出てくる、とか馴染めないところもあった。ブレードランナーの二つで十分ですよ!の食い物みたいな…。あ、そんなシステムで出てくるの…って。神父に任せるってのもそういう現地のシステムなのだろうか?カフェで酒飲んで倒れる。だいぶ具合が悪そう。「医者を呼んだほうが良いな」「いや、教会に運んで神父に任せよう」???どうしたんだ???対処が面倒で神父にぶん投げたのか、それともこれが親身な対応なのか。物語の印象が変わるかもしれない。

    ここで、物語の一つの「つま」が合う気がする。自らの意思で施しの弁済をしようとすると、昔の好いてた女、旧友が現れて誘惑に負けてしまう。結果、弁済ができない。ところが最後、自らの意識を失ったところで教会に放り込まれるわけだ。これは罰なのか、救いなのか。ほんと映画人はまーーーた罪とか罰とか言って…しかし教会だからなあ。

    金が入れば酔いつぶれ、支払いをせぬまま店を出ようとして咎められ、他人の財布を頂戴する。旧友にたかり、たかられ、ちんPも元気で性なるよっぱらいかと。主人公はやりきれない不幸な事故で過去の幸福を失ったように描画されているが、結局橋の下で凍えるのが相応しい人物だったのではないか。「神よ すべての酔っぱらいに美しい死を与え給え」というメッセージが、せめてもの救いどころか「さっさとくたばれFUCK YOU」とも受け取れる気がしてくる。そんなところも童話っぽいかな?

    開けてはいけない箱、覗いてはいけない障子、返さなくてはならない施し。

    「照れずに言う」と「テレーズに言う」をかけたシャレで〆るつもりが、思いつかなかったンゴ。

    3点。

  • どくしょかんそうぶん

    Newsweekを読んだ

    日本版。2019年11月12日号。

    正直、面白くて驚いたというか…。猫も杓子もインターネットという世代ですので、インターネットの素晴らしさとともに、しょうも無さというか、残念ですねという面も見聞きしたつもり。紙媒体でニュースなんてものにどれほどの需要があろうか…なんて話はもうされつくしたよねたぶん。結局は内容だと。それが得られるならば人は、路傍の落ち葉でもひっくり返す。

    情報の中身と鮮度というド本質なところでアピールしてくる力強さがある。ビジネス誌もニュース番組も見ない自分には、端的に言うとテレビも新聞もない自分には、こういう雑誌に載っていることはとても目新しく、自分が使うインターネットではリーチしない情報なんだなあと感じた。

    とはいえ、目ん玉飛び出るほど驚くようなこともなく。ほぉほぉふむふむと、風呂で読んだりするのにちょうどよろしい。じっくり堪能したところ、今回のハイライトは意外なところにあった。訂正記事だ。「サッカーの試合中」は「フットボール試合中」の誤りでした、という内容。おおおお、こ、これはっ!?

    日本ではサッカーという呼び名が一般的だけど、欧米ではフットボールが主流っぽい。そこで、footballという単語を、日本向けにサッカーと訳したら、やっぱりフットボールと訳すのが正解でした。そういう訂正内容だと読める。これはどんなシチュエーションだろうか?アメフトかな?アメリカンフットボールをfootballと表現していた。これを日本向けにサッカーと訳しんだけど、正解はフットb…あれ?だとしても訂正の内容は「アメフト」とか「アメリカンフットボール」が正解でした、となるんじゃないの。おかしくないか。

    いったい、この部分の原文はどうなっているんだろうか?もし、原文にsoccerって書いてあったら「サッカー」で正解だもんね。これをわざわざフットボールと直すことはありえないと思う。原文にはfootballと書いてあったか、何か前後の関係でややこしいジョークみたいな言い回しになっていて、とか…。訂正記事の全体は下記。

    10月29日号20ページ「ラグビーの歴史的大転換」の記事で、「ウィリアム・ウェブ・エリスという少年がサッカーの試合中」とあるのは「フットボールの試合中」の誤りでした。おわびして訂正します。

    ネット上のリソースでnewsweekの原文は見つからなかった。そこで取材班は、このウィリアム・ウェブ・エリスという名前に注目した。すると、あっさりとWikipediaに項目があった。そしてこれまたあっさりと、この訂正記事にかかわるようなエピソードが載っている。そもそもが、ラグビーの起源の歴史が実にややこしいようなのだ。まあ読んでみ。この一連の流れがインターネットっぽいだろHAHAHA

    ウィリアム・ウェッブ・エリス – Wikipedia

    どうにもややこしいとはいえ、誰かが急にボールを抱えて走り出したというのは、サッカーだろうとフットボールだろうと事実のようだ。なるほど~インターネットには実に面白い発見がございます。こちらからは以上です。