どくしょかんそうぶん

  • fuckyeahinternet,  どくしょかんそうぶん

    「みずほ銀行システム統合、苦闘の19年史 史上最大のITプロジェクト『3度目の正直』」のamazonレビューを読んだ

    タイトル通り、書籍は読んでいませんが、レビューを読みましたので、レビューの読書感想文を一筆。

    書籍のほうはちょっと期待はずれなようです。我々が一体何を期待していたのかといえば、その一つは業界にネットに流れてくる噂の真相でしょう。本書はその闇に光を当てるが如く…と思ったのですが、どうやらおとなしい苦労話が載っている程度らしい。わざわざ刊行するものとしては、無茶なことを書けないのは当り前の話ではあるが…。でも、そんな大人しい内容を期待してないのも、当たり前といえませんか。みずほの件ならきっとあの噂も…みたいな期待があったと思います。個人的には何か秘密の暴露とも違うタイプの好奇心がありました。飛行機事故の検証番組みたいな、ち密な調査に基づくドキュメンタリータッチの。そのち密さが「そういう話の出どころ」にまで及ぶことを野次馬的に期待していました。本書の内容自体はそうじゃないと。レビューにもそのことがきっぱりと書かれています。

    以下、引用です。

    はっきり言いましょう。

    みずほ銀行のシステム統合を「IT業界のサグラダ・ファミリア」と揶揄していた我々は、以下のような先入観を持っていたのではないのでしょうか。

    ・無能な経営陣
    ・迷走する要件定義
    ・コロコロと変わる仕様
    ・凄惨なデスマーチ
    ・スパゲッティのような解読不能の旧式システム
    ・複数ベンチャー参画による混沌
    ・多重下請けで集まった粗悪な品質の労働者
    ・度重なる遅延と億円単位で膨らむ開発費
    ・求められるパフォーマンスだけは一流(義援金の数百万件/日の振り込み処理)

    それで「みずほの中の人がどれだけ愚かで、参加したプログラマーがどれだけ悲惨だったか」を半ば笑いものにして酒の肴にするために、この本を買ったのではないのでしょうか?

    であれば、非常にがっかりすると思います。

    というのは、本著は「みずほ銀行のシステム統合は、前代未聞の巨大なプロジェクトだったため、これだけのお金と時間を要しました」という姿勢にたっており、ところどころで問題点を指摘しつつも、本プロジェクトは概ね成功したと見なし、むしろ困難な挑戦をやり遂げたみずほ銀行を評価する立場なのです。

    著者は技術者ではないので、技術的な話もあまり出てきませんし、意図的にそれを避けてるようです。ですのでシステム屋が読んでもあまり参考にはなりません。

    よって本著を楽しめるのは、みずほ銀行のファンぐらいじゃないかと思われます。

    みずほ銀行システム統合、苦闘の19年史 史上最大のITプロジェクト「3度目の正直」 | 日経コンピュータ, 山端 宏実, 岡部 一詩, 中田 敦, 大和田 尚孝, 谷島 宣之 | 工学 | Kindleストア | Amazon

    野次馬の期待を見事に看破しておられます。リンク先のレビュー日に注目してほしいのですが、評価の高いレビューの多くが発売後数日のうちに記載されています。本書は(自分のような野次馬もふくめて)業界からの注目が高かった。「一体なんでこんな事になってしまったのか?」という疑問に対する答えを期待したのではないかと思います。そして、この失敗から何か学び取ることができないだおるか、という思いもあったかもしれません。ちょくちょくネットに流れていた「酷さ」についても書かれていれば、なおのこと学べると。率先して本書を手に取った業界の方々は、おそらくは経験豊富なエキスパート。彼らの言葉には、ただ一冊の書籍のレビューとはいえ、とても重みがあると思います。自分のような凡人が本書を読んでも「はえ~」で終わってしまいそうですが、きっちり「これじゃだめだ」と指摘がされていたりします。

    そして、最後に。本書の内容やみずほ銀行、みずほ証券に手厳しい言葉を綴っているレビュアーも、「現場」で対処した方々にはただただ、慰労の言葉を綴るばかりである。これはもう終戦の風景だ。輩の形見一つすら持ち帰ること叶わず、傷だらけの体一つで帰還した兵士に、膝をつき手を取り合ってかける言葉である。そしてまた、心も体もぶち壊され、戦地から帰ってこれなかった兵士もいるのではなかろうかと思うってしまうのです…。

    ご苦労様でございました。我々はここにいます。

  • どくしょかんそうぶん

    「人間仮免中」と「人間仮免中つづき」を読んだ

    それは大変な苦労をされましたね、という…自伝的内容なんだけど、これは例えば遠い戦地に生まれ育った人の話を耳にするようで、さすがに現実味が無かった。さらには、それを補う想像も追いつかない。想像の助けとなる体験がない。少なくとも実体験はねえだろ普通。

    ところが、また逆に新鮮な印象も持たなかった。想像も追いつかないなんて言いながら、一方で不思議と馴染んでいる。メンタルがおかしくなって異常な行動をする人ってこうだよね、と把握している。こういう漫画作品もあるよね~~って。これはレッテルなのか、はたまた正しい知識によるものなのか?本書の冒頭、著者が(将来の)夫に交際を申し込む場面が描かれる。客が裸になってケツに落書きして盛り上がっている飲食店…???その後も、電話一本で白タクが来る。はぁ?まんKに入れ墨。はぁ?舞台で首を切って自殺を試みる。はぁ?夫に包丁で斬りかかる。はぁ?拝読した一個一個のエピソードは覚えているのに、感想をどう述べたらいいのか言葉がでねーわ。おとぎ話のような、園児の絵日記のような他愛なさを覚えた、と、ともに、現実の現代日本のお話なんだよなと改めて思いなおし、ドン引きビキビキ。遠くにいる。どうかこのまま、自分の人生には遠い世界であってほしい。

    エクストリームな他人の人生を伺い知ることは、とても好奇心をそそられる事の一つだと思う。それがネガティブなほうへ寄っていると面白い!と称えるのは憚られるもんだ。けど、本書は作者の意向もあるのだろう、どうにか面白くなるような設えを目指して作ってある。でも、読み終えて冷静に考えてみると、確かな恐怖も覚えたのであります。

    決して害をなす作品ではないので、「私の好奇心は53万です」というひとには、おすすめできます。:;(∩´﹏`∩);:

  • どくしょかんそうぶん

    「おカネの教室 僕らがおかしなクラブで学んだ秘密」を読んだ

    教師と生徒という役回りで経済活動についてのあれこれを語りあう作品。表紙にはお金を増やす方法として簡単なクイズが出されている。ほとんどの人にとって、少し考えれば表紙の質問の回答はわかるかなと思う。作中の教師…つまりは著者のキャリアを反映して、経済活動は普通の中学生が意識するようなレベルではなく、もっと広い現実世界の話につながっていく。

    本作は著者が自身の子供向けに書いたものがベースになっているらしい。日本の学校教育は実社会とつながりが深い部分に疎い、なんて思われていると思う。例えば、大学を出ても所得に応じた税金の納め方なんて知らない。自分で計算して額面申告するっていうの、知ってるのどのぐらいの割合だろう?日本国民の三大義務の一つについて、教育から放置されているのは不思議だ。教育だって三大義務の一つやないかーい。…という現場の状況を踏まえて、本書は親から子への教えを教育の現場に再構成したフィクションだ。納税は兎も角、経済について考えてみるというのは自分の中学生時代になかったこと。新鮮に思える。両親は必死に生活を支えるべく働いていること、経済の売店で三年生が店員やってた、ぐらいなもんか。こういうのは田舎と都市部で差があるのかもしれないが…。

    で。

    作品の舞台が学校というだけで、内容まで子供向けということもない。どストレートな結論の数々。例えば著名な「r>g」の話にも触れられている。著名な、って自分も本書で初めて知った。でも、感覚的に頷けるという事は、なんやかや、自分もおっさんになるこんにちまで現代社会で生きてきたという事。大人が読んでもそういうあたりが面白いかもしれない。ご家庭をお持ちの方であれば、子供とこういう話をするのも必要かもなー、なんて考えてみたりしてね。また一方、小難しくもないので、読み物としても良い。クッソ長くもない。

    経済っていうのは、とてもとても複雑なものらしい。それでも、自分の暮らしで経済といっても「稼ぎ」と「支払い」の繰り替えしでしかない。即ちお金の増減。大人も子供も、もしかしたら企業もそこに違いはない。お金に着目して語るのって、美食の根本が素材の質にあるみたいな話で、一つの重要な柱たりえるだと思うんだよね。世の中はキャッシュレスに進んでいくけど、果たしてこのへんの認識が変わるだろうか。単位が「円」から「ポイント」に変わっただけで済むかな?ビットコインもコケたのかなんなのかわからないが、お金という単位で見れば少なくとも一度は世界的にコケた。本書ではお金を増やす方法の一つに、「盗む」を挙げている。コインチェックの事件では被害額は580億円といわれた。仮に一万円札だったら、6tトラックにぱんぱんに積み込む必要がある。

    お金の過渡期、微妙な時期に発行された本書はその揺らぎで面白みが増す可能性もある。わずか数か月後にはどうなっておることか、自分はたまたま、面白い時期に手に取ったと思う。あまぞんさんでデータで買ったから、手には取ってないんだけど。

  • どくしょかんそうぶん

    「スポットライト 世紀のスクープ」を観た

    原題は”Spotlight”。良作でした。こういうマイナーな作品でも見れるからAmazonプライムさんは本当にありがたい、と思って調べたらアカデミー作品賞に輝く有名作品でしたのよ奥様。ヲホホ。カトリック教会が隠し続けた神父の性犯罪を、新聞記者が記事にする話。実話がもとになっている。

    教会という施設には、縁がない。ご近所にあるし、外出すれば時折そのかたちを目にするんだけども、やはり縁がない。街中で見かけるものは、何か少し特徴的な造りの如何にも教会でございという建物がある一方、貸事務所みたいなところが教会になっていたりもする。日常的に人々が教会に集まる文化を持つような国でも、都市部でそういうのあるんだろうか。教会の要件なんぞ考えても思い当たらないが、人々が集えばそれで良いぐらいの感じかな。あとは神父なり司祭なりがいればさ。

    キリスト者は毎週日曜に教会の礼拝に参加するんですってよ奥様。日本で目にする街角の教会にも、そのような告知が掲げられているのを目にすることがある。日時と、「お題」が書いてある。聖書のエピソードを神父が語るのかな。最近は日曜日の礼拝をyoutubeで配信しているところもある。配信をちらりと眺めたこともあるが、遠くからのカメラでややぼけた画質で配信されていたが、それは個人情報的な事情もあるか。宗教的なアイコンがはっきりとは見えなくても、なんとなく教会だろうなあと思える日曜日の朝の景色、称えよとばかりに眩く光が降り注ぐ。

    光の降り注ぐ日に、おっさんが一人でいても不自然ではなく、小部屋があり、子供が一人でいても不思議ではないところ…。

    神父というのは子供にとってどういう存在なのか、自分にはまったくピンとこない。作中では、子供にとっては学校の先生みたいな、憧れを持つ対象だったように描かれている。この”作中の子供”というのは、事件の被害者だ。神父だから贖えなかったというようなセリフもあった。

    本作では(つまりは実際の出来事としても)、新聞社の取材により教会が組織的な隠ぺいを行っていたことが明るみに出る。記事が出ると、他にも被害を訴える人々が名乗り出て、称えよとばかりに眩い光の矢が降り注ぎ、大炎上する。そう、確かに大炎上したというのに…。

    主は言われた、「もしソドムで町の中に五十人の正しい者があったら、その人々のためにその所をすべてゆるそう」。

    アブラハムは答えて言った、「わたしはちり灰に過ぎませんが、あえてわが主に申します。

    もし五十人の正しい者のうち五人欠けたなら、その五人欠けたために町を全く滅ぼされますか」。主は言われた、「もしそこに四十五人いたら、滅ぼさないであろう」。

    アブラハムはまた重ねて主に言った、「もしそこに四十人いたら」。主は言われた、「その四十人のために、これをしないであろう」。

    アブラハムは言った、「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしは申します。もしそこに三十人いたら」。主は言われた、「そこに三十人いたら、これをしないであろう」。

    アブラハムは言った、「いまわたしはあえてわが主に申します。もしそこに二十人いたら」。主は言われた、「わたしはその二十人のために滅ぼさないであろう」。

    アブラハムは言った、「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしはいま一度申します、もしそこに十人いたら」。主は言われた、「わたしはその十人のために滅ぼさないであろう」。

    https://www.wordproject.org/bibles/jp/01/18.htm

    しかし、十人も必要ではなかった。子供たちが教会に集う日曜日、神はお休みだったのだ。神父はそれを見て良しとされ、ちんぽを出した。

  • どくしょかんそうぶん

    自己啓発

    一年ほど放置されていたものを公開。


    「自己啓発書」って、そういうカテゴリーの棚が出来るほどに売れるものなんだろうか、とは思っていた。「ビジネス本」とか呼ばれたりする?よくわからないけど、物理書店ではこいつらはひとまとめに並んでいるなあ、ぐらいの印象。何が書いてあるか見当ぐらいつくけど、正直言って謎カテゴリ。読んでみる事にした。ところがじっくり読む気ほど興味深いものにあたらず、内容の把握も感想文もてきとう。

    苫米地英人著:「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!

    大きな目標を持つこと。その達成のためという理由を付けて好き勝手すれば細かいことは気にならない。みたいなことが書いてあったと思う。大きな仕事に成功したかに見える人間が非常に非常識だったり、理解不能な言動で転落するのは、こういう思考のせいかな?毎年のように逮捕者を輩出する野菜證券とか、肩書は立派な経歴なのに前を走る車に因縁つけて襲うとかアフリカの野盗じみたことをするやつとか。ねじれたエリート意識なんですかね、くだらねえなってあたりで読むのやめたような気がする。まる。次。

    飯野謙次著:「仕事が速いのにミスしない人は、何をしているのか?」

    これこそ内容覚えてねえ。でも記憶に留めた一節があった。失敗なく物事を進めるための準備として、「どうやったらこの計画は失敗するのか」を考えて、その対策が為されているのか検討する、みたいな手法について紹介されていた。テストが失敗するコードを最初に書く、みたいな開発手法あったような。例えば「先方の担当者が消えた」「明日地震が来たらどうなる」みたいな事まで考えていくと、成功のルートばかり頑張って固めるよりも備えの幅が広がりやすく、結果、計画の堅牢度を高めることが出来そう、という主張だ。失敗しないためにあれこれ練ると共に、失敗させるための手段を想定する。なるほど。しかし、あとはメールをうまく使え、みたいな事が書いてあったので、2000年問題クリアできなかった世界の人かな?と思って強制終了。そりゃ内容覚えてない。まる。次。

    西東社編集部:「使える語彙力2726」

    こういうことを細やかに気にする人同士の競技会規則。カードゲームのデッキ。現代用語の基礎知識とか、シソーラス辞典みたいなコンテンツをごった煮にしました、みたいなもの…というかコピペで作ってないだろなと訝しんでしまう。ただ並んでいるだけ。敬語だとかカタカナビジネス語、落語に出てくるような”わふう”の言い回しとかに詳しい人には読む価値は一切ない。逆に疎い人には目新しいかもしれないけど、いつ使うんだ。知らないゲームの世界みたいなもんだった。まる。次。

    アルビヴョヴォーウ;;;;lコンギいうvhングヤ

    やめたやめた。上記以外に、もう2冊ぐらい読んだ気もするけど、省略。素直にいって、ピンとこない。山ほどあるその手の本の中から、何かしら興味があって上記のものを選んだはずなんだけど、本当はAmazonプライムの無料枠にあったからなんだけど、とにかく面白いとは思えなかった。何故だろうか。内容が期待外れだった?何を期待していたんだろう?これがわからない。自己啓発、ビジネス書って結局なんなの。知恵袋的な為になる情報?明日から使える実践的なアイデア?

    自分のようなポンコツが、情報の受け入れとアップデートのパフォーマンスが劣っていくと「頭の固い、頑固な人間」となっていく。頭を使わなくなる。つまり、未知の事象について自分の知恵、知識で検証を行い、不足してたら補完する。「補完ってどうしたもんか→そこで自己啓発書ですよ」ということなのかなー?自分はそれだったら、適当な雑誌とかでも良いと思うんだよね。専門家の知識を投入した本(なのに|だから)読んでも「つまんねえなー」とか、「何言ってるんだこいつは?」ってなったのは、いったいなんでだろう。興味がないの一言だけで済ませてよいのかな?めんどくせえから良い。

    自己啓発なんたらって、こんな我慢して読む本なのか?なにかこう遠回りな印象が残った。「んで結局なんなのー?」という疑問から、回答までの距離が遠くない?少なくとも上記に挙げた書籍は読むに値すると思えなかった。仕事に関係ある知識でもなぞって復習していたほうが良い。仮にそれが新しい知識ならなおの事。本来は噛り付いてでも身につけねばならない知識がたくさんある。そこに書籍上でさらららと目を通すレベルでしか付いていけなくても、さらららに実用的な意味があることを実感できる。

    Testosterone、久保孝史他著:「超筋トレが最強のソリューションである 筋肉が人生を変える超科学的な理由」

    これぐらい踏み込んでくれないと読みごたえもない。適度なスポーツは体に良い。体育の日がスポーツの日に変わっちゃうぐらいにはテッテ的に良い。という当たり前の説法を通り越してくる、筋力が紡ぎだす文章の溌溂さが心地よい。力こそパワーなのだ。「脳のゴミ」とかあやふやな言い回しで誤魔化されるところであった。まやかしだ!

    まやかしを取り除いていくことも啓発というのであれば、これはこれで良かったのか。筋肉になってない体脂肪もまやかしであってくれんか。